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十九 あなたは私のたった

遅くなりました。そして長いです。


 さすが大〈商〉カン家。

 なんと壮麗な花嫁行列よ。


 名高い一人娘を見ようと大路に集まられた方々の視線は、伝統的な衣装に身を包んだ美しい花嫁に注がれていました。

 決して俯くことなく、きりりとお顔を上げて前を見据えるミレイ様。

 薔薇の花のようなあなたは、今日、ご結婚なさる。


「彼はミレイを一生大切にするでしょう」

 軍曹さんの声に視線を移せば、ミレイ様のお隣には花婿姿のテゴさんが寄り添われています。

「二人はきっと幸せになるでしょうね」

 確かに。

 テゴさんは、ミレイ様が大好きな、とてもいい方です。

 夫ともなれば、きっと今まで以上にミレイ様を大事になさってくださるでしょう。カン家にとっても相応しいのかもしれません。

 でも。

 幸せになるの?本当に?

「ミレイ様は、あなたが好きなのに」

 ぱちん。

 風船のように膨らんだ思いが弾け、もう胸に押し込めていられませんでした。

「そんな言い方は、ひどい、です」

 心からお慕いする方に、他の方と幸せを願われて悲しく思わない人がいるのでしょうか。私ならとても、とても悲しい。

 私たちは家のために存在する人形ではなく、感じる心を持っているです。


「…あなただって同じことを」

 苦し気に囁かれた声の主を、どうして私は見なかったのでしょう。そうしたら。


 そうしたらきっと、それに、と漏らしたりしませんでしたのに。

「それに、一生ではありません…」

 一生、テゴさんと添い遂げるつもりだとミレイ様は考えていないはずです。結婚後早々に離縁なさるとおっしゃったのですもの。

 お心を美しい花嫁衣装で包み隠されて、今。

「一生ではない、とは、どういう意味ですか」

 かちりと軍曹さんの目が光ったように見えました。

「な、何でもありません」

 う。

 よ、余計な一言でした。

 どうか、ごまかされてくださいますように。

 都合の良い願い事をする私に、追及する硬い指がぐっと手首に巻き付きましたが、ま、負けません。振り払うことは敵いませんでしたが、貝のように押し黙りましたとも。


 押し込められた馬車の中では勿論、お屋敷に帰ってからも、さらには夕食の場でも追い縋る視線を外し続けました。

 また喧嘩なさったのかしらと、皆さまの生温かい目が語っておりましたが、な、何でもありませんから。

「何があったのか知らないけど、あんなにニイタカ様が怒ることないわよ」

「そうよ、セシカ。ニイタカ様に謝った方がいいわ。あなたのためよ」

 だって。

 ウルさん、カイエさんのご忠告。

 素直に頷いていれば良かったのです。


 夜も更けまして、就寝しようとしていたところを軍曹さんはやって来られました。も、もう寝巻きなのですが。

「私は婚約者ですよ、構わないでしょう」

 う、か、構ってください。

 強引に中に入られて、距離をとろうと後退した結果、壁際まで追い詰められてしまいました。

「セシカさん。昼間の続きをお話ししましょう」

「な、何のことですか」

 昼間を思い出す低く掠れた声で名を呼ばれ、普段の甘さはどこに置いてきてしまったのですか。体が震えてしまうのですが。

「言いなさい。ミレイは一生添い遂げないと、あなたに言ったのですか」

 硬い指が掴まれた手首に食いこんで、う、放してと振り払おうとしました。でもとても敵わなくて。

「言わないとお仕置きしますよ。ああ、私は本気ですから」

「い、言っていませ」

 私の言葉を最後まで待つことなく軍曹さんは、私の手首を引き寄せて、彼の胸に飛び込むしかない私をぎゅっと拘束したのです。そして右の耳に唇を寄せて。

 かぷりと噛んだのです。

 ひ。

「嘘はいけません。お仕置きです」

 ひい。

 やだやだといくら首を振っても左の耳を食まれ、そして耳のすぐ下にずらして吸い付くような感じがして、ぞくりと粟立ちました。

 うう。

 恨めし気に涙目で見据えても、軍曹さんは意地悪でした。決して腕の拘束をお解きにならず、上手くはぐらかすこともできません。

「離縁すると言ったのですね。ああ、まだ隠していることがあるでしょう」

「か、隠してなんか」

「お仕置きが足りないようですね。では」

「や、やめ。お願い。どうか許して」

「だめです。全て話しなさい」

 軍曹さんが優しいなんて、どうしてそんなこと思ったのでしょう。

 ばか、私のばか。

 必死で隠していたのに、何もかも全て白状させられてしまい、ぐったりと後悔する私をますます抱きしめて軍曹さんはおっしゃいました。

「ウサギの躾は私の役割だと言ったはずです。ああ、私はちっとも構いませんが、首筋は隠しておいた方が恥ずかしい思いをしなくて済みますよ」


 頭を冷やしましょうと誘われた先は、何故だか屋根でした。

 バルコニーから出られることは以前こっそり実証しましたので、手を貸していただかなくても一人で上がれます。

「全く、ミレイもあなたも手を焼きます」

 世にも恐ろしい責め苦をなさった方の言葉とは思えません。

 ああ、熱を持った頬に当たる風の冷たさが気持ち良いです。空一杯に広がる星々も風に瞬いて。

「ミレイの離縁は不可能です。カン家の当主が許すはずもない」

「でも」

 今度は優しく手を引かれ、促されるまま軍曹さんのお隣に腰を下ろしました。お尻を少しずつずらして一人分の間隔を空けることも、成功です。

「ミレイは何も分かっていない。子どもなのです」

 ミレイはカン家にとって跡取り娘、メネリック家の嫁に絶対なれない。彼女が、私が、もしくは双方が家を捨てるなら可能ですが。

 捨てられないのです、私も彼女も。

 諭すように静かにそうおっしゃる。

「特にミレイは贅沢な暮らしに慣れています。慎ましい生活など幾日耐えられることか」

「メネリック家には十分財力がおありでしょう?」

「今は軍部におりますが、私は本来、外交官です。父と同じく異国を転々とするでしょう。けれど、彼女はこの国でしか生きられない。弱い花なのです」

 薔薇は大地に根を張るもの。

 何度も植え替えては、花を咲かせられない存在。


 そして、ミレイ様自身がお知りにならないこと。


「ミレイが本当に心を開いているのは誰でしょう」

 子どもに質問されるように、軍曹さんは優しくおっしゃいました。

 それは、軍曹さん、でしょう?

「違います。物を投げたり罵ったり、どんな悪態もさらけ出し、ありのままの姿でいられるのはテゴの傍にいる時だけです」

 ミレイ様は、ご自身が気付いていないだけ。

「彼女は天邪鬼なのですよ」

 本当の心をすり替えてしまい、自分自身でさえ気が付かなくなってしまった思い。

 テゴさんを、とは、本当のこと?

「彼女はテゴにだけ甘えられる。そしてテゴもまた、そんな彼女を愛しく思っている」

 神の定められた相手だと思いませんか、と、目元をきゅっと寄せてほほ笑まれる。

「この結婚でミレイも気が付くでしょう。だから離縁は有り得ません」


 二人はきっと幸せに。


 大好きなミレイ様、そしてテゴさん。

 そうなったなら、どれほど嬉しいでしょう。


「セシカさん」

 甘さが戻られた声。

 優しく瞬く鳶色の瞳、あなたはまるで空の星が降ってきたみたいな、魔法使いさん。

「神が決めた私の相手は、あなたです」


「私たちが初めて会った時を覚えていますか」

 唐突に会話を替えられて、えっと、今の言葉は。再び頬に集中した熱はどこに逃がしたらいいのでしょう。手で覆いきれるでしょうか。

「き、騎射の時?」

「やっぱり覚えていませんか。軍本部で、喪服を着たあなたが私の胸に飛び込んできたのですよ」

 え?

 残念そうにおっしゃいますが、そんなこと私、ああもしかして。マナハラ様のおはぎを持って軍部を訪れた時でしょうか。

 軍服さんにびくびくしていた頃。

 長い廊下の曲がり角、出合い頭にぶつかってしまった、あれ、でしょうか。

「ぴょんぴょんお辞儀をするあなたは、黒ウサギのように可愛かったですよ」

 ぐ、軍曹さんだったのですか。


「でも、もっと以前からあなたのことを知っていました」


 軍曹さんと兄様は、帝学時代からのご親友だったそうです。

「何度もセーリクに聞かされました、あなたが耳元で大好きと囁くと世界中から許された気分になるのだと。とても可愛い妹だと」

 に、兄様。何てことを話すのですか。

 ははは恥ずかしい。

「どんなに会わせて欲しいと言っても、絶対にだめだと断られました」

 僕の妹は、この身分社会を息苦しく感じる子でね。いつか身分のない、こことは違うそらの下に行くのだと望む不思議な子だ。

 だから僕が一生守る。

 君たちに紹介なんてするものか。

 え、嫁に出すなど考えてもいないよ。僕の傍にずっといるのだから。

 けれども。

 兄様の考えは、マナハラ様との婚約を聞いて変えざるを得なかったようです。

「偶然飛び込んで来た黒ウサギさんが、ずっと会いたかったセーリクの妹だと知った時、確信したのです」


 あなたが、神の決めた私のたった一人だと。


「それからセーリクに頼み込んで、渋るアサツキ少将を先に説得して、ようやく認めてもらえたのです」

 そ、そんな。

 だって。

「だって、そんなこと」

 そんなこと、私、全然知らなくて。

 兄様の考えとか、父様との経緯とか。全然。

「セシカさん、ここは、この家は、あなたのそらになりませんか?」

 え。

「この家が、私が、あなたの望んだそらであって欲しい」

 私は、海の底のように感じるこの世界から、ずっと、抜け出したいと思っていました。遥か遠いそらの下ではきっと息苦しく感じないのだろうと。

「ど、どうして」

 どうしてこの方はこんなにも優しくおっしゃるの。

「異国の血の混じった私にとっても、あなたと同じく、この世界は息苦しいものでしたよ。だから、あなたに一目会いたかったのです」

 ちかちかと瞬く冬の星座。

 僅かな灯りに照らされる亜麻色の髪、私を見つめる鳶色の瞳。

「この家で、息苦しいと感じましたか?」

「か、感じたことありません」

「良かった。私を嫌いですか」

 き、嫌いなんて。


「セシカさん、あなたは私のそら。あなたがいないと息もできません」

 い。

 い、息が止まりそうなのは、私、です。

「どうか私の傍にいてください」



「だだだだって、婚姻は家のためだっておっしゃって」

「そうですよ。家同士を結び付ける大事な階だから、他の誰でもなく、あなたを選んだのです」

「だっだって、私、あなたを好きになってはいけない、のに」

「まだ好きにならなくてもいいですよ。傍にいてくれるだけで」

「だ、だって、ミレイ様が」

「二人でごめんなさいと言いましょう」

「だって」


「だって、あなたのそらは私でしょう?」


 

 けれど。

 けれども。

   

 わたしのそらだとおっしゃってくださったこの方は、もう。



お読みいただき、ありがとうございました。とても難産な回でした。

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