アスクラピアの子、応援SS投下せり!
原作者のピジョン様、および小説家になろう本部に一報いれて許可を得ております。
こちらの二次創作について、作中テーマを損なわないように執筆しましたが、イメージと違う所もあるかと思います。
未熟者ゆえお目汚しですが、楽しんでいただければ幸いです。
◇ ◆ ◇
ぼんやりとした灯明に照らされる室内。
銀髪の少年は床に正座する。
「今日は疲れた」
「そうですね、朝の早いうちからやらなければならない事ばかりでしたから、いつもの三倍はお疲れのようで」
妙齢の尼僧がその側面にひざまずき、右腕の神字包帯を外しはじめる。
「わかるのか? 三倍なんて?」
「いつもは疲れたと言わず、顔に疲れたと書いている程度ですから」
少年は憮然として眉をひそめる。
「次に、衛生観念の無き者たちに習慣づける手順を考える時間が増えました」
右腕の素肌がさらされると痛みが湧き出し、さらに顔をしかめる。
「そして、自分の都合ばかり言って、導こうとするものの意図を読めない輩が増えて、対応が常の倍かかるようになりました」
右手のひらの聖痕が露わになり、顔が歪む。
「ふん、顔ではありがたがっても、裏で舌を出してる者がほとんどだった」
「そんなことはありませんよ、毎回の事ですが言葉の選び方と、真摯な言い回しは心に響きます。ええ、今日の説法は本当に素晴らしかった」
尼僧は右手裏の聖痕を隠すように包帯を巻いている。
「その日その時の出会いは一生に一度だけで、二度と同じ日や機会が戻ってくることはないと」
「……俺の言葉じゃない。借り物の言葉だ」
「それでも私の心には響きました」
「それを最初に書き残したヤツはな、立場をわきまえずに増長して、主にキツイお灸をすえられてる。正に今の俺にふさわしい」
常日頃に吐いている毒より、より濃いものを吐く。
「ああ、俺を形作るすべて借り物だからな」
「いいじゃないですか、借り物でも」
互いに包帯を見つめながら応える。
「神が作りたまいしこの大地を、私達はお借りしています。そして、生きとし生けるものすべてが好き勝手やっていますけれども、すべての命は神からの大切なお借りした物です」
「……ふむ」
「お借りした物を有効に使ってこそ、貸してくださった側も満足するでしょうに」
「……では、大切にしていた物が偽物だとしたらどうする?」
「そうですね、輝くなにかがある物ならば、私はずっと大切にし続けますね」
「……まいった。さすが修道院長のお言葉は重みが違う」
「元です。ふぅ、巻き具合はきつくないですか? あとで調整しますが、他に聞きたいことはありますか?」
上腕部まで巻き終え、一息ついて頭巾を降ろす。
ほつれた長髪の合間から白いうなじがのぞく。
意図しない婀娜なしぐさののち、右腕に巻かれた包帯へ一心不乱に筆を走らせ始める。
「そうさな、感謝の言葉を口にしない輩にはどう接してきた?」
「女性目線で限って言えば、ぞんざいな扱いをしてやるべきです。やはり感謝の言葉はきちんと口にしなければなりません。気配りをしなかった結果、最後に不利益を被るのはその者なのですから。とはいえ神はいつも我らの行いを見ています、程々に相手してやりましょう」
「はっ! 違いない」
一字一字書かれるごとに、痛みがやわらぎ、心も落ち着きを取り戻す。
「なぁルシール」
「はい、なんですか?」
「直接神字を書き込むのは大変だろう」
「そんなことはありません」
意図して視線を合わせようとせず。
「最初から包帯に神字を書き込んでおいて、それを巻いたほうが効率的じゃないか?」
「そうですね。いざという時のために何点か作成しておきます」
尼僧は少年の細い右肘を優しく持ち上げ、右上腕部内側にも書き込みながら答える。
「ですが直接思いを込めて書いた文字のほうが効果があります」
右肘がいたわるように下ろされる。
「いや、そう言う意味じゃなくてな、この神字の意味を教えてもらえば俺でも……」
だらりとぶらさがった右腕を見て、一層悲痛な顔になって両手で右手を包み込む。
「本当に心がこもった文字だからこそ、神に届いて願いを叶えてくれるのです。いわんや……」
右手は尼僧のかがんだ膝の上に導かれる。
「……すまん、野暮なことを聞いた」
「いえ、いいんです」
少年は年相応な表情で頬を染める。
包帯を見つめ、照れ隠しにつぶやく。
「いつ見ても綺麗な字だな」
「ふふっ、褒めても何も出ませんよ」
実際のところ、記号のような神字が並ぶ包帯は一流のデザインのように見栄えが良かった。
「本当だ。文字を見れば人となりがわかる」
尼僧は筆を止める。
「もしかして、神字を読めるのですか?」
「いや、まったく読めないが、なんていうか雰囲気は伝わる」
「それで十分です。つまらないことしか書いてませんから」
ほころばせた口を閉じ、筆運びを再開する。
そんな何気ない返事を口に出来ることが、なによりもまさる褒美だと。
「一文字ごとに安らぐ。集中力がいやます。以前、痛みぐらい耐えてみせろとうそぶいていたがアレは嘘だ」
右手のひらをにらみ、苦笑をもらす。
「岩を貫く信念とて、痛みの前ではねじ曲がるのだと実感できた。聖痕の知識を有しているルシールがいてくれて、本当に良かった」
「……そんなに褒められると、なにかあるのではと邪推しますよ?」
「いや、神官なんてものは御高説を語り、偉そうにふんぞり返っているが、周囲の支えがなければ何も出来ん。ダンジョンでは皆の力がなければ絶対突破できなかった」
ふと遠い目をして彼女たちの勇姿を思い出す。
「意図せず聖痕を宿した者は、こんな風に支えられて生きているのだろうな」
堪らんなとしみじみとつぶやいてから、二回も失言したことに気づき、尼僧の横顔をそっとのぞく。
筆が踊るなか双方言いたいことがあるものの、互いに口を閉じて数分。
何か思いついたか、片方がぽろりともらす。
「なんていうか、耳なし芳一もこんな気分だったのだろうな」
「ミミナッシ・ホーウィッチ?」
顔を上げ怪訝な表情をされたが、ようやく目線を合わせてくれたことに安堵する。
「ふむ、ちょっとした伝承なんだが、小僧、いや修行僧が訳あって師匠にお経を、いや祝詞を全身に書いてもらうことになってな」
「はあ」
困惑した返事をしながらも、右手指の間を開いて丁寧に神字を書き込み続ける。
「裸になり頭のてっぺんからつま先まで、全身あますことなく筆を走らせたそうだ」
尼僧は力ない中指をつまみ上げ、指の裏側に書き込もうとしてピタリと固まる。
「……全身、ですか」
「そうだ」
「……あますことなく、ですか」
「この話の肝は、実は師匠が書き忘れたところにあってな、さてどこだと思う?」
固まった姿勢から身じろぎつつ、視線をさまよわせる。
「……どこと言われましても」
五指すべて最後まで書き終えて、つまんだ指を膝上にそっと降ろす。
胸元に両手を収めて、顔をふせ、ふるふると小さくなる。
「……その、わざわざこんな話を聞かせたと言うことは、ホーウィッチ氏のように、私に書き込んでほしいと言うことですよね?」
「んん?」
何か齟齬があるような気がしたが、話をふった手前、そのまま話を繋げる。
「無いとは思うが、そんな機会があったとしたら頼めるのはお前しかいないな」
「私しか……」
決意を示すようにゴクリとつばを飲み込む。
「な、なんだ」
ほんのり赤くした顔が艶やかで、上目遣いにチラリと見つめられ少年はたじろぐ。
「いくら鈍い私でもわかります」
「ど、どうしたルシール?!」
「ディートが振り絞って告解してくれたのです。ご所望ならば、いかようにでもいたします」
少女のように恥じらいながらつぶやく。その場の雰囲気が明らかに変わった。
「その、なんと言いますか、神話に刻まれるように性癖というものは神々でさえいかんともしがたく、ましてや人の身なれば……」
「待て、お前は何を言っているんだ?!」
「……なるほど、私に言わせたいのですね?」
下を向き、真っ赤な顔でしぼり出す。
「隅々まで筆で書いてほしいのですよね? その……、裏側まで」
「待て待て! ルシール、なんだ、裏側とは!」
「恥ずかしがらなくてもいいんです。持って生まれた気性が育んだモノを否定することは、自分を否定することです」
「いやだから」
「いいんです、いいんですよ、溜め込みすぎたモノはいずれ最悪の形でまろびでますから、私はどこでもいつでも何があっても大丈夫なようにはしております」
「まろび?! どこいつ?! 何かとんでもない事を言ってないか?!」
「でも、望まれたから応えたわけではないのですよ」
首元まで赤く染めて言った、さらにとんでもない事は。
「その、私も、やぶさかではないと言いますか、もともと興味があったと言いますか、神職の不祥事予防も努めの一つとしてありますので年上ぶって教えたいと、ひあっ!」
これ以上有無を言わせず、自由な左手で肩を抑え顔を上げられて、瞳を覗き込まれた。
「ち、近すぎ、いえ、どうぞ」
まつ毛をふるわせながら、そっと目を伏せる。
「どうぞじゃない!」
「え、見つめあいながらがいいのですか?」
二人して真っ赤な顔を近づけながら、会話のキャッチボールを必死に試みる。
「ちがーう!」
「あの、ディのお好きなように……していいのですよ?」
「聞け、ルシール。違うんだ、態度や雰囲気で伝えるのは難しいからこそ、言葉にして口に出さなければならないのだが、その言葉が曲解されると本当に困る」
「え、え、でも恥ずかしがる事はありません、神話においてはもっと凄い事があって、我らが母にしても」
口にした途端、少年の目はこれ以上ないくらい冷え切ってしまった。
「え、あ、え、え? ひょっとして、私の勘違い?」
頬の紅潮は消え、氷のような瞳でうなずかれる。
「だってだって、二度と同じ日や機会が戻ってくることはないって焚きつけてきたし、鼻の下を伸ばして熱のこもった視線を首筋に感じましたし、自分の弱さをさらけだして他の女の話をしてまで気を引こうとしたことも、私の勘違いですか?」
ややあって、首が横に動く。
「……そうさな、男性目線で限って言えば、母親の性癖を聞いたあとは、何もかもやる気がなくなる」
尼僧は一気に青ざめた。
「あ、あ、あ、あ、今宵はここまでにしておきます、失礼します!」
そのまま尼僧は部屋から転がるように飛び出た。
あとに残るはためいきばかり。
今夜の二人、この後は何もないとわかったので、覗き見るのを終えることにした。