一章
世界は自分が思ってるようにはできていない。でもみんな、いつのまにかこの世界に生まれてきて。あたりまえに生きて。あたりまえに、命尽きていく。
そう。世界の条理には、抗えないんだ。この、俺のように。
俺は負けた。
人が千人は入りきれるほどの闘技場。まわりの観客席からは、歓声が上がっている。
そして、そのど真ん中で――俺は、負けた。
喉元に突きつけられた刃と、その現実が俺の心を切り刻む。
負けた。俺は、負けたんだ。それだけが、俺の頭の中に響く。
この勝負が特別だったというわけではない。――それでも。
この学院へ入学してから一度も勝てていない自分が、あまりにも無様で、情けなかった。笑うしか、なかった。
なんで……なんでだよ! 自分が壊れそうになるほどの自分に対しての怒りが、心の中にこみあげてくる。
しかたがない。しかたがないんだ。何度も自分に、そう言い聞かせた。
「ハハハハハ! 無様だな、アルバート・イーヴィング。所詮てめぇは落ちこぼれなんだよ」
「クインジー……てめぇ……!」
「あぁ? なんだその顔は。勝者が敗者を嘲ってなにが悪いっつうんだよ」
こんな……こんな野郎に負けるなんて……!
俺は相手の剣を手で制して静かに立ち上がり、その場をあとにした。
*
「くそっ!」
誰もいない闘技場の選手入場口の通路で、俺は拳を壁に打ちつけた。
情けない自分が悔しい。どうして俺は、こんなにも弱い? 努力はした。剣の腕も、誰にも負けないぐらいに強くなった。その努力を、一日として欠かした覚えはない。それなのに。これが生まれ持った才能ってやつの差なのか?
「アルバート」
俺が考えていると、横から聞き覚えのある声がした。目をやると――この学校、レオネス魔導学院でも上位の成績を誇る――ティレル・メリックが俺のほうを向いて立っていた。濃紺の短髪。キレ長い深緑の瞳。女子からの人気も高いようで、俺なんかとは、まったく別の次元で生きている奴だ。
しかし、俺がここに入学してきたときにできた、最初の友人でもある。
「なんだよ、ティレルか。……俺を笑いにきたのか?」
「そんなわけないじゃないか。単純に君を心配しにきただけだよ。一度も勝ててないから、ヤケになってるんじゃないかってね」
ティレルは得意そうに言った。
おまえに言われると見下されてるようで、ものすごく腹が立つんだがな。
「もういいんだよ、これが現実だ」
俺は吐き捨てるように言った。
「そうやって卑屈になっている姿は、キミには似合わない。あの入学してきたときの自信はどこにいったんだい? あんなにも張り切っていたのに」
「そのときはそのとき、いまはいま、だろ。状況が変わったんだよ」
「キミが魔法を使えないってことかい?」
「……そうだ。いくら剣術が強くても、俺は魔法が使えない。ほかの奴らは使えるのに、だ。ったく、魔法なんかを創りだしやがって、昔のクレセリドの奴らは……」
「それはやつあたりってものでしょ」
ティレルは苦笑いで返した。
「でも魔法がこの世になかったら、俺はいくらでも勝てるっていうのに」
「そんな幻想を持つだけ無駄だよ」
「ふん……それなら、勝てないのも無理ないだろ」
しかしティレルはあごに手をあて、神妙な表情に変わる。
「でもキミは今年中に魔導の単位をとらないと、留年して、グラッドさんから手放されるんだよね?」
「……っ! どうして、それを」
そのことは俺と妹と、グラッドしか知らないはずだ。
「このままだと、君の妹にも被害が加わるんじゃないのかな?」
おまえ、どこまで俺の事情を知ってるんだよ……。ま、事実は事実だし、こいつのことだ。知っていても他人には口外しないだろう。
「……いや、捨てられるのはたぶん俺だけだ。妹のレイアは飛び級しているうえに学院長や先生らにも期待されている。出世する確率大のレイアを、グラッドがみすみす手放すはずがない」
「……で?」
「なんだよ」
「キミは捨てられてもいいのかい?」
こいつ……何回、俺に同じこと言わせるんだよ。
「さっきも言ったが、これが現実だ。才能だ。抗おうがなにをしようが、変えられやしない。捨てられるのが俺の現実で、運命なら、受けいれるしかないだろう? 三年前の戦争で親父とお袋が死んだときから、こうなる運命だったんだよ」
これ以上、努力しても何も報われない。それならせめて、早く終わらせたほうが――
「兄様」
「うわっ!」
後ろから急に声をかけられた。――と、この声は。
「それじゃあまるで、父様と母様が悪いみたいじゃないですか?」
俺の妹、レイアだった。背中までかかる、さらさらとした金色の長い髪。思わず吸い込まれそうになる、澄んだ鳶色の瞳。からだはまだ華奢で幼く見えるが、その雰囲気からは立派に気品が香りたっている。
純白の生地に黒いラインの入った上着とスカート。胸元で映える真っ赤なリボンは服装全体の雰囲気を引き締めるかのように結ばれている。レオネス魔導学院の制服だ。
いつもながら手本のような着こなしをしている。
「びっくりした……、どこからでてきたんだ」
「そんなの、どこでもいいです」
どうやら怒っているらしい。つん、とした態度だ。眉がいつもより逆立っている。
「そう怒るなよ。いまのは俺が悪かったよ」
「ふーんだ」
俺なんかよりもずっと両親を尊敬しているレイアにとっては、さっきの俺の言葉は思った以上に気にさわってしまったようだ。
「その子が君の妹かい?」
ティレルは興味深そうに彼女を見ながら、俺に聞いてきた。
「ああ、そうだけど……。会ったことないのか?」
「いやぁ、何度かは遠くで見たことあるけど、こんなに近くで会ったのは初めてだね」
レイアは、なめまわすように自分を見ているティレルを不機嫌そうに睨んだ。
「……ちょっと。顔が近いです」
ティレルは彼女のその様子に気づき、
「おっと、ごめん、ごめん」
と言って、彼女から離れた。
「それで? 俺に何か用か、レイア」
「兄様が負け続けているので、生きることを放棄しようとしてないかと、心配しにきたんです」
レイアもティレルと同じ理由かよ……。
「さすがに生きることを放棄するのはないにしても、グラッドに捨てられるのは覚悟しているな」
彼女は「やっぱり」と、あきれたように言った。
「それじゃあ、生きるのを放棄したのと同じじゃないですか。あの人以外に、頼れるところなどないでしょう?」
「そりゃあそうだけど……。じゃあ、どうしろっていうんだよ」
「最後まで、あきらめないことです」
あきらめない……だと? 俺はいままで、そうして生きてきた。あきらめなければ報われると。だが、現実はどうだ。この半年間努力してきた俺に対して、こうも冷たくあたってくる。レイアのような天才には、敗北の二文字しか知らない俺の気持ちはわからないだろう。もちろん、ティレルにもだ。
今度はそのティレルが「それにね」と置いてから俺を説得しにきた。
「留年といっても、なかなかできるものじゃないよ。初級の魔法さえ扱うことができれば、とりあえず二学年には上がれるからね」
どうしてこいつらは、こんなに俺を説得しにくるんだ。俺なんか説得しても、なんの得にもならないってのに。
「……その初級の魔法すら使えないってことは、捨てられてもしかたないってことだろ」
「でも、一年生になってから半年もたってないですよ。あきらめるにしても早すぎるんじゃないですか?」
レイアが口をはさんできた。
たしかに、彼女の言うことにも一理はある。
だが時間が経つにつれて、俺の首は絞められていく。後になればなるほど、短期間でとらなければならない単位が増えていくからだ。もしいま魔法が使えるようになったとしても、半年の遅れをとり戻せるほどの才能が俺にあるとは思えない。
ならいっそ、早いうちにあきらめたほうが楽じゃないか。努力すればするほど、敗北感が強まっていくだけなんだからな。
「アルバート。キミの剣の腕は先生も顔負けするほど強いし、魔導筆記試験では常に満点近くの成績を修めているそうじゃないか。つまり、魔法に関しての知識は、十分すぎるほどにあるんだ。それで魔法が使えないのは、おかしいとは思わないかい?」
ティレルが言っていることは、俺が以前から思っていた疑問だった。
「そりゃあ、おかしいとは思うさ。けど実際どんなに知識があっても、使えなければ意味がないだろ」
「でも魔法の扱いかたがわかっていて使えなかった人は、この学院の歴史上いないらしいんだ。歴史が浅いっていうわけでもないし、僕自身、そういう話を聞いたことがない。だいたいそういう特異な情報は、すぐに僕の耳に入ってくるはずだ」
そういえばティレルの両親は情報屋をやってるんだったな。
「それで、これは僕の考えなんだけど……。キミにはなにかしらの枷というか、そんなものがあるんだと思うんだ」
枷……? そういうふうには考えたことがなかった。
いままで魔法が使えないことを補えるほどの剣術を身に着けることだけを考えていた。もちろん、なにかの魔法は使えるかもしれないと知るだけの魔法は使おうとしてきた。魔導筆記試験の成績が高いのはそういう努力をしてきたからだが……。
「ある魔法の専門学者によると、両親から受け継いだ遺伝子の関係で、魔法が使えない特殊な子供が生まれてくることがあるらしい」
遺伝子……?
「それが俺だっていうのか?」
「いや、それはまだわからない。さっきも言ったけど、いままでにそんな例があったとは聞いたことがないし、これはひとりの学者の推測であって絶対という保証はどこにもない。ただ、いま僕に思いあたる可能性はそれしかないんだ」
ティレルは情けなさそうに首を横に振った。
「じゃあ、枷っていうのはなんなんだ。もしそんなものがあるなら、とりはずすことができるんじゃないのか」
「たしかにそんなものがあれば、ね。いまのところ、なぜキミが魔法が使えないのか、明確に説明することはできないかな」
「……そうか」
「ごめん、力になれなくて」
「一年B組、ティレル・メリック。速やかに闘技場、試合会場まででなさい」
会話に割って入るように、先生の声が通路に響いた。
「……どうやら、僕の出番のようだ」
ティレルは踵を返し、闘技場、選手入場口へ向かっていく。
それから「あ、そうだ」と思いだしたかのように声を上げ、顔だけ俺のほうに向けて告げた。
「僕の知り合いに物知りな人がいるんだ。名前はドレイクで通るから〈影の森〉の正面にある、小屋を訪ねるといい。彼は造詣が深いから、もしかすると僕でも知らない情報を持ってるかもしれないよ」
ティレルはその白い光の中へと足を踏み入れていった。
*
「枷……か」
夕刻。
俺はレオネス魔導学院からの帰り道で、ティレルが言っていたことについて考えていた。
――〈影の森〉にある小屋を訪ねるといい
希望を持っていいのか、それともいままでのように無駄に終わるのか。はっきりとはまだわからない。
「兄様……〈影の森〉にいくんですか?」
俺が考え込んでいたからか、レイアが顔を覗きこんできた。その澄みきった蒼い瞳は不安げに揺らぎながら俺のほうを見つめている。
……いや、そうか。もし俺が留年してレイアのもとを離れてしまったら、また彼女はひとりになってしまう。きっとそれを不安に思っているに違いなかった。
もともとレイアは俺の実の妹なんかじゃない。五年前、俺が十一歳のときに道ばたで気絶していたところを俺と親父が助けた。家で目が覚めたときにはすでに彼女の記憶は無くなっていて、お人よしだった親父がそのままひきとったのだ。そしていま、その両親もいなくなっている。俺までいなくなったらレイアは完全にひとりぼっちになってしまう。
……やっぱりこのまま俺があきらめてしまうのは、あまりにもレイアにとって酷になるかもしれないな。
「兄様?」
「……いく、か」
レイアの目が見開いた。
「えっ、どこに?」
「〈影の森〉だ。ほかにどこがあるんだよ」
「ええっ」
「なんだよ」
「兄様のことだから無駄だとか言って、いかないと思っていたのに」
「……ただの気まぐれだよ」
レイアの表情が、少しだけやわらかくなったの気がした。
普段は強がっているが、彼女はひとりの女の子であり、誰がどう言おうと俺の妹なんだ。俺はもう少し、俺がいなくなることで悲しむ人のことを考えないといけないのかもしれない。
俺はまだ、独りじゃないんだから。
*
「――ほら、見えてきましたよ」
太陽は地平線へと姿を隠しつつあった。
レイアが指を差した向こうのほうに、薄暗い、奇妙な森があるのがわかった。その森はとてつもなく広大で、遠くから左右を見渡しても、ただただ同じような影のように黒い木々が立ち続くだけだった。
「あの森の入口あたりに小屋があるんだよな」
「はい。あの女ったらしの人によるとですけどね」
……やっぱレイアはティレルのことを嫌っているみたいだな。まあもともと男には警戒心が高いし、人見知りだから、ああいうタイプは苦手なんだろう。
それにしてもこの辺の地方にはあまり来たことがない。家は近いといえば近いが気味が悪く、ただどこかにいくときの近道に通るぐらいだ。
当然、森のまえに小屋があるなど知るはずもない。あんな森に住んでいるなんて、ドレイクってのはかなり変わった奴らしいな。少なくとも俺は住もうとは思わない。
「ここか」
森のまえにあった木造の小屋らしき建物の眼前に着いた。まわりには無造作にはえた草木が生い茂っており、戸は乱暴に開けられ傾いていた。ガラス窓にもひびが入っている。
本当にこんなところに人が住んでいるのだろうか。
「実際にこの森の近くにくると気味が悪いです」
レイアは不安そうに俺の服の裾をつまんでいた。からだが小刻みに震えているのがわかる。
俺は片手でその弱々しい肩をやさしく抱き、
「大丈夫だよ」
と落ち着かせるように声をかけた。
――俺たちは小屋の中へと入った。
「すいませーん」
小屋の中は外見とは違い意外とすっきりとしていた。木で造られたベッドや椅子、机などの地味な家具しか置いてなかったが、これといった荒れたところは見当たらなかった。
だが――
「人が見当たりませんね」
そう、人がいないのだ。どこかにでも出かけているのだろうか。もう日が暮れかけているのに。
「えーと……ドレイク、さん?」
俺はティレルから教えられた名前を呼んでみた。
「はいは~い!」
突然、テンションの高い声が天井から聞こえてきた。だ、誰だ? 俺は弾けるように見上げた。
「その名前を知ってるってことは、ティレルくんの知り合いってことだよね?」
天井に人らしきものがへばりついていた。こちらがなにか喋る間もなく、それはストッと天井から降りてきた。
「いや~、待っていたよ。もうほんと、気が遠くなりそうなぐらい」
男の子だった。身長は俺のへそあたりほど。レイアよりも小さい。どうみても、七、八歳の子供にしか見えない。
布一枚あればすぐにでも作れそうな簡素な白一色のコートを着ていた。
しかし、あまりにも突然すぎて俺もレイアもただ呆けているしかできなかった。
「どうしたのかな~、そんなにぽかんとして」
「……」
「もしかして驚かしすぎた?」
「えっと……ドレイクさん……ですか?」
レイアのほうから口を開いた。
「うん、そうだよ」
こいつがドレイク……? 想像していたのとは全然違うな。そりゃ名前だけでどんな奴かは判断できないが、それにしても……。
「あんた、いったいいくつなんだ?」
俺はいちばんの疑問をもちかけた。
「あんたとはひどいな~、少なくともキミたちよりは年上だよ」
「ええっ、そうなんですか?」
身長は低い。しかも童顔。その黄金色に輝く瞳は、まさに無邪気そのものだ。口調からしても、まったく威厳を感じられない。
これで俺たちよりも年上だって? 聞き間違いじゃないのか?
「なんだいなんだい、ふたりそろってそのバカにしたような目は。ふんっ、いいよいいよ。どうせボクは大人には見えないですよ~だ」
すねた。
「い、いやいや、バカになんてしてないって。あんたの思い過ごしだろ」
「どうだかね~」
完全に子供だ……。もう、子供以外の何者でもないな。
「いま、またボクのことを子供って思ったでしょ?」
そして面倒くせぇ!
「ま、まあ、それはおいといてだな」
「おくんだぁ」
「あんたがドレイクなんだったら聞きたいことがあるんだよ」
俺が無視したからか、ドレイクはあきらめた様子でしぶしぶと本題に乗ってきてくれた。
「それはもう知っているよ。キミがなぜ魔法を使えないのか、でしょ?」
「知ってたのか」
「うん。ティレルくんから聞いているよ」
さすがにティレルといったところか。情報をまわすのが早いな。
「それなら話が早い。あんたが知っていることを教えてくれないか」
「う~ん……たぶん、ティレルくんがキミに説明した以上のことは、ボクにもわからない、かな」
な、なんだと。完全に無駄足だったっていうのか。
「そんな怒らないでよ。説明はできないけど、導くことなら、ボクにもできる」
「導く……だと」
「そのためにティレルくんはボクのところにキミをよこしたんだからね」
ドレイクは割れた窓ガラスから小屋のすぐ外にある道を指さした。
「あの道を辿って森の奥にいくと、ある建物があるんだ」
ドレイクはヘラヘラしていたさっきまでとは違い、うって変わって真剣な表情だった。
「その建物の中に入ると、ある刀がある。それを取ってくればいい」
「それは……いまの俺を変えることができるものなのか?」
「もちろんだよ。得はあっても、損はしないはずだよ」
それは、いままでのように気休めの思いすごしにならないのか。無駄にならないのか。聞いた瞬間、そういう言葉だけが俺の頭を駆けめぐった。
ふと横でひっついていたレイアのほうを見た。彼女は俺の視線に気づき、ふっと微笑んでくれた。そんなレイアの顔を見ていたら、そんな後ろ向きな思考も吹き飛んでしまった。
……どうやら俺には、悪いあきらめぐせがついたらしいな。
「なにもしないよりはまだマシ、か」
「いくんですね」
いこうとした俺の手をレイアがつかみ、ひきとめた。
心配しているのか……?
「ことわっておくけど、レイアちゃん……だっけ? キミはいっちゃいけないよ」
ドレイクは、またヘラヘラと笑っていた。
「えっ、どうしてですか」
「この森は魔力が強すぎる人が入ると、たいへんなことになるんだ」
「た、たいへんなこと?」
「うふ、うふふふふふふふふふふふ……」
怖ぇ! 目は笑ってないのに、口だけ笑ってやがる。
「で、でも」
「いいから、ボクのいうとおりにしておきなよ。別にキミを襲おうってわけじゃないし」
「もし襲ったらぶっ飛ばすぞ」
「あはは、妹想いのお兄さんだねぇ」
こいつ……、俺を煽っているのか?
「いってきなよ、お兄さん。レイアちゃんのことは心配しないで。これでもボクはとっても強いんだよ。たぶんキミたちふたりがかりでやっきても、傷をひとつもつけられないってぐらいにね」
ドレイクは得意げに言う。
「本当かよ……」
「人は見た目で判断してはいけないって、お父さんかお母さんに言われなかったかい?」
「あいにく、そんな教育は受けていないもんでな」
「……ふふ、なんなら証拠としてレイアちゃんを襲」
「ぶっ飛ばそうか?」
「やっぱりやめとこうか。お兄さんが恐いしね」
ドレイクは冗談というように、くくく、と笑った。
「じゃ、お兄さんも早くいきなよ。道を辿っていったらつきあたりにあるからさ」
「……ああ」
こいつには、つきあいきれない。
「ちょ、ちょっと待って、兄様」
レイアはまたさっきと同じように、俺をひきとめた。
「な、なんだよ」
「朝まで待ったほうがいいんじゃないですか?」
「いや、どちらにしてもこの森に昼も夜もないし、それだと、あしたの学校にも遅れるだろ」
「で、でも……」
どうやらレイアは、まだ心配が抜けないようだ。……無理もない、か。〈影の森〉の奥というのは、あまりいいうわさは聞かないからな。
俺はしゃがんでレイアの背丈にあわせ、その肩に両手を置いた。
「レイアは俺のこと、どう思ってる?」
「……え?」
「頼りになる奴だと思ってるか?」
「……はい、努力家で、自慢の兄様ですよ」
「それじゃ、信じていてくれよ。俺は必ず戻ってくる。俺はレイアがいる限り、絶対に死にはしない。それに俺だって、そんじょそこらの獣ごときには、そうそう負けるつもりはない。だから、ここで待っていてくれないか」
「……」
レイアは黙り込んだ。
きっと俺がいってしまう不安と、信じたいという想いが心の中で葛藤しあっているのだろう。
しばらくしてから――
「……わかりました。兄様がそこまでいうなら、待っていてあげます」
彼女は少し寂しげに、ふふっと微笑んだ。
「素晴らしい兄妹愛だね~」
「ちゃかすなよ」
俺はドレイクに向かって、ははっと笑ってやった。
「じゃあ、いくか。……と、ドレイク、おまえはこないのか?」
「レイアちゃんがいるし、ボクはここに残ったほうがいいでしょ」
「そうか」
一本道を突き進んでいったらいいだけだし、道案内も必要ないか。
「じゃあドレイクもおとなしくしてるんだぞ」
「……なに? その子供をしつけるお父さんみたいな発言は」
「ま、気にするなよ」
「気にするよっ」
やっぱこいつは子供だな。
〈影の森〉の奥――そこに関しては、うわさぐらいしか聞いたことがない。
果たしていまの俺を変えることができるものが、この現実を、運命を、変えることができるものがそこにあるのか、正直いってまだ不安だ。
それでも生きるために、俺はその可能性にかけてみようと思う。
妹のレイアのためにも、な。