第32話 ルノール商会にて
「リットくん、素晴らしい料理だった!」
僕は今、正気に戻った伯爵に抱きしめられている。
感情表現が豊かな方だ。平民に好かれるのがわかる。
ただウィリアムさんの視線が怖いので離れて欲しい。
伯爵はリットから身体を離すと、フレデリクを呼んだ。
「フレデリク、今回の件はお前に任せよう。リットくんと一緒に頑張りなさい。私は影ながら応援しよう」
「はい! ありがとうございます!」
あれっ、僕もお礼言ったほうがいいよね?
「伯爵、ありがとうございます」
うん。感謝の気持ち、大事。
「何か不備があったら言うように」
あら、親馬鹿。やっぱり心配なのね。フレデリクが少し落ち込んだじゃん。後でフォローしとこう。
「ウィリアムを好きに使いなさい」
それはいらん!
「仰せのままに」
このままでは必然的にエヴァに会う事に!
なるべく距離を置いて貰おう。
「工場と転生ゲームについてはこちらで、ルノール商会と連携してやっていく。そうだ、イリナ嬢はそちらで仕事がしたいそうだ二人ともよろしくな」
ありがたい。専門的な商売とかわかんないんだよねぇ。売上の二割だけもらえれば十分だろ。
イリナはこっちで屋台の手伝いか。むふふ、メイド服でも着て客引きしてもらおう。
黙ってれば美少女だしな。同年代くらいの子が興味を持てばその親も付いてくるだろう。
そして人が人を呼ぶ。
初日はサクラでも雇う方が本当は良いだろうけど、実力で勝負したいなぁ。
フレデリクに相談してみよ。
僕とフレデリクは打ち合わせのためにそのままルノール商会へ向かう事にした。
イリナを除け者にしたら、後が怖いからな。
ウィリアムさんに御者を頼み、馬車でルノール商会に向かった。
また、馬車で揺られるのか……。
リットは憂鬱になりながらも馬車に乗ってルノール商会を目指すのだった。
家に帰るのは夜になりそうだ。後で伝言を頼もう。
――――――――――――――
――ルノール商会前。
うおー。こっちもでっかいな。
何気に来るの初めてだし緊張する。
別にイリナの家ってわけじゃないからな。大勢の商人達が出入りする場所だもんな、ここは。
知ってる人いないかな?
商人達が慌ただしく出入りする商会を観察する。
ていうか商人さんギラついてて怖い……。なんかあるのか?
「リット様、商人は儲けることが仕事、1秒も無駄にできないために、あの様な厳しい顔つきなのです。商談中などは笑顔が武器になる事もありますが、弱みを見せないためですよ」
まぁ、命かけて商売してるんだろうな。
僕にはあそこまで必死になれそうもない。
料理を作って喜んでもらえればそれで良い。
「リット様も調理中はとても凛々しい顔をされていますよ」
そうかな? あんな顔してる?
「ちょっと違うけど誇りを持って仕事してるのは一緒だからね。リットは料理する時に真剣な顔してるけど、目は輝いて楽しそうにしているよ」
ちょ、そんな見ないでよ恥ずかしい……。
リットは顔を赤くしてそっぽを向いた。
「リット様かわいい」
やばい、変態の琴線にふれたようだ。
話を切るようにして商会に入るよう促す。
「ほら、もう行くよ。時間もないし」
「そうだね。イリナ嬢を捕まえて、早く打ち合わせしよう」
「イリナ様に会える……。至福でございます」
ウィリアムさんは無視して、エントランスの受付に移動する。
受付の女性にオーランドさんはいるか聞いてみる。
「すいません。私、リット・アルジェントと申します。会長のオーランドさんはいらっしゃいますか?」
あっ、言った後で気づいたがフレデリクが言った方良かったな。僕だと舐められる。
受付の女性はそんな素振りも見せずに、笑顔で対応してくれた。
「会長のオーランドは商談中でございます。お待ちになられますか? 言伝もできますが」
そりゃそうだよな。王都で屈指の大商人だもんなぁ。
次はイリナだ。こっちが本命だし。
「いえ、お忙しいなら大丈夫です。えーと、娘さんのイリナさんは、どこにいるかわかりますか?」
「お嬢様なら、若様…お兄様の商談について行ったので、そろそろ帰ってくるはずですよ。昼過ぎに終わる予定だったので」
「それなら待たせてもらいます」
「では商談室へご案内します」
受付の女性は立ち上がって、リット達を案内してくれた。
――――――――――――――――
商談室に案内され、しばらく寛いでいると、部屋のドアが勢いよく開かれた。
バーン!
「私が来た!」
満面の笑顔で、イリナが商談室に踏み込んでくる。
女王の帰還だな。
だが直ぐにその笑顔は歪んだ表情へと変わってしまった。
「イリナ様っ! お会いしたかった!」
テンション高いな、僕のときより明るいような……。
子供好きって、まさかロリコンじゃないよなぁ。
その時はイリナを守ればいいか。
「ひぃぃ! 近寄らないで!」
早くもピンチだな。
イリナとウィリアムさんの間に割って入る。
「リ、リット」
イリナが僕の服を掴んで震えている。
潤んだ瞳で上目遣いに見られて、庇護欲が掻き立てられる。
かわいい。
僕もウィリアムさんの事は言えないな。
「リット様とダブルですか! たまりません!」
関係なしか! むしろ逆効果!
「ウィリアム落ち着いて、仕事だよ」
ウィリアムさんの動きが止まった。犬みたいだな。
ゆっくりと元の位置まで戻るウィリアム。
「これで静かになった。ウィリアム、遊ぶなら終わった後だ」
後でもダメでしょ。エサを与えたら、貪り尽くされてしまうぞ……。
見ろ、イリナが僕に抱きついて離れないじゃないか。
「イリナ嬢はそのまま打ち合わせしようか」
フレデリクがニヤニヤしながらそう言った。
イリナは頬を染めて頷いた。
怖かったんだな。よしよし。
頭を撫でてやると、さらに顔を赤くした。
大丈夫か? このまま打ち合わせ出来る?
「だ、大丈夫よ。このままいきましょ」
大丈夫ならいいが、無理するなよ。
「……うん」
イリナは恥ずかしそうに頷いた。
フレデリクは腹を押さえて笑っている。
……何がおかしいんだよ。
「いや、ごめん。でも、だってイリナ嬢が……」
笑いを噛み殺すフレデリク。
何かがツボに入ったようだ。
……放っておくか。
「じゃあ始めるぞ」
ケモ耳っ娘誘致大作戦の打ち合わせを!
「ハンバーガーの屋台の打ち合わせね」
「ハンバーガーって何よ?」
「リットが新しく作った料理さ」
「……リット、私それ食べてない」
はいはい。また作ってやるから、今はどうハンバーガーを売るか段取りしような。
「じゃあまずは、立地ね。どこで出すかは決めてるわ」
決めてんの!? そういう相談するために集まったんじゃないの!?
「流石だね、仕事が早い。で、どこに屋台を出すんだい?」
「決まってるわ。人が一番多い場所。城下の大通りよ」
イリナがドヤ顔でそう言った。
「確かに人は多いけど、激戦区じゃないか?」
僕の疑問に。
「馬鹿ねリット。いえ、大馬鹿のポンポコピーね」
何? 馬鹿にされてんの?
ポンポコピーって何?
「あんたの料理が売れないはずないじゃない」
顔に息がかかる距離で誇らしげにイリナが言った。
その意思の強そうな大きな瞳は、とても魅力的に見えた。
何でイリナがそんな誇らしげに言うんだ。普通そんな自信満々な事は自分でも言わないぞ。
「自分を過小評価し過ぎなのよ、あんたは」
「同意だね。リットはもっと自信を持つべきだよ」
二人が真っ直ぐ見つめてくる。リットは恥ずかしくなって視線をそらす。
子供二人にこんなこと言われて、嬉しくて照れるなんて……。精神おっさんなんだぞ僕は。
「照れてるリット様……じゅるり」
おい。そこの執事、ヨダレを垂らすな。
垂らすなら美味しそうな料理の前だけにしろ。
「じゃあ立地場所は決まりで」
「あっ、もう場所押さえてるから」
事後か!
仕事早いな。
「だろうね。じゃあ次は従業員、これは求人を出してあるんだけど応募はまだなし。警戒してるんだろうね。黒猫亭がまだ名前が売れてないから」
「最初は僕もやるよ。当たり前だけど」
「最悪うちのメイドを使うことになると思う。その点は了承してくれ」
いや、むしろウェルカム。メイド服バンザイ。
あっ、イリナにメイド服着てもらおうと思ってたんだ。
「イリナも接客してくれない? メイド服着て」
「はぁ! 何言ってんのよあんた! バカじゃない!?」
まぁ、そう言われるとは思っていたが。
僕が攻めあぐねていると、フレデリクがフォローに入った。
「でも、イリナ嬢のメイド姿は見てみたいね。普段とのギャップが楽しめそうだ。リットもそう思うだろう?」
「いつもと違うイリナか、見てみたいな」
「きっと似合うよ。ね、リット」
「そりゃ似合わないはずないだろ、素材が良いんだから」
イリナは顔をゆでダコのように赤くして俯いてしまった。
やっぱダメだよなぁ。恥ずかしいよな。
よし。こうなればフレデリクにメイド服でも着てもらって話題性を出すか。そっちの方が面白そうだし。
そう思って、にやけていると顔を伏せていたイリナが僕の服を引っ張る。
ん、どうした?
「……見たいの?」
何を?
「私の……メイド服姿……」
涙目で見つめてくるイリナ。
いや、無理しなくていいんだぞ。
フレデリクに着せるし。
「まさかの提案!? 僕着ないよ! 変態じゃないか!」
すでに変人ではあるがな。
「ねぇ、リット聞いてるの?」
「聞いてるよ。でも無理しなくていいよ。イリナは裏方に回ってもらえれば」
「……私だっていいとこ見せたいわよ」
ん? 今なんて言ったんだ。声が小さくて聞こえなかったな。
「……着るわよ」
へ?
「私、メイド服着る!」
マジで?
「二言はないわ。見たくないわけ?」
「嫌じゃないのか?」
「リット、見・た・く・な・い・の?」
「みっ、見たいです!」
イリナの剣幕に圧されて、僕は思わず頷いた。
イリナは満足そうな顔で、僕の腰に手を回した。
「ちょっと、流石に見せつけすぎだよ」
フレデリクの一言でイリナが僕を押しのけて離れる。
「み、み、み、見せつけてなんか……」
しどろもどろになりながらイリナが反論する。
ん? 離れて大丈夫か?
もうウィリアムさんに緊張はしてないみたいだな。
少し名残惜しい気もするが、僕はロリコンじゃないので気持ちを切り替える。
「じゃあ次ね」
フレデリクがどんどん進行してくれる。
口には出さないが、頼りにしてるよ。
その後も、打ち合わせの会議は続き、終わったのは、その日の夕刻だった。