【コミカライズ】わたくしの幸せは、今ここに
「我が皇家の忠実なる家臣、浅羽家の桜花姫よ、急な話ではあるが隣国、世那へ嫁いでくれ」
感情を感じさせない平坦な声が、わたくしの頭上に降ってくる。
深く頭を垂れたわたくしには見えないけれど、きっと皇様のお顔もこの声のようになんの感情も宿してはいないのだろう。
先代が急逝された途端、わたくしよりも想う方が出来たと一方的に婚約を反故にされてから半年、皇居に昇る事も況してやこのように招喚される事もなかったというのに、突然どうしたのかと思えば……まさかこんなお話だなんて。
ばかみたいね。
ほんの少し、ほんの少しだけ期待してしまった自分を嘲笑う。
今日はわたくしの誕生日だったのに、そんな無体な事を仰るのね。それとももう、皇様はわたくしの誕生日など覚えてもいらっしゃらないのかしら。
本当に、ばかみたい。
もしかしたらって、貴方からかつて贈られた桜の簪を、帯留めを、かさねを身につけてきたというのに。
わたくしの名にちなんで下さった贈り物も、わたくしの誕生日がこの桜咲き乱れる季節であることも、貴方にとってはきっともう、どうでもいい事なんでしょうね。
わたくしが密かに悲しんでいる横で、お父様もまた肩を震わせていた。
「皇、それはあまりにも……!」
どうやらこの婚姻の話はお父様も知らされていなかったようで、声に驚愕の色が見て取れる。
「浅羽殿、貴殿にとっては不服であろうが、これはもう決定事項なのだ。世那国の皇子が桜花姫を強く望んでいる。我が国へ侵攻しない条件が、彼女を嫁す事なのだ」
「なんという……!」
絶句するお父様に、皇様はさらに畳み掛ける。
「桜花姫、君とて民を戦禍に巻き込みたくはないだろう?」
ええ、もちろんよ。
そんな風に民を人質にとったような言い様をしなくとも、嫁ぎますわ。
愛していた貴方に駒のように扱われるのは悲しいけれど、皇様に一方的に婚約破棄され邪険にされているわたくしにはもう、この国に居場所なんてないのですもの。
そんなわたくしが貴方と民のためになれる道があるのなら、喜んでそれを選ぶわ。
「……わたくし、世那国に嫁ぎますわ」
お父様が弾かれたようにわたくしを見てくるけれど、わたくしの意思はゆらぎませんわ。わたくしが皇様に袖にされたことで、お父様のこの国での立場も苦しくなっているだろう事くらい、わたくしとてわかっているのです。
わたくしが隣国へ嫁げば、少しは名誉になるでしょう? それに。
「皇様の……この国のお役に立てるのでしょう? それならば構いません」
「桜花!」
「いいのです、お父様。わたくし、少しでも皇様のお役に立ちたくて色々と学びましたけれど、結局何のお役にも立てませんでしたから。わたくしが嫁すことで戦火もなく、和平が結べるのでしょう? 考えるまでもありませんわ」
「しかし」
「浅羽殿、先方は希望があれば浅羽殿も相応の待遇を以って迎えると言っておったぞ」
「……なるほど。某ももうこの国には不要と、そういうわけですな」
フ、と小さくお父様が笑いを漏らす。
そうですわね、先代が亡くなって口煩く言うのはもうお父様くらいですもの。皇様にとってはお父様も目の上の瘤のように思えていても仕方のない事かもしれませんわね。
「そうは言っておらぬだろう、先方の言を伝えたまでだ」
「……皇、娘の事はお任せ下さい。世那国に侮られる事がないよう、某が側で導きましょう」
ああ、お父様は見切りを付けてしまわれたんだと、そう思った。
皇様にも、この国にも。
それでも皇様は意にも介さない。いいえ、どちらかというと望み通りになったとそう思っていらっしゃるのか。
深く首肯いて「頼んだぞ、浅羽殿」と言葉をかけるその顔は安堵に満ちていた。
「それでは早速準備に入りますゆえ。行くぞ、桜花」
さっさと御前を辞そうと促してくるお父様に目配せし、わたくしは最後にひとつだけ心の内を言葉にした。
「さようなら皇様。ずっと……ずっと、あなた様をお慕いしておりましたわ」
驚いたように目を見開いた皇様のご様子に、少しだけ溜飲を下げて、わたくしは御前を辞した。
世那国の若き皇子、遥人様に嫁ぐために。
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本当に、知らなかったのだ。
彼女が……桜花が私を好いてくれているなんて、ただの一度も想像したことがなかった。
桜花は私を蔑んでいるのだと、あの日までずっとそう思っていた。
幼いころから彼女はなんでもよくできた。努力家で、勉強はもちろん琴や舞といった芸事もなんなくこなし、文や倭歌は才気に溢れていたし、香合わせや生花も嗜んだ。その上武術や馬術まで一切手を抜かない。
苦手な事でも最終的には私よりもよほどうまくやれるようになる彼女は、常に私の羨望の的でもあり、劣等感の源だった。
私が出来なくても手を抜いても、彼女は何も言わなかったし、むしろ私と会うたびに「わたくし、すばる様のためにがんばりますわ」と誓う笑顔が憎かった。
これ以上頑張るつもりか。
今だって追いつけていないのに。
私が出来ない分を補填するとでもいいたいのか。顔は笑っていても、どうせ心の中じゃ私を蔑んでいるのだろう?
そんな暗い気持ちが渦巻いて、いつしか私は桜花が嫌いになっていた。
だからこそ、桜花と正反対の夕陽に出会った時には一瞬で恋に落ちた。私を頼る目が愛らしかったし、すぐに涙ぐんで俯いてしまう頼りなさを愛しいと思った。
今でもそれは変わってなどいない、夕陽は私の愛しい妃であり一緒に民草を守る同士でもある。
それでも。
こうして季節が巡り桜の花が満開になる度に、私はあの日を思い出す。
寂しそうに、悲しそうに、私に想いを告げてくれた彼女の顔を、声を。思わず凝視した時に揺れた簪は、そう言えば確かに私が贈ったものだった。
あの桜花が、私を好いていたなんて。
にわかには信じられなかったが、勝手に婚約を破棄し他国へ嫁げと命じた私に、彼女は恨み言さえ言わなかった。
そう気付いた時のあの感情を何と言えばいいのだろう。
後悔。
自己嫌悪。
申し訳なさ。
羞恥。
そのどれもがないまぜになったかのような、奇妙な心持ちだった。
それきり、その事について話せるような機会などある筈もなく、彼女と父である浅羽殿は親類までもを引き連れて早々に隣国へ渡ってしまった。
あれからもう、10年もたつというのか。
彼女は幸せにしているのだろうか。
いや、心配するまでもないか。第三子が生まれたという報せは届いているし、世那国の皇子夫妻の睦まじさといえば、もはや我が国の民草ですら知るほどに有名な話だ。
外交手腕に優れた浅羽殿を傘下につけた世那国はこの10年で大きく国力を増した。
軍事に長け、全てを荒事で解決していた野蛮な印象などもはや過去のものだ。今では強大な軍事力を内包しながらも、外交力で他国を圧倒し国家間の調整までもを乞われるほどの影響力を持つようになっている。
桜花姫は外交の場でも力を発揮していると聞く。
その知識。その美貌。穏やかな口調。絶やされぬ笑顔。それでいて結果が実るまで決して諦めずに粘り強く交渉するその姿勢。
世那国の躍進には彼女の貢献も大きいのだ。
彼女を、その父を求めた世那国は慧眼だった。そういう事だ。
自国を顧みれば、私はいつも懊悩する。
けして他国に劣っているわけではない。父皇を早くに亡くし政権の中枢を若い世代に刷新した中で、よく持ち堪えていると言えるだろう。他国に侵略されるような下手も打ってはいないし、概ね友好な関係を築けている。
戦もなく飢饉もなく、民草の生活はそれなりに安定している。
そう、及第点なのだ。
それもこれも学生時代から強く私を支えてくれた友と妃が、惜しみなく力を尽くしてくれているからこそだ。
それでも。
この桜を見る度に、どうしても思ってしまうのだ。
もしも彼女と……桜花と造ったならば、この国はどんな風に育ったのだろうかと。
勝手な話だ。
自ら嫌って遠ざけた。彼女の気持ちも考えず、裏切って傷つけた。あまつさえ、渡りに舟と断れぬ婚姻を押し付け生まれ育った国さえ追い出した。それも、この国を支えてきたと言っても過言ではない父親まで共にだ。
自分の身勝手さに嫌気がさす。
舞い散る花びらを愛でながら、ひとり静かに盃を傾けた。
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この国に嫁いでから、早いものでもう10年の月日が過ぎたのね。
わたくしは今では世那国で3人の子をもうけ、遥人様とも仲睦まじく幸せに暮らしている。
あの最後の時に、なぜ皇様に胸の内を伝えたのかは、わたくし自身にも分からない。
まるで壊れた玩具を捨てるくらいの気軽さで、幼馴染でもあり婚約者でもあったわたくしを切り捨てたあの方に、わたくしにも感情があるのだと訴えたかったのかも知れないし、あの気持ちと決別するためにただ口にしただけかも知れない。
今となってはなぜあんな薄情な方に想いをよせていたのかも分からないというのに、当時のわたくしは本当にどうかしていた。
顔が好きだったのかしら。でも、遥人様の方が素敵よね。
確かに優しげで透き通るような肌の美しいお方だったわ、笑うと周囲まで輝いて見えたものよ。ただわたくしに笑顔を見せて下さらなくなってからはその分とても悲しくて。
遥人様に嫁げと告げたあの日はただ相手を従わせようとする、優しさの欠片すらも感じさせない表情で空恐ろしい程だった。
遥人様は驚くような美丈夫ではないけれど、精悍で男らしいわ。いつだって快活な笑顔で隙があれば遠乗りしたり兵の模擬戦に紛れ込んだり、その奔放さと行動力は皇家の方だという事を忘れてしまいそう。
学院に僅か3ヶ月ほど留学しておいでになった頃には気付かなかったけれど、視線が合うだけで笑ってくださるのが嬉しくて、嫁いで来たばかりで不安だけが勝っていた頃はどれだけその笑顔に助けられた事か。
安心できるって、素晴らしい事だと思うの。
「何を考えているんだい?」
ニカッと愛嬌のある笑みをみせる遥人様。とても三児の父だとは思えない、朗らかな笑顔。
「幸せを噛み締めていたんですわ」
「へえ、そりゃ良かった」
目を細めて髪を撫でてくださるのが心地よくて、わたくしの頬も自然にほころぶ。目の端で揺れた自分の影に僅かな違和感を覚えてよく見れば、髪に新たな影が増えていた。
思わず髪に手をやれば「おっと」と遮られる。
「触るなよ、取れちまう」
「何?」
「桜。綺麗だったからさ」
「まあ、お生花?」
「ああ、今満開だからな、そこの枝から貰ってきた。そうしてると桜の精みたいだぞ、似合ってるからしばらくそのままにしとけ」
笑ってしまった。
この人の桜の簪は、その辺から取ってきた枝なのだ。でもそれが、最高に嬉しいのだから仕方ない。
「おかーさまー!見て、ちょうちょー」
「あのね、さっきお花のみつ、吸ってたの」
遥人様を追いかけるように、わたくしの可愛いちびちゃん達が危なっかしい足取りでまろびくる。
ちょうちょが、はちが、と見つけたものをいちいち一生懸命に伝えてくれるのがなんとも可愛らしい。
きっとあの国では得られなかった幸せなのでしょう。この穏やかで、温かい日々に感謝する。
「やっぱり、わたくし……幸せですわ」
覗き込んで来た遥人様に、わたくしは満面の笑顔を見せた。
少しはしたないかしら。でも、そんな事くらいで怒る方ではないもの。
案の定、遥人様は真っ白な歯を見せて、わたくし以上に破顔した。その嬉しそうな顔と言ったら!
真っ青な空の下、満開の桜が咲き誇る。
「咲くも風流、散るも風流、ってな。綺麗だなぁ、一杯呑むか!」
「ボクもー」
「ノドかわいたよぅ」
「え……んじゃ、お前達にはとっときの甘〜い果実水やるから、じいじ連れて来い。酒盛りだって言ってな」
手を取り合って駆け出した小さな姿を見送りながら、わたくしの唇は自然に笑みを作っていた。
「着てろ、まだ少し冷える」
そしてわたくしの横には、いつもこの温かい笑顔。
そう、わたくしの幸せは、確かにここにあるのだ。
『春』『和モノ』という萌える企画だったので思わず参戦してしまった思い出の一作です。楽しんでいただけると嬉しいのですが。。。
もしお気に召したら、下↓↓↓のリンクの作品も読んでみていただけると嬉しいです(^^)