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七 あなたさえいなければ


「やあ、黒ウサギさん」


 ミレイ様に腕を引かれた先にいらしたお方は、そう親しげにおっしゃられた。

 耳触りの良い甘い響きのお声、眩しいほどの白いシャツ。

 だから、足は止まってしまったのです。

 

 え。


 太陽に輝く亜麻色の髪が、はらりと綺麗な額にかかっています。

 高い鼻梁、やや下がった眦、薄い唇。高い背丈に見合った広い肩幅とそれを支える長い脚。


 が、外国の方でしょうか。


 ぴたりと停止してしまった足が一歩後退した理由は、外国人さんだと気後れしただけではありません。彼を包む雰囲気が、何と表現致せばいいのか甘いというか、大人、な魅力を醸しております。

 右目の下のほくろが頬に合わせて動き、それは煽情的で、どうしましょう。

 何だか近寄りたくありません。


「セシカ?」

 不思議そうなご様子のミレイ様、ごめんなさい、その背中に隠れさせてもらってよろしいでしょうか。

「彼の母君は異国の方だけど、彼は光護国民なの。ニイタカ様、ほら、わたくしの可愛い黒ウサギさんよ」

 失礼な態度の私に嫌な顔をされることなく、くすくすとお笑いになるミレイ様。

 おずおずと挨拶しましたが、声はとても小さくなってしまいました。

「私は〈華〉のニイタカ メネリックと申します。こんな容姿をしていますが怯まないで、父母の違うミレイの兄としてお付き合い下さると光栄です。黒ウサギさん」

 

 このお方が、ミレイ様のお慕いする方。


「もう、ニイタカ様は兄ではないと何度も言っているのに。ね、今日のわたくし、どうでしたか?」

 ミレイ様は私から離れ、彼の白いシャツに包まれた腕に、ご自分のそれをするんと巻き付いてしまわれる。

 むう。

 どうしてでしょう。面白くありません。

 お二人が並んでお話ししている姿は、美男美女で、まさしく神様に選ばれたお似合いの一対に見えます。

 でも、ミレイ様。

 この方は私の事を黒ウサギとお呼びになったのです。いつものように、そう呼んでいいのは我ら同級だけと、怒って下さらないのですか。

「君が素晴らしいのは重々承知しているよ。それより涼しい顔をして、騎射で男子並に得点した黒ウサギさんに目を奪われてしまったね」


 は?


「騎馬上手は〈武〉のセーリク アサツキ殿仕込みですか、セシカさん」

 え、兄様の名前?

 御存知なのですか?

 驚きのあまり、ぱちぱちと瞬きするしかありません。

 鳶色の瞳に私が映されて、さらに甘さを増した声音で名前を呼ばれると、心臓がどくりと震えてしまいます。

 女神様のように美しいミレイ様が隣で腕を絡めていると言うのに、何故、この方の視線は私ばかりに注がれているのでしょう。

 ひどく落ち着かない心地に、ああ、遠くに聞こえた声に縋る事にしました。

「ミ、ミレイ様。あちらで呼ばれています、行きましょう」

「仕方がないわね。ね、ニイタカ様。一緒に帰って下さるでしょう?」

「君の家からテゴが迎えに来ていたよ。ミレイは彼と帰りなさい。送っていきましょうか、黒ウサギさん」

 はい?

「えええ遠慮い、たし、ます」

 何故私を。

 いえ理由などどうでもいいです、早くこの場から去ってしまいたいのです。

「もうテゴったら気が利かないのだから。じゃあまた家にいらして下さる?」

 会話をお続けになっているミレイ様には申し訳ありませんが、普段の私では有り得ない程強引に、背中を押させていただきます。

「ミレイ様、お早く。あの失礼いたします」

「そんな泣きそうにしなくても。ふふ、社交界の綺羅星もセシカには通用しないのね」

 ええ、もう涙目ですとも。


「ではまた、と、そんな脱兎のごとく逃げ出さなくても。はは。こんなに楽しい人とはね、黒ウサギさん」


「ね、素敵な方でしょう、セシカ」

「…は、あ」

「あの通りわたくしを妹扱いするのですけど、諦められないのですわ」

「はあ」

「それにしても、あなたったら」

「はい?」

「ニイタカ様はね、女性にお優しいから大変人気があって、声をかけられようものなら舞い上がってしまう女性も多いの。御容姿に見惚れる人も大勢よ」

「そうですか」

「なのに、あなたったら余りにも素っ気ないのだもの。ふふ、おかしいったらないわ」


 始めて知りました。

 …大人の魅力ってこわい。


「わたくし〈商〉のミレイ カンはここに勝利を宣言いたします。正義はわたくしにありと、響けよ、届けよ光帝様の御元まで」

 白い雲が浮かんだ青い空に、ミレイ様の高らかな勝利宣言が吸い込まれて、たくさんの観客から大きな拍手を頂きます。

 薔薇の様に頬を紅潮させるミレイ様。

 ああ、素敵です。


 なのに。

 あのお方、少しおかしいのではないでしょうか。こんなにも美しいミレイ様にお慕いされているのに妹扱いだなんて、きっと、お病気なのです。

 ふと思い出してしまった亜麻色の髪を、振り切るかのようにして横に頭を振ると、勢いが強すぎたのかくらりと致しました。


「…〈華〉のアイシャ ビムは負けを認めます」

「〈技〉のエイコ イルマも負けを認めます」

 お二人は震える声でおっしゃり、膝を折って謝罪の礼を示しました。そしてすぐに身を翻して、その場から去っておしまいになる。

「…あなたさえいなければ」

 私の横を通り過ぎる時に聞こえた声、それは私の心をぎゅっと締め付けさせるものでした。


「素晴らしかったわ、ミレイ様」

「我が校の薔薇、誇りね」

 同級のみならず下級生に囲まれ賛辞を贈られるミレイ様は、口角を上げて、一人ひとりにありがとうとお答えになる。

 私も頑張ったわねとお褒めの言葉を頂いたけれど。

 でも。

 心は晴れないのです。

「初挑戦、おめでとう。え、セシカ、どこへ?」

「あ、ありがとうございます。あの、ちょっとだけ抜けます」

 どうしても気になってしまい、私はビム様とイルマ様が走って行かれた方向へと足を向けました。視界の端では黒いリボンの先が踊ります。

 おせっかい、それは承知の上です。


 微かな声が聞こえて、その主が驚いたりしないよう、そっと近づきました。

 木造校舎の片隅で、どなたの影も見えない場所で、お二人は身を寄せ合って泣いておられるのでした。ひっくひっくと子どもの様な嗚咽。


 こんなにも悲し気で。

 こんなにも苦し気なのに。

 聞いてはいけないのですか。

 どうしてお二人は泣いておられるのか、助けになるとは思いませんが、お心を吐き出すだけで少し楽になるのではありませんか。

 それも迷惑になるのでしょうか。


「な、何しにいらしたの…っ」

「あ、あの」

 私の存在にお気づきになられたビム様が、涙に濡れたお顔を上げ、きっと睨みになる。

「アサツキ様、あなたさえいなければ」

「あなたがいなければ、勝つのはわたくし達だったのに」

 わたしさえいなければ。

 その言葉は威力を持ち、私を傷つけるには十分でしたが、ここで謝罪の言葉を口にしてもお二人は納得されないでしょう。

 それどころか怒りを買うのは目に見えています。

 慎重に言葉を探さなければ。

「ビム様が勝利して、欲しかったものは何ですか」

 お心に届く問いかけになりますように。

「今、お泣きになる訳は、負けてしまって何が、手に入らなかったからですか」

 答えを期待してはいません。

 敵であった私に素直に心を見せて下さるとは思えません。ただ、ゆっくりと考えて頂きたかっただけです。

「カン様がわたくしの婚約者を盗ったのよ…っ」

 絞り出すような怒りの孕んだ声で、ビム様は訴えます。

「わたくしだけではないわ、エイコ様のお兄様だって」

 小さい頃からお嫁に行くのだと決めていたのに、そう言って大きな声で泣き出したビム様を、イルマ様は抱きしめました。

 泣きながらされたお話を繋ぎ合わせると、ビム様の婚約者はミレイ様を見初め婚約破棄され、イルマ様の兄君もご同様に一方的に婚約破棄し、家族が困っているとのことでした。

 はあ。


 悔しいのは分かります。

 ですが、それぞれ話し合いで何とかなるのではないでしょうか。

 挑戦でないといけませんか。

 ミレイ様はむしろ関係ないのではないでしょうか。

 勝っても負けても、本当に欲しい物は手に入るとは思えないのですけれど。

 ふう。


「わたくしが欲しかったのは、婚約者のお心よ。カン様が負けたら、私をもう一度選んでくれると思ったのよ」


 小さい子どものような、だけど、純粋な思い。


「ビム様、あの、頭を撫でていいでしょうか」

「え?」

 私は兄様に撫でて頂くと落ち着くのです。

 だからお二人にそうして差し上げたかっただけ。

 驚いた顔をされましたが拒否されませんでしたので、私はお二人の傍に立ち、そっと優しく頭を撫でました。

 びくりと戸惑った様子で身を固くされていたのは初めだけで、徐々に解れていくのを感じました。

 お心も。

 だって、ほら、涙は止まったから。


 私の手は、どんな馬も大人しくさせる手だと、兄様のお墨付きなのです。


「ビム様、イルマ様。苦しい胸の内を、私に話して下さってありがとうございます」

 リボンで束ねられたお二人の髪は艶があり、とても手触りが良いのです。

 いい子ね。

 まるで馬のナルに言い聞かせるように、心で囁いて。

 いい子。

「お二人とも、良い子です。だからほんのちょっとだけ勇気を出して下さい」

 ビム様は婚約者に、お慕いしていますと。

 イルマ様は兄君に、冷静になるようにと。

 そうお話ししていただけませんか。

「だって、ミレイ様には思うお方がいらっしゃるのでどちらのお方も選びませんから」

 できませんとお二人はおっしゃいましたが何度も説得なさると、最後には、一度やってみますと返事をなさってくださいました。

「大丈夫、お二人ならできます。大丈夫ですよ」

 

 問題が先送りになっただけで、上手くいったとは思えませんが、私にできる事はこれくらいですよね。神様。 

 取りあえず、お二人の涙が止まったので良かったです。

 瞼を腫らしたお二人に、それでも駄目ならまたお話しして下さいと言って、お別れしました。素直に頷かれるお二人ににっこりと笑顔を贈りながら。


 気が付けば時間はかなり経っております。

 頭上に輝く太陽も、少し傾いて、白い雲を照らしておりました。


「ああ疲れた」

 零れた本音を聞かれていただなんて。

 どうして分かるでしょう。


「すぐにお会いしますよ、黒ウサギさん」

 



お読み頂き、ありがとうございました。

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