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十七 だから


 空を飾る星座はいつしか冬へと移り、ちかちかと瞬いておりました。

 その遥かに遠い空の下。

 ひくひくと痙攣する喉を堪えて、家路を辿る私。どうして泣きたくなるのか、それはきっと風が冷たいから。

 だから、です。


 冬の訪れと共にその日は始まりました。

 朝早くからお祝いのお言葉を届けに、軽快な音を弾ませて馬車が何台もやって参ります。軒先に停められた馬車の数に驚きながら、こっそり窓から覗いておりました。

 その内の一つ、何の装飾もない小型の馬車。

 そこに乗り込まれた方は。

 後ろに撫でつけられた黒い髪。

 あのお姿は。

 背の高さに見合った長い脚に、広い背中。

 どこかで見たことのあるお方でしたが、お名前を思い出す前に、その背中はすぐに馬車へと吸い込まれてしまいました。

 あの方は、まさか。

「セシカ、着替え手伝ってくれる?」

「誰か知っている方でもいたの?」

 いえ、何でもありません。

 ただの見間違いでしょう。


 おばあ様の誕生会の日。

 午前中の喧騒も少し収まり、午後も随分と過ぎ、親しい人や屋敷に働く人たちだけのお祝いが開かれました。部屋の隅に料理を並べ、自分の好きな分をお皿に盛っていただくそうです。

 お得意の楽器を演奏をなさるお方や、それに合わせて踊られる方もいて、手拍子したりおしゃべりしたりと、とても楽しそうな皆さま。

 おばあ様、いえ、マァヤ様は堅苦しいより気さくな方がお好きらしいのです。なんて素敵なのでしょう。

 そんなマァヤ様のため、お屋敷のカーテンは全て桔梗色に取り換えられました。思い出の色らしいのですが、マァヤ様に喜んでいただきたいと皆さまの意気込みを感じます。

「御前は亡くなり、一人息子は家に寄り付きもしないの。でも孫のニイタカさんは優しい子に育ったわ」

 そうですね、マァヤ様。

「この家の者はみな、わたくしの大事な家族。存分に今日を楽しみましょう」

 マァヤ様の言葉に、本日だけは普段の制服を脱いで、皆さま、素敵なお姿に変身しております。

「一度着てみたかったのよね」

 ウルさんとカイエさんは熱烈な希望もあり、大きめのリボンで髪をまとめ、紺色の裳姿の女学生に扮されました。

 とてもお似合いです。

「あら、セシカも可愛いわ」

「似合いすぎて、ニイタカ様の反応が思いつかないわ…」

 

 お二人は似合うとおっしゃいましたが。


「その姿は…」

 口元を大きな手で覆い、困ったさんは言葉を失くしてしまわれました。

 彼の困惑した態度に、似合う似合わないではなく男装自体に問題があるのだと、気が付けば良かったのに。

 少々浮かれていて、気が付きませんでした。

 少数とはいえ、親族もお祝いにみえるこの席に、黒い燕尾服での男装はいけなかったのです。

「そういった趣味はないのですが、あなたが相手ならいけますね」

 はい?


「御前にもう一度お会いしたいわ」

 お祝いに何をお贈りしたらいいのでしょうか、全く思いつきません。なので安直にも、私は直接マァヤ様にお伺いしました。

 お答えは、亡くなられた旦那様にお会いしたい、と。

 えっと。

 贈り物を伺ったのですが。

 ぽかんとする私にうふふとお笑いになるマァヤ様は、〈貴〉ご出身故か天真爛漫なところがございます。

 難問にうんうんと頭を捻り、それでも足りず、お屋敷内の皆さまに相談させていただいていて御前様のお姿に扮しました。

 黒い燕尾服に、胸には桔梗色の花を挿して、背は小さいのですが紳士に変身です。

 衣装には、小さな頃の困ったさんの燕尾服をお借りしました。

 マァヤ様に膝をついて、そっと手をいただきました。

「今日も麗しい、私の花」

 あああ何て恥ずかしい台詞。

 でももう少し、頑張れ、私。

 御前様が歌を贈られたという思い出の通りに『私の花に』を歌い、胸を飾っていた花を手渡しました。

「まぁあ、黒ウサギさんったら。まぁあ」

 涙目で桔梗色の花を受け取ってくださいました。

「御前はね、あなたのように上手ではありませんでしたが、わたくしとても嬉しかったの。懐かしいわ」

 喜んでいただけたなら。

 とても恥ずかしい思いでしたが、嬉しいです。


 でも。

 浮かれていた気持ちは、そこまで、でした。


 困ったさんと同じくらいの年齢でしょうか、お祝いにみえた遠い親戚にあたられる男性方とのお話を、偶然耳にしてしまいました。

「ニイタカ、何だお前の婚約者は。あれは有り得ないだろう」

「そうだ。噂に高いカン家の薔薇を振り、選んだ相手が男装する女では」

「いくら上司の娘だからといってもなあ」

 上司だから。

 そう、父も兄も地位は軍曹の彼より上で、だから、この話を彼は断れなかったのです。

 だから。

「…婚姻は本人たちだけの問題ではありません。家同士の結びつきです」

 困ったさんの、お声。

 落ち着き払われたお声に、喉元がぎゅっと痛んでしまい、気が付かれないようその場をそっと去りました。

 そうだったのです。

 ミレイ様ではなく、私が選ばれた理由。

 謎でしたが、今、判明しました。家のために、上司の娘を娶る、それだけ。

 私自身を望んでくれた訳ではなかったのです。

 何故、心の片隅で悲しむ私がいるのでしょう。そんな私は、いや、です。早く消えてしまって。

 私自身を望んで欲しいなんて。

 ばかみたい、ばかみたい、ばかみたい。

 飛び込んだ部屋の扉がぱたんと閉まり、凭れながらずるずると座り込んでしまいました。そうして、聞いたのです。

 くしゃり。

 ここ最近、ずっと揺れていた胸の卵。

 潰れてしまう、その音を。


 孵化することは、きっともう、ありません。


 ばたんと急に開けられた扉に、のろのろと着替えていた私は、視線を向けました。

「ココノエ様」

「…出て行きなさい」

 抑圧された声音に、ココノエ様のこめかみは青筋が立ち、ぴくぴくと動いていました。

「あのような場で男装など、なんて恥知らずな。許し難い。今すぐ、出て行きなさい」

 今すぐにです。

 そう言い残されて、勢いよく閉められた扉に感じましたのは、拒絶でした。


 小さく扉がこつこつと鳴って、はいと返事をすると、困ったさんがお顔を覗かせました。

 白い〈華〉の正装は、亜麻色の髪が映えてきらきらと星のように輝いて見えます。

 そして、ようやく思い至ったのです。婚約者なら、この方の隣に立つに相応しい〈華〉の正装をするべきだったと。

 今頃気が付くなんて。

 きっとミレイ様ならそうなさったでしょう。

 私は、やっぱりこの方の隣に、相応しくありません。

「お忘れですか、踊っていただける約束でしたよ」

 甘い声は、先程に聞こえた声とは全然違いました。

「どうしましたか、顔色が悪いですよ」

 困ったさんは、とても優しい方です。

 私の顔色や体調をいつも気遣ってくださる。

 それに。

 お仕事帰りの時は素敵なお土産を買って来てくださった。馬がお好きでしょうと遠乗りに連れて行ってくださった。誕生会にはどうしても二人で踊りたいと見つめて。

 小さく頷くと、楽しみにしていますと輝くような笑顔をくださった。

 以前の私は戸惑うばかりでしたのに、優しい笑顔を嬉しく思うようになってしまったのです。

 こんなの、だめ、なのに。

 近づく距離につい身を引いてしまい、怪訝そうな表情で足をお止めになりました。

「…セシカさん、その荷物は何ですか」

 机の上に乗せられた籐の鞄を目敏く見つけられて、開け放していたことに後悔しました。ああ今更隠すこともできません。

「あの、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「何でしょう。私が答えたら、その荷物は何なのか教えて下さいますね」

 私は、ばかです。

 彼から返事をいただき、今日を限りに彼の婚約者でなくなるつもりで、おばあ様の呼び方もマァヤ様に替えたのに。

 いつまでもぐずぐずと、情けない。

「結婚について、お考えを直していただけたでしょうか。ミレイ様が」

 ミレイ様が、あなたには相応しいと、分かっていただけましたか。

 私、では、なく。

 みるみるうちに困ったさんのお顔は真っ青になりました。

「あなたは…っ」

「上司である父に言い出しにくい立場だと、私、あなたのこと分かっておりませんでした」

「…荷造りして、帰るつもりだと、そう言いたい訳か」

 父には私から言います。

 だから、ミレイ様を。

「あなたは私の立場まで思いやってくれるのに、どうして私の心は」

 大きな手で覆ってしまいその表情は見えません。ただその隙間から、だめだ冷静でいられないと震える声が聞こえたようでした。

 そしてくるりと背中を向けて、部屋を出て行ってしまわれたのです。

 微かに、あなたの好きなように、と空気が震えました。


 ばたんと閉じる音に続いて、扉からがちゃりと金属音がしましたが、いくら見続けても、その扉が開かれて亜麻色の髪の方が再び現れることはありませんでした。

 心のどこかで、引き止めてくださるかもと期待していたなんて。

 なんて、なんて浅ましい。

 ばかな願いを吐き出すように、胸から息を吐いて、閉めた籐の鞄を持ち上げました。

 本来なら、お世話になった方々にお礼を申し上げなければなりません。けれども楽しい時間を邪魔したくないのです。

 ひどく心残りですが、誰もいない部屋で深々と頭を垂れて。

 どうか、感謝と謝罪が届きますように。

 お別れをすませて扉に向かったのですが、あら、開きません。どうもこの扉は時々開かなくなるようなのです。

 大丈夫です、そんな時には。

 荷物を抱え、背後のバルコニーへと向かいました。


 このお屋敷から我がアサツキ家までは、徒歩ではやや厳しい距離でした。

 冬の星が笑われる下を、涙をひくひくとどうにか堪え、足が痛くなる頃に久しぶりの我が家に辿り着いたのです。

 このような時間では誰も起きてはいないだろうと予想していたのですが、何故だか玄関の灯りは付けられたまま。

 不思議に思いながらも、そろそろと開けましたなら、そこには。

「セシカ」

 え。

 伯母様が座っておいででした。

「セシカ、ここはもうあなたの家ではありません。早くメネリック家にお帰りなさい」

 え。

 唖然とする私の目の前で、ぴしゃりと玄関が閉められて、灯りも消されてしまいました。

「伯母様、お願いします。開けて下さい」

 何度もお願いしましたが、ついに、一言も返ってはきませんでした。

 ど、どうしましょう。

 伯母様の目は本気でした。こうなったら絶対に私を家にあげてくれないでしょう。私の居場所は、もうここにはないのです。


 では、どこにいけば。

 どこが私のいるべきところなのでしょうか。



お読みいただき、ありがとうございました。

別視点で書きたくもあり、話しを早く書きたくもあり。悩みます。

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