第54話 長生きしろよ
矢を射る直前に変な弓だなと、アルリエルは思った。
弦がないのである。
いや、人ごとではないのだが。
だが疑問に思ったのは一瞬で、気付けばすでに矢を射った後だった。
本能とでもいうのだろうか?
体が、魂が知っていたのだろうか?
不思議なもので、加護の能力はすんなり理解することができた。
ははっ、じゃじゃ馬だな。だが、すぐに使いこなしてやる。
自分の力を把握し、それに驚き喜んだ。
だがいけない。力に溺れればまた今までと同じになってしまうし、加護も消えてしまうかもしれない。
この射手の加護は、大切なものを守る為にある。
そのことを心に刻んで、私は敵を見た。
そこには私の射った矢を受けた魔人がいる。
私の魔力で出来た矢は、魔人を撃ち抜き彼方へと飛んで行っていた。
矢は綺麗に雲を裂いていて、そこから伸びる陽光は、私の今の心のように爛々と輝いていている。
うん。サンシャイン。私今輝いてる。
晴れやかな気持ちになった私は、それまた自分の魔力で出来た弓の弦をピンッと弾いて霧散させるのだった。
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リッケルトは混乱していた。
先ほどまで勝利を確信していた相手に追い詰められているからだ。
そしてアルリエルのあの言葉。
『私は射手の勇者アルリエルだ!』
それが本当ならなんて運の悪さだ。
いや、本当なのだろう。
今まさに目の前に、煌々と輝く金色の弓を持ったエルフの女がいるのだから。
あの弓からは、魔に落ちた自分には嫌な圧が感じられる。
勇者の力が魔物や魔人族には猛毒だというのは眉唾ではなかったらしい。
家族を失ったあの日からツキに見放されている。
だがそれでも、復讐を成し遂げなければならない。
身体に空いた穴を手で押さえながらも勝つための算段を考え始める。
例え、それが限りなくゼロに近いものでも。
可能性がゼロに近い理由としては、アルリエルが勇者であり、その力を行使できているためだ。
勇者とは、かつて魔人族や魔物を創造した神である魔神をも滅ぼした英雄である。
千年前に起こった聖魔戦争。
人と魔人の争い。その戦いに終止符を打ったのは、十二人の勇者だったと言われている。
勇者の力は絶大で、一人で数千の魔物をチリに変えたという伝説があるほどだ。
それだけの強大な力を持ちながら、魔物や魔人族に対する殺傷能力増大という絶望的な効果を有している。
今のリッケルトに対しては天敵以外の何者でもない。
終わりか?
否。
誇りを捨て全てを賭けて戦っているのである。それこそ奴に、射手の勇者に一矢報いるまでは死ねんだろう。
皮肉を考えながら思わずにやけてしまった。
そんな間もアルリエルはこちらに弓を向け油断はしていない。
それにしても変な弓だな。
弓の弦もなくどうやって矢を射たんだか。
リッケルトは消えそうになる意識に喝を入れて死地へと舞い降りた。
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傷を負ったリッケルトはゆっくりと地上に降りよろめきながらも鋭い眼光をアルリエルにぶつけた。
アルリエルも致命傷はないにしても疲労困憊のため足が震えている。
砕かれた剣はつかえなくなったため、近場に落ちていた襲撃者の剣を拾い数回素振りして正眼に構えた。
対峙した二人は、次の一手で終わらせるために意識を集中させた。
二人の間にはジリジリと灼けつくような魔力が渦を巻きぶつかり合っている。
周りの誰もがこの戦いの邪魔をすることなどできようもないほどに二人は静かに、されど矛盾して熱く燃えていた。
タイミングなどはなかったが、2人は同時に動いた。
肉食獣が獲物に食らいつくように。
方や狩人が獲物を狙うように。
互いの喉元に牙と矢を届かせるように。
「ハァ!」
「フン!」
掛け声と共に静寂が辺りを包み込む。
少し間が空きバタリという音が静寂を切り裂いた。
地面に崩れ落ちたのはアルリエルが放った剣の一撃を受けたリッケルトの方であった。
「ふぅ〜…」
目をつむり安堵の息をついたアルリエル。
手に持った剣を振り、ついた血を飛ばした。
その顔にはじっとりと汗が滲んでいた。
初めて発現した加護の反動で今にも倒れ込んでしまいたかったが、気合いで平静を装っていた。
地面に横たえたリッケルトを見下ろす。
「遺言くらい聞いてやる」
そう短く言った。
もはや虫の息、いつ死んでもおかしくないリッケルトに友人の知り合いとして最後の情けをかけたのだ。
彼は唇をゆっくりと動かす。
「…な…にも」
そう、何もない。今更こんなことをした自分が光の中を歩き始めた家族に何を言うことなどあるだろう。
それに…。
もう十分だ。ルーティの幸せな姿はこの国に来てからもう見れた。それを壊そうとした事は申し訳なく思うが、あの子の笑顔がまた見れた。それだけでもう満足だ。
本当はわかっていたんだ。復讐なんて意味がないという事には。
あぁ、親父になんて言えばいいんだ。
向こうで素直に殴られるか。
はぁ、まったく難儀な人生だった。
口元がほころび頬に温かいものがつたう。
良かった。まだ、人の心が残っていたのか。
サラサラと体が砂の様に崩れて風にさらわれていく。
『ルーティ、長生きしろよ…』
それは口に出ていたのだろうか?
アルリエルは。
「…伝えておく」
そう呟きコツコツと歩いて行った。
ブワッっと風が強く吹きアルリエルが振り向くと、さっきまでそこにあったリッケルトの姿はすでに無くなっていた。
『ハハッ
なぁ親父、向こうで酒でも用意しといてくれよ』
風に乗ってそんな言葉が聞こえた様な気がした。