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冒険者ヴァイス

「頼む! レッドベアの討伐に付き合ってくれ‼」


 街の古い酒場で、髭面の男が手を合わせて拝むのは、長い銀髪を後ろで束ねた世にも美しい青年ヴァイスである。

 まだ駆け出しの冒険者は、回復魔法に長けていていくつものパーティーから声がかかっている。


「お断りします。鉄の鎧(アイアンメイル)のガレさん」


 青年は優雅に葡萄酒を飲むと、金を払ってその場を立ち去ろうとする。身につけているものは平凡な冒険者の服と長靴ブーツだが不思議な気品があり、上背が高く足が長い彼が歩く度に酒場の女給達は悩まし気なため息をついた。

 行く手を大男のガレに遮られ、ヴァイスは形のいい眉をしかめる。


「なぁ、頼むよ。俺たちのパーティーは回復役(ヒーラー)が何故かいつかねぇんだ。あんたの回復魔法が必要なんだよ!」

「ヒーラーがいつかない? 何故ですか? 酷使に耐えられなかったとか?」


 ヴァイスの指摘が図星だったのか、ガレは黙り込む。


「そんな事だろうと思いましたよ。俺だって、そんなパーティーはごめんだ」


 立ち去る背中に声が投げかけられる。


「金貨20でどうだっ ⁉」


 青年はゆっくりと振り返る。波打つような銀の髪自体が装飾品のようにきらめいた。


「金貨25。これ以上はまけられない」

「くっ! 金貨20と……レッドベアの好きな部位でどうだ⁈」

「心臓以外だと引き受けないよ」

「……いいだろう。心臓と金貨20で頼む‼」

「わかった。ギルドで正式に契約するぞ」

「用心深いな」


 ガレが言うとヴァイスはニヤリと笑う。彼の高揚した頬が色づき、はっとするほど美しい青年の笑みに酒場の誰もがしばしみとれる。


「昔、裏切られた事があってね……契約していても破棄される場合もあるんだから、しないのは考えられないのさ」


 ***


 まだ冷たい春の風が山すそに吹き渡る。契約を交わした翌日の朝、ギルドを出発して3時間は歩いている。

 ヴァイスとアイアンメイルの一行が目的地である月山(ムーンマウンテン)の麓に到着するまでに、魔物は一向に出てこなかった。疲れを感じ始めたのか、パーティーメンバーのグレンが愚痴をこぼす。


「おいおい、こんなのってありか? レッドベアどころか、スライム一匹出やしねぇ! これでそこの綺麗な兄ちゃんはたんまり金をもらうのか? 理不尽な事この上ねぇぜ!」


 グレンの不快そうな愚痴をヴァイスは気にもとめないで歩いていく。


「そう言うな、グレン。ヴァイスに頼んだのは俺だ。魔物が出ねぇ事はラッキーじゃねぇか」


 たしなめるガレにもう一人の男がかみついた。


「グレンの言う通りだぜ。その、ヴァイスって奴は貰いすぎだぜ。不公平だ!」

「ゲイル……討伐前、お前がヴァイスに歯痛を治してもらった事知ってるぞ。ヴァイスに治してもらわなきゃ、お前の歯は一本も無くなっていたってよ。グレン、お前の古傷に当ててる布はヴァイスが薬湯につけておいてくれた物だ。痛みが取れるだろう? お前ら、もう十二分にヴァイスの世話になってるじゃねぇか。なぁ、ヴァイス?」


 ガレが振り返ると、ヴァイスは青い顔をしている。


「ヴァイス? どうした? 腹でも痛いのか?」


 グレンとゲイルが馬鹿にしたように笑い出す。


「お坊ちゃまは、腹痛だとよー‼ 笑わせてくれるぜこりゃ‼」

「違う……ない」


 ヴァイスは呟いて道端を見つめる。一旦しゃがんで立ち上がり、手には赤い何かを持っていた。


「ヴァイス……それは?」


 ガレが確かめ、途端に自身も青ざめる。


「レッドベアの牙です……それもかなり大きい。しかし本体がない……」


 レッドベアは、基本的にBランクの魔物であるが、その強さは個体の大きさによってABCランクに左右される。ヴァイスが持っている牙の大きさだと、5メルテ(5メートル)はゆうに超える大きさであると考えられた。


「この血は、まだ乾いていない! この近辺にAランクのレッドベアを殺した魔物がいる……」

「何だって⁉」 


 戸惑うガレに、ゲイルが胡乱な目を向ける。


「ガレ、あんた騙されてるぜ。その牙が本物だって証拠が何処にあんだよ? 俺にはコイツが魔物避けの薬を撒いて、仕込んどいたレッドベアの血塗りの牙を出したようにしか見えねぇぜ。 そうだろ? 美形のお坊ちゃん」


 ボサボサの髪、淀んだ瞳は憎々し気にヴァイスを映している。


「俺も同じ意見だぜ! このクソ忌々しい兄ちゃんが、テメェだけたんまり金を貰って無事に帰る為の嘘だとしか思えねぇ!」


 グレンがゲイルに同調すると、ガレの目つきが変わる。

 一瞬で空気が変わった事に気づいたヴァイスは悟られぬように自身に身体強化魔法をかける。

 じりじりと三人が迫ってくる。


「魔物がいねぇんじゃ、お前は役立たずだ。予定より早ぇが、俺たちに有り金渡して死んでくれ。悪ぃな」

 言うや否や、ガレが切り掛かってくる。一瞬ヴァイスは遅れ、喉笛を狙ったガレに首につけたチョーカーを斬られてしまう。


「くっ……! さっきまでのは油断させる為の小芝居か! 元から殺すつもりだったのか⁉」


 ヴァイスが叫ぶとガレはニヤつく。


「察しがいいな。その通りだぜ。しかし、よく避けたな……身体強化か? 普通の冒険者なら今の一撃で死んでるぜ。ん? お前……」


 首からチョーカーが落ち、中央のダイヤが七色に煌めいた事で、それが魔道具である事がわかる。魔道具を失ったヴァイスは徐々にその見た目を変化させていた。背は縮み、筋肉は減り、細い体は華奢というほど更に細くしなやかに。(ヴァイス)はあっという間に(フリーデ)へと変化を遂げる。世にも美しい少女へと。


「おったまげたぜ! こんな魔道具見た事ねぇ……こりゃ、国宝級の代物だぜ! それにお嬢ちゃんもよぉ」


 グレンが舌なめずりしながら近づいてくる。ゲイルもじりじりと距離を詰める。


「俺たちを騙してたって事だよな? 契約違反って事だよな? 何されても文句はいえねぇぜ ‼」


 ぞっとするような笑みを浮かべながら男達が近づいてくる。嫌悪感と怒りでフリーデは叫んだ。


「ギルドの契約は性別を問わない。お前達がしようとしている事は犯罪だ‼」


 フリーデの声に男達は笑う。ガレが残忍な笑みを浮べる。


「契約があっても無くても、殺せばいいだけだ。何で俺たちが、アイアンメイルなんて安直なパーティー名なのかわかるか? それはよぉ、気にいらねぇ奴がいたら、そいつをこき使ってよ、最後は痛ぶって金巻き上げて殺すのを繰り返してるからだぜ。雇った奴が死ぬ度にパーティー名を変えてよぉ。今日は魔物一匹出やしねぇ。いつもなら、魔物を仕留めた後に雇った奴を殺してる頃だぜ。銀髪で綺麗な顔の男なら気にくわねぇから嬲り殺しにしてやろうと思ってたが、お嬢ちゃんは生かしてやるぜ。俺たちの慰み者になったら娼館に売って、骨までしゃぶり尽くしてやるからよ。大人しくしな」


 魔物がいない事が、ガレ達がフリーデを襲う引き金になったらしい。もっとも、魔物退治の後に襲われるのよりは体力を消耗していないぶん有利ではあるが……


「くっ……何て腐ったパーティーなの。こんなのに騙されるなんて、つくづくついてないわね」


 フリーデは後方に跳び、光の玉を投げつける。フリーデ得意の光魔法の目眩しである。光の球は男たちの目前で爆ぜ、その眼を傷つけた。


「このクソアマ‼」


 最前列で目を焼かれたグレンが切り掛かってくるが、土魔法で同時にとびかかってきたゲイルの足元を掬い、グレンの盾にする。


「ぐぎゃああああああ‼」


 ゲイルがグレンに斬られたと同時に、フリーデの頭に石が直撃する。痛みにのけ反りそうになるのを必死に堪えしゃがみ込む。


「俺は、剣より投石の方が得意でね」


 ガレが伸ばした手がフリーデに届くその時、ガレの頭を巨大な指が摘んで空へと持ち上げてしまう。いつの間にか音もなく近づいて来た一つ目の巨人が、ガレを口の中に放り込み咀嚼する。


「サ…………サイクロプス……」


 誰かがうめくように呟く。

 消音と認識阻害の魔法がかかっていたのだろう。魔物が近づいた気配に誰も気づかなかった。50メルテ(メートル)ほどの一つ目の巨人がフリーデ達を見つけ、巨大な咆哮を上げた。


 ***


「降りろ‼」


 魔法学園卒業式当日、フリーデは辺境の深い森の手前で粗末な馬車から降ろされる。フリーデを馬車から引きずり出した三人の兵士は目をギラギラさせてフリーデを見た。


「公爵令嬢だったお貴族様がいい気味だぜ。リリー様に、俺たちで好きにしていいって言われてるんだ。もう、あんたは貴族じゃないんだしな。俺たちがたっぷり可愛がってやるよ」


 最初から王宮の兵士とは思えぬ振る舞いだったが、ただの雇われた破落戸(ごろつき)だったらしい。

 つけられた手枷は馬車の中で魔法で外れるように細工しておいた。馬車が止まった瞬間、男たちに何をされるのか安易に想像がついたからだ。

 枷を外し、自由になった手で汚らしい手をはねのける。


「そんなの御免だわ」


 フリーデは認識阻害(めくらまし)を自身にかけると、土魔法で破落戸の足元を掬う。これでも、魔法学園での成績は上位だった。魔力の高い王族がいなければ、トップだったろう。

 突然現れた落とし穴に男の一人が落ちた隙に森の中に逃げ込む。もう一人の男の頭に、自分とは別の方向から土魔法で石を当て昏倒させる。

 他の男が姿の見えないフリーデを探している間に昏倒した男の着ている兵士服を剥ぎ取り浄化魔法をかける。

 姿のみならず、音や気配も隠してくれる認識阻害魔法に感謝する。

 うろうろと周囲を探す男たちに土魔法で攻撃を加えながら、木陰でドレスを脱ぎ、風魔法でドレスを切り刻む。四方へと風に乗せてばら撒けば、フリーデが魔物に襲われたように見えなくもない。

 浄化した兵士服を着込み、下着の中に隠しておいた魔道具のチョーカーを首につけると、フリーデという少女はもう何処にもいない。

 魔道具は、ウィトゲンシュタイン家に代々伝わるもので、着けると性別を変える事が出来る。

 長い銀髪をくくったフリーデは立派な男性、美青年に見えた。

 馬車の御者台に登り、混乱する男達を置いて2頭立ての馬車を出発させ街へと向かう。

 公爵家の御者に馬車の扱い方を教わっておいてよかったとつくづく思う。

 街の手前で馬を木に繋ぎ、同じく下着に隠していた銀貨で服屋で平民服を一式と小物入れを購入する。戻って一頭の馬に跨り、もう一頭は離してやり出立した。認識阻害をかけ直して隣街へと行き、兵服は途中で燃やしてしまう。


 隣街に着くと、風魔法で伝令(鳥)を出し、生家に自身の無事と迷惑をかけない為に姿をくらます事を伝える。

 自分は上手く逃げられたから。魔法も使えるし、冒険者として生きていけるから――


「名前を決めなくちゃ……」


(上手く逃げられてよかった……)


 逃げられた事で、少し気が緩んで出てきた涙を拭いながら、これからの事を考える。男として生きていかなければ、たちまちフリーデだとわかって捕まってしまうだろう。ぼんやりと考えている時、ふと幼いときによく作った白詰草(ヴァイス クレー)が頭に浮かぶ。


「ヴァイス……冒険者ヴァイスにしよう」


 幸い、魔法学園で学んだ魔法が自分にはある。これで身を立てていこう。

 こうしてフリーデはヴァイスになった。


 ***


 サイクロプスの咆哮にグレンとゲイルが歯の根を震わせている間に、フリーデはやっとの思いで自身に認識阻害(めくらまし)をかける。目立つ銀髪のフリーデが最初の標的にならなかったのは奇跡に近い。震える足を抑えこんで頭の傷を回復させ、血を拭った布を石に包んで遠くに投げる。フリーデの姿が見えないゲイル達が騒ぎ出す。


「お……女はどこ行った? あいつを囮にすればいい!」


 二人は逃げる事より、フリーデを探す事を一瞬考えてしまった。そうこうしているうちに、グレンもまた巨人に摘みあげられ、辺りに悲鳴が上がる。咀嚼する不気味な音が響き渡り、辺り一面、飛び散った血の臭いがする。


(逃げるより、岩陰に隠れる方が身が紛れるかも……)


 逃げようとしたフリーデは、逆に留まる事を選択する。血の臭いのする自分は、逃げない方が生き延びられるかもしれない。

 岩陰に留まったフリーデの横を、恐怖で股を濡らしたゲイルが這々の体で逃げていく。

 しかし、巨人は人間の臭いを嗅ぎ取り、その巨大な足でゲイルを踏み殺してしまう。血まみれの平たい布の様になったゲイルが巨人に摘み上げられる。


(怖い……怖い……嫌だ……死にたくない…………!)


 今、人間だったものを咀嚼している巨人を目にし、フリーデは震えながら認識阻害を自身に二重にかける事くらいしかできなかった。


 自分は何て無力なのだろう。


 婚約破棄以来家に帰らず、魔道具で性別を偽り、魔法を使い冒険者として名を上げてきた。自分は一人でやっていけると思っていた。

 だが、Sランクの魔物を目の前にして、まだ自分が公爵令嬢としての生に縋っていたと気づく。

 髪など切って染めればよかった。そうすれば目を付けられなかったかもしれない。こんな危険に巻き込まれなかったかもしれない。

 回復魔法で誰かの役に立ちたかったが、攻撃魔法を極めればよかった……様々な後悔が押し寄せてくるが、もうなす術はない。膝を抱え、顔を上げると、巨大な目がこちらを見つめている。


(いやだ……‼)


 巨人の手がこちらに伸びてくる。認識阻害が破られたことにやっと気づくが、もう遅い。



「フリードリヒ…………‼」



 死を前にして口に出したのはその名前だった。


 自分は何を言っているのだろうか。


 彼が助けに来るはずなんか無いのに。


 彼は自分を裏切ったのに……


 巨大な手がいつまでも伸びて来ない事に気付き、恐る恐る目を開ける。自分が目と耳を塞いでいる間に何が起きたのか……


 サイクロプスの物だと思われる灰色の皮膚片が、その亡骸が周囲に四散している。


 フリーデは声を上げる事もできなかった。


 フリーデの前に、神聖な光を帯びた黄金の龍がいた。





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