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シスターのゲーム 02


01


 『魔族』――それはファンタズマの邪悪。

 『魔族』――それは破壊と混沌の化身。

 『魔族』――それは人類の永遠なる敵対者。


 本来、彼らはファンタズマの地殻に広がる広大な地下世界――現在は『魔界』と呼ばれている――で独自の進化を遂げた生命群であったという。

 過酷な暗黒世界に適応した頑健な身体と暗視能力を持つが、それ以外は特筆するところのない尋常な生き物で、生息域の違いから地上とはほとんど関わりなく生きていた。


 全てが変わったのは百万年前――地下世界に『赤黒い太陽』が出現した時からだ。


 『赤黒い太陽』の具体的な詳細はわからない。物体なのか生物なのか何らかの概念なのかさえ不明である。魔族の間でもその名は秘匿とされ、口に出すのもはばかられる神聖な存在だと伝えられている。

 いずれにせよ、その『赤黒い太陽』が何らかの方法で地下世界の住民の心身を作り変えたのは間違いない。

 地上の生物を遥かに上回る、驚異的な身体能力。圧倒的な魔力。旺盛な繁殖力。そして極めて残酷無残な精神が、全ての地下住民にインストールされた。

 魔界の民――魔族の誕生である。


 ゴブリン、オーク、オーガ……人間を邪悪にカリカチュアした異形の人形ひとがた

 ライカンスロープ、マーマン、ラミア……半人半獣の凶暴なキメラ生物。

 バンパイア、サキュバス、デーモン……強大な魔法を操る暗黒の使徒。


 その他、さまざまな種類の魔族が暗黒の地下世界『魔界』に溢れかえった。

 そこにはかつての素朴で尋常な地下生物の面影はなかった。かつて地球の人間がファンタジー作品のモンスターとして空想した存在が、この異世界では現実の脅威として降臨したのである。

 彼ら『魔族』の社会構造はシンプルだった。最も強い者が魔族の王『魔王』となり、力ずくで他の全てを支配する弱肉強食の世界だ。

 そうして誕生した最初の魔王は、それが当然であるかのように地上世界への侵略を開始した。


 魔界大戦の勃発ぼっぱつである。


 当時の地上世界にはエルフ、ドワーフ、ノーム、フェアリーといった亜人族や妖精族が数多く生息していた。人間はそれらの一種族に過ぎない目立たない存在だったといわれている。

 子供向けのお伽話を思わせる平和で牧歌的な世界だった。


 そこに魔族の軍勢が襲来した。


 地上vs魔界の戦乱は、開戦当初から魔族側が圧倒していた。それは戦争というより一方的な蹂躙というべき惨状だったという。

 魔族の圧倒的な身体能力や殺戮を躊躇わない残虐な性質が戦闘において有利だった事も大きいが、何より地上種族を苦しめたのは、魔族の使用する摩訶不思議な特殊能力――『魔法』であった。


 自由自在に稲妻や火球を放ち、竜巻や洪水を召喚し、時空や魂を操る超常の力に、当時の人類たちは成す術がなかった。

 既に地上の種族にもそうした超常の力――ラミュルト教の信者が使える『奇跡』や古代竜族が編み出した『仙道』が存在していたが、いずれも敬虔な信仰心や竜族の遺伝子が必須であり、条件さえ揃えば誰でも使える『魔法』に対抗するには頭数が圧倒的に足りなかったのである。


 恐るべき魔法の力と凶暴な身体能力、そして何より残酷極まる邪悪さによって、戦争はかなりの長期に渡って魔族が一方的な勝利を収めていた。

 地上種族の抵抗は弱々しく、このまま地上世界は魔族の手に落ちるのも時間の問題かと思われた――ラミュルト神が数万年ぶりに降臨し、人間たちに助言を与えるまでは。


 ラミュルト神が伝えた魔族の弱点――それは魔族は地上世界において、陽光が差す日中は大幅に身体能力が低下する事だった。


 特に強大な力を持つ魔族ほど影響力は大きく、指を鳴らすだけで山一つ消滅させる事も可能な上級魔族クラスになると、地上の日中ではあらゆる能力が普通の人間以下に弱体化した。

 強大な魔族は夜中に活動し、昼間はゴブリンのような陽光の影響が少ない下級魔族だけを動かして、巧妙に弱点を誤魔化していたのだ。

(陽光が苦手な魔族がなぜ地上侵略を試みたのか、その理由は現在も不明である)


 そしてもう1つ、ラミュルト神が人間に伝えたもの――それは魔族が編み出した『魔法』そのものだった。

 魔法の行使には呪文の詠唱、呪印、呪符などが必須であり、極めるには相応の才能や修行が不可欠ではあったが、特別な血統や信仰心等は必要なく、使用条件さえ満たせれば誰でも習得する事ができる。それは魔族以外の種族でも例外ではなかったのだ。

 地上種族の中でも才能のある者たちが、魔族を撃退して地上世界を救うという崇高な意思の元に魔法を習得し、最初の“魔法使い”となった。

 彼らの血脈や魔法的功績は現在でも魔術師ギルドや星振塔に受け継がれているという。


 そして――地上の反撃が開始された。


 魔族相手に夜間の戦闘は極力回避して、弱体化する日中のみ積極的に戦うという、単純ながら効果的な戦術は魔族を大いに苦しめた。

 魔族だけが魔法を使えるというアドバンテージを失ったのも大きかった。

 勝者と敗者の立場は逆転し、数百年に及ぶ反攻作戦の末に、ついに地上から魔族軍の駆逐に成功したのだった。

 さらに地上種族の中から選りすぐりの英雄が集結。彼ら勇者パーティーが魔界へ逆侵攻をかけて、激闘の末に魔王を討伐したのである。


 こうして魔族は撃退されて、地上世界に平和がもたらされたのだが――その傷跡は大きかった。

 まず妖精族はそのほとんどが絶滅し、現在は妖精郷と呼ばれる伝説の地に僅かな生き残りがいるという伝承を残すのみである。

 エルフやドワーフなどの亜人族も大幅に数を減らした。人口は人間族の千分の一以下となり、これ以降は歴史の表舞台からほとんど姿を消す事となる。

 人間族は比較的多くの生き残りがいたが、それは単なる幸運に過ぎなかったらしい。しかし、結果として人間族が地上世界の覇者になれたのは、大いなる皮肉というべきかも知れない。


 そして何より、ファンタズマ世界から魔族が滅びたわけではないのだ。


 ゴブリンやオークといった下級魔族は地上世界に定着し、人間たちの日常的な脅威と化した。

 魔界の上級魔族の中からは数万年に一度は『魔王』が出現して、幾度となく地上世界への侵略を再開した。

 現在のところ、魔族の撃退と歴代魔王の討伐にはかろうじて成功しているが、人間と魔族の戦いの歴史は終結する気配を今だに見せていない……



02


「それじゃあ、今日は2つ頂こうかねぇ」


 ニコニコ笑顔の温和そうな白髪の老婆に、


「毎度あり……こほん、敬虔なる信徒にラミュルト神の御加護があらんことを」


 普段は絶対に見せない営業スマイルを浮かべながら、アニスが白い液体が詰まったコップサイズの瓶を差し出した。

 数枚の銀貨と引き換えに。


 『…………』


 地球で言うところの牛乳瓶に似た容器――ガラス化した一種の陶磁器らしい――を山積みにした背負い籠を担ぎながら、アニスと老人を見つめる白銀の修道女――レミュータは相変わらずの無表情だった。


 一昨日から降り続いた大雪はミルゴ村周辺を一面の銀世界へと変えていた。

 澄み切った冬空には見事な蒼天が広がり、青と白のツートンカラーが世界を静謐に支配している。

 村同士を繋ぐ街道も白い絨毯に覆い隠されていて、炊事の白煙が立ち昇ってなければ、ここに住民十数人程度の集落があるとは誰も気付かないだろう。


 ショータとレミュータが情熱的な?一夜を過ごした翌日、アニスとレミュータはマザーウィルから近隣の信徒への『聖乳せいにゅうの施し』を指示された。

 聖乳とはラミュルト教の『奇跡』によって祝福されたミルクの事だ。栄養満点な上に滋養強壮と精力増進の効果があり、田舎では栄養ドリンクの一種として愛飲されていた。

 その聖乳を信徒に提供して代償に寄進きしんつのるのが『聖乳の施し』である。

 ミルゴ村周辺には教会のない集落がいくつか点在し、そうした場所に住むラミュルト教の信徒が主な提供先だ。

 身も蓋もない表現をするなら、施しに名を借りたお布施の徴収といえるだろう。

 無償の弱者救済を旨とするラミュルト教会は当然ながら慢性の財政難に陥っており、国や教皇庁からの資金援助は雀の涙であるため、こうした副業で身銭を稼ぐのは田舎の貧乏教会では当たり前の光景なのだった。

(ちなみにこの聖乳の材料は『奇跡』で出したマザーウィルとアニスの母乳である……)


「それにしても、なぜ今回はあたしとあんたの2人だけで『施し』しているのかしら? 普段は教会総出の仕事なのに」


 信徒の老婆との談笑後、集落の軒先で回収したミルク瓶を背負い籠に積みながら、アニスが疲れた調子で愚痴をこぼした。もう営業スマイルは浮かべていない。


『聖乳の運搬とアニスの護衛は、私単体で処理できるミッションであるとマザーウィルは判断したと推測』


 相も変わらず無表情に淡々と答えるレミュータ。

 だがその無機質な音声の響きに、何か別種の因子が含まれているのは錯覚だろうか。


 ――市井の人々の生活を見て回りなさい。それがレミュータ修道士の糧になるでしょう――


 そう言ってマザーウィルは温和な笑顔で送り出した。

 これは周辺環境の状況把握において書物等の間接的情報だけではなく、直接的なデータを収集せよというアドバイスだとレミュータは判断した。


 実際、こうして教会以外の人々の暮らしを見回ると、様々な常識分野で地球のそれとは異なる面が見えてきたのである。


 たとえば、今のレミュータは爆乳やら爆尻がやたら露出した扇情的な修道服を着る羽目になっているが、それを目撃した人々は彼女の巨体や銀色の肌には驚いたものの、服装自体には特に反応を示す事はなかった。

 さらに暖かい室内では村人はほとんど下着同然の姿でくつろいでいて、全裸姿の者も珍しくなかったのだ。

 今は冬なのでさすがに外では厚着をしているが、暑い時期ならやはり露出度が極めて高い格好で外出するのも普通の事だという。

 やはりこのファンタズマ世界では、露出や羞恥に関する常識が地球とは大きく異なるらしい。

 そして何件かの訪問先では、セックスやペッティング等の性行為を彼女たちの前で堂々と披露する者もいたのである。住民たちにそれを恥じる様子はなく、同行するアニスも平然としていた。


 性行為そのものに関する常識も地球のそれとは違う――何か興味を覚えたらしいレミュータは、道中アニスにそうした性的な常識の基準を(少ししつこいくらい熱心に)尋ねて確認していた。


 これは異世界の常識基準を把握するための行為であり、決してショータとの今後の性生活の可否ラインを探るためではない。

 決してショータとの今後の性生活の可否ラインを探るためではない。


「別にいいけど……あんた妙に食い付きよくない?」

『気のせいです』


 機械なのにフンスフンスと息を荒げるレミュータに不振な眼差しを向けつつも、アニスは詳しく教えてくれた。道中は暇なのでお喋りは望む所なのだ――



 ――ファンタズマ世界でのセックス等の性行為は、地球における握手やハグ程度のコミュニケーションに該当する。

 かなり過激な内容の性行為でも特別に羞恥やエロチズムを感じる要素はなく、信頼の証として気軽かつオープンに行われていた。

 ただし、現在の地球で見知らぬ相手に握手やハグを強要すると普通に逮捕される事もあるように、基本的に夫婦や恋人、家族や友人といった親しい者のみ相手にするのが普通である。

 ちなみに『成人の証』――男子なら精通、女子なら初潮を迎える前の子供を対象にするのはタブーとされ、双方の同意がない場合もNGである。その辺のモラルは地球のそれとあまり変わらない。


 そして、逆に現在の地球ではなんて事はない行為が、ファンタズマでは極めて破廉恥はれんちなものとして認識されている事もあった。


『それでは、キスはどうなのでしょうか』

「………………は?」


 何気ないレミュータの質問だったが、アニスの反応は劇的だった。


「…………い、今、何て…言ったの……?」

『ですから、キスです。口付け。チュー。接吻。ベーゼ。口吸いとも呼称。その基準を知りたく――』


 時が止まったように全ての動作が停止。硬直した顔が見る見る真っ赤に染まっていく。ワナワナと震える全身から白い湯気が立ち昇った。


「いいいいいいきなり何を口走ってるのよ!! このポンコツ!!!」

『ポ、ポンコツ!?』

「エッチ! スケベ! 変態! 破廉恥! 色情魔!! ああラミュルト様……どうかこのポンコツの罪をお許し下さい……あたしにバチは与えないで下さい……」

『……ポンコツ……』


 天を仰いで許しを請うで蛸アニスの前で、レミュータの無表情はどこか困惑気味だった。


 ……性的な慣習が地球のそれと比べて大幅に緩いファンタズマ世界だが、キスに関しては認識が大きく異なっている。

 それは地球でのセックス以上に過激かつ卑猥な行為とされ、将来を誓い合った恋人か仲睦まじい夫婦でもない限りは、倫理的に決して許されない肉体的接触と見なされていた……



 そんな取り止めのない――レミュータにとっては重要な――雑談を交わしつつ『聖乳の施し』を続けている間に、いつのまにか冬の蒼天は黄昏の赤に転じていた。

 黒翼鳥が甲高い鳴き声を響かせながら南の空に飛んでいく。もう夜の帳が下りる時間だ。


「……ふぅ、これで今回の配達――じゃなくて聖乳の施しは完了っと」


 信徒宅の玄関先で最後のミルク瓶を回収したアニスは、ほっとした顔で額の汗を拭った。


『これから帰還ですか。徒歩による移動では教会への帰宅時間は夜中に及ぶと推測します』

「それは大丈夫よ。こういう時は集落の長の家に泊めてもらう事に――」


 アニスは返事を途中で飲み込んだ。

 突然、レミュータがミルク瓶を積み上げた背負い籠を足元に降ろしたからだ。

 放り捨てるような乱雑な動作だった。雪が積もってなければミルク瓶は全滅しただろう。


「ど、どうしたの……?」


 ただならぬ雰囲気にアニスは息を呑んだ。

 黄昏に紅く染まる鋼の戦乙女は、無言のまま西の空を見ていた。

 ミルゴ村の方角を。

 陽光の最後の一片が、地平線に消えようとしていた――



03


 ――陽光の最後の一片が、地平線に消えようとしていた。


(そろそろお夕飯の時間かな)


 黄昏が差し込む窓を横目に、ショータは軽く背伸びをした。日課の仕事が終わってから自室でずっと読書に勤しんでいたのだ。ランプの油を節約する為に、勉強や読書は明るい間に済ませるのが習慣だった。


(今夜はマザーウィル様と2人だけかぁ……何だか久しぶりな気がする)


 窓越しに夕焼けを見つめるショータの眼差しは遥か過去に向けられていた。


 ショータはマザーウィルとの最初の出会いを覚えていない。まだ乳幼児だったから当然ではある。

 父親は既に亡く、母親も出産と同時に天に召された。

 そんな赤子がラミュルト教会に預けられたのは孤児である事が主な理由だが、それ以上に『奇跡の子』である事が大きかった。


 マザーウィルが教会の司祭に就任したのはその直後だ。


 当初は『奇跡の子』として大勢の教会関係者に囲まれていた赤子だったが、5歳の頃には注目する者はいなくなり、自然とマザーウィルが母親代わりに育てる事になった。

 ショータという名前を与えたのも彼女である。古代神聖語で“誓いを守る者”を意味していた。

 マザーウィルとショータは師弟として、そして何より親子として、仲睦まじく10年の歳月を共に過ごした。

 両親を知らないショータにとって、優しく聡明な女司祭は実の母親以上に敬愛し、尊敬する相手なのである。

 6年前にはアニスが、最近はレミュータが家族に加わり、教会も賑やかになってきたが、今夜は久しぶりに昔のような2人きりの時間を過ごせるだろう……


「今宵は久しぶりに2人きりですね」

「うわぁ!?」


 背後からの唐突な声に、ショータは椅子から転げ落ちそうになった。床にキスするギリギリで体勢を立て直し、つい昨夜も同じ事をしたような、と考えながら振り向くと――


「……えぇ?」


 ショータは困惑した。


 少年の眼前に立つのは敬愛するマザーウィル司祭。今の教会には2人しかいないから、それ自体に不思議はない。

 問題はその服装だった。

 より正確には服装自体が無かった。


 艶かしく濡れた褐色の肌。

 夕日に輝く黄金の髪。

 210cmの爆乳は大きな乳輪とツンと勃った乳首まで丸見えだ。

 脂の乗った太ももと股間の隙間は髪色の陰毛で隠されている。


 そう、今のマザーウィルは一糸纏わぬ全裸姿なのである。


 ファンタズマの世界倫理的には、絶世の美女とはいえ全裸の女性を見ても少年が動揺したり性的興奮を覚える事はない。

 実際、ショータはマザーウィルの裸身を10年間で数え切れないほど目撃しているが、


 マザーウィル様はお綺麗だなぁ。でもそろそろダイエットを考えた方がいいんじゃないかなぁ。


 ――ぐらいの感想しか浮かばなかった。

 それでも少年は困惑した。夏場なら下着姿や裸で生活するのも理解できるが、今は真冬なのである。暖房費を節約せざるを得ない貧乏教会では、屋内でも厚着がデフォルトだ。

 なぜ、敬愛する女司祭が全裸で姿を見せたのか?

 それ以前に、どうやって少年に気付かれる事なく入室できたのか?

 そして、何よりも――


「マザーウィル様……ですよね?」

「あらあら、私以外の誰に見えるのですか?」


 何よりもショータを困惑させたのは、マザーウィルの笑顔だった。

 少年が誰よりも尊敬し母のように慕う女司祭は、あんな風に笑う御方だったのか。


 ぬるり


 そんな音が聞こえそうな妖しい動きで、マザーウィルの指先がショータの胸元に触れる――次の瞬間、少年の体はベッドの上に仰向けに倒されていた。

 ほぼ同時に褐色の全裸姿がかる。

 2m10cmの巨体と2m10cmの爆乳に押さえ込まれて、ショータは身動き1つ取れない。


「な、な、何をするつもりですか」

「うふふ…男と女がこうなったら、する事は1つだけでしょう…?」


 ぺろり、と艶かしい唇が濡れた。

 ショータの心臓が早鐘と化す。

 しかしそれは、性的な興奮とは別種の緊張が原因だった。

 マザーウィルがショータとの交尾を望んでいるのは明白だ。

 だが、それ自体はファンタズマの倫理的には特に問題ではない。この世界では仲の良い親子や同居人なら性行為するのは珍しい事ではなく、ショータも特に忌避きひ感はなかった。

 ショータが緊張しているのは別の要素――何か不吉な予感を覚えたからだ。

 具体的な証拠があるわけではないが、よく知る眼前の女司祭が、姿形はそのままに、中身が何か別の存在に変わったような違和感があった。


「何も心配する事はありませんよ…さあ…身も心も全て私にゆだねて…」


 マザーウィルの美貌が、ぞっとするほど美しい顔が、ゆっくりとショータの唇に近付いていく。

 その距離10cm、5cm、3cm、1cm――


「うわぁ!?」


 ショータは渾身の力をこめて女司祭の顔を押し退けた。


「ななななな、何を考えているんですか!?!?」


 少年の困惑顔が真っ赤に染まる。

 今、確実にマザーウィルはショータとキスしようとしていた。

 敬愛する女司祭様が、そんな卑猥ひわいで破廉恥なことをするなんて、まさか、そんな――


「だって…このやり方の方が……あーしは精気を吸い取りやすいし」

「え?」


 陽光の最後の一片が、今、地平線に消えた。


 ぞわり


 夜の闇が漆黒の触手と化して少年の全身を這い回る。

 その影の向こうにマザーウィルはいた。


 マザーウィルではないマザーウィルがいた。


 脂の乗った極上の熟女の肢体したいが、瑞々しく輝く若者の肉体に。

 優しく温厚な眼差しは、勝気で妖艶な瞳に。

 慈悲深い聖母が、淫猥な娼婦に。

 身長と爆乳のサイズはそのままに、マザーウィルは三十路の美女から10代の美少女へと変身したのである。

 しかしショータが目を見開いたのは、それだけではなかった。


 金髪の間から伸びる一対の角。

 背中から生えた漆黒の翼。


 少年がつい先刻読んでいた本――『魔族大全』に、その名があった。

 夢魔。淫魔。夜な夜な聖職者の枕元に忍び寄り、淫らな夢を見せて堕落させる淫猥なる魔物――その名は、


「サキュバス!?」

「正解! よくお勉強できてるじゃん」


 けらけらと道化のように笑いながら、再び魔性の美貌が少年の顔に近付いていく。

 ショータは動けなかった。その妖しい瞳と目が合った瞬間から指一本動かせずにいた。


「そんじゃ、頑張り屋のショータ君に、ご褒美あげなくちゃ…ね!」


 淫魔の濡れた唇と少年の無垢な唇の距離が急速に接近する。

 サキュバスと口付けを交わした者は、精気を根こそぎ吸い取られてミイラ化するか、身も心も完全に囚われ支配されるという。

 絶体絶命。


 ショータは叫んだ。

 声は出せないので心で叫んだ。

 心から叫んだ。

 己が心から信じるものに叫んだ。


(助けて――神様! ラミュルト様!!)


 ――そして、偉大なる神は、信徒の願いに応えてくれた。


 ベキベキバキバキバキバリバリ――!!!


「!?」

「おー?」


 ――教会の屋根を粉砕し、ショータの部屋の天井を突き破って、神の救い手は夜空の彼方から降臨した。

 白銀色に輝く鋼の戦乙女の姿で。


『お待たせしました、マスター』


 もうもうと巻き上がる瓦礫と埃と雪煙の中、独り悠然ゆうぜん睥睨へいげいするのは――

 身長3mの威容。

 全身を覆う強化外骨格。

 鋼をまとった戦乙女――“o.n.e.レミュータ-9”戦闘形態。


「ふーん……」


 しかし、その鋼の威容を目の当たりにしても、マザーウィルは動じない。それどころか不敵に笑って見せた。


「……面白くなってきた♪」


 玩具を見つけた小悪魔の笑みだった。




つづく





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