第46話 家族の絆
あの日の選択を私は後悔してしまった。父に申し訳が立たない。
今目の前にいる娘を、私は抱きしめられずにいた。きっと軽蔑しただろう。嫌悪しただろう。
娘を正面から見れない私は、母親失格なのだ。むしろ向こうから願い下げかもしれない。
私はあなたのようにはなれませんでした。
……父さん。
肩を震わせるルーティを嘲笑うかのように、男は嬉々として口を動かし続けた。
「おや? もしかすると知られたくない過去でしたか? これは失敬」
よくもぬけぬけと言う。
ライオスは普段見せない怒りの形相を浮かべて男を睨みつけた。
だが男は、そんな事でも楽しんでいるかのようだった。口の端を上げて歯を覗かせている。端正な顔であるのに、表情一つでここまで醜悪になるのかと、その場に居た者達を戦慄させた。
「皆さん知っているものかと」
男が周りを見渡しながら反応を楽しんでいる。
「あんた何様だよ。人の店で好き放題言いやがって、貴族だろうが何だろうが言っていい事悪い事、あるんじゃねぇのか?」
ライオスが怒りを抑えながら男を糾弾する。
「私が貴族かもしれないというのに、そのような事を言っているのですか?」
男の声に圧力が乗る。実際に、力のある言葉には魔力が自然に乗り、威圧を放つ。ライオスは、その威圧を受け流し、毅然とした態度で男と向き合っている。伊達に荒くれの冒険者相手に商売はしていないのだ。
「……貴方は特に面白い情報はなかったですね。まぁいいでしょう。それにしてもルーティ・アルジェントは思ったよりも心が脆かったな」
「てめぇ!」
ついにライオスは怒りを抑える事が出来なくなった。だが、その怒りは意外な事で抑制された。
「お母さんの事を悪く言わないで!!」
突然のエヴァの怒号に場の空気が変えられた。
手を上げる寸前だったライオスは、拳を握ったままの状態で固まってしまっていた。
男も若干驚いているような表情をしている。
「お母さん大丈夫?」
エヴァが優しくルーティの頬に触れる。ルーティはハッとしたようにエヴァを見上げた。
自分の頬に手を当てる娘を見て、目を伏せてしまいそうになる。だけどこれは試されているのかもしれない。自分が本当に母親なのかどうかを。
エヴァは頬に当てていた手で、そっとルーティの目元を拭った。
ルーティは情けないと思うと同時に、心が温かくなるのも感じた。娘に慰められて恥ずかしい事、娘が優しく育ってくれて誇らしい事、その二つを同時に噛みしめているのだ。
だけど、やはり娘の成長の方が嬉しくて、胸がどんどん熱くなる。
先程までの過去の記憶を、エヴァの温もりが包んでいく。今度は違った意味で頬に温かいものが伝った。
「ううっ……! エヴァ、ごめんね。こんな人間が母親でごめんね……!」
溢れ出したらもう止まらなかった。嗚咽を漏らしながら、同時に心の灰汁を吐き出した。
「私は最低の人間なの……。沢山の人の命を奪ってきた。そんな私があなた達の母親なんて、こんなにも幸せになれるなんて可笑しかったのよ。今日は、今までのツケが回ってきたのね」
自分自身に罪の荊を巻きつけて、思いの丈を吐露する。
だが、そんな物を気にすることもなく、上からエヴァが小さな身体で覆って包んだ。
「わたしは昔のお母さんを知らないけど、今はわたしとお兄ちゃんのお母さんでしょ? 可笑しいことなんか何もないよ?」
身体を締め付ける罪の荊が消えていくようだった。
エヴァにはまだ分かっていないのかもしれない。大切に育てたと言えば聞こえはいいが、ただ甘やかしていただけである。
意外にもエヴァに一番厳しくしていたのはリットであった。きっと私の代わりをしていたのだろう。
私が不甲斐ないばかりに……。
小さくそう零すと、エヴァに頭を垂直チョップされた。
えっ!?
一瞬何をされたのかわからなかったが、エヴァがとても悲しそうな顔をしながら怒っていて、私を叱ってくれたのだと分かった。
以前父に殴られた時があったが、その時と同じように娘の愛情を感じる事ができた。
「お母さんはふがいなくなんかないよ。お母さんはいつもキレイで、お客さんやお兄ちゃんを叱ってる姿はカッコ良くって、いつも笑顔で強い人なの」
「……強いって何よ。私だって女なのよ?」
自然と笑顔になれた気がする。エヴァに元気付けられるとは思いもしなかったが、優しくて強い子に育ってくれて良かったと、心の中で驚喜した。
父さん、私はあなたのように慕われて誇られるような親にはなれなかったけど、でも……。
私は私なりに母親を出来ていたみたい。もう悩んだりしないわ。きっとこの子達を立派に育てて守り通してみせる。いつまでもカッコ悪い姿は見せらんないからね。
だから……、私の事を見守っていてよね?
「エヴァ、私は人殺しよ。それでもあなたの母親でいいの?」
少し勇気を出してエヴァに問いかけた。
これは弱さかもしれないけど、失望されるかも知れないけど、それでもいい。それが私なのだから、母親なのだから、嫌われて呆れられるくらいが丁度いい。
ルーティは理想の母親よりも、寄り添いながら一緒に悩み、笑い合える関係を選んだ。
「お母さんがいいの!」
エヴァは目に涙を溜めながらルーティに抱きついた。
「エヴァ!」
それを力強く受け止めるルーティ。
「お母さんが人を殺したとしても、どんな事をしていたとしても、わたしとお兄ちゃんのお母さんであることは変わらないよ。変わらないの。わたし達も一緒、お母さんの子供なんだよ」
「……ごめんなさい。私はあんた達の母親で、あんた達は私の子供よ。一瞬でもそれは忘れたらいけなかった。悔やんだらいけなかった」
「むぅ、こうゆう時は〝ありがとう〟なんだよお母さん」
「ごめんごめん。あっ! 間違えたわね。……ありがとうエヴァンジェリン」
「むふ〜」
エヴァは嬉しそうにルーティの胸に埋もれた。
幸せになってはいけないと思ってしまったけれど、人は勝手に、自分の思いもよらないところで幸せを感じてしまうのだと、ルーティは苦笑した。
ルーティはこの時救われたのだ。過去のことは忘れられない。だけど子供達が居るならどんな困難も乗り越えて行けると。
エヴァが私の娘でよかった。……ついでにリットも。
「……リットばっかりに任せてらんないわね」
「?」
ルーティがつぶやいた一言にエヴァは首を傾げた。
「はぁ、話は終わりましたか。薄っぺらい家族愛を見せられるのは不愉快なのですが」
そんな親子の仲を邪魔するように、男が苦々しい表情で割って入ってきた。
「この方法は失敗でしたね。逆効果になってしまいました。次に行きましょう。二つ目の話です」
まだこんな話があるのかと警戒心をあらわにする一同。
この時数人の常連客が動いた。ゆっくりと店の入り口に移動していたのだ。これは逃げるための行動ではなく、リットとこの場をおさめてくれそうな貴族であるフレデリクを呼びに行くためだった。
しかし。
「どこへ行くのですか?」
男がそれを見逃さなかった。
常連客は勢いよく走り出す。
「逃すな」
無機質な声で男が命じた。
すると、店に居た数人の客がそれを追って駆け出した。全員今日が初めての来店であった客たちだった。
やたらと新規の客が多かったのは、どうやら男の仕込みであったようだ。
常連客達が取り押さえられた。しかし、隙を見た他の客がドアを開けて外へ飛び出した。
「必ずリット達を連れてくる! それまで待ってろ!」
そう言い残すと、風のように去っていった。
外に出たのは冒険者の男であった。実力もそれなりにはあったので、場の空気が若干軽くなったような気を全員が感じていた。
「……追いますか?」
「いや、構わない。呼んで連れてくるまでに全てが終わる。楽しみだ、彼の絶望した顔を見るのは。だけど、彼女が抵抗するなら……ふふふ」
男とその協力者であろう者がやり取りをしていたが、小声で何を言っているかは分からなかった。
「二つ目の話をする途中でしたね。失礼しました」
男の一言に、また黒猫亭に緊張が走る。
この男の言葉には一々魔力が込められていて空気を変えてしまう。普通ならこうはならないが、魔力の質がそうさせるのだ。これが一種のカリスマ性とでも言うかのようだった。
「ふざけるなよ! これ以上家族に余計な事言うんじゃねぇ!」
ライオスの叫びに呼応して、男の周りに彼を守るように数人が集まった。
こちらが危害を加えようとすれば、無事では済まないだろう。
ライオスは、ぶつけようのない怒りを内包したまま、男の取り巻きを睨みつける。
ルーティは大丈夫だとライオスに目線を送る。
その視線を受けたライオスは、しぶしぶといったように溜息をつき腕を組んだ。
「ふふっ、では話しましょう」
その前に、と男が付け足した。
「ルーティさん、彼に見覚えがありませんか?」
と言って、一人の男を指差す。男はフードを目深に被り、表情が読めなかったが、ゆっくりとそれを脱いだ。
それを見たルーティが怪訝そうな顔をする。
誰? と言いたげだ。それに、また私? と苛立ちが隠せない。
しかし、フードの男を見ているうちに既視感を感じた。
どこかで会ったことがある?
「忘れるのも無理はない。俺もだいぶ老けたからな」
そう言ってその男は、悲しげな微笑みを浮かべた。
そして、それを見たルーティが驚いた表情になる。
「まさか、貴方……」
「思い出してくれたかルーティ……」
「……生きて、いたの? ……兄さん」
驚愕の事態に誰もついていけなかった。
「……ルーティお前、兄貴なんていたのか?」
ライオスが当然の疑問を投げかける。
「あっ!? ……昔の、仲間よ、兄のように慕っていた人、……でも、あの時の戦いでは誰も生き残っていないはずだったのに……!」
「なんだよ、喜んじゃくれねぇのか?」
「嬉しいに決まってるじゃない! でも……、なんで
そんな奴に?」
「利害の一致だよ」
男が横から言葉を挟んだ。
「私は、私を認めない人間が憎くてしょうがない。そうゆう時は彼らに頼むのですよ。貴女も知っているでしょう。闇ギルドとはそうゆう物だと。そして彼等が求める物を私が提供する、そうゆう関係なのですよ」
「求める物?」
ルーティがつぶやいた。
「情報だよルーティ」
「何の情報なの……?」
ルーティが恐る恐る尋ねる。
「ギルド星の旅人達スター・トラベラーズのメンバーの行方だ」
ルーティはズキンと胸が痛むように感じた。そこはかつて、自分も所属していたギルドなのだから。
「ルーティ、別にお前を責めはしない。むしろお前が生きていてくれただけで俺は嬉しいよ」
「……復讐なの? あの日の」
そんなのは八つ当たりだ、今なら分かる。どうしようもなかったのだ。貴族を裏切っていたとしても、同じ結果になっていただろう。
「………」
男は目を閉じて息を吐いた。自分を落ち着けるためであろう。冷静さを欠いては仕事はできないと分かっているからだ。
その様子だけでルーティには十分だった。
「私もギルドの一員よ」
「それはどっちのだ? だが、俺はお前に手出しはできない。そうゆう契約でもある。ここに来たのは自分の覚悟を確かめるためと、お前達を見るためだ」
そう言い切ると優しい眼差しでエヴァを見つめた。キョトンとするエヴァに笑みを深める。
「俺にとっては……いや、なんでもない」
「兄さん……」
「リッケルトだ。今はそう名乗っている」
「!? それは父さんの!」
男はリッケルトと名乗った。それは、ルーティが父と慕った男の名前であった。
「俺があの人の名を受け継いだ。想いもな」
「違う! 父さんの想いはそんなものじゃない!」
何が違うと一蹴するリッケルト。
視線を雇い主に向けると、一礼して店を後にした。
「どうして、せっかく会えたのに……兄さん」
ルーティは店から出る兄を見ながら、今から彼がどんな行動をするかわかってしまっていた。
アルリエルだ。
彼女を殺す気なのだと分かってしまった。アルリエルは、元星の旅人達スター・トラベラーズの主力メンバーだ。彼が復讐のために生きているなら、アルリエルを許せるはずがない。
「もう行ってしまいましたね。もう少し話していても良かったのに、もしかしたら貴方達にもう会えないかもしれないのに。あぁなるほど会えなくなるから行ってしまったのか。ははっ」
神経を逆なでするように挑発してくる男に、その場の者達はストレスがピークに達しようとしていた。だが、男の取り巻き達が目を光らせているので荒っぽいことは隙を見つけない限りできない。それに相手は貴族かもしれないのだ、いや、もう貴族であるのは誰もが分かっていた。故に行動できない。制裁を恐れてだ。
直接手を出そうものなら実刑は間逃れない。
男はそんな事も見透かしたように悠々とまた話し始めた。
「さぁて、二つ目の話はどうでしょうか? 気に入ってもらえるといいですが。次の話は貴女の話ですよエヴァンジェリンさん」
エヴァはそれを聞き。ゆっくりと立ち上がった。
男の正面に立ち、真っ直ぐと目を合わせた。その姿は堂々としていて、最初怯えていたのが嘘のようであった。
エヴァはこう思っていた。こんな自分本位で卑怯な人には絶対に負けないと。その意思が男の魔力を跳ね除けた。
元々リットに魔力を退ける術は習っていたのだ。強い意志を持てと。たったそれだけではあるがそれは事実だった。強い意志を持つ事によって、自分の中の魔力で受け流し、守り、転じて攻撃するのだと。
真っ直ぐと自分を見据えるエヴァに嫌悪感を抱くが、軽く舌を打ち、元の表情に戻る。
「この話を聞いても貴女はそんな表情で立っていられますか?」
エヴァはどんな話が来ても揺るがない、そんな鉄の意志を持って挑んだ。
わたしが、家族を守るのだと。
男はその意志を折ってやろうと、自分の持っている情報をエヴァに言ってやった。
絶対に心が壊れるであろう真実を。
「エヴァンジェリンさん、貴女は知っていましたか? 貴女がそこに居る二人の、実の娘ではない事を」
もう少しで元のところまで戻れそうです。
お付き合い頂きありがとうございます。
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