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八 困ったさん何を


 挑戦を受けて、私は何を得たのでしょう。


 相変わらず、黒いリボンと上衣姿で登校しておりますし、刃物の閃きはやはりこわく感じます。毎朝の鍛錬に、伯母様からのお小言も当然で。

「また逃げ回っているわ、本当に黒ウサギみたいですこと」

 下級生からの、耳に痛い言葉も同じですけれど。

 それでも。

 少しだけ息がしやすくなった、そんな気がするのです。



 兄様がお帰りになる。

 そんな嬉しい連絡がございました。

 まあ幾日ぶりでしょうと、鼻歌を歌いながらご夕食を準備してしまいましたが、お許しください。だって嬉しいのです。

 兄様のお好きな物をあれもこれもと考えている内に、少々作り過ぎてしまいましたが、いいのです。

 兄様に喜んで頂けるなら。


 そうして玄関の開く音に飛び上がって出迎えましたら、兄様の後ろには父様がいらっしゃったのです。えええ嬉しい。

 こんな良い日はありません。

「ああ、長く留守にしてすまないな。セシカ」

「お帰りなさいませ、父様」

 嬉しくてにこにこが止まりません、はっ、伯母様に見つかれば怒られてしまいます。お顔を引き締めないと。

 む、できませんでした。

 父様は私の頭に大きな手を置いて、そして頭頂部で結んだ黒いリボンに視線を向けて、口元のお髭をむむむと動かされました。

「セシカ、後で来客がある。夕食に誘ったのでそのつもりで用意してくれ」

「はい」

 お客様ですか、珍しいです。

 でも多めに用意しておりましたから大丈夫です。

「父上と僕は伯母上に話があるから、頃合いを見てお茶をくれないかな」

「はい、兄様」

「…茶菓子も頼む」

 何かお作りします、父様。


 など、完全に舞い上がってしまいました。

 またしても私はお聞きしませんでした。来客はどなたでいらっしゃるのか、何のご用事なのかと。

 ああ、マナハラ様の時もお名前も伺わなかったのに。

 私って、やっぱり残念な子なのでしょうか。


 そろそろ頃合いかしら。

 難しいです。

 伯母様のお部屋に続く廊下で、機会を計りながらお盆を片手にうろうろしておりますと、がらりと扉が開きました。

「セシカっ、お茶はまだですかっ」

「ははははい」

 お、遅すぎましたか、申し訳ありません。

 お茶をお持ちいたしますと、お部屋には難しいお顔をされた父様と、無表情の兄様、そして般若、いえ怒り顔の伯母様が。

 言葉もなくしんとしたお部屋には、かちゃかちゃと湯呑が机に当たる音だけが響きました。

 あの、どうなさいましたか。

 父様の前に長芋を使った蒸し菓子をお出しすると、大きな手でむずっと掴まれて、ぽいとお口に放り込んでしまいました。

 えっと楊枝は、必要なかったですか。そうですか。

「ともかく、伯母上、相手はもう間もなく到着しますから」

 お話しの内容に意味が分からなくて、首を傾げていますと兄様は、気にするなという目を向けて下さいます。

「セシカ、わたくしは今日の夕食はこちらで頂きます。運んでちょうだい」

「え、ででも、伯母様。せっかく父様も兄様もいらっしゃいますし」

「分かりましたね」

 は、はい。


 どうなさったのでしょう。


「失礼いたします」

 玄関先から声がして、お客様がいらしたみたいです。

 襷を外して玄関までお出迎えいたしますと、軍服さんが敬礼されておりました。暗がりになっていてお顔ははっきりしません。

「どうぞ、お上がりください」

 そう勧めると、右手で深緑色の軍帽をお外しになられ、抑えられていた長めの前髪がはらりと落ちました。綺麗な額を少し隠して。

 え。

 亜麻色の髪。

「またお会いできましたね、黒ウサギさん」


 どうしてこの方がここに。


 ひどく戸惑いましたが、父様と兄様の元へと案内いたしました。

 その間も鳶色の瞳はずっと私に注がれており、あの、私の気のせいですよね。

 誰かそうだと言って下さい。


「セシカ、メネリック軍曹に酌を頼む」

「…はい」

 父様がおっしゃったように、お客様は夕食をご一緒するようです。

 気が進みません。

 ですが、父様に言われてしまってはお酌をしない訳にはいきません。

 席を立って、ええ、この席順も大変不本意です。父様や兄様、お客様の席には、普通、私は同席致しません。それもお客様の目の前の席だなんて、兄様がそこに座るようおっしゃったのですが。

 何故。

 あの、お酒を零したりしませんから、視線をお外し願えませんでしょうか。

「お嬢さんに注いでいただけると、さらにおいしく感じますね」

 …気のせいです。

 ほんの少し温めたこのお酒は兄様がお好きな銘柄なので、ここはさっさと撤退して、兄様の元に参ります。それでも鳶色が追ってくるので、うう、居心地の悪さに厨房へと逃げ出しました。

 何がそんなに楽しいのでしょうか。

 私はちっとも楽しくありません。


 ところが。

「まあお嬢様、そんな事は私がしますよ。早くあちらにお戻り下さい」

 マツさんに背中を押され追い出されてしまうのでした。え、待って、もう少しだけここにいさせて下さい。


 勿論、私の願いはいつだって叶わないのです。


 しぶしぶ席に戻りましたが、右目の下のほくろを動かして目を細める人がいては、一瞬でも頭を上げることができません。

 はあ。

 目の前のお皿に盛りつけたお芋の煮っ転がしが痛んでいたのでしょうか、胸がもやもや致します。

 ああこうなっては、この状況の分析に取かかざるを得ません。

 意識して避け続けていたのですが。

 父様と兄様が揃ってご帰宅し、男性の来客、それがミレイ様の思い人で私は苦手な感じで、ああそれはいいとして、仕事の話題もせず和やかに談笑は続いていて、私の同席。

 これってもしかして、お、おみ…いえまさか。


「少し酔ってしまったようです」

 くしゃりと亜麻色の髪をかき上げられる。ただそれだけなのに何故身を引きたくなるのでしょう。

 何かを発酵しているとしか思えません。

「それでは庭で涼んではいかがかな、セシカ、案内してさしあげなさい」

 は?

 父様、今、何とおっしゃいましたか。酔っぱらいは速やかにお帰りになられるべきだと言ったのですよね、あの案内するようにとは、私の聞き違えですよね。

 い、やで、す。

 兄様とお親しそうなので、お譲り致します。

 そう言えたなら。

 ああ、そう言いたいのに。

「…はい」


 結果から言うと行くべきではありませんでした。

 莫迦、私のばか。


 我が家のささやかな庭は薄闇の中、小さな白い月の光に照らされて、緑の葉が揺れています。風には花の香りがして、ちりちりと優しい虫の声。

「黒ウサギさん」

 この甘い声さえ聞こえなければ、いつもの日常ですのに。

「そんなに離れては話しができませんよ、こちらにどうぞ」

「じゅ十分聞こえます。大丈夫です」

「そんなに警戒しなくても何もしませんよ。まあ、まだ、ですが」

 はい?

 上がった口角に不穏な空気を感じるのですが、一歩どころか三歩後退したことを、どうぞお見逃し下さい。

「どうもあなたは私を嫌いらしい。どこが、かな。顔ですか」

 見逃してはくれませんでした。

 せっかくの距離も、無駄に長い脚にとってはただの一歩でしかなくて、覆いかぶさるようにして覗きこまれては体が固まるしかありません。

「女性には好かれる方だと自負していたのですが。もしかして背丈ですか、あなたは小さいですからね」

 顔の位置を合わせるように屈まれても、あの、こここ困りますから。

「それとも、声、ですか」

 ななな何で耳元で話すのですか。

 甘い声音に汗が噴き出して。

 逃げ出したい、なのに、どうしてだか足が動かないなんて。地面に縫い付けられてしまったみたいなのです。

 もうどうして。

「困りますね」

 困っているのは私です。

 あなたは、言葉とは裏腹にちっとも困っていない様子でいらっしゃいますよ。この、困ったさんめ。


「あなたは私の妻になるのですから」


「妻に避けられるのは困ります、健全なので。聞いていますか、セシカさん」

 ……はっ。

 ええと、私、一瞬だけど失神してしまったみたいです。

 一体何が起こったのでしょう、おかしな言葉を聞いたような、幻聴ですか。ああ、私、疲れているのかもしれません、早く休まなくては。

「黒ウサギさん、どこへ?」

「申し訳ありませんが先に戻らせて下さい、耳が聞こえなくなったみたいなので」

「聞こえないふりとは、はは、なかなかやりますね」

 …聞こえないと言ったじゃありませんか。


 とっとと部屋に戻るつもりでいたのですが、父様に居間に来るよう言い使ってしまいました。

「あの、お茶でも」

「マツが淹れてくれている。いいから来なさい」

 う。

 逃げ場、が、ありません。

 どうしよう。

 どうすることもできずに先程と同じ席に座ると、うすうす予想していた通りの展開が繰り広げられて、たらりと汗が伝いました。


 聞きたく、ありま、せん。

 

「どうかね、メネリック軍曹。不束な娘だが」

「とんでもありません。私の方こそアサツキ少将のお嬢様に相応しくない身分ですので、大事なお嬢様を頂くには恐縮してしまいます」

「何を言う、ニイタカ。軍部での立場は軍曹だが、今だけだろ。お前は本来〈華〉なのだから」

「セーリクの言う通り、メネリック家は高等官僚の家柄だ。釣り合わないのはこちらだな」

「まして妹は世間一般の娘とは違うからね」

「歴戦の軍人をころりと落とすくらいだ。一般的ではないね」

「はは、君もその内の一人だっただろう」

「誰かに盗られやしないかと、ひやひやしたよ」

「では決定でよろしいか」

「ええ、よろしくお願いします」


 決定、って。

 何、を。


「セシカ、こちらにいらっしゃる〈華〉のニイタカ メネリック軍曹が、お前の結婚相手だ」


 …けっこんあいて?


 だって。

 おっしゃったではありませんか、父様は私の幸せを考えて下さっていると。

 兄様、私にはここは合わないのだと。違うそらを選んでもよいと。

 なのに。


 それに。

 この方は、困ったさんですが、私の大好きなミレイ様の思い人なのです。

 この方以外と結婚しないと、皆の前で宣言して、私、応援致しますと言ったのです。ミレイ様は今も数ある縁談を突っぱねていらっしゃるというのに。

 私と、結婚?


 これは悪い夢です。

 ああ、早く目覚めないと。



連日更新できました。明日からはまた不定期です。お読み頂き、ありがとうございました。

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