五章
「――ここだよ」
ティレルが連れてきた場所は、馴染みのない機械的な、教室の二十倍はあるほどの広い地下室。
鉄の柵越しに、長方形の穴がある。たぶん、下は訓練場になっているのだろう。
「気づかれないように、下を覗いてみなよ」
俺は言われるままに足音をたてないようにして柵に近づき、しゃがんで、下のほうを覗き込んだ。
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あなたを倒せば、入学を許可してくれるんですよね」
そこには、ミラがいた。
そして、ミラの視線の先には――一年Cクラスの担任、ジェドが立っている。
距離を置いて彼に対して身構えているミラ。
しかし、ジェドは煙草をふかしながら、悠長に突っ立っているだけだった。
「もちろんだ。この僕を倒せれば、ね。そしたら、僕から学園長に申請してあげるよ」
ミラとジェドが闘うだって?
「どうして……」
「ミラちゃんは〈影の森〉の情報を渡すことを条件に、少し無理やりに学校に頼みにきたんだ。それで、かわいそうに思ったやさしいジェド先生が、相手をしてくれることになったってわけさ。本当なら、編入なんて誰かの推薦でもないかぎりできないんだけどね」
「学校側としては、そうまでしても〈影の森〉の情報が欲しいってわけか?」
「まあ、ジェド先生のほうは軽く遊んであげるって気持ちだろうけどね」
ジェドは階級としては最低の一年Cクラスの担任になってはいるが、先生は先生だ。言うまでもなく、強い。
それに、学年やクラスは先生の強さには比例しない。実のところ、レオネス魔導学院の先生たちを比べることはできない。それぞれが、個々の違う強さを持っている。だから、俺たちのクラスの担任だからといって、弱いということはありえないのだ。
ジェドが、曇りがかった長い息を吐く。
そして、開始の合図だと言わんばかりに、持っていた煙草をはじき上げた――
「始まるよ」
ティレルがそう言った瞬間、煙草が地へ着き――
刹那、ミラが膨大な量の黄金色の光線を放った。
同時に発生した烈風が俺たちを襲う。
もの凄い威力だな……、上にいる俺まで吹き飛んでいってしまいそうだ。
光線の中に、ジェドの姿が消える。
その後ろで、威力に耐えきれなくなった壁の結界膜が、ガラス音をたてて割れた。
レオネス魔導学院には魔法や武器の使用によって建物が崩壊しないよう、校舎などの表面に目に見えない結界膜が張られている。
かなり強固に造られているはずなのだが……それを一撃で破るとは、ミラの魔力には驚かされる。
だが――
「凄いね。どうやら僕は君を見た目だけで判断してしまっていたようだ」
ジェドには傷ひとつとして、ついていなかった。
そ、そんなバカな。あれほどの魔力を防ぎ切ったっていうのか。
「どうやらジェド先生は、特殊な魔法壁で攻撃を受け流したようだね」
ジェドはミラに背を向けて壊れた壁に近づき、落ちている割れた結界膜を拾い上げる。
「あーあ……こんなにも結界膜を壊してしまって。これじゃあ僕が学院長に怒られてしまうよ」
――しかしミラは、その背後に向かって容赦なく追撃した。
空中に無数の氷の針が形成され、ジェドに向かって襲いかかる。
だが、ジェドは背を向けたまま、すべての針を紙一重でかわしきる。まるで影分身でもしているかのように、からだがぶれている。
先生は魔力察知と身体の能力がおかしいと、つくづく思うな。
「今度は、こっちからいこうか」
声が響いた瞬間、ジェドの姿が消えた。一秒と経たないうちにミラの背後をとる。
しかし、その攻撃にミラは反応した。
「甘いよ」
即座に踵を返し、左手に魔力を集中させ、放つ。
だが――
「甘いのは、どっちかな」
「え――」
ミラが放った標的は、ジェドの残像だった。光線は残像を突き抜け、空を切る。
そして、ジェドが彼女の背後にまわったかと思うと――
容赦なく横腹に蹴りをくらわした。
ミラは吹っ飛び――そのまま地面に倒れ伏せた。
「風魔法を使ったな」
「残像のことかい?」
先生は魔法を使用してはいけないなんていう制度は魔導試験にないが、それでも魔法を発動されるのは、きついものがある。
そのぶん先生のほうも押されているということだが――
「アルバート」
助けにいこうとした俺の手を、ティレルが引きとめた。
「ティレル」
「いってはいけない」
「でも――」
ティレルは首を横に振った。
「大丈夫だ、彼女はこんな程度でやられはしない。信じるんだ」
「だからって、相手がジェドじゃあ」
「いや、ジェド先生だって生徒に対してぐらい、手加減はしているはずだ。見てみなよ」
振り返ると、立ち上がって再びジェドに身構えたミラの姿が目に入ってきた。
大丈夫……なのか?
「ジェド先生が本気で蹴ったなら、まともにくらえば間違いなく骨折だね。でもミラちゃんからはそんな様子は見受けられない」
「それでもピンチだということに変わりはないだろ」
「そうでもないよ」
ティレルはすべてを見透かしているかのように、ミラを眺めながら微笑んだ。
「どういうことだ?」
俺がそう言った瞬間――
轟くような破壊音が辺りに響き渡った。
「な、なんだ?」
その音のほうへ目をやると、壁に倒れ、崩れ落ちたジェドが目に飛び込んできた。
いったい、なにが起こったんだ?
「どうやら、ミラちゃんの勝ちみたいだね」
「お、おいっ、ティレル」
駆け出したティレルは、そのまま柵を飛び越え、下にいたミラの隣りへと降り立った。
そして彼女へと近づく。
「あれ、ティレルくんじゃないですか」
ミラは驚く素振りも見せず、ティレルに笑いかけた。
「久しぶりだね、ミラちゃん」
ティレルも彼女に笑い返す。
「ほら、アルバートも降りてきなよ。どうせもうバレてるんだからさ」
「なんだって?」
俺も柵を飛び越えて、ミラたちのところへ降りる。
「バレないように見ていたんじゃないのか、ティレル」
「どうやら途中から見つかっていたようだね。ミラちゃんにも、ジェド先生にも」
「はあ? それって、まずいんじゃあ――」
「たしかに、まずいよね」
「――っ!」
俺が咄嗟に振り返ると――そこには倒れていたはずのジェドが、煙草を吸いながら立っていた。
さっき、そこに倒れていたはずだが。
「どうも、ジェド先生」
「ここにいてあたりまえって顔してるね、ティレルくん」
「いえ、海よりも深く反省してますよ」
「上辺だけで言っているだろう……」
ジェドは額に手を当て、嘆息した。
「まあいいさ。君たち、この子の知りあいなんだろ?」
「ええまあ……でも、どうしてそれを」
「どうせ君も、ティレルくんに連れてこられたんだ。 このことを知りそうなのは彼ぐらいだからね。そして、彼は自分に関係のあることにしか行動を起こさない。入学当初からそうだった」
ジェドは苦笑いしながら言った。
俺もそうだけど、ティレルも大概、問題児だよな。
「それで、話は戻るけど……君たちふたりで、彼女を学校案内してくれないか。一年のきょうの授業は自習だけだし、ティレルくんは単位を取り尽くしてしまっているから……。どうせ授業にはまともに出ないだろう」
「おまえって、そんなテキトーなのか……」
「気にしない、気にしない」
ティレルは本当にまったく気にしていないという様子で、にこにことしている。
「ミラちゃん……だったかな。君もそれでいいかい?」
「もちろん大丈夫ですよ。このふたりに案内されるなら、ボクとしても気が楽ですし」
「――というわけだ。それじゃ頼んだよ」
そう言ったかと思うと、ジェドはさっそうと後ろへ跳び、霧とともに瞬く間に虚空へと消え去った。
反論する暇もない。
「うまく押しつけられたな……」
「いいんじゃないかな? どうせ暇なんだし」
たしかに、自習っていっても大抵はすることないしな……、時間潰しにミラを学校案内するのも悪くないか。聞きたいことも、いろいろあるしな。
*
「わぉ、すごいね」
ミラが物珍し気に眼を輝かせている。こういうところにくるのは初めてなんだろう。
俺たちは、闘技場の観客席に来ていた。ここは特に変わった様子も無く、いつもどおりに、淡々と試合が行われている。
「アルバートくんやティレルくんも、あそこで闘ったりするのかな」
ミラが闘技場の真ん中を指さしながら言った。
「……ああ」
「そうだよ」
それぞれで返事をする。
「へえ~」
……ミラには面白いんだろうか。
正直ここには、あまりいい思い出がない。あるのは負け続けた事実と、自分の弱さに対する嫌悪感、他人への才能の嫉妬だけ――。
「どうかしたのかな、アルバートくん」
「……え?」
「もしかしてボクに惚れちゃった?」
「なにを言い出すんだ急に……」
俺は疲れきった表情でミラに言う。
「さすがのボクも、そんな顔されちゃうと傷つくよ?」
ミラはむっと頬を膨らませ、腰に手をあてる。
しかしすぐに目を落とし、少し寂しそうな面持ちになった。
「やっぱり、ボクの案内をするのは迷惑だったかな」
「いや、そんなことはないさ。ただ……、少し考えごとをしててな」
でもまぁ、いまの俺にはリースがいる。もう一度ここで試合をするなら、いままでのようにはならないだろう。
「……なぁ、ミラ」
「なんだい?」
「ミラはなんで、この学院にきたんだ?」
「え? そりゃあ……アルバートくんを好きになっちゃったからだよ」
「はぐらかさなくてもいいだろう」
ミラは「本心なのになぁ」と不敵に笑い、肩をすくめた。
「この学院が動きやすいと思ったからだよ。リースの契約者であるキミもいるしね」
彼女は困惑することもなく、笑顔で答えた。
「動きやすい?」
「まえにも言ったけど、ボクにはある目的があるんだ。それを実行するためには、集団にまぎれてすごしたほうが都合がいいと思ったから」
つまり、身を隠さなければヤバいってことか……。
「それで、俺たちがいるこの学院にきたのか」
「そういうことだね」
ミラがなにをたくらんでいるのかは知らないが、経緯はだいたいわかった。なにかに巻き込まれそうな嫌な予感はするが……、いまはそんなことを思っていてもしかたがない。未来の心配をしている余裕など、いまの俺にはないのだ。
ふと、いまさらながら不思議に思ったが――ミラの瞳の色が昨日と違う。黄金色だったはずなのだが、いまの彼女の瞳は黒だ。
俺が、じっとその目を見ていると――
「……ボクの顔になにかついてるのかな?」
ミラと視線があった。彼女の顔が、ほんのり赤くなっている。
「――っ! え、いや」
俺は動揺してしまった。相手が子どもの姿をしているとはいえ、顔を赤らめられると、こっちまで恥ずかしくなってしまう。
「ふふふ、純情だねぇ、アルバートくんは」
ミラは口に手をあてながら、くすくすと笑う。
くそっ、顔を赤らめたのはわざとか。
「ど、どうして瞳の色が変わってるのかと思ってな」
「ふぅん……」
怪しげな顔でこちらを見てくる。
本当にからかうのが好きな奴だ。
「力を抑えているときは、こんな感じになるんだよ。でも、ボクの目の色が黄金色だということは口外しないでね、ボクからのお願い」
「どうしてだ」
「黄金の瞳はクレセリド王家の証……、もし見つかれば、状況が悪くなってしまうかもね」
なるほど。そういうことならば、たしかにクレセリド王女だということは隠しておいたほうが騒ぎにならないだろう。
「そうか、わかった」
「どうもどうも」
ミラはにっこりと笑いかけた。その無邪気な笑顔は普通の可愛い女の子と、なにも変わらない。
リースという精霊を創ったことで魔力を使い果たし、子どもの姿になってしまい、そのあと魔力を持たない者が生まれてくるまで自分を仮死状態にして、二千年もの時間を超えて生きているなど、想像もつかない。
そして力を失ってなお、さきほどの入学試験の実力。俺より強いティレルよりも、さらに強いかもしれない。
――才能という言葉が、再び俺の心を締めつけた。
こんなところに、これ以上いたくたい。早く次の場所にいこう。
俺が行動を起こそうとしたとき――
「アルバート・イーヴィング、速やかに闘技場、選手入場口まできなさい」
選手の呼び出しを受けた。
おかしい。今日は非番のはずだが。
「ちょうどいいじゃないか。いってきなよ」
肩をぽんぽんと叩かれる。
振り向くと、ティレルがまぶしいほどの笑顔で俺を見ていた。
もしかして――
「おまえ、自分の番を勝手に俺に押しつけたんじゃないだろうな」
「え、なんのこと?」
わざとらしい笑顔だ。
「ほらほら、早くいかないと怒られるよ」
「ちょ、おまえ、それは違反――」
ティレルに背中を押された瞬間、転送魔法をからだにかけられ、選手入場口へと一気に飛ばされた。
背中を押されてバランスを崩したまま転送された俺は、伏せた状態で地面に叩き落とされた。顔面を床に打ちつける。
くっそ……ティレルの奴め……。
「ずいぶんと早かったな」
前から爽やかな音色の声が聞こえた。
顔を上げると、俺のクラスの担任ジェドが立っていた。
「あれ……きょうの番人は先生だったんですか」
俺はからだを起こしながら言った。
「ああ」
番人というのは、闘技場の出場選手の管理や、その場で起こった問題を速やかに収拾するなどの役目を持つ存在のことだ。選手が決闘中にあるまじき行動を起こしたとき、圧倒的な力で制圧する。
また、ほかにも数人の番人が配置されており、いままでに抑えられなかった問題などは学院の歴史上ひとつもいない。彼らの管轄下でなにかを起こそうなど、とうてい無理という話だ。というか起こす気にすらなれない。
「きょうの僕は番人兼審判だ。……ま、君に対して問題を起こす生徒なんて誰もいないだろうけどね」
「それ、どういう意味ですか」
「それじゃがんばってよ」
ジェドの足元に無色の魔法陣、転送魔法が発動し、ジェドは虚空へと消え去った。
まさか先生であるジェドにまでみくびられるとはな。ていうか先生があんな言動してはだめだろう。
俺はいままで、魔法を使えないがために負け続けてきた。だが、きょうは違う。
いまの俺には――リースがいる。
そういえばティレルはリースを使わせるために裏で選手の順を変えたのか?
まあ、いまはそんなことどうでもいいか。
〈零〉の能力を試す――いい機会だ。
ここまでお読み下さり、ありがとうございます。
質問や辻褄があわないところなど、ありましたら感想にておっしゃっていただければ嬉しいです。