三章
「く、そ」
すがるように出口に手を伸ばした。
なにをやってるんだ、俺は……。無様で、かっこ悪くて、あがいて、努力して。それで、ここで終わりかよ。なんだよ。けっきょく、意味なんて無かったんだ。ここにきても、なにも変わらなかった。俺は、こんなにも簡単に壊れてしまう。
いや、そうだ。これでいいんじゃないか。これで俺はもう、努力する必要もない。自分の弱さに、才能に、失望することもない。ここで終われば、俺は救われるんだ。これでいいんだ。これで……。ふと、レイアの笑顔が頭に浮かんだ。ひとつも曇りのない、満面の笑顔。その無邪気な瞳が俺を見つめている。
レイア……。
本当に、これでいいのか? ここで死んで、本当にいいのか? 俺はレイアに約束した。必ず無事に戻ってくると。
それを裏切って。たったひとりの家族を悲しませて。それでいいのか?
いいはずがない。俺はこんなところで、死んではいけないんだ。俺が死ぬことに悲しんでくれる人が、まだ、この世にはいる。
――立てよ。立ち上がれよ、アルバート。あと数歩進むだけで、おまえは死なずに済むんだ。家族のもとに、帰れるんだ。
そうだ。立ち上がれ!
「ああああぁぁぁぁっ!」
俺は自分に言い聞かせ、死にものぐるいで背中にあった岩から抜け出した。
一瞬、痛みがとれた気がした。
大丈夫だ、いける。まだ、走れる。
「らああぁっ!」
俺は壊れかけたからだで全力を振り絞り、駆け、門の向こう側へと跳躍し、滑り込んだ。瞬間――
神殿が一気に崩れ落ちる音が、背後から聞こえた。
地面に寝そべったまま後ろを振り向くと、神殿は完全に全壊してしまっていた。
間一髪、だったな……。
俺は倒れ込むようにして、その場に大の字で寝転んだ。
もう、動けない。
『……バカな人ね』
持っていた太刀から、リースの声が聞こえた。
たぶん、かばったことに対して疑問を抱いているのだろう。
『私を使っていれば、そんなにも傷つかなかったかもしれないのに』
「なんだ、心配してくれてるのか?」
『ちがうわよ。ただ、意味がわからないの。私は武器よ。武器として使われる道具。なのに、あなたは私を使わず、しかもかばったわ。身の危険を冒してまでね』
「……俺はいままで精霊と契約したことなんてないし、ましてや触れたこともない。けどただ、人に痛みがあるように、精霊にも痛みがあるんだって。盾にしたら、痛いだろうってな。なんか、そう思ってしまったんだ。……はは、リースの言うとおり、やっぱ俺はバカなのかもしれないな。死ぬかもしれないってときに、そんなことを考えてしまうなんて」
俺は、虚空に向かって笑った。
『……ふふ、そうね。あなたは本当にバカだわ』
リースは太刀だ。表情はわからない。
だが、いまの彼女は微笑んでる。
なぜか、そんな気がした。
『……少し、握っている手を放してもらえるかしら。あなたの手、熱いから』
「おっと、そうだな。すまない」
『――やっと、外にでられたのね』
俺が太刀を放した瞬間、それは黒く輝き――
気がつくと、見知らぬ少女がそこにいた。
「な……」
少女は背を向けたまま、腰まで届きそうな黒く光沢のある長い髪をうなじからかきあげる。
「だ、誰だよ、あんたは」
いまの俺は動けない。
ただ、そう問う以外になにもすることができなかった。
「あら、あんたとは失礼ね」
少女はその闇色のドレスを翻し、振り向いた。漆のように艶やかな髪が静かになびいた。
胸元にある大きな黒いリボンと、少しつり目がちな瑠璃色に輝く瞳が印象的だった。そのドレスには腰からスカートの裾にかけて、魔法陣をいくつも重ねたように描かれた紫の華麗な装飾が施されている。色素が抜けたような白い肌の手や脚は服装とは対照的だからか、映えて見えた。
「リース……?」
「そうよ。私の名はリース」
たしかに少女が発する声は、リースの声だった。
俺は呆気にとられていた。
「魂を喰らう魔の黒太刀〈零〉の化身であり、地上最強の高位精霊。そして――」
リースは、真剣な表情で言い放つ。
「私は――ある、ひとりの魔導士に創られた精霊よ」
「なん……だって」
リースの、その瑠璃色の瞳は揺るがない。どうやら、本当のことのようだ。
だが、それでも信じられなかった。
精霊を創るのに、どれほど強大な魔力が必要のなのか、想像もつかない。一国すべての魔導士の魔力を注いだとしても、とうてい創れないだろう。
しかも地上最強ときた。
精霊を創るだけでも厳しいものを、それをひとりで、だと?
「信じられないって顔ね」
リースが答えた。
「……当然だろ。必要な魔力の規模がおかしい」
「それでも、事実は事実。私はひとりの魔導士に創られ、およそ二百前に、この神殿に封印されたわ」
「そこの神殿も、そいつが造ったのか」
「ええ、そうよ」
おかしい。おかしすぎる。最強すぎるじゃないか、そんなの。
「じゃあもし、そんな奴がいたとして、だ。そこまでの魔力を持つ奴がいたなら、歴史に残っているはずじゃないか。でも俺は、そこまで強大な魔力を持っている奴の話は聞いたことがないぞ」
「まあ、ね。彼女もそこまで派手なことはやってないし、身分上、あまり人前にでて生きてこなかったから……歴史に残っていないのも、あたりまえと言えば、あたりまえかもしれないわね。それに、まだ生きているし、ね」
「……は?」
いま、なんて言ったんだ?
「お、おい、いま、なんて」
「え? だから、あまり人前には――」
「違う違う、そのあとだ」
「いまも生きてる?」
「それだよ! いや、それだけど、おかしいだろ! 二百年前にリースを創ったんだろ? それだと二百年も生きていることになるじゃないか!」
リースは、きょとんとした顔だ。
「地上最強の精霊を創ったのよ? 別に信じられない話じゃないでしょう?」
じ、次元が違う……。
「どうやら、いまのこの世界の常識と、リースが知っている世界の常識は違うみたいだな……」
俺は額に手をあてた。
と――
「でも、彼女も、もうすぐこの世を去ってしまうのね」
突然、リースは虚空を見つめながら、そう言った。
――この世を去るだって?
「どういう意味だ」
「……そのままの意味よ。彼女は、神殿の維持に自分に残っている全魔力をかけたわ。そして、その魔力の集合体である神殿が崩壊した、いま。彼女のからだはもう、消え始めているはずよ」
「そいつは、この森の近くにいるのか?」
「わからないわ。月のような輝きを放つ銀色の髪と、黄金色の瞳が特徴だということは知っているけれど……力を使い果たして、いまは子どものような姿でいるはずよ」
銀色の髪……黄金色の瞳……子どもの姿……。
まてよ――そうだ。〈影の森〉の前のあの小屋……。
まさか!
俺は立ち上がった。
「おい、そいつの名は?」
「え? もしかして、心当たりがあるの?」
「いいから!」
「えっと、ミラっていう名前だけど……たぶん彼女が誰かに教えるとしても、偽名かなにかを使っているわね」
「それなら、なおさらだ!」
「え、ちょっと、待ちなさいよ!」
そうか。やっぱりそうか。
ミラには、どこか不自然な雰囲気があった。偽名だったんだ。
レイアの前で、ミラを死なせるわけにはいかない。
早くいかなければ、彼女は消えてしまう。
「ちょっと、あなた!」
「なんだよ!」
「もしあなたの見当があたっていたとしても、いって、いったいなにができるというの? あなたには魔法が使えないじゃない!」
「だったらここで寝とけってか? けがしてるから、ゆっくり歩けってか? 俺にはそんなことはできない。消えかけている奴を放っておくなんて、できない!」
「…………!」
黒かった空が青く晴れだしてきた。たしか、ミラ、いや、ミラは神殿の魔力の影響で、森と空が黒くなっているんだと言っていた。だとすると、そうとう時間がないように思える。
「待ちなさい」
「今度はなんだ!」
「そのからだじゃ、まともに走れないでしょう? 私を使いなさい」
「なに?」
俺が走りながらそう言葉を返した瞬間、リースは漆黒に輝く粒子の群れとなり、もとの黒い太刀の姿に戻って、それを俺の手に握らせた。
「な、なんだ?」
『自分が健康な姿を強く想像しなさい。そうすることで、あなたの傷は治るわ』
どうやら、リースは俺に協力してくれるようだ。
彼女がどんな精霊なのかはまだわからないが、それが本当なら、ありがたい。
「傷を治すということは、使用方法は治癒魔法と似ているのか?」
『ええ、ほとんど同じよ。違うところといえば、自分を治す場合は手をあてなくても治せる、というところぐらいかしら』
実質的には普通の治癒魔法より、リースの能力のほうが上だということか。
治癒魔法の使役のコツは、完全に理解している。俺はさっそく、その能力を使うよう意識してみた。
瞬間――
「くっ」
鋭い痛みがからだの中で走った。いままでに感じたことのない痛み。肌やからだの器官の痛みではない、なにか別の痛みだ。
だが、背中の、外の痛みは微塵も感じなくなった。
「な、なんだ、いまの痛みは」
『私の能力は、契約者の魂を代償にして、さまざまな力に変換すること。属性を持つ魔力は顕現できないけれど、属性を持たない治癒や身体能力を高める魔法などは使うことができるわ』
なるほど、そういう能力か。
『――詳しいことは、後にしましょうか。いまは急ぐことが先決ね』
「たしかにそうだな。――じゃ、とばすぞ!」
『えっ』
俺は右足に力を入れ、跳躍した。
あまりの速さに、一瞬、からだが仰け反ってしまった。
俺が普段、全力で走れる速さの千倍、いや、それ以上はでているだろう。
さすがは地上最強の精霊といったところか、能力の強さが半端ないな。
だが、力を使うのが一瞬だったさっきとは違い、痛みは少ないが、魂が持続的に削られていくような痛みを感じる。
『ど、どうして』
「身体能力を上げることもできるって言ったのはリースだろ? 俺は魔法は使えないが、使い方なら熟知している。これぐらいなら訳ないな」
『…………』
そう話しているうちに、森の出口が見えてきた。小道の先に光が差しかかっているのがわかる。あれほどまで時間がかかった道のりが嘘のようだ。
外はもう、朝だった。
俺は急停止し、すぐさま、向かって左側にある小屋へと急いだ。小屋の割れた窓から、なにやら白い光が漏れている。魔力の光だ。
まさか――
俺は駆け、傾いた扉から小屋の中へと入った。
「兄様!」
レイアがいた。そのすぐとなりに、銀髪で黄金色の瞳の少女、ドレイク――もといミラがいる。
彼女は横たわっており、そして消えかかっていた。その存在は薄くなっていて、彼女をまたいで、向こう側の小屋の壁が見えてしまっていた。
触れると透きとおってしまいそうなほどだ。
「その太刀……どうやら無事、リースに会えたようだね」
「ミラ!」
「……ふふ。レイアちゃんのおかげ、かな。こうして、キミとリースが会えたことを、見届けることが、でき、た」
ミラは力尽き、かくりとうなだれてしまった。
レイアがその横で彼女に両手を当て、魔力を送っている。
小屋の外から見えた光はこれだったのか。
「兄様……限界です」
レイアの顔は辛そうだった。かろうじて存在しているミラに魔力を送るのをやめてしまえば、彼女は確実に消えてしまうだろう。
「くそっ、なにかいい方法はないのか?」
時間がない。
すぐに思いついた手段は――ひとつしかなかった。
「リース、力を借りるぞ!」
俺はミラへと近づき、左手を当てた。
『なにをするつもり?』
「ミラにかかっている術を解く!」
『え……』
「この小屋に入ってきたときにわかった。魔力の光が俺が近づくほどに、微妙に弱くなっていっている。ということは、リースの能力の中には魔力を無効化する力もあるはずだ!」
『た、たしかにそうだけど、いくらなんでも、あなたのからだがもたないわ。ミラがかけた魔法よ? 解けるはずがない』
「そしてリースを創ったのも、そのミラだろ?」
『……っ! そ、そうだけど』
その後にもリースがなにかを言っていたように思えたが、俺はもう、ミラの魔法を解くことに集中した。
左手に全神経を注ぐ。
「――いくぞ」
瞬間、俺の左手から、紫の透きとおった魔力が流れ出た。俺はそれを操り、ミラを包み込んだ。彼女の全身から、不老に関する魔力を消し去らなければならない。老化を止めるための魔法は、全身にかかっているからだ。
痛い。俺が自分の傷を治したときと同じ痛み。魂の痛みだ。しかし、いまの痛みは、さっきと比較にならない。
意識が何度もとびそうになる。からだが、きしみだす。だが、ここでやめてしまえば、ミラは消えてしまうだろう。それだけは、絶対に止めなければならない。俺が変われるかもしれないきっかけをつくってくれた恩人を、死なせるわけにはいかない。
俺は、さらにも増して力を入れた。紫の輝きが強くなる。
意識が、さらに遠のいていく。もう、いま自分がなにをしているのかも、はっきりとしなくなってきた――
「兄様!」
そのとき、ふとレイアの声が聞こえた。
*
どのくらい寝ていたのだろうか。俺が目を開くと、白い空間が目に飛び込んできた。
さっきいたはずの小屋とは違う場所だ。
俺は立ち上がって、まわりを見渡してみた。
しかし、どこを見ても、白、白、白。
ただ、真っ白い空間が続くだけ。
――どこだ、ここは。
「生と死との狭間の世界よ」
そう思ったとき、突然、後ろから声が聞こえた。
振り向くと、そこにリースがいた。
太刀の姿ではない、美しい、少女の姿。この白い空間の中では、彼女の闇色の髪とドレスは、よりいっそう輝き、映えていた。
「ちゃんと向きあって喋るのは、これが初めてね」
「……俺は……死んだのか……?」
「いいえ。でも、かなり危険な状態にいるのに変わりはないわ。極度に魂をすり減らしすぎたせいで、意識がこういう世界にきてしまった。私が強制的に能力を抑えなければ、確実に死んでいたわよ」
「……そ、そうだ、ミラはどうなったんだ?」
リースは嘆息した。
「助かったわよ、あなたのおかげでね」
「そ、そうか」
俺は、ほっと溜め息を吐いた。
よかった。俺の努力は、無駄にはならなかったんだ。
「それにしても、本当にバカな人。私のときもそうだったけど、なぜそこまでして他人のためにからだを張れるの。死にかけたのよ?」
リースが問いかけた。
「……死にかけた、か。でもそれって、まだ死んでないってことだよな。傷はいつか治るけど、命は絶対に、もとの形には戻らない。だから俺は他人の命のかわりに、自分が傷を負うことを選んだ。ま、リースのほうは、よけいなお世話だったかもしれないけどな」
俺は肩を竦めた。
「……本当に、あなたって人は」
空間に、一筋の光明が差し込んだ。黄金色に輝く、まばゆい光。
それは一点を中心に、段々と広がっていく。
「もうすぐ、もとの世界に戻れるわ」
「俺は、死にかけてたんじゃなかったのか?」
「ええ。でも魔力を持っていない人の魂は、完全に無くならない限り、一定時間が経つともとの形に戻るの。だから〈零〉の力は、魔力を持っていない人にこそ使役することができるのよ」
「そっか、それならよかった。……これからもよろしくな、リース」
リースは赤くなった顔で、視線を逸らしてしまった。
どうしたんだ? 俺が、なにか悪いことでもしたのか?
「……そうだわ。あなたとの契約の儀式を、交わしてなかったわね」
彼女は、思い出したように言った。
「儀式……?」
「そう。あなたの左手に、私と契約した証拠となる紋章をつける」
「別に、そんなことは後でもいいんじゃあ」
「そんなの、見られたら私が恥ずかしいじゃない」
リースの顔が近い。
「どういう意――」
次の瞬間――
光が空間を包んだと同時に、唇に、なにかやわらかいものが触れた気がした。