どなたの入る隙間もございませんわ
「ああ、それは可哀想に……」
「はい……っ、とっても怖かったです」
そう言って私の婚約者、この国の王太子殿下に纏わりつく子爵令嬢。
王太子殿下、シャルさまは長身痩躯の美男子。光を弾く、淡い金髪。優美な眉。すっと通った鼻筋。薄い唇。
それらは完璧な形を作り、完璧な配置にされた麗しいお顔を形作っているわ。
なかでも大好きな美しい湖のような瞳は、冷酷な色に染まり……
シャルさまに纏わりつく、豊かなバターブロンドを高く結い上げ、眉尻を下げて大きな瞳に涙を溜めた子爵令嬢アルマ嬢を見下ろしていらっしゃいますのに……
アルマ嬢は、お気付きになられないのかしら?
「それで? アルマ嬢の言った事は本当か? マリッシュ」
視線をアルマ嬢から私、公爵令嬢マリッシュに移されましたわ。
「いいえ。何一つ、身に覚えがございませんわ」
「そうか」
「マリッシュさま! 今までにされた事は、全部シャルさまに申し上げましたわ!
そしてシャルさまは、対処すると言って下さいましたの。もう嘘をつかれても、どうにもなりません。罪を全部お認めになって下さいませ!」
「認める? 犯していない罪など、認めようがございませんわ」
私はこてんと首を傾げ、困惑するしかありませんわ。だって、私の犯した罪状として羅列されたどれにも、本当に心当たりがありませんでしたもの。
「では、マリッシュに付けている者に聞こう。ナシル、前へ」
「へ? 付けている者?」
アルマ嬢はぽかんとし、シャルさまを見上げられましたわ。その間に、シャルさまに名を呼ばれたナシルさまが私の横へ歩み寄られましたわ。
「ナシル、アルマ嬢の言った事は本当か?」
「いいえ。嘘と偶然を虚飾した、讒言にございます」
ナシルさまは私より十歳年上の、親しくして下さっているお友達。そして、シャルさまが王太子殿下の婚約者の私の身を案じ、何人も付けて下さっている女性護衛騎士のお一人ですわ。
他の方は、残念ながら存じ上げませんが……
「ここに、証拠の品も。お確かめ下さいませ」
「あ?! それ! 私の日記じゃないの!
殿下、あの方は泥棒ですわ!」
ナシルさまが日記をシャルさまに差し出すと、アルマ嬢は大慌てでそれを奪い取ろうとなさっていらっしゃいますわ。
そんなアルマ嬢をシャルさまの護衛であり、お友達の公爵家のご次男、レジレッドさまが拘束なさいます。
「レジレッド?! 何するの?!」
「何をする? シャル殿下が証拠を検める邪魔をするので、こうするより仕方ないでしょう?」
レジレッドさまは軽いため息をつき、心底呆れていらっしゃるご様子。
アルマ嬢が抵抗している間に、栞の挟まれていた何ページかに目を走らされたシャルさま。途中までのようですが、それをもう一人のご友人、侯爵家嫡男ドラローレンさまに渡されて精査を頼んでいらっしゃいます。
「栞が挟んであった部分の三つだけでも、貴女から聞いた話とは随分違うようだが?」
「いいえっいいえ! シャルさまに言った通りです!
マリッシュさまを筆頭に、多くの女子生徒に囲まれて脅されましたし、意地悪も沢山されました!」
「ふむ」と、シャルさまは白い手袋を嵌めた細い指を顎に添え、考え込まれたご様子。
「校内といえど、高位貴族のご息女が一人で歩く事はない。侍女と護衛、最低二人は付く。そして、何人かのご令嬢が固まっているのは当たり前。固まっている事で、危険を遠ざけているのだからね」
「へ……?」
「そして、『みだりに男子生徒に話しかけるのははしたない。ご自身の名誉の為にも、慎まれた方が宜しいわ』と凄まれたとあるが、至極正当な助言。
これに反論のある生徒はいるだろうか?」
誰一人として、反論する方はおられませんわ。当然の事ですわね。皆さま、そのように躾けられて育っているのですもの。
「反論はないようだ。凄まれたというのは? 合っているか、誰か知っているか?」
シャルさまは誰かと仰いつつ、アルマ嬢のお友達に問われましたわ。
「恐れながら申し上げます。私もその場におりましたが、マリッシュさまはそんな恐ろしげな事はなさっておられません。
いいえ、どんなに優しく正当な事を仰っても噛み付くアルマ嬢に、困惑なさってましたわ」
「な?! スレジーっ、何を言うの?! そんな嘘をつかないで!」
「うん。ではこれで、一つは潰れたな。
では次の、『持ち物を隠されたり捨てられた』というのは……」
こうして、シャルさまが聞いていらした事を一つ一つ丁寧に、アルマ嬢の陳情を潰していかれましたの。
アルマ嬢は最後には、もう反論する気力もなくなられたご様子。拘束され、項垂れたまま微動だにもなさいませんわ。
「……以上、アルマ嬢の申立は虚偽であると証明された。
衛兵、アルマ嬢を連れて行け」
「いやっ、いやよ! 触らないで!
シャルさま、どうして?! シャルさまが好きなのは、未来の王妃に望むのは私でしょう?!
だってここは『五人の美麗なるプリンスと美少女の楽園』の世界で、私はヒロインなんだもん!!」
「アルマ嬢、我が父王陛下には三人しか王子はいない。他に二人王子がいると揶揄しているのなら、それがまず不敬だ」
「だから! 他は帝国と公国の王子なのよ!」
「帝国の皇子にも、公国の公子にも婚約者がおられる。そして、どちらも婚約者のご令嬢と、大変仲睦まじいそうだ。
貴女が顔見知りでもないのに親しげになさったため、外交問題になりかけたが?」
「そんな馬鹿な! だって」
「もういい。アルマ嬢は、妄想に取り憑かれた狂人である可能性が高い。医師に診てもらい、処遇を決める」
「嫌よ! シャルーーっ!!」
「ああ、それと……」
……ぶるっ。何度拝見しても、私にはお見せになりたがらない『冷徹、冷血王子』の一面は、背筋も体も凍てつきそうですわ……
「私は貴女に名前で呼ぶ事も、触れる事も許した覚えはない。私を名前で呼んで良いのも、触れても良いのも、女性ではマリッシュ唯一人しかいない」
「……っ!!!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「マリッシュ。つまらない事に付き合わせてしまって、すまなかったね」
「いいえ、事前に伺っておりましたから、大丈夫ですわ」
そう。私は事前に、シャルさまからこの事をお聞きしておりましたの。
「この世界は『五人の美麗なるプリンスと美少女の楽園』なる『おとめげーむ』の世界で、彼女はその世界の主人公。私を始めとする五人の王子は彼女の虜となり、取り合うなどと……」
「まあ? そんな妄想を?」
卒業生と下級生との親睦会の夜会は昨日の事。その時、あの事件がありましたわ。
今年からは、卒業生と在校生との親睦会を兼ねた夜会と、卒業生が社交界の仲間入りをする舞踏会は分ける事になっておりましたの。以前から、在校生との別れを惜しむ時間が足りない。社交界の仲間入りをする事に集中できないから、改善をとの要望があったそうですの。
シャルさまと私の一学年下のアルマ嬢は、二日目には参加が叶いませんわ。ですから、一日目の夜会で何かがある。何があっても――――
「私は本気で、いつ如何なる時もマリッシュを守る。そして、真実愛しているのも、いついつまでもマリッシュ唯一人だ」
「はい。昨日の夜会の前にも、そう言って下さいましたわね」
嬉しい気持ちと、恥ずかしい気持ちと……。それがないまぜになって、頬が赤くなるのを抑えられませんわ……
そんな私の手を取る、シャルさま。そして目が合うと、私にしかお見せにならない蕩けるような笑顔になられましたの。
うふふ。シャルさまが、私にしか向ける事のないこの笑顔。私は、この笑顔がとっても大好き。
「うん。アルマ嬢に付けていた手の者から、何か事を起こしそうだと報告があったからな」
一転、もっと早くに付けていれば、事前に防げたものを……と、悔しがっていらっしゃるわ。
「そうですわね……。せっかくのお祝いの夜会に水を差されてしまいましたわね。
ただ、みな様、日に日にアルマ嬢のご様子がおかしくなって行かれていると感じていらっしゃいました。それに、医師に狂人と見立てられましたわ……
狂人の考える事、する事はとめられないと、ご理解下さいましてようございました」
「ああ。それはとても助かったよ」
一日目の夜会を昨日終え、王宮の王太子宮の中庭。暖かな気候の我が国は、もう外でお茶を頂けるような穏やかな季節ですわ。
昨夜の残念な出来事が薄れそうな程、穏やかで満ち足りた時間は得難いですわね。
用意されたお茶は、私の好きな種類。お茶菓子も、私の好きなものの中でも、今日の気分に良く合った物。
いつもながら、シャルさまは私の気分に合ったものを外されませんわね。それだけ良く、私を見て下さっているのですわ。
だから、ここまで穏やかな気持ちでいられますのね。
シャルさまには、敵いませんわ。
「処断はどうなりそうでして?」
「寮に入っていたからね。アルマ嬢の監視が行き届かないのは、ある程度は仕方がない。だから、狂人アルマを精神病牢獄への投獄だけで済むように手配している」
「そうですわね。アルマ嬢がおかしくなられたのは、この半年とか……
ご両親に、監視の目が届いていないと処断なさるのは、些か厳しすぎますもの」
「それでも、何かしら罰はあるが……それほど厳しい物にはならないようにするよ。構わないか?」
「ええ。勿論ですわ」
入学前からおかしなご様子でしたら、ご両親にも責はあったでしょう。でも、ご両親の元を離れ、寮に入っている間におかしくなってしまわれた責まで全て問えるとは思えませんもの。
それに、医者や多くの侍女などを付けられるなど、子爵さまも最大限の努力をしていらしたそうですわ。
「シャル殿下、マリッシュ嬢。ご会談中に失礼致します」
「そろそろ時間か?」
「はい。マリッシュ嬢は、そろそろお支度にかかられますお時間でございます」
「そうか……まだこうしてゆっくりしていたいが、仕方ないな」
「もう限限ですわ。用意いたしませんと、この日の為に贈って下さったドレスをきちんと着こなせませんもの」
シャルさまと一緒に入場する舞踏会や夜会には、私が王太子宮へ参って用意をするのですわ。だから、私が邸で用意するより長く一緒に過ごせましたわ。
「分かったよ、私の最愛。私の全て。せめて、部屋まで送るよ。その間、まだ一緒にいられるからね」
「……っはい。宜しくお願い致しますわ……」
もう、もう! シャルさまったら!
シャルさまは、その時に相応しいドレスと、それに合う、アクセサリー一式を下さいます。
折に触れて、私の心を和ませる花束や小物などの細々とした贈り物も欠かされませんわ。
何より、どんなに贈られても慣れない、愛と愛の言葉を下さいますの。
それはどなたからも、「お二人を分かつ事が敵うのは、死だけなのでしょうね」とからかわれるまでになっておりますわ。
そんな言葉にシャルさまは「死くらいで、私はマリッシュを手放さない。私の本気の愛を、見くびられたものだ」と返される程、私を愛して下さっておられますわ。
それは、私がどんなに愛を捧げても足りない程ですの……
それは貴族どころか、国民にも知られた事ですのに……
そんなシャルさまに、アルマ嬢はどうして寵愛されていると思われたのかしら……?
誤字報告、ありがとうございます。
『なさっていらっしゃる』は『している』という補助動詞の尊敬語になり、二重敬語ではありません。問題ない文章です。
◇◇ ◆ ◇◇
お読み下さって、ありがとうございます。
お読み頂いて面白かったと思って頂けたら、『★』を宜しくお願いします。