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四 神様の差配により

「聞き流せない俺が言うのもなんだが、適当にあしらえ」

 私を助けて下さった方は、そう助言下さって、広間にはお戻りになりませんでした。


 遠ざかる背中。

 同じ様な黒い服に紛れても、その横顔を乗せた背中を、どうしてでしょうか見つけ出せてしまうのです。

 珍しい装いだけが理由ではないような気がします。

 だって、胸がきゅっとするのです。さみしいような、言葉にし難い、この気持ち。

 名前も知らないお方なのに。


 背高さん、もう一度。


 心の片隅で願っても、黒い瞳は一度も私を見ることもなく、視界から完全に見えなくなってしまいました。

 いつしか止めていた息を、そうですよね叶いませんよね、と落胆するように吐いて。

 広間に戻るべく、私も背を向け。

 その時に。

 広い背中がくるりと振り向かれた、なんて、私には知る由もありません。

 再び視線が交わったのなら。


 そうしたら、この先、すれ違う運命は変わったのでしょうか。


「先に引き揚げるご無礼をお許しくださいとのことでした」

 葬儀の続く広間へと戻り、マナハラ夫人に彼の言葉をお伝えしました。今更ですが、マナハラ夫人が私を指名された意図は何だったのでしょう。


「セシカさん、あなたが作ってくれたおはぎだけど、もう少しお塩を効かせると良かったわ。小さすぎますしね」

 おはぎ、食べて下さったのですか。ありがとうございます。えっと、食べやすいようにと思って小さくしたのですが、そうでしたか。

「すみません」

「次から気を付けてちょうだい」

 次?

 首を傾げる私に、次なる指令が下されました。

「イクノの月命日毎に供えて頂けるわね。それにイクノの職場にも持っていくようお願いするわ」

 はい?


 マナハラ夫人は、学生時代からの伯母様のご友人だけあって強引、いえ、押しの強い方でした。


「断る言葉が言えたら、私じゃありませんよね…」

 おはぎを詰めたお重を手に、つい愚痴ってしまいましたが、どうぞお許しください。

 用意周到にもマナハラ夫人は力車を呼んで下さり、ゆらゆら揺らされて、私は一人で軍部へと向かっております。


 光護国国軍本部。


 イクノ様の職場は、父様と兄様がお勤めしている場所でもあります。

 もう幾日も家にお帰りなっていないお二人。

 もしかして、父様や兄様に久しぶりにお会いできるかもしれません。そう思うと、逆らえなくて良かったのかも知れません。

 現金ですよね。


 飾り気のない門と高い塀に囲まれた軍本部は、重厚な造りの建物にありました。

 鏡を見なくても分かるヨレヨレさ、不吉な喪服の女学生。それが私。

 何一つ軍部に相応しくありませんとも、ええ、分かっております。

 躊躇いつつ門番さんに声をおかけすると、怪訝な表情でしたが、内部へと案内して頂けました。父様の名前の効果ですね。

 応接室に辿りつくまで、深緑の軍帽に軍服の厳つい方々とすれ違い、こわくて何度も頭を下げました。

 硬い椅子を勧められても緊張してしまい、厚い扉が音をたてて開いた時には、肩がびくりと震えてしまいました。


 あ。

「兄様」

 敬礼し入室された青年のお顔には、優しい目元を隠す縁なしの眼鏡。

 席を外せない父様の代わりに、兄様が来て下さったようです。嬉しいです。

「セシカ珍しいね、こんな処まで来るなんて。と、どうしたんだ、その姿は」

 見開いた瞳に映る私は喪服姿。驚く兄様に、私は、婚約者がお亡くなりになった事を説明しました。

「は、何。お前が婚約?全然聞いていないよ、僕は。ああ伯母上の仕業か」

 え、兄様は婚約の事を御存知ないのですか。

「全くあの方は相変わらず勝手な振る舞いを。父上にも報告しておくよ。だからお前が毎月面倒な思いをしなくてもいいから」

「でも、兄様や父様にお会いできるかもしれないでしょう。それは嬉しいので」

 月に一回、軍部に訪問なんて、正直、面倒だとは思いますが。

 良いこともありますよと、えへっと笑うと、兄様は子どもの頃のようにぽんと頭を撫ぜて下さる。

「お前は昔から何も言わないけれど、我慢もほどほどに、な」

「兄様」

「うん?」

 兄様こそ。

 辛くても悲しくても我慢する兄様。小さい頃と同じく、身を屈めた兄様の耳元にそっと囁けば、首筋が薄く朱に染まりました。

「兄様、大好き」

「っ、セシカはいつまで経っても子どもだな。お前が幸せになれるよう父上もちゃんと考えている、心配するな」

 はい、兄様。


 兄様は必要ないとおっしゃって下さいましたが、そうもいきません。マナハラ様が所属された部署へと案内して頂きました。

 使命は果たさなければ。

 重い扉の向こうに通されると、十数人の軍人さんが椅子を揺らし立ち上がられました。がつん、踵を合わせた音が部屋に響いて。

 こ、こわい。

 怯むな、私。

「この度の栄誉ある戦死、しかし未来ある仲間を亡くしたこと、我ら心より哀悼の意を述べる。敬礼」

 厳しい声に、私の頭も自然と下がります。

「ありがとうございます。あの、お供えのおはぎなのですが受け取って頂けますか」

 白い口髭のおじ様が、お重を受け取って下さいました。

「大変恐縮なお願いですが、マナハラ夫人の気持ちが癒えるまで、こちらに毎月伺うことをお許しいただきたいのです」

「こんな可愛らしいお嬢さんが毎月訪問して下さるとは、我らは嬉しい限り。むさ苦しい男に恐れを抱かないとは、さすがはアサツキ家のお嬢様です」

 いえ、こわいですけれども。

 習慣でついほほ笑んでしまいました。

 しまった。

 〈武〉はきりっと顔を引き締めるものですよ、セシカ。伯母様の言葉が甦りましたが手遅れです。ええ、もう笑っておきます。

 わっと低い歓声。

「笑った…うわ可愛い」

「俺、女を見るの久しぶりだ」

「あ、握手してもらっていいですか」

「俺も。おい早く退けよ。ああ何だこの柔らかさ」

「次、俺だ俺。うわ、ちっせぇ手」

「……いい」

「おはぎ、うまっ。俺の嫁にな、っいてえ、何するんだてめえ」


 次々に話しかけられて、握手を求められましたが、ええと、何故。

 唖然。


 そんな私には届かない声で、壁際に控えていた兄様が、呟かれていました。

「ずっと大好きな兄様の傍にいるね、昔言った言葉の通り、可愛いいお前をどこにも出すつもりなかったんだけどなあ」

 

 何か考えないと。


 襟首だけ朱色の深緑色した軍服に軍帽、黒の長い革靴。

 どの方も同じ制服をお召しで。

 お顔までは拝見していませんでした。

 この軍部に、兄様の勧めで、二人目の婚約者となるお方がいらっしゃったなんて。夢にも思っておりませんでしたから。


 帰り際に、疑問に思っていた事を兄様に聞いてみました。

「私をこちらに伺わせてどうしたかったのでしょう、兄様、お分かりになりますか」

 試されているのかしら、と思いますが、意図は分かりかねます。

「お前を試すのは間違いないだろう」

 やっぱりですか。

「こんな婚約者がいたイクノ殿は、さぞ素晴らしかっただろうと訴えたいのではないかな。お前はモノサシで、御子息をはかる道具、なのかもね」

 兄様の答えは納得できるような、できないような。

 ええっと、兄様、何故怒っていらっしゃるのですか。


 再び力車に揺られマナハラ家に戻り、無事に軍部へお届けしたことをマナハラ夫人と伯母様に報告しました。

「ご苦労様」

 任務遂行、です。


 そろそろマナハラ家をおいとまする時間になって、私は伯母様ともう一度祭壇に手を合わることになりました。お客様が少なくなりましたので、今度は祭壇近くまで寄ることができます。

 お顔が。

 花に包まれた遺影には、マナハラ夫人にどことなく似た面持ちの青年が写されており、私を見つめています。

 ようやくお会いできました。

 あなたは私を知っていましたか。

 婚約の事、御存知でしたか。

 どんなに問いかけても写真の中の青年は、ただ真っすぐに視線を向けてくださるだけ。お答えは、ついにいただけなかったのです。


 ようやく我が家に帰宅すると、ほっと力が抜けました。

 あああ、やっと終わりました。

「お疲れさまでした」

 マツさんのふっくらした頬に、はしたなくも、お腹はぎゅるっと音を立ててしまいました。ああ、お腹すきました。

 時間に追われた朝は無論のこと、昼食だってまだです。ばばっと喪服を脱いで普段着になって、厨房で見つけたのは、お櫃に遺された冷やご飯。

 いそいそとご飯にお茶をかけたところで、伯母様のお呼び出し。

 えええ、ふやけちゃいます。

「セシカ、女学校ですが」

 泣く泣く俯いていると、かけられた伯母様の言葉にはっとしました。あ、学校のことすっかり忘れていました。

 今日、ミレイ様とリボンを見に行こうと約束したのにと、がっかりしていると、伯母様はため息ついておっしゃいました。

「わたくしが良いと言うまで、あなたは、喪に服しなさい」

 え。

 …モノサシはまだ続くようです。


 

 今日は、不思議な一日でした。


 早めに就寝について、温かいお布団に潜り込むと眠りはすぐに追いついて。

 瞑った瞼の裏は暗く、なのに目を凝らすと光がちかちか瞬いて見えます。大小に幾つも光るそれは。

 それは星。

 ここは海原。


 ざざんと枕を伝って耳に聞こえる鼓動が、まるで波の音のようです。

 三日前に婚約を決められた方に、写真だったけれど、お会いできました。

 もしかしたら、お乗りになった船は沈まず、無事に戦線からお帰りになられて、私が卒業したら結婚したのかもしれません。

 だけど、その未来には、もう、辿りつかないのです。


 諦めた夢を再び見ても良いのだと、神様、そう差配なさったのですか。


 背高さん。


 悪意に満ちた嵐の中、溺れそうだったと夜の瞳でおっしゃった。

 身分がない、と。

 自由だと。

 いつか、あなたと同じ、違うそらの下に。

 行けるかしら。

 望んでもいいのでしょうか。


 眠りの渦はぐるぐると回り、私を引き込むには十分な威力を持っていて。

 もう一度。

 胸に灯った願いはささやかすぎて、泡立つ浪間の向こうへと、消えてしまったのです。


お読み頂き、ありがとうございました。

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