仲間
「宗田さん!」
「一人で先に行き過ぎだ。それに、あれだけ控えろと言った魔法を使って……まったく」
女の名を唯、今しがた現れた男の名前を宗田と言うらしく、彼の口振りから仲間だと言う事が伺いしれた。
「そんな事より晃さんがっ!」
慌てた様子で唯が宗田に伝えると、
「分かった――俺が助けに行く。唯は三人を頼むよ。もう少しで、真奈達もこっちに合流するはずだ」
唯はそれに頷き返事を返す。
「えっと……晃は何処に居るか教えて貰えますか」
「茂だ。晃君は向こう側にあるビルに居るはず……木が建物の真ん中から突き出している建物。頼む――急いでくれ」
表情険しく心の中が苦い液体で満たされ、自責念に駆られているようだ。今しがた現れた宗田と言う人間が晃の仲間、彼の言っていた増援だと判断すると、懇願するように伝えたのだ。
「分かった――」
短く返事を返すと、宗田は駆け出した。
――――――
――――
――
「……ちゃんと逃げ切れたか?」
かつては人々が使用していた部屋の中は、カビ臭く、雪の変わりにホコリが積もっている。そんな中、晃は少しでも時間を稼ぐため侵入者が入って来れないようにと背中からもたれかかるように、扉を押さえていた。茂達が逃げるために開け放たれた窓から、冷えた空気に、カーテンをひらひらと揺らす風が入り込むと、只でさえ淀んだ空気がごちゃ混ぜに混ぜられ更に酷くなった。気管に入った異物を吐き出そうと軽くむせながら、晃は逃げて行った四人の身を案じるように呟いた。
「まだ……生存者が居たんだな」
晃の言葉は初めての出来事だと言う事を示唆させる口振りである。
「ん? ゴブリン達が静かだ」
緑の生物をゴブリンと呼んだ晃は、扉越しに叩かれる衝撃が消え、静かになった事に異変を感じる。
「逃げた……そんな訳ないか。気配もあるし、何よりくせぇ」
ゴブリンから漂う臭いは悪臭と言う言葉に尽きる。硫黄に生ゴミを混ぜたような、何とも形容しがたい臭いだ。それが、扉の向こうから今も強烈に漂っていた。しかし、晃はその臭いに慣れているのか表情を一つ変える事はない。しかし――
「臭いだけなら、ゾンビ相手にするよりはマシなんだけどさ――ヤバいっ!」
悪臭の濃度が濃くなった。悪臭もそうだが、外から感じる気配もより一層濃くなる。それを感じ取った晃は扉から大きく飛び退いた。
机を一足飛びで飛び越えると、窓際に着地する。窓際までは大人二人分くらいの距離があるのであるのだ。それを、助走も無しに行う事は常人には不可能だろう。
それをやってのけた晃だったが、
「流石にまずい……」
真冬なのに、頬を大粒の汗が伝って下に落ちた。服の中もぐっしょりと汗ばんでいる。ゴクリと喉を鳴らし扉を凝視する晃は、そっと腰に手を回すと、サバイバルナイフのような物を二本取り出し、両手に構え臨戦態勢を取る。
逸脱した運動能力を持ってしても、身の危険を感じさせる程の相手が迫っていると言うことなのだろう。余裕は一切ないようである。
「――来るっ!」
重量感のある足音がする。それが、近づいてくると扉の前でピタリと止まった。
「グ――グオォォアアッ!」
腹の底から一気に突き上げて来るような、獰猛な獣の雄叫び。紙のように粉砕された扉。その向こう側から奴が中へと入ってこようとする。
「――ホブゴブリン。相性悪すぎるぜ……」
部屋に侵入しようとするゴブリンの事を晃はホブゴブリンと呼んだ。普通のゴブリンが人間の子供サイズなら、そいつは大人サイズ。でっぷりとした腹がつかえて部屋に入りにくそうだったが、強引に体をねじ込んで中へと入ってくる。入るやいなや手に持った棍棒で机を叩き壊し威嚇する。
「おー、やばいやばい」
ホブゴブリンの棍棒の破壊力を目の前で目撃した晃は、興奮して熱を持っていた体が氷点下まで一気に冷やされる感覚がした。
「威力だけならだけど……な」
ニヤリと不適に口元を吊り上げる。そこには、ついさっきまで戦々恐々としていた彼の姿はなかった。落ち着きを取り戻しホブゴブリンを見ていた。
むしろ、混乱しているのはホブゴブリンの方かもしれない。中に入ったが何かを探しているかのようにキョロキョロと四方を見渡していた。時折首をかしげ、何故誰も居ないんだと考えている様子である。晃の姿が見えていない……そんな風にも見て取れた。だけど、彼は何処かに隠れている訳ではないのだ。堂々とホブゴブリンの目のに立っている。
「どうする……俺も逃げるか? いや、彼等の脅威となる奴は一体でも多く倒しておきたい」
晃はこのホブゴブリンが群のリーダーなのだろうと考えた。現に他のゴブリン達が中に入ってこようとしない。しかも、ホブゴブリンはゴブリン達を怒鳴り散らすように何か話していた。恐らく獲物が居ない事に腹を立てたのかもしれない。ゴブリンの耳がペタリと倒れ、意気消沈としている。
「馬鹿め」
晃に対して背中を見せたホブゴブリンに、忍び足で近づく。
「――あばよ」
首元めがけて一閃。晃はナイフを振るうとホブゴブリンは噴水のように血液を撒き散らす。
「グゴ!? グギギャァアア」
何が起きたんだ? そう言いたげにきょとんとした表情で味方のゴブリン達を見る。しかし、部下と思しきそいつらは一歩後退り怯えた様子を見せる。その中で、先頭に立っていたゴブリンが、自分の首元に手を当てるジェスチャーをすると、釣られてホブゴブリンも手を当てた。
ここでようやく自分が攻撃を受けたと理解した時には既に命の灯火は弱々しく消え去る寸前。ぐるりと白目を向いてその場にうつ伏せに倒れた。
「ギギギッ……」
ホブゴブリンが倒れた時に何体か巻き添えに潰されてしまったゴブリンがいた。そいつがどうにかそこから這い出すと、自身に何かの影覆い被さる。
「――ヒィッ!」
ギョロリとした目。ボスだったゴブリンの血液を頭から被り、見下ろすように這い出たゴブリンをその目で見ていた。目と目が合うと一瞬の硬直の後、短い悲鳴を漏らし仲間を押しのけて逃げ出した。それを見た他のゴブリン達も蜘蛛子を散らすように身を翻して逃げ出す。
「ふぅ……なんとかなった。俺の能力じゃ、あの数は相手は無理だったからな。斥候向なんだから、面と向き合っての戦闘は勘弁して欲しいもんだ」
彼の能力は敵に視認されない何かなのだろう。現に、ホブゴブリンは死ぬ一本手前まで存在に気づいていない様子だった。
「臭せぇ。マシで臭せぇな。つうかこいつら、襲ってくるわ、食えねえわ、臭いわ、いいとこ無さすぎだろ……はぁー……」
大きくため息をつき、髪にかかった血を絞るように拭う。
「うへぇー、風呂に入りてぇ……あっ、魔石は……いや、そんな事してる時間はないな」
ナイフを腰に戻す。
「無事でいてくれ――」
窓縁に手をかけ外飛び出した時だった。
――ドスン
体に伝わる振動。何か重たい物が落ちたようなドスンと体に伝わる。落ちてきた物体の中心は波紋のように積もる雪が波打ち、一気に空へと舞い上がる。ヒラヒラと粒子となった雪が再び地面へと降り注ぐと、そいつがこっちを見た。
「――オーガ……だと。なんで、ここに……」
そいつと視線がかち合うと、心臓を鷲掴みにされた如く身動きが取れなくなった。
「グゥ……アァァアアアッ!」
雄叫びを上げるオーガ。ホブゴブリンよりもふた回り以上大きく、はちきれんばかりの筋肉の鎧を身にまとっているかのよう。泥濁色の肌に浮き上がる血管が脈動する。武器こそ持っていてなかったが大きな手に付いている指先はナイフのように鋭く、それ自体が凶器となるだろう。腰には何かの皮を身に付け、奴が仕留めた獲物、力の象徴と言わんばかりだった。
「クソッたれ!」
ニヤニヤと、鬼のような面をしたオーガが俺を見ている。口に収まり切らない上下に生えた牙。晃は自身に降りかかる不運を呪うかのように悪態を吐き捨てた。