冬への扉 01
百年 :AIは自我を持つ
百万年:AIは狂う事ができる
百億年:AIは――
00
~~新帝国暦33年、黄昏の月、18の日~~
アルバイン帝国シュレイカ領ミルゴ村の診療所に『神』が降臨した。
季節はずれの粉雪が舞う早朝の出来事だった。
2mを超える長身。
人外の美貌。
光輝く銀髪。
規格外の爆乳。
唖然とする治療師や産婆たちの眼前に、眩い輝きと共に出現した美女の姿形は、聖典に描写された『創造神ラミュルト』の御姿そのものである。
創造神はしばらく目撃者たちを睥睨していたが、やがて生まれたばかりの赤子をそっと抱きかかえると、優しく微笑みながら小さな唇に接吻して――刹那、光の粒子と化して消滅した。
白昼夢としか思えない非現実的な神秘体験――しかし数多くの目撃者の一致した証言は、それが現実の出来事だと主張している。
数日後に教皇庁から派遣された奇跡認定官は困惑した。
予想に反して、現場から幻覚魔法や薬物の痕跡は検出されなかったのである。審議判定魔法でも目撃者は嘘を言ってない事が確認できた。
何らかのトリックではないのか。
魔族側の工作という可能性は?
それともまさか――本当に神格存在が降臨されたというのか。
教皇庁の奇跡認定会議は紛糾したが、10年の歳月が経過した現在でも、その結論は出ていない……
01
~~新銀河連邦暦203819、地球標準時間10月18日~~
木星アウター領域、第八次ガニメデ会戦――
地球総合軍と侵略的外宇宙生命体『ビジター』との戦争は、ついに最終局面を迎えようとしていた。
前哨戦で破壊され巨大なガス雲と化した木星を背景に、放電する機械兵器の残骸と脈動するグロテスクな肉片を周辺宙域に漂わせる、直径1000kmにも及ぶ巨大な眼球――あれこそが『ビジター』の母艦だ。
10年に及ぶ星間戦争の末、ついに親玉を追い詰めた。あの肉塊さえ破壊すれば地球の勝利だ。
しかし、地球総合軍側の被害も甚大だった。この戦いで敗北すれば、もう地球にビジターの侵略を防ぐ戦力は何も残っていない。
勝利か絶滅か。人類の命運は全てこの決戦で確定する。
地球側の宇宙艦隊が放つ反物質ミサイルやクエーサービームの奔流を、ビジター側の宇宙怪獣――ビジター軍は生体兵器を主力としている――の咆哮が迎え撃つ。
宇宙空間の闇を切り裂く大出力レーザーの光芒。
超新星に匹敵する空間爆雷の大爆発。
よく宇宙空間では音は発生しないと言われるが、もしこの戦場に生物がいたら実際に轟音を聞く事が可能で、ついでに木っ端微塵に消滅していただろう。飛び交う超兵器のエネルギーが強大過ぎて、空間そのものが振動しているからだ。
しかし、現在この戦場に地球人は1人も存在しなかった。この時代、人間の兵士が現場で血を流す事は無い。実際に戦場の最前線で戦うのは、AI制御された自立型機動兵器か、超光速通信で遠隔操作されるドローン兵器である。
「敵陣最終防衛ライン50%突破!!……しかし第1攻撃部隊及び第2攻撃部隊壊滅しました。第3攻撃部隊の損失率も60%を超えています」
地球総合軍総旗艦『ユーラメリカ』艦橋オペレーターの声には恐怖の因子が混ざっていた。
最前線から遠く離れた後方宙域とはいえ、もし攻撃部隊が全滅すればここが真っ先に敵の攻撃目標になるからだ。
(まずいな……)
豊かな口髭を蓄えた総司令官の思考にも苦悶が滲む。想定よりもこちらの損耗が激しい。後が無いのは敵も同じだ。互いに背水の陣なのである。
地球軍がビジターの防衛を突破するのが先か、逆に力尽きる方が先か――
――尽きる事のない光の奔流と大爆発、それに伴う空間の振動は、しかし時が経つにつれて少しずつ収束していく。
互いの軍の損耗率は90%を超えていた。
戦いの終焉は近い。
そして――
「……敵陣最終防衛ラインの突破を確認しました。ですが……」
オペレーターの声は無機質だった。
「続けろ……」
「……我が軍の攻撃部隊……反応がありません……全滅です……」
艦橋が重苦しい沈黙に包まれた。
メインモニターに表示されたビジターの母艦たる巨大な眼球には大穴が開いていたが、しかしそれがゆっくりとこちらに近付いて来るのが見える。まだ中枢は健在なのだ。
対して地球軍の対抗手段は全て攻撃部隊に費やした。この旗艦を含めた残存艦隊を特効させても焼け石に水だろう。後に残るのは無防備な地球だけ……
地球総合軍は敗北したのだ。
絶望の空気に支配された艦橋――が、
「――待ってください、敵中枢に微弱ながら我が部隊の反応が……」
「メインモニターに表示しろ!! 急げ!!」
涙をぬぐいながらオペレーターがコンソールを操作する。
歓喜の声と共にモニターに表示されたのは、グロテスクな肉の回廊を突き進む、鋼の戦乙女たち――!!
脈動しつつピンク色に発光する肉壁。
刺胞動物の如くグネグネ蠢く触手の列柱。
シャンデリアのように天蓋からぶら下がっているのは血管と尖骨の集合体だ。
常人が見れば発狂しても不思議ではない悪夢的な光景の真っ只中を、音速を超えるスピードで飛翔する4機の影があった。
背面の飛行ユニット。両腕に装着されたヴァリアブルライフル。全身を覆う金属質の外骨格。
ビジター母艦の中枢を進む地球軍最後の生き残りは――なんと人間の、それも女性的なシルエットをしていた。
しかし“彼女達”は人間ではない。この時代に人間が戦場の最前線に立つ事はありえない。
多目的人型独立機動ユニット――いわゆるアンドロイドだ。
武装は最新式のものに換装されてはいるが、人型兵器の有用性などとうに廃れたこの時代に、倉庫の片隅で埃を被っていたアンドロイド兵までもが最前線に配属されているのは、この戦争が文字通り人類の存亡をかけた総力戦である事を如術に示していた。
人類の命運は、地球の命運は、この4機のアンドロイド兵に託されたのである。
がくん!!
最後尾を飛翔していた一機が、肉壁から凄まじい勢いで伸びてきた触手に右脚部を絡み取られた。そのまま触手蠢く肉床に引き倒される。
しかしアンドロイド兵は動揺せず――動揺という感情は元から存在しない――全砲門を解放後に中枢ユニットをオーバーロード。周辺の触手群を巻き込むように自爆した。
開戦時は12機いたアンドロイド部隊も、これで残り3機。
だが残された“彼女達”に、仲間を失った悲しみも強大な敵に対する恐怖も存在しない。
アンドロイドだから――
機械だから――
心なんて最初から無いから――
……そして今、生き延びた3機の前には広大な空間が広がり、その中心に心臓を思わせる巨大な脈動する肉塊が浮かんでいた。
ビジター軍の本体。蠢く最高司令官。人類種の敵対者。生体中枢ユニット。
これさえ破壊すれば、地球の、人類の勝利だ。
全く同じタイミングで人類の希望達がヴァリアブルライフルを巨大な肉塊に向ける――まさにその瞬間だった。
『――――ッ!!!』
突如、周辺の肉壁が禍々しい真紅の光を放った。ビジター軍母艦全体が、いや周辺宙域の空間そのものが、不気味な振動を開始する。
地球軍旗艦のオペレーターが悲鳴をあげた。
「ビジター中枢の座標に高エネルギー反応!! この数値は……まさか……時空爆雷の発動です!!!」
「バカな!! 地球ごと自爆する気か!?」
総司令官の叫び声にも驚愕と絶望の因子が混ざる。
時空爆雷。
それは使い方次第では、この宙域どころか宇宙すら丸ごと消滅させる事が可能な戦略級破壊兵器だ。
あまりにも破壊力が強過ぎて逆に扱いにくく、地球軍とビジター双方が使用の自粛を暗黙の了解としていた程だ。
びしっ
ビジター軍母艦と周辺の空間が“ひび割れた”――そうとしか形容できなかった。
時空間の崩壊だ。
“宇宙のひび割れ”は指数関数的に速度を上げながら、あらゆる方向に広がり続けた。
やがてそれは地球軍旗艦と地球を飲み込み、太陽系から銀河系全てを覆い、ついに宇宙そのものを消滅させ――!!
――なかった。
ひび割れの先端が地球軍旗艦を巻き込もうとした――直前、時空間の侵食はピタリと止まり、次の瞬間、まるでビデオ映像を逆回しするように、時空間の亀裂はみるみる収束して――跡形もなく消滅してしまったのだ。
ビジター軍中枢の肉塊と、3機の戦乙女を含めて。
木星アウター領域に、再び宇宙の静寂が宿った。
あらゆる方角に無限に広がる星々の輝きに、凄惨な宇宙戦争の痕跡は何も残っていない。
何が起こったのか。
全てが夢幻だったのか。
「……我々は……勝ったのか…?」
困惑という名の沈黙が支配する地球軍旗艦ブリッジに、総司令官の呟きが虚ろに響いた――
STEEL MAIDEN
02
~~新帝国暦43年、宵闇の月、12の日~~
「はぁ……」
少年の溜息は白かった。
頭上を覆う樹冠の隙間から白い粉雪がゆらゆらと舞い落ちる。わずかに見える空模様は、少年の心を反映したような曇天だ。
周囲は深い森だった。樹海と言ってもいい。
常緑樹でもないのに初冬の季節でも木々の葉が落ちないのは、森の最奥に自生する精霊樹の加護という言い伝えがあるが、確かめた者は誰もいなかった。
名も知れぬ大樹の表皮をびっしりと蔦が覆い、足元に広がるでこぼこした苔の絨毯は、先刻から降り始めた初雪に濡れていた。
この寒さに巣穴へ引き篭もっているのか、獣の唸り声も鳥の囀りも聞こえない。
「はぁ……まだこれだけかぁ」
少年は小脇に抱えた籠の中身をフード越しに覗いた。
しなびたキノコが数個。
それだけ。
食べられる野草、木の実、キノコ……少年は食料を採取するために、村はずれの森に踏み込んでいたのである。。
本来ならば食料集めのためだけに、森の奥まで足を進める事はない。危険な野生動物や魔物に襲われる可能性が格段に増すからだ。
しかし、少年には危険を冒す理由があった。
今年は初夏から気温が上がらない日々が続き、農作物がまるで育たなかったのだ。春を迎えるどころかまだ晩秋の頃に、村は慢性的な食糧不足に陥っていた。
異常気象は周辺地域全体に及んでいるらしく、国からの援助は雀の涙だ。このままでは餓死者が出るのもそう遠くはないだろう。
慈悲と慈愛を司る創造神ラミュルトに仕える司祭として――まだ見習いだけど――微力ながらこの事態を見過ごすわけにはいかない。
ついでに自分たちの食い扶持も確保したい。
少年は毎日危険を覚悟で、森の奥へ食料集めに勤しんでいるのである。その行為が焼け石に水に過ぎなくても、何もせずに嘆くよりは何倍もマシだろう。
「はぁ……」
だが、いくら志が立派でも、朝から数時間かけてまだキノコ数個しか採取できないのでは、敬虔な信徒でも溜息が出るというものだ。
「このままじゃ、またアニスに文句言われちゃうよ……」
内心の恐怖を誤魔化すために、あえて少年は身近な不安を口に出した。
アニス――少年の同僚に当たる女修道士は、たった2年早く産まれただけで、何かとお姉さんぶって彼を小馬鹿にするのだ。
いくら少年が先月ようやく10歳になったばかりといっても、少年が小柄かつ童顔で8歳ぐらいにしか見えなくても、少年が『成人の証』をまだ授かっていないとしても、毎日顔を突き合わせるたびに、肉体的にも精神的にも未熟な事を指摘されるのは、温厚で気弱な少年でもあまり気分の良いものではなかった。
……本音を言えば、少年が危険を承知で森の奥に足を踏み入れているのは、アニスに馬鹿にされないためが主な理由だったりする。
とにかく、あの女修道士の鼻を明かすには、もう少しキノコなり木の実なりを集める必要があるだろう。
少年はなけなしの勇気を総動員して、更に森の奥に足を進めた。
しかし――まだ年若く、森に関する知識に乏しい少年は気付かなかった。
森が静かな事に。
静か過ぎる事に。
数十分後――少年が、そこに足を踏み入れたのは、完全な偶然だった。
「……うわっ!?」
少年はたたらを踏みつつ慌てて立ち止まった。
どこまでも深くなる樹海を進む中、大きな藪をかき分けた先に、突然すり鉢状の砂場が出現したのである。
砂場の直径は約10m。奇妙なほど綺麗な真円だ。まるで巨人族が大きなヘラで森の大地を掬い取ったように、そこだけ木々や下草が消滅している。
その中心に、人型の“それ”が倒れていた。
人影はぴくりとも動かない。
(行き倒れ?こんな森の奥で?)
疑問を抱くべき状況だが、善良でお人好しな、そして何より司祭(見習い)である少年に、無視する選択肢はなかった。
不安定な足場に転びそうになりつつも、少年は慌てて人影の元に駆け寄った。
足元の砂が自然界ではありえないガラス状の物質に変質している事に、彼は気付かなかった。
「大丈夫で…す……か?」
呼びかける少年の声が尻すぼみに消える。
圧倒されたのだ。
仰向けに倒れている“それ”の異様な外見と――その美しさに。
最初は女騎士かと少年は思った。
金属製の全身鎧を装備した美女に見えたからだ。
しかしよく見れば、金属鎧には用途の分からない部品がやたら付いているし、何より身体と一体化している金属鎧なんて見た事もない――
――それが鎧ではなく、戦闘用アンドロイドにとって表皮に該当する武装外骨格である事を、少年は知らない。
兜らしきものが砕けて唯一地肌が見える顔は、息を呑むほど美しい……いや、不自然なほど美しかった。
年齢は20代の女性に見えるが、大きな切れ長の目や高く形の良い鼻、薄い唇などの形状や配置が、異常に整い過ぎているのだ。それは人形や彫刻の如き芸術品の美貌だった――
――それが共に戦場に立つ人間への心理的影響や慰安を目的とした、文字通り造られた美である事を、少年は知らない。
特に異様なのは、美貌の肌と直立すれば踵まで届きそうな長髪だ。肌の色は形容ではなく本物の白銀色で、髪はプラチナの光沢を放っているのだ。
生き物にはありえない体色に金属の質感――
――それがナノ制御化された生体金属の肌であり、長い髪は接触式インターフェイスユニットと多目的ケーブルである事を、少年は知らない。
――そして、他の何よりも少年の目を引いたのは……恐ろしく大きな体格と、とてつもなく巨大で形の良い爆乳だ。
背の高さは3mに達し、応じて頭身も高い。脚も長く腰回りもしっかりしている。これほど大きな女性を少年は見た事がなかった。
そしてその凄まじい3m級爆乳の大きさときたら……片乳だけで頭数個分を軽く超えるだろう。
成人女性なら乳房の大きさが身長と同じ数値なのが当然とはいえ、流石にこの大きさは少年も初見である。
それでいて全体のプロポーションは芸術作品の如き美しさを保っているのは、大柄な体格との奇跡的なバランスのお陰だろう――
――それが単に開発者の趣味であり、高身長はともかく爆乳は戦闘用アンドロイドとして特に意味はない事を、少年は知らない。
異形にして美麗――まさに人外の美。
その圧倒的な迫力と美しさに、少年は時を忘れて見惚れかけた……
「……はっ!?」
しかし、いつまでも呆けているわけにはいかない。
よく見れば女性の鎧?はあちこちが焼け焦げて、時折青白い放電が走っている。まだ息があるのなら何らかの怪我を負っている事は間違いないだろう。放電は何か違う気もするが。
「……もしもし、大丈夫ですか――」
少年が女性の肩に触れようとした――刹那、
「うわっ!?」
何の予備動作もなく急に女性が上半身を起こした。バネ仕掛けの人形を思わせる非人間的な動きだった。
ゆっくりと開かれた瞼から真紅の輝きがあふれ出す。輝く瞳という形容があるが、これは実際に淡い赤光を放っているのである。
真紅の瞳が真っ直ぐ少年に向けられた。途方もなく深く美しい――しかし何の感情も見出せない瞳だった。
『……155703002……668500233……99510775030548……(……に重大な損傷……メモリーロスト……フトの初期化を実行……)』
「えっ……な、何ですか?」
当惑する少年。当然ながら少年は地球圏標準機械語を理解でない。
『09835471258392387343294731100576(該当人物をマスター登録完了。メインシステム再起動します)』
だから、その発言の深刻な意味を理解できなかった。
「あのぅ…何を言ってるのか分からないです……異国の人なのかな?」
『67552158900032586100657106965400365036(言語アーカイブにマスターの使用言語は存在せず。翻訳ユニットを接続します)』
「えーと……困ったなぁ、怪我はない……ですか」
何とか身振り手振りで意思疎通を図ろうと、小さな手足をわたわた動かす少年を、謎の美女は感情のない瞳で真っ直ぐ見つめて――
『可愛い』(ボソッ)
「えっ、今、何か――」
『気のせいです』
「と、とにかく言葉が通じるのですね。よかったぁ……」
唐突に自分にも分かる言葉を使い始めた事に少し戸惑いながらも、少年は安堵の声を漏らして、薄く雪が積もったフードを脱いだ。
真紅の瞳が僅かに揺れる。
素顔の少年は、思わず見惚れてしまうほど可愛らしい男の子だったのである。
少し気弱そうな瞳とぷにぷにの頬。染み1つ無い色白の柔肌に華奢な体格。
ある種の趣向の持ち主なら、保護欲と嗜虐欲を強烈に刺激される事だろう。
『食べたい』(ボソッ)
「僕の名前はショータ。ミルゴ村の見習い司祭です……って、今、何か聞き捨てならない事を聞いたような」
『幻聴です』
司祭見習いの少年――ショータの訝しい視線にも、金属製の美女は無表情だった。
「お怪我はありませんか? 初級の回復術なら何とか使えますけど」
『機体損壊率は78%。特にAI関係のプロセッサとメモリに深刻な被害が発生しています。現在修復用ナノマシンによる復旧中』
(さっきから何を言ってるのかな……言葉は通じるのに単語の意味が全然分からないよぉ)
困惑するショータ少年を真っ直ぐ見据えながら、美女はよろよろと立ち上がった。
やはり大きい――ショータは無意識に喉を鳴らした。
130cmの身長では、ほとんど垂直に見上げなければ彼女の顔が見えない。
いや正確には見上げても顔が見えない。見えるのは凄まじく巨大な乳房の影だけである。
(あの下で雨宿りができるかも)とシュールな事を考えていると、
『自己紹介が必要と提案』
「わっ」
突然、白銀色の顔が目の前10cmの距離に出現した。美女が後方へ大きなお尻――腰部を突き出すように身をかがめたのである。
その仮面の如き芸術的な美貌に、ショータの心臓は跳ね上がった。
『私の個体名は――
GYAAAAAAAAAAAAA――!!!
その時――耳を貫くような咆哮が森に轟いた。2人にかなり近い距離だ。
バキバキと派手な音を立てて大木が倒れていく。
木々の隙間から蒸気の如き鼻息が噴出する。
恐怖を演出するようにゆっくりと森の奥から出現したのは――巨大な体躯、凶暴な眼差し、血まみれの牙、禍々しい鉤爪、力強い脚、長く太い尾、岩のような肌――体高8m、体長15mを超えるだろう、二足歩行の大型肉食爬虫類の巨体だった。
「ウソ……まさか、亜竜!?」
ショータの呟きは悲鳴に等しかった。
亜竜とは竜族の下位種族である。下位と言ってもその強さは凄まじく、ベテラン猟師どころか一流冒険者でも不覚を取りかねないモンスターだ。
生き物なら何でも襲い捕食する凶暴性から、地元住民からは遭遇が死に等しい怪物と恐れられていた。それもかなりの大型個体。
(あわわわわわわ……どどどどうしよう……)
絶望と死の恐怖に心臓が握り潰されたショータの前に、
『私にお任せ下さい。マスター』
すっと鋼の戦乙女が降り立った。
ショータの心に僅かな希望の灯がともる。
(そうだ、このよく分からない女騎士?さんが一緒にいるんだ。正直少し怪しい――いや物凄く怪しい人だけど、見た目はやたら強そうだから、この亜竜もやっつけてくれるかも――)
GYAAAAAAAAAAAAA――!!!
ばしっ
だから頼もしい筈の女騎士(推定)が、亜竜の尻尾の一撃で後ろの大木まで吹っ飛ばされた時、ショータは思わず硬直してしまった。
大股開きの姿勢で逆さにひっくり返って、体のあちこちから青白い放電を放つ無表情の美女は、
『――の優先度を変更……亜空間ネットワークへ接続……武装コンテナを……』
何やらブツブツ呟きながらピクリとも動かない。
――FUUUUUUUUUN!!!
亜竜はちょっと羽虫を払ったとばかりに蒸気の鼻息を吐き、ゆっくりとショータに向かって歩き始めた。
たっぷり恐怖を味わわせるように、ゆっくりと。
ショータの膝ががくがくと震えた。全身から血の気が引くのが分かる。意識は今にも消え去りそうだ。
しかし、それでも――
「あああ、ああ、あっちへ行け! こここここ来ないで!!」
しかし、それでも――少年は女性をかばい、亜竜の前に立ち塞がった。
震える両手を左右に広げて、恐怖に目を逸らしつつも、一歩も引かずに。
今、自分の後ろには無防備に倒れる女性がいるんだ。彼女を見捨てて自分だけ逃げ出す事はできない。
慈愛と慈悲の神に仕える司祭として。
男の子として。
その行動が何の意味も無い事は少年も理解している。次の瞬間には亜竜にぱくりと食べられて、白銀の美女もすぐ後を追うだろう。
でも、もう、理屈じゃないんだ。
それなら、望み通りにしてやろう。
亜竜は嘲笑うように大口を開くと巨大な牙を少年に突き立て――
『緊急修復完了。メイン戦闘システム起動。状況開始』
凄まじい閃光と頭に圧しかかる柔らかい重みに、少年は、ショータは我に返った。
「……えっ」
死の牙はショータに届かなかった。
少年の頭に巨大な爆乳を乗せた前屈みの体勢で、鋼の戦乙女が左手を突き出している。その指先に展開された光の障壁が、亜竜の牙を押し留めているのだ。
「えぇえええ!?」
『近接装備の使用を提案。承認。ディメンションカッター実行』
右手の指先に青い輝きが宿る。
そして、右手が、蒼光が、乱舞した。
刻が凍り付いたが如き静寂――刹那、亜竜の頭が、爪が、脚が、胴が、尾が――きっかり9つの断片と化し、ボトボトと砂地に落下した。
出血はない。亜竜の体ではなく、亜竜を構成する“次元”を切断したからだ。
「あ……えぇ……?」
信じられない光景に腰が抜け、思わずへたり込むショータを、背後から素早く支える鋼の戦乙女。
『自己紹介を再開します』
その声は、どこまでも透明で、無感情で、冷たくて――優しかった。
『多目的人型独立機動ユニット“o.n.e.レミュータ-9”……私の個体名です。マスター』
つづく