第39話 這い寄る最悪
僕の名前はフレデリク・ヴァレリー。ヴァレリー伯爵家の跡取り息子だ。
突然ですが、僕には親友とも呼べる友人がいます。
その友人は、今まさに死地へと追いやられていました。
いや、自分から飛び込んでいったようなものですが……。
自分も悪いところがあったとは言え、迂闊すぎます。
事もあろうに貴族に平民から話しかけるなんて。
多分僕で慣れてしまってたんだろうけど……。
そんなこんなで今僕は顔を青くしてその友人、リット・アルジェントを見ています。
本人は笑っていますが、内心でヤバイと思っているのが分かります。
視線が助けてと言わんばかりだったからです。
なぜこんな状況に陥ってしまったかと言うと。
バルト伯爵家の嫡男、ギーシュの登場によってこんな状況になってしまったのですが……。
普通の貴族なら適当に相手をすれば終わるんだけど、この男はそうはいかない。
下手に刺激すると何をしでかすかわからないからだ。
その場はいい。問題は後だ。
忘れた頃に陰湿な嫌がらせをしてくるのだ。
じわじわと絞め殺すように。
粘着質で一度噛み付いたら離れない。そんな男だ。
僕がこの男にあだ名をつけるならヘビ男、そう名付けるだろう。
そんなことを言って、この男が嫌いなのかって?
なんて言えば良いんだろう? うまい言葉が見当たらないね。
もったいぶるな? ストレートに? じゃあ遠慮なく。
めちゃくちゃ大嫌いだ。
いやいや、この男を好くなんてあり得ないだろう。
知っている者ならほとんど全ての人間が嫌悪感を抱くはずだ。
僕も初めて会った時からそうだった。
嫌らしい嘘だらけの笑みも、品定めするような汚らわしい視線も、一見敬うような態度を見せつつも内心で人を馬鹿にしているその言葉も、僕はこの男の全てに嫌悪し否定する。
そんな奴に好感を抱くはずがない。
いや、もしかしたら同族嫌悪なのかもしれないな……。
そうでない事を自分に言い聞かせるばかりだ。
そんな男が僕の親友と向き合って、微笑を浮かべいる。
リットは苦笑いだ。
きっと内心では自分のしたことに「やってしまった!」と焦っている事だろう。
いや、僕は不謹慎にも一瞬喜んでしまったんだけどね。冷静になって青ざめたけど……。
助けてあげたいが僕も頭がいっぱいだった。
リットを助けるために頭を働かせるが。何を言ってもこの男は面白半分に僕等を責めてくるに違いない。
正直こちらの分が悪いしな……。
どうしたらいいのだろう。この場にいる誰もが凍えたように固まってしまっていた。
その空気を変えたのは当然のようにギーシュだった。
「ん? もしかして私に言ったのかな?」
あー! まずい!
非常にまずいぞ!
とりあえずリット誤魔化してくれ!
「ヒュー…ヒュー何のことでありんすか?」
誤魔化し方!
口笛って!? リット、貴族の前でそんなことしちゃいけません! めっ!
くっ、気が動転して声が出ない!
「ふふっ。えーと、君の名前は?」
笑みを崩さぬままリットに問いかけるギーシュ。
「ふぇ!? 自分に言っているでありんすか!?」
言葉使いがさっきから変だからね!
落ち着いて!
「そうだよ少年」
「ふぁい! 自分リットと申す者でござんす。性はアルジェント、名はリット、しがない宿屋の息子でござんす!」
語尾がまた変わった!?
顔色がコロコロ変わるリットに心配が隠せない。
あー! 心配してるって思われたらリットにちょっかい出すに決まってるのに!
ハラハラして、もはや自分の顔色もコロコロ変わってしまうフレデリク。
もちろんギーシュはそれに気づいて内心ほくそ笑んでいた。
「そうかい、よろしく。私の名はギーシュ・バルトと言う。一応貴族だよ」
「あっ、ご丁寧にどうも」
軽く会釈するリット。
言葉使いがいつものに戻っている。
ギーシュにリットが慣れたみたいだ。
相変わらず順応が早い。
リットが慣れ始めたことで、フレデリクも冷静になる。
ふぅ、これで少しは話が出来そうだ。
だが今割って入れば失礼になる。どんなに嫌な男でも貴族には違いない。
少し待って会話が途切れるのを待つか……。
フレデリクはこの状況を最善策で終わらせるために思考する。
「君はフレデリク殿の友人なのかな」
ギーシュがリットに問いかける。
ふっ、さっきも言っていただろう。
リットと僕は親友なのさ!
「違います」
あんれぇー?
それこそ違うよね? 仲良しだよね?
今友人って言ったばかりだよね?
「さっき初めて会いました」
僕らの想い出は!?
泣いてしまいそうだよリット……。
だけどこのまま話が終われば少しは興味が離れるかもしれない。
リットそのまま行こう。
「彼と私は友人関係ではありません。絶対に」
ぐはぁ!
ダ、ダメージが思った以上だなこれは……。
頑張れ僕!
だがしかし、リットはよくそんな酷いことが言えると思う。
まさかっ!?
本当にそう思っているとか?
やばい、そう考えたら気分が悪くなってきた。
泣きたい……。
「いや失敬、そう聞こえたような気がしてね。そうか、友人ではないのか」
そう言ってこちらをチラッと見る。
おい! 強調するなよ!
心が折れるじゃないか。
この男、楽しんでいるな陰湿な腹黒め………。
そっくりそのまま返ってきそうな事を考えるフレデリク。
「では君に提案があるのだが、良いだろうか?」
良いわけあるか!
早く帰れ!
この糞虫が!
もはや貴族にあるまじき思考で頭が一杯になる。
リット! もういい! 僕が何とかするから。
フレデリクが止める間もなくリットが口を開く。
「提案………ですか?」
「ああ、私と友人になってはもらえないだろうか?」
ふぁー!? 何を言っているんだこの男は!?
リット、拒絶だ! 拒否だ!
こんな男の言うことなんか聞くことないよ!
「お気持ちは嬉しいのですが、貴族と平民では身分がありますから……不敬では?」
その通り。不敬だよリットよく気づいた。そしてよく言った!
盛大なブーメランではあるが、気にしない。
「貴族のお願いを聞かない方がよっぽど不敬だよ」
こんちくしょー!
その場に崩れ、地面を叩くフレデリク。
「そう……ですね……」
リットがめちゃくちゃ面倒くさそうだ。助けなければ、本当の友人である僕が……。
「決まりだね」
一つ手を叩いて笑みを深めるギーシュに、フレデリクが待ったをかける。
「ギーシュ殿、そんな一方的では彼が困ってしまいますよ」
もうヤケだ。やってやる。
「おや、フレデリク殿そうでしょうか? 私にはとても嬉しそうに見えますが?」
な訳あるか!
「いやいや、貴族に話しかけられて萎縮してしまってるじゃあないですか。お戯れが過ぎますよ」
少し強めに牽制する。
略すとこうだ。「テメーに話しかけられて困ってるじゃねぇか、遊んでないで帰れよ」と言った感じだろうか。
「おやおや、そうだったのですかリットくん?」
略すと、「んなわけねぇーよな? あ〜ん? 」と言ったところだろうか。
リットが困った顔で頬をかいている。
「彼が困っていますよ」
早く帰ってくれ……。
「そうなのですかリットくん?」
ニヤニヤとやらしい顔でリットに近づいて顔をのぞき込む。
リットは顔を引きつらせながらも口を開いた。
「いや〜、どうでしょう……ははっ」
目を背けるリットに無理やり視線を合わせようとそれを追うギーシュ。
気持ち悪い……。
その視線から逃れるように後ずさるリット。
ふと周りを見てみると、イリナが近くでアワアワしていた。
イリナ嬢には助けは求められない。ルノール商会にとっては不利益にしかならないからだ。
だがイリナはリットを助けようと必死に考えているようだ。
イリナ嬢、気持ちはわかるが馬鹿な気は起こさないでくれよ。
オーランドさんに申し訳が立たない。
そんな考えも虚しく、フラフラとリットにもたれかかるイリナ。
んなっ!?
今はダメだ! 君まで巻き込まれる気か!
「イ、イリナ?」
リットがイリナ嬢を支える。どうやらかなり緊張しているらしい。
無理もない。あんな気持ちの悪い気を放っている奴にリットが絡まれているんだからな。
それに今からその間に入るとなると……。
イリナ嬢、まだ遅くないぞ、リットから離れろ。僕が何とかしてみせる。
何も良い案はなかったが、それでも被害の拡大は予想できたので、心の中でイリナの仲介をやめて欲しいと願うフレデリク。
だが、現実は優しくはなかった。
「貴女はイリナ・ルノールさんですね。ルノール商会会長の娘さんの」
「……は…はい」
言葉を詰まらせながらも返事をするイリナ。
「どうかされましたか? 今、私はリットくんと話しているのですが?」
先ほどまでとは違い。敵意をあらわにして冷たい声を出すギーシュにイリナは顔がさらに青くなり身体もガクガクと震えていた。
自然とリットを掴む手に力が入り、リットは彼女をしっかりと支え直した。
「はぁ、気分が悪い。私は邪魔をされるのが大嫌いなのですが」
先ほど自分も邪魔したが、あれは向こうの意図するところなので問題はなかったが。今はイレギュラーな事態なのだろう。
大商会の娘とはいえ平民に邪魔されたギーシュはあからさまに不機嫌になっていた。
「……邪魔だな」
凍えるような声だった。
思わず身がすくむ。
数々の不祥事を起こし隠蔽してきたこの男には、色々な噂がある。
恫喝、誘拐、監禁、殺人、どれも人として許されないもの。
噂であっても、この男がしてきた事は確実なのだ。情報は嫌でも入ってくる。
つい最近も若い平民の女性を誘拐したと聞いた。
そんな話は頻繁にあるが、わかっている事は全員まだ帰ってきていないと言う事だけだ。
殺されているか、今頃正気を失って飼われているか……。
考えるだけでも反吐がでる。
そんな男が目の前の小さな女の子に対して冷たい声を浴びせ、今まさに手を伸ばそうとしていた。
最悪の事を考えるのも妥当だろう。
まずい!
そう思っても身体が動かない。いや、動けない。
ギーシュの魔力が身体から漏れて周りに充満している。
なんて禍々しい魔力なんだ。それにかなり質が濃い。尋常ではないぞ!
その魔力が身体にまとわりついて上手く動けないのだ。
くそっ!
このままではイリナ嬢が大変だ。何とかして助けなければ。
リットを助けるつもりがイリナを助けることになりパニックになる。
動けっ!
どんなに動こうとしてもビクともしない。
こんな事ならもっと魔術の勉強をしておけば良かった。
アルリエルさん達は別の意味で動けないようだ。
迂闊に動かないだけで十分ではあるが、今の状況ではそれが仇になる。
どう転んでも被害が増える!
考える余裕もなくなり、目を背けたくなる。
僕にもう少し権力があれば……!
自分を責めてもどうしようもないが、今は何をする事も出来やしない。
イリナ嬢! リット!
誰でもいいから助けてくれ!!
ギーシュの手がイリナの眼前に迫る。
――もうダメだ!
僕は、そう思った。
楽しい時間を過ごしていたはずだったのに、どうしてこうなったのだろう……。
友人達が危険に晒される中、僕はその場で立ち尽くすしかなかった………。
ギーシュってば嫌な奴なんですよねぇ。