魔法学園卒業式
読んで下さった皆様にいい事がありますように
「フリーデ・ウィトゲンシュタイン公爵令嬢‼ お前との婚約を破棄する‼」
ミッドランド王国の魔法学園に響き渡る声を、フリーデはどこかぼんやりと聞いていた。ざわめいていた舞踏会場は一瞬で静けさに包まれ、春になったばかりの外の冷たい風の音までがよく聞こえる。
魔法学園の卒業式が終わり、大広間に軽食が準備され、隣の舞踏会で歓談と舞踏会が始まる前の事だった。
舞踏会場に聴衆が集まったのを見計らったように王太子は言い放つ。
(いつかこうなると思っていたわ……やっとその日が来たのね……だけど、何故よりによって今日なの?)
ミッドランド王国王太子フリードリヒ。
すっと通った鼻梁、薄く形のいい唇、紺碧の瞳は深い海の色をしている。
白磁のような肌に、黄金に例えられるほど濃く美しい金髪がかかり、すらりと背の高いその姿は彫像のようで、白い胴衣がよく似合う。
王国の始祖は黄金の龍だったという。王族はその金の髪色が濃ければ濃いほど、龍の血を濃く引き継いでいる者であることを示していた。
今、その端正な顔は険しさで歪み、フリーデを睨みつけている。左腕にはおびえたような男爵令嬢を侍らせて。彼女の小柄で童顔な容姿は小動物を連想させた。
「お前は私の可愛いリリーを影で虐め、私物を盗み、悪評をばらまき、リリーを階段から突き落とし殺害しようとした! この悪魔め!」
王太子がそう言うのと、王太子の私兵がフリーデを取り押さえるのは同時だった。兵士に背後から腕を捻られ、凄まじい痛みが走る。兵士の下卑た笑みに吐き気を覚えながら、抵抗は虚しいと悟る。
(こちらの言い分も聞かずに取り押さえようというの?)
「それは……濡れ衣です」
フリーデが震える声で言うと、その美しさに私兵は思わず腕を掴む力をゆるめる。
波打つ銀髪、端正な顔には紫水晶の瞳が輝く。身にまとう紺碧のドレスがその肌の白さを際立たせている。
世にも美しい氷の公爵令嬢フリーデ・ウィトゲンシュタイン。人々の間で、フリーデはそう呼ばれていた。
フリーデが殿下と男爵令嬢を見据えるのと男爵令嬢が動くのは同時だった。
「ひどいっ‼ フリーデ様は嘘をついています! 私、確かにフリーデ様に階段から突き落とされましたわ! この怪我がその証拠です‼」
言うが早いか、リリーはドレスをめくって自身の包帯を巻いた左脚を人々に見せつける。令嬢としてあるまじきその行動に目眩がするが、王太子はその行動を好意的に解釈した。
「っ! そこまでして自身の潔白を証明しようとは……なんとリリーは無垢なのだ!」
フリーデは思わずため息をつく。彼女の行動をたしなめるどころか、賞賛するなんて信じられない。まさかあなたがこんな言動をするなんて……
(前は、男爵令嬢でありながら貴方と仲が良くて可愛らしいリリーを、疎ましく思った事もあったわ……だけど、貴方たちが私を差し置いてどこに行くにも連れ立つようになったから、私は諦めて自分から身を引いたのに……)
王太子への想いを殺して随分経つフリーデは、彼の愛情が自分に向いていなくて良かったと思った。
王太子が自分を選ばないのなら、自分は前からしたかった他国への留学ができる。
婚約破棄の打診が王家からあるとは思っていたが、まさかこんな場所で言われるとは……
(こんなの、あんまりだわ……今日は私の晴れ晴れしい卒業式でもあるのよ。何故、私を放っておいてくれないの?)
何故、ここまで追い詰めるのだろう。王を通して婚約を解消すれば済む話なのに、フリーデに濡れ衣を着せ、社交界から追放しようとする意図がわからない。
フリーデはリリー・モリス男爵令嬢を見る。その瞳からは憎しみが伺えた。
ふわりとした淡紅色の肩口まで届かない髪は貴族としては珍しい短さだが、リリーの愛らしさを際立たせ、同じ淡紅色の瞳は背が低い為、常に上目遣いだった。
リリーの腰を自然に抱く王太子から、二人は只ならぬ関係なのだと想像がつく。
(貴方は……ずいぶんと変わってしまったのね……)
フリーデが着ている紺碧のドレスは、王太子の瞳の色に合わせて公爵家で作ったものだが、リリーのめくりあげるドレスは黄色に金の刺繍が入った王家御用達の仕立て屋が作ったもので、王太子の髪色に合わせたものだとわかる。それを見た瞬間、王太子の心が自分から完全に離れているのをフリーデは感じた。
(婚約者にドレスを贈らなくても、彼女には贈ったというのね……)
「……その包帯が、私がリリー・モリス男爵令嬢を虐げた証拠になるのでしょうか? フリードリヒ様」
久々に婚約者の名前を呼ぶ。フリーデの母は王妃の妹で、婿を取り公爵夫人となった。母と王妃の仲は良く、同じ年に生まれたお互いの子に、平和を意味するfriedから名前を付けて、生まれたその日から婚約者とした。
幼い頃は仲良く遊んでいたが、しばらくすると帝王学を学ぶのに忙しくなったフリードリヒと王妃教育で忙しくなったフリーデはすれ違う事が多くなり、会う事も減っていった。
時折、王家と公爵家だけの小規模な茶会で会える事だけが、二人の仲を繋いでいたが、男爵令嬢が魔法学園に入学してから、その茶会も開かれなくなった。
王太子が男爵令嬢と懇意にし始めてから危惧してはいたが、婚約者であるフリーデを捨て置いて男爵令嬢と夜会に顔を出し始めた矢先に、こんな出来事が起こるなんて……
フリーデの気持ちをよそに、フリードリヒは彼女を糾弾する。
「くっ! 私の名を呟くな! 穢らわしい‼︎ お前が社交界中の男に媚を売っていた事は私の番のリリーから聞いている‼」
何という汚名を着せてくれるのだろうか。それに、番ですって?
「その様な根も葉もない事を、どうして信じていらっしゃるのですか? それに、番と仰いましたが、番とは王族が成人式を迎えて初めてわかるもの。どうして彼女が番だとわかるのですか?」
この国の龍の血を引く王族は、17歳の成人式を終えると番を求める能力が顕著になり、すぐさま自分のパートナーを見つけ出す。龍の血を濃く引き継ぐ者ほど魔力が高く、そのぶん、番を求める本能も強かった。
今では龍の血はだいぶ薄まってしまったが、番を求める本能は王族の誰もに残っていた。ミッドランド王国では他国の王族と政略的な婚姻を結ぶよりも番との婚姻を奨励していた。番との婚姻を結んだ者の方が、その子孫に龍の血が濃く出た為だ。
龍の血が色濃く出た者が成人すると、その身体能力は勿論、魔力、知力なども高まり、あらゆる毒や魔法への耐性もつく。王族として必要なものが成人式で番を得る事により全て身につき、心も満たされるのを王族の誰もが実感していた。王族の番になるというのは国民の夢でもあった。
(彼女が、あなたの番だというの?)
フリードリヒの金髪碧眼の容姿は龍の血が濃い事を示している。だからこそ、成人式前に番が見つかる事などおかしいのだ。
フリーデが婚約者になった経緯には、王太子に成人式前に悪い虫がつかぬようにとの王家の思惑もあった。幼少期から王妃教育を受けてきたフリーデにはその事がよくわかる。
「いやだ、そんな事、口に出して言わせるつもり? フリーデ様ったら、はしたないわ♡」
リリーがフリードリヒにしなだれかかると、フリードリヒも満更でもない顔をする。
「私がリリーと口付けを交わしたその瞬間、リリーが番だとわかったのだ。その時から私の心にはリリー以外いない」
一瞬、胸の中に痛みを感じた事に驚く。
(まだ胸が痛むなんて……)
自分はどれだけこの王太子を思慕していたのだろう。その事実に悲しくなる。
(一体、どちらが下卑ているというの……? 観衆のど真ん中で婚約者以外の者との逢瀬の話なんて、正気の沙汰ではないわ……)
王太子の自分を見る目はこれ以上ないほど冷たく、昔の優し気な眼差しは二度と見られない事がわかった。
(もう、昔には戻れないのね……)
幼少期の温かな思い出が真っ黒に染まって行くようで、こみ上げてくる涙を必死に堪える。
「……そこまで仰るなら、婚約を破棄いたしましょう。元々、私との婚約は殿下に番が見つかったら破棄される予定だったのです。それが早まったという事でしょう」
フリーデの言う事は嘘ではない。番が同じ家系から続けて出る事は今までなかった。フリーデの母クラリスの姉、アリシアが王家に嫁いだから、ウィトゲンシュタイン公爵家から次の番が出るという事はないのだ。
フリードリヒが番を見つけたらフリーデは婚約者の座を降り、隣国に留学する予定だった。
(だからこそ、たまにしか会えない日々を大切にしていたのに……私が嫉妬からリリーを虐げる事などありはしないわ。だって、私たちの婚約は仮初めのものだから……あなたは、好きになってはいけない人だから……そんな事も忘れてしまったというの?)
フリードリヒの紺碧の瞳は虚ろに見える。以前の輝きが微塵も感じられない。
「ふんっ! 白々しい! 忌々しいその面、二度と見たくない! 父上と母上が外遊中に処罰してやろうと思ったが、お前など知らぬ地で惨めに死ねばいい‼ 今日をもってフリーデ・ウィトゲンシュタインは公爵令嬢の身分を剥奪とし、国外追放を命じる‼」
フリードリヒの睨みつける目、男爵令嬢の嘲笑う目、観衆の好奇と同情の目。その中で意を決したフリーデの心は不思議と凪いでいた。拘束されたままで、カーテーシーもできないが、フリーデの心は最後まで公爵令嬢だった。
「承知しました。もう二度とお会いする事もないでしょう。さようなら」
透き通った声は会場に響き渡り、その清冽さに男爵令嬢は顔を歪めた。