第40話 やられたらやり返す
ギーシュと名乗った貴族の男が、ドス黒い魔力を垂れ流しながらイリナに手を伸ばしている。
イリナは怯えて震えていた。
薄っすらと涙が滲み始めるイリナの眼を見て、僕は軽く支えていただけのイリナの体を、自分の方へと引き寄せる。少しでも気分が紛れると思ったからだ。
引き寄せたイリナの体はとても華奢で守ってあげたいと自然に思った。
引き寄せた手に力を込める、壊れてしまわないように少しだけ。
この男、たしか色々と黒い噂のある貴族なんだよな。
イリナが怯えるのも無理はないし、触られるなんて考えただけで嫌だろう。
ギーシュの手がイリナの眼前に迫る。
それはつまりイリナを支える僕の目の前でもある。
あまり僕の幼馴染に、ちょっかいを出さないでほしいな……。
僕は例えようのない怒りを覚え、イリナに迫った魔の手を握手をするような形で右手で受け止めた。
パキンッ。
「あっ……!?」
その際、何らかの魔法がかかっていたのだろう。僕の右手に触れた途端、世界ワールドの破壊者ブレイカーによって魔力が霧散した。
……魔法かかってたのかよ。
なんの魔法かは知らないが、汚い手でイリナに触ろうとするなんて。嫁入り前だぞ、傷が付いたらどうすんだ。
もしそうなった時は僕がもらうが……。
成長したら美人だろうし!
いや、釣り合わないし嫌がるか……。
「あー握手ですか。これは恐縮です」
思ってもいない事を棒読みする。
こちらから友好の印ですよね? というポーズを取っておけばこの場でこれ以上の事は出来ないはず。
「えっ? あ……ああ……」
何が起きたかわかっていないようだ。
「これで私たちは友人ですね」
これでもかというくらいわざとらしく言ってやった。
そこではじめて僕が何かをしたのだということに気づく。
ギーシュの顔に焦りが生じた。先程までの僕やフレデリクもこんな顔をしていただろう。
恐怖だよね? 自分の理解の及ばない事が起きるのが。
さっきも言っていたよな、邪魔されるのが嫌いって。それはつまり自分の思い通りにいかない事が起これば焦るって、自分から言ってるようなものだ。
現に今、これまで優位に立っていたっていうのに随分と顔色がよろしくないじゃないか。
「顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
努めて冷たい声色で、あえて優しい言葉を使う。
ギーシュは頬を引きつらせる。
おいおい。今までのニヤケっ面はどうしたよ?
僕は握った手に力を込める。
ミキミシッ!
「っい!!」
苦悶の表情を浮かべるギーシュ、さぞや痛い事だろう。そして理解できないだろう? 子供にこれほどの身体能力強化をする魔力操作の技術があるとは。
最近僕は周りと比べて少しだけ得意なのだということに気づいた。
掴んだ手にさらに力を込めていく。不敬? 大丈夫、先に魔力で干渉して仕掛けたのは向こうだし、正当防衛発動中だ。
……僕の中でだけだが。
あとでフレデリクにフォロー頼もう。
それに、イリナや他の人にまで気持ち悪い魔力をまとわりつかせて不快にさせたんだ、これくらいは許して貰おう。
僕はまだ許さないけどね。
イリナは涙腺が決壊し、ボロボロと涙をこぼしていた。僕に抱きつき鼻をすすっている。
涙で濡れた僕の服が冷たくなり、そして少しずつ重くなっていく。
怖かったね……。もう大丈夫。
握手をしていない左手で、イリナの頭を元気が出るようにくしゃくしゃと撫でてやる。
イリナを後ろに下がるように言って、近くに来たリエルさんに預ける。
まだ足元がおぼつかないようだ。ぐらりとフラついて、それをリエルさんが慌てて抱きとめる。
「すいません。彼女が少し気分が悪いようなので、これで失礼させていただきます」
そう僕が言うと、少しホッとした顔をした後に、無理やり笑顔を作って言葉を返した。
「あっ、ああ……そうだね。失礼をしたのはこちらのようだ。気づかずに申し訳ない」
思ってもいないことを言う……。
無理やりに笑顔を作るギーシュを見て、童心にちょっとしたいたずら心が芽生えた。
ニヤリ。
ギーシュの洋服のズボンに、気づかれないようそっと左手で触る。
子供のやることだと笑って許してほしい。
当人は笑えないだろうが。
僕が笑顔でギーシュに向き合うと、向こうもぎこちなく笑顔を作る。
今から起こる事に、いつまで笑顔を保てる事か。
「で、ではこれで失礼する」
「はい。御機嫌よう」
僕は笑顔で手を振り、見送る事にする。
手を離して踵を返すギーシュ。すると何故か足元をもつれさせてその場にべちゃりと倒れてしまった。
「あっ!? うべしっ!」
ギーシュは轢かれたカエルのような格好で、沈痛な表情を浮かべて鼻血をたらしていた。
ギーシュを見るとズボンがズレ落ち、くるぶしのところまで下がっていた。
あらやだ、パンツ丸見え。
先程ズボンに触れた時に万能創造でウエストを緩めてやったのだ。
歩き出した時にズボンがズレて足をもつれさせるために。
プークスクス。
あらやだかっこ悪い。
ギーシュの滑稽な姿を見て少し溜飲が下がった。
「大丈夫ですかぁ?」
間延びのした言葉使いで馬鹿にしたように言って、近くに寄る。
そして、もう一度ズボンに触りウエストを元に戻してやる。証拠隠滅だ。
「だ、大丈夫だ……」
鼻血をハンカチで止めながら立ち上がるギーシュ。
不思議なことにこんな事になっても従者が出てこない。馬車からは気配を感じるのだが?
ギーシュと違って洗練された感じの気配がする。いつでも飛び出せるようにしているのが伝わってくる。手練れの人物だな。
だが何故出てこない。
いや、ギーシュに止められているのか?
真意はわからないが用心しておこう。
ギーシュがいそいそとズボンを上げて、ふらふらと馬車に向かって歩き始める。
ギーシュが馬車にたどり着くと、馬車の中の気配が少し小さくなった。
なるほど、警戒してたのは向こうも一緒ね。
もう何もしませんよー。
そっちが何もしなければね。
やられたらやり返す。
やり返される覚悟があるならいつでも来い。
返り討ちだ!
心で強くそう思うと、意図せず少量の魔力が外へ漏れた。
馬車に登ろうとしているギーシュが、僕の魔力を感じて驚いてしまったようで、足掛けから足を踏み外してしまう。
「うわっ!」
バスンッ! ゴロゴロゴロゴロ。
ギーシュが馬車から転げ落ちた。
「……たい。痛い!痛い!痛い!痛い! 何故私がこんな目に会わなければならない!」
憤慨したギーシュが喚き立てる。
その顔は怒りに満ちていた。
こちらが素のようだ。作り物ではない本物の表情をしている。
慌てた従者が、やっと馬車の中から姿を現した。
馬車から出て来た人物は、貴族に仕える従者というよりも、どこか冒険者然とした男だった。
その男は異様な格好をしており、闇に紛れる黒いローブを着ていた。顔はローブのフードで覆い隠され、全身を黒一色でで包み込んでいた。
ひらひらとした服は暗器を隠すのに向いている。きっとそのためにあんな格好をしているのだろう。
マントの中から嫌な感じがする。
冒険者然と言ったが、暗殺者の方が正しいかもしれない。
その男は手早くギーシュを抱えると、馬車に飛び乗り戸を閉めた。
あまり見られたくないようだ。主人の醜態も自分の姿も。
馬車の御者に命令を出し、ギーシュ達はその場を急いで離れていった。
僕達は、馬車が見えなくなるまで呆然としていた。
馬車が見えなくなり、騒がしい城下町の一角だけが静寂に包まれる。
「……え…と、大丈夫だった?」
みんなの方を振り返り、ぎこちないが笑顔を見せる。
「……はっ! リット!?」
フレデリクがこちらに詰め寄ってくる。
「何をしてるんだ! 貴族に喧嘩売ったようなものだよ!」
ですよねぇ〜。
フレデリクは大きなため息をつくと。
「はぁぁ〜……。無事でよかったけどもうしないでね。あと、助けられなくてごめん……」
珍しく落ち込んでいるフレデリクの肩を叩いて安心させてやる。
「もうしないよ(何かされたら別だけど)。それに助けようとしてくれたのは分かってたから。ありがと」
フレデリクは肩をすくめると、伯爵に相談すると言って先に帰る事になった。
問題起こしてすいません……。
「やってしまったものは仕方ないよ。今回の事はあまり公にはならないと思うけど、多分あの男は根に持っただろうね。対策を考えなきゃ」
たのんます。
面倒押し付けてしまったなぁ。
借りはまた返すよ。
そう言ってフレデリクを見送る。ウィリアムさんは一緒に帰るかと思ったが情報を集めると言って、何処かへ行ってしまった。
うるさい二人がいなくなり、何とも言えない空気になったが、気を取り直して片付けを再開する。
明後日から本営業だと言うのに、前途は多難だな。
片付けを始めようと屋台に近づくと、リエルさんがイリナを支えてやって来た。
「イリナ大丈夫か?」
「……うん」
……元気がないな。
「魔力は本人の気質により変化する。とんでもなく気持ちの悪い魔力だったな。私ですら一瞬硬直してしまった。イリナはもろに当てられてしまったんだろう」
リエルさんが解説してくれた。
そうゆうものなのかぁ。
イリナを見ると、僕を安心させるためなのか、弱々しくも笑顔を浮かべていた。
強がりだってわかるぞ。
ったく。
僕はイリナに近づいて両頬を摘んだ。
柔らかっ!?
エヴァも柔らかいけど、子供のほっぺたって柔らかくてモチモチしてて美味そうだよな。
はっ!? 僕は変態か!
「……りっほ、らにしゅんのひょ」
いや、何言ってるかさっぱりだ……。
イリナの頬を解放してやる。
心なしか頰が緩んでいるように見える。それにほんのり赤い。
引っ張ったおかげかな?
「リット、ありがと。あとごめん、……余計な事した」
「何の事だよ。イリナは余計なことなんてしちゃいないよ。僕としては、とても心強かったけどね」
「……そう」
いつものような元気はないが。そんな短くそっけない返事でも、イリナを見ればとても優しい顔で微笑んでいた。
泣いた後で目が赤くなり痛々しいが、そんなものもほとんど気にならないほどに優しい笑顔だった。
イリナは気にしないでと手をパタパタと振る。
今日の事は忘れて欲しいらしい。
忘れるもんか、僕はやっぱり許せない。
次に僕の幼馴染を泣かせてみろ。
貴族だろうが関係ない。顔面に拳を叩き込んでやる。
泣いて謝っても許してやらないんだからな。
イリナの事を考えて、リットはそう心に誓うのだった。
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――その頃ギーシュの乗る馬車の中では。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、顔を押さえたギーシュが怒りをあらわにしていた。
「あのクソガキがぁ! フレデリクよりもムカつく! フレデリクも気に入らないがあのガキはそれ以上だ。1日で私をここまで怒らせるとは……」
「いかがいたしますか?」
黒ローブの男が問いかける。
「……決まっているだろう。殺す。それもただでは殺さない。散々痛めつけて辱めてあのガキの大切なものを全て奪った上で殺してやる。絶望に染まった顔が楽しみだ」
醜悪な笑みで呪いを吐くギーシュに、ローブの男が指示を仰ぐ。
「ご命令を」
「お前のギルドの人員を使って奴の弱みを見つけろ。手段は問わない」
「はっ、仰せのままに……」
このローブの男は闇ギルドを率いるリーダーであり、ギーシュの腹心であった。
ローブの男は忠実に任務を遂行するために思案する。
対象の弱みを見つける。内心、楽な仕事だとほくそ笑む。
リット。リット・アルジェントか……。
ローブの男は先程の少年を思い出し目を細めた。
表情は見えず、ギーシュは男がどんな気持ちかは分からなかったが。
「リット・アルジェント! 必ず……必ずだ! 殺してやる。無残に残酷に凄惨に! 」
そんな事も気にせず、ギーシュはリットを殺すため行動に移る。
待っていろ、すぐに絶望を届けてやる。
「あはっ! あははっ! あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
嘲笑が王都に響く。
その不気味な笑い声は、人通りの多い城下で、不思議と誰にも聞き取られる事はなかった。
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