生き残り
「逃げるぞっ!」
茂は恐怖で石像のように硬直した四人に声をかけた。すると、我に返った彼らは石化が溶けたように慌てて動き出す。
潰れたローラーがガリガリと音を立て、つっかえながら窓を開けた。人が一人分通れるスペースはある。
「最初に二人が外に出てくれ。そして、問題なければ合図してくれないか」
高校生くらいの少年にそう声をかけると、茂は晃の元へ再び近づいた。
「おっさん? どうしたんだ?」
「なに、全員が窓から出るために少しでも時間を稼ごうと思ってな」
茂は身長も190センチ近くガタイもかなりいい。それは重量にも比例してくる。となれば、突っ掛え棒としての役割は晃よりも適任だ。一度離れた彼だったが、少しでも時間を稼ぐには力を貸した方が良いと判断したようである。
「茂さん、大丈夫そうです」
「分かった! 瞳ちゃんを外に」
次に女の子を外に出すように指示する。
「おーちゃん……怖いよ」
おーちゃんとは、茂の事だろう。
「何、心配するな。俺もすぐに行く……それに――ヒーローがすぐに来てくれる」
「うん……」
「さっ、お母さんと早く外に出るようにね」
女の子をそう諭す。
「全員、外に出たな……晃くん、本当に大丈夫か?」
「だから、任せろって!」
「分かった……」
今度こそ晃から離れて、茂も外へ出た。カビ臭かった部屋から外に出ると、冷えた空気が肌を刺す。澄んだ空気が肺を満たし、高ぶった心を冷や水のように冷ましてくれる。
物陰に隠れながらゆっくりと移動する。時よりガサゴソと何かを漁っている音が聞こえ、いつ見つかるか分からないこの状況に、緊張のピークに達するのはあっという間だった。
「――なあなあっ! 俺達は何処に逃げたらいいんだよ!」
二人の少年のうち一人が癇癪を起こしたように叫んだのだ。
「おい! 静かにしろっ!」
茂は強引に口元を手で塞ぐが、乾いた空気はより遠くまで少年の声を届けてしまう。すると、遠くから茂達を追っていたと思われる奴らの声が――
「――グギャッギャッギャッ!」
それも一体や二体じゃない――何十体と連鎖するように鳴き出したのである。次第に声が大きくなり、間違いなく近づいてきていた。
「――もう嫌だ!」
再び少年が叫ぶ。
「こんなの逃げ切れるわけないだろっ! あいつの言っていたヒーロー何て来るはずない!」
「落ち着け。子供も居るんだぞ」
茂はどうにか少年を落ち着かせようとするが、
「子供? 俺だってまだ子供だ! 高校生なんだよ! 本当なら、学校で友達と遊んで、部活をして、彼女を作って――」
彼が言い切る前に、茂が彼の横面を殴り強引に話を遮った。
「何し――やがる!」
「黙れ!」
茂は彼を怒鳴りつけた。体躯の良い彼に威圧され渋々と引き下がる。
「まずいな……早くここから移動しないと」
その時だった。
「――キキキキッ!」
見つけたと言わんばかりの甲高い鳴き声。それはすぐそばから聞こえたと思うと、アスファルトを突き破り、空に向かってそびえ立つ木々の隙間から姿を現した。
人型で背丈は5歳児くらい。しかし、明らかに人ではなかった。目は切れ長で細いく、耳もエルフのように先に向かって細く尖っている。
ようやく追っていた獲物を見つけ喜びを露わにするように、耳元の真下まで裂けた口をニタリと歪ませ邪悪な笑みを浮かべた。
「――いや!」
女の子が怯え叫んだ。それを見た緑色の肌の生物は声の主へと視線を向ける。極上の肉――それが目の前に現れたと言わんばかりに、黒紫色の舌をずるりと出し、口元をぺろりと舐めた。そして、
「――グギャッッッッ!」
潰れたように平たい鼻。その二つの鼻を大きく膨らませ、空気を勢いよく吸い込んだ。それに合わせるように上体を後ろに反らし、一瞬の間を置いて悲鳴のような雄叫びと同時に吐き出したのだ。
その声に呼応するかのようにゾロゾロと、数十体以上の緑の生物が集まりだした。
「――ひいっ!」
先程、わめき散らしていた少年が尻餅を突く。よく見ると股間の部分が濡れていた。白い蒸気を上げ、粗相をしていまったようだった。ただ、それも気にならない程に怯えていた。
「いやだ……やだ、いやだ、死にたくない。あいつ、みたいに――殺されるのは嫌だ。そうだ――」
少年は何かを思いついたかのように、にたりと笑う。その視線は母の足元に抱きつく女の子へと視線が向いていたのである。
「ははっ! 最初からこうしてれば良かったんだ! 父親みたいに餌になれよ! お前を欲しそうに見ていた――ぞ」
少年は、緑の生物が女の子を見た時の反応に気づいてようだ。こいつを餌にすれば時間が稼げ……そう、思ったに違いない。母親の背後から忍びよると、ひったくりのように女の子を抱きかかえた。
「――きゃっ! 何してるの! やめてっ!」
母親が叫ぶが、少年は知った事かと鼻で笑う。両手に抱えて――
「はは……ひひ、しっかり時間を稼いでくれよ! じゃあな」
投げ飛ばした。
「う、うわーん! ママ、痛いよっー! ひっ――」
地面に叩きつけられた女の子は泣いてしまったが、顔を上げると緑の生物が目の前にいた事に気づく。小さな悲鳴を漏らし、パニックになっていた。
「いや! 辞めて! みーちゃん逃げて!」
母は叫ぶが女の子は身動き一つ出来なかった。
「――グギギッ! ギヒ……ゴクリ……ヒヒッ!」
極上の獲物が目の前に降ってきた事に、汚い声で笑う。生唾を飲み込むとジリジリと女の子との距離を縮めた。
「――カカカッ!」
女の子に飛びかかる――
「――オラ! 子供に手を出してるじゃねーっ!」
「アグッ!」
茂は寸前の所で、緑の生物を蹴り飛ばした。
「瞳ちゃん、大丈夫か? あいつ、とんでもねーことしやがったな。次に会ったら覚えてやがれ」
二人の少年は、女の子を投げ捨てると逃げてしまったのだ。その事に対して茂は怒りを露わにするが、この囲まれた状況では身動き一つ取る事が出来ない。
「グギギ――ギギギギッ! ギャッ! ギャッ!」
仲間に危害が加わった事に緑の生物も怒ったのか、一斉鳴く。リズミカルに体を揺らし、肉食獣が獲物に飛びかかる時のような動きを始めた。
これはまずいと女の子の前に出て自らを盾にするように、両手を左右に広げた。
「武器になるものは何もない……な。覚悟を決めるしかないのか」
せめてこの子だけでも守りたいと言う意志が茂を突き動かしている。仮にそれがなければ、逃げて行ってしまった少年のように尻尾を丸めて逃げてたに違いない。大きく息を吸い込み、ゆっくりと口から吐き出した。熱気の籠もった息が真冬の空気を白く染める。心を落ち着かせてゆっくり口を開いた。
「――瞳ちゃん」
優しく話かけた。
「おーちゃん?」
「おじさんがどうにかするから、次に名前を呼んだら全力で走るんだよ」
「おーちゃんはどうするの?」
「おじさんはね……あの悪者をやっつけてから――」
茂の話は遮られる。
「――嘘! 絶対に嘘だもん! パパもそう言っていつまでも来てくれない! みんな何処かにいっちゃうんだ……うぅぅ」
まだ幼い子供だが、自分の父親が戻って来ないと言うことを何となく理解しているようだった。彼女の言葉からもしかしたら父親が盾となり、茂達四人を逃がしたのかもしれない。それと、茂の今の状況が重なり感情が爆発してしまったようである。
「ヤバい――瞳ちゃん! 早く逃げて!」
「――嫌っ!」
爆発した感情が引き金になったかのように、緑の生き物達が一斉に飛びかかって来た。
「――クソッ!」
茂は瞳に覆い被さって守ろうとする。ぎゅっと目を瞑り、茂が死を覚悟した時だった。
「――加速」
突然、何処からともなく声が聞こえた。