真実がわかる時
「もうっ‼ どうしてこうなるのよっっっ‼」
急な山道を転がるように駆け下りながらフリーデは愚痴を吐いた。後ろからは巨大なイノシシの魔物が追いかけて来る。身体強化の魔法をかけていなかったら既に追いつかれていただろう。
魔道具が壊れてしまったので、女冒険者として再出発した矢先に、山でBランクの魔物、ワイルドボアとの遭遇である。
本来ならば緑が青々とした初夏の山で、薬草つみの依頼をこなしているはずだった。
薬草が群生している場所にたどり着いて安心していたら、木の陰から突然魔物が現れた。
(私って、冒険者運が全く無いのかしら⁉)
早く逃げなくてはと思い認識阻害を自身にかけ、脇道に飛び込む。山の麓に直進していくワイルドボアを草葉の陰から見ながら、ホッとしたのも束の間、足を滑らせ後方の崖から落下してしまう。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああ‼」
伸ばした手は空を切り、何もつかむ事ができなかった。風魔法も浮遊魔法も役に立たぬほど一気に重力に引っ張られ、体は谷底へと向かう。
(助けて‼)
誰に言うともなく願うが、本当は誰に助けてほしいのか知っていた。
(助けに来て!)
明確に、彼の顔を思い浮かべ念を込める。
あと30メルテ(メートル)で地面が迫った瞬間、フリーデを柔らかい衝撃が包んだ。
来てくれると、何処かで信じていた……
今まで一体、どこにいたのと責めてしまいたい。自分の側を離れないでほしいと。フリーデが何を言っても、傷ついても、耐えて側にいてほしいと……それがあなたの償いなのだからと……
フリーデが目を開けると、黄金の龍の背に乗っている。
「あ……」
龍から伝わってくる優しい温もりに泣きそうになりながら、彼から顔が見えなくてよかったと思った。
***
平地の上を緩やかに飛行し、龍が気遣わしげに話しかけてくる。
「怪我は……ないか……?」
私が無言で頷くと、龍はその気配を察する。
「……頼むから、危ない目に遭わないでくれ」
龍は結界に包まれ、日差しや風の抵抗を全く受けない。フリーデもその恩恵で風の音にかき消されず話す事が出来る。
(私を国外追放した、貴方がそれを言うの?)
「誰のせいだと思ってるんですか!」
私がそう言えば、彼は傷つく事を知っているのに……心の何処かで、来てくれる事を願っていたのに……
(本当は……こんな事を言いたいわけじゃないのに……)
だからと言って、彼と話し合う気にはなれなかった。話したいことは色々あるのに……
「……公爵家に行ってください。両親に会わなくちゃ……」
「まだ会っていなかったのか……それも私のせいだな……すまな――」
「魔道具を壊してしまったからです!」
何でも自分のせいだと思わないでほしい。
「ウィトゲンシュタイン公爵家の家宝の、姿変えのチョーカーを、壊してしまって……帰るのが気まずかったんです」
「そうか……ならば私も同席しよう。私も今日、公爵夫妻に謝罪をしに行く所だった。チョーカーが壊れた事も、私のせいにすればいい」
責任感の強い彼は、昔の彼に戻ったような気がする。
昔、遊んでいて、私が花瓶を壊してしまった時も、鬼ごっこに誘った自分のせいだと大人たちに一緒に謝ってくれたっけ……
(ほだされてはいけないわ……彼は私を裏切ったのよ……)
「……そうですか」
貴方のせいではないのに。助けてくれてありがとう……と言えずに、素っ気ない返事だけして龍の背中に突っ伏す。
今だけは、貴方が誰を好きでもいいや。番が私なんて、正直、信じられない。
また裏切られるんじゃないかという思いが、私の中にはある。あるけれど、また私を裏切って、あの子のところに戻っても、私の中にはそれを赦せるだけの温かい何かがある……
龍からどこか戸惑ったような気配が伝わってくるが、そのまま目を閉じ心地よい眠りに身を任せた。
貴方が誰を好きでも、今だけは――
***
フリードリヒとフリーデが公爵邸の私道に舞い降りると、驚いた公爵家の使用人たちが声を上げる。
流石に龍の姿では使用人を驚かせるし、屋敷に入れないのでフリードリヒは人の姿に戻った。
シンプルな白いシャツに厚手の平民服、皮のマントにブーツを身にまとった姿は冒険者のようにも見えるが、家令やメイド達が賞賛するように溜息をつくのを聞くと、その滲み出る気品は隠しきれないのだろう。
みんなの視線に戸惑ったフリードリヒはフリーデを見るが、フリードリヒを見ないようにするフリーデはすねているようで何処か可笑しく見えた。
(貴方は、昔からどこに行っても人気者で、すぐに人に囲まれて私はその度に寂しい思いをしたわ……)
子どもじみた考えが浮かび振り払う。家令に連れられ、直ぐに客間に通される。
(やっと……帰って来られたのね……)
お父様とお母様の姿を見て心底ほっとしている自分がいる。
フランツ・ウィトゲンシュタイン公爵と、クラリス・ウィトゲンシュタイン公爵夫人。
美男美女のおしどり夫婦で一見人の良さそうな二人だが、お父様は決めた事を最後までできない者にはとても厳しいし、お母様はその上を行く。
(冒険者として生きていくと伝令を送ったけれど、冒険者としては何一つできていないわ……)
私の心配をよそに、駆け寄ってきたお母様に抱き締められる。
「フリーデ、本当に生きていてよかった。伝令の鳥が来て無事だとはわかっていても、その後、姿を見せてくれないのだもの、どれだけ心配したか……」
お母様が泣いている。抱き締められて息が苦しいけれど嬉しい。
「ごめんなさい、お母様……迷惑をかけると思ったし……家宝の魔道具を壊してしまって、帰りづらかったの……」
お母様のコメカミがピクリと動く。マズい。怒っている。
「何で壊れたのか、後で詳しく教えて頂戴ね」
「……ハイ……」
お説教が短くて済みますように。お父様は心配そうに私を見ている。
「フリーデ、無事で良かった。殿下……この度は、申し訳ございませんでした」
客間に通されてすぐ、お父様が、フリードリヒに謝罪する。お父様の最敬礼なんて、式典くらいでしか見た事ない。
何故彼に謝るの? 逆じゃないの?
私とフリードリヒの戸惑いが伝わったのか、お父様が説明を始める。
「今日やっと、王立魔法研究所からリリー・モリス男爵令嬢の研究結果の続報が出た。その結果、彼女がじつは魔族の末裔で、シヴァ帝国の間者だとわかった」
どういう事? 彼女は、フリードリヒが好きだったのではないの? 魔族の末裔って、何?
シヴァ帝国の間者ですって?
混乱して頭がついていかない。
「リリーにようやく自白魔法が効き始め、リリーは、『シヴァ皇帝はフリーデに懸想し、そして間者の自分はシヴァ皇帝に懸想していた』と語った。皇帝はフリーデが欲しいが、殿下と婚約している。そこで強力な魅了魔法の使い手であるリリーに殿下を誘惑させ婚約を破棄し、追放されたフリーデを得る予定だった。しかし、リリーがシヴァ皇帝に懸想していた事で、フリーデは追放の果てに行方不明になってしまった。リリーは皇帝の寵愛を得たフリーデが許せずフリーデを追放後殺そうとしていた。リリーが散財した金も全てシヴァ帝国に流れていた様だ……」
(なんてことなの……? それじゃあ、フリードリヒは……)
「えーと、つまり、殿下には魅了魔法がかけられていたの……? それも、元はと言えば私のせい……という事?」
お父様は頷く。
「そうだ。以前に、フリーデが殿下と市井の見学に行った時、同じく御忍びで来ていたシヴァ皇帝が見初めたらしい」
以前、王妃教育の息抜きにと、市井見学を父にねだった事がある。だが、自分たちは認識阻害をかけていたはずだ。
「お前が用心して認識阻害をかけていた事はわかる……しかし、皇帝もリリーも上位魔族の末裔だ。一瞬で見抜いたとリリーが語っていた」
「…………」
フリードリヒと市井見学をしたのなんて、もう何年も前の話だわ。それからずっとシヴァ皇帝は私を狙っていたってこと?
(私……自分の魔法を過信していたんだわ……)
「そして、リリーがフリードリヒ殿下にかけた魅了魔法は、常人なら気が狂うほどの威力のものだった。特に卒業式当日の魔力行使跡から、当日、殿下には脳が萎縮して廃人になっていてもおかしくない程の魔法が行使されていた事がわかった。殿下が発狂しないで存在していた事自体が奇跡らしい。龍の血が濃く無かったら、その場で死んでいただろう……王は殿下を廃嫡にし、平民に降下された……それも、元はといえば、フリーデがシヴァ皇帝に狙われた為。殿下、この度は、我が娘の為にこの様な出来事に巻き込み、誠に申し訳ありませんでした……改めてお詫び申し上げます」
お父様が深々とお辞儀すると、フリードリヒは戸惑いながらも謝罪を受け入れた。
「公爵……私の方こそ済まなかった。いくら、魅了魔法にかけられていたとて、大事なご令嬢を無実の罪で裁き、身分を剥奪したうえ、追放してしまった事実に変わりはない。私が身分を失ったのは自業自得だ。誰の事も恨んでいないよ」
お父様とフリードリヒで話が進んでしまい、私は取り残された気持ちになる。
「では、殿下が婚約破棄したのも自分の意思ではなかったという事? でも、自分は操られていただけと……それで王太子の身分を失ったと、何故私に言わなかったの?」
再会してから、言う機会はあったはずだ。言い訳にしか聞こえなかったかもしれないけど、言ってくれれば私だって事情を察する事はできたのに……
フリーデが問いかけると、フリードリヒはその紺碧の瞳でフリーデを見つめる。濁りが取れて、昔の彼の瞳と同じ、吸い込まれそうな深い紺碧。魅了魔法が彼の瞳を虚ろなものにしていたのだと今になって気づいた。
「……今さら言い訳しても、私が君を傷つけた事実は変えられない。その責任は取らなければならない」
「…………っ!」
貴方は、被害者だというのに?
しかも、間接的とはいえ、私は加害者だった。
私の事情に巻き込んで、貴方に王太子の身分を失わせてしまった。
あれだけ頑張って来たのに。
あれだけ努力して来たのに。
私が王妃教育に寝る間を惜しんでいた様に、フリードリヒもまた身を削るように努力を重ねて来た事を、私は誰よりも知っている。
「なんで? なんで、誰も恨まないでいられるの? 私は公爵令嬢の身分と婚約者の座を失って、ずっと恨んでいたわ。なのに、なんで?」
思わず口にする。紺碧の瞳は優しさを抱いてフリーデを見つめる。
「……君が生きていてくれたら……それだけで私は幸せだからだ……昔からそうだった。番だとわかる前から……」
フリードリヒは続ける。
「操られていたとはいえ、君に死ねと言ってしまったと知って……私は火山口に飛び込んで自死しようと思っていた。しかし、君に危険が迫っていると感じて、再び君を追って、崖から落ちる君を見た時、まだ死んではいけないと……君を守らなくてはと思った」
あまりの事に言葉が出ない。
「……フリーデ……」
いつの間にか、私は涙を流していた。こんなに優しく名前を呼ばれたのは、いつ以来だろう。
お父様とお母様が任せたというようにフリードリヒに頷いて部屋を出て行く。
恐る恐る近づいてきたフリードリヒが、優しく抱きしめてくれる。
「フリーデ。もし、許されるなら、私をずっと側に置いてほしい……もし、許されるならだが……」
抱き締められながら、私はしばらく泣いていた。
泣いて泣いて、泣き叫んだ。
そして、もう涙は出ないほど泣いた後、私はようやく一言発する事が出来た。
「………………はい」