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十二 愛さないで


 はっ。


 響く鐘の音。

 先生がおっしゃられた時間を告げる響き、そう、私は帰りの馬車に乗り遅れてしまったのです。

 ど、どうしましょう。困ったさんが申し出下さらなければ、いつまでもおろおろと青くなっていたと思います。

「黒ウサギさん、その姿では誰かに捕まってしまいますよ。私に送らせて下さい」

 うう、確かに草だらけです。

「お、お願いします」

 素直に頭を下げますと、一瞬目を見開かれて、柔らかくほほ笑まれる。

 きゅっと寄せられた目尻のほくろ、どうしてそんなに嬉しそうに見えるのでしょうか。ちりっと胸の卵が揺らぎます。

 小型の綺麗な内装がされた馬車まで、わざわざ控室から荷物も運んで下さいましたし、肩掛けも貸していただいたし、あの、親切過ぎませんか。

「お礼を言われるほどのことでは…なら、隣に座って下さいますか」

 そうおっしゃいましたので。

 ぴょん。

 向かい合う席からお隣へ移動しました。

「え」

 え、とても驚かれてしまいました。

「えっ」

 ぴょん。

 慌てて元の席に戻りましたら、またも驚かれてしまいました。あの、私、一体どうしたらよろしいのでしょう。

「…予想外で驚いてしまいました。ああ分かりました、あなたの気を引くには、挑戦に勝つより負けた方が効果的なのですね」

 はい?


「隣に来ていただいたら、良いことを教えてあげますよ」


 いえ。

 お断りしましたけれど、ミレイに関係することですとほほ笑まれますと、固辞するわけにもいきません。

 あの、お邪魔いたします。

「今日のあなたは素直ですね。魔法にでもかけられたのかな」

 くすくすと笑われると亜麻色の星が散らばり、このまま魔法が解けなければいいなんて言葉はいりません。ミレイ様のことをお話し下さい。

「では、お教えします。セシカさん、あなたはいい子過ぎます」


 いい子。


 私の評価は今まで、不出来とか駄目とかで、いい子と言われたことはございません。

「え?」

「ミレイを一言も責めず、自分自身が悪かったと謝罪する。十分、いい子でしょう」

 そ、そんなつもりは。

「あなたはミレイより大人です。自分の下だと思っていたあなたが狼狽えもせず、大人の対応をされた。今頃ミレイは大荒れでしょうね」

「わ、私が大人、ですか?」

 そのような筈、ございません。

「ミレイはまだまだ子どもなのです。憧れも恋も区別がつかないほどに」

 優しいほほ笑みに、どうしてでしょう、兄様を思い出しました。


 私はどうしたらよかったのでしょう。

 ごめんなさいと泣いてお縋りするべきでした?

 私は嫌なのですと言い訳をするべきでした?

 いえ。

 今。

 私は、どうするべきなのでしょう。


 たくさん考え、それでも、情けない私には答えを見つけられません。お願いできるのは目の前のお方だけ。

「お願いします、どうしたらいいか教えて下さい」

「喧嘩をなさったらどうでしょう」


 はい?


「ミレイ様、と、喧嘩?」

「友人として対等な立場なら、傷ついたと言うべきです」

 対等。

 困ったさんの真っすぐな瞳。

 私、ミレイ様が大好きです。けれども、対等であったかと聞かれれば答えられません。いつでもミレイ様は私の前に立たれ、私は頼るばかり。

 でも、本当の友達なら。

 かちりと扉は開かれて、眩しい光に照らされる。

 やっぱり、この方は。

「…すごいです」

 見当もつかない難問もすらすらお解きになる、魔法使い。


 でも。


「おや、納得がいきませんか」

 だって。

「私は、傷ついていません。傷つかれたのは、ミレイ様、です」

「先ほどもそう言いましたね。どうしてかな、今にも泣き出しそうな青い顔をして、私でも分かるのに。あなたは自分自身で認めない、傷ついたと」

 違い、ます。

 私は。


 私は。


 本当はとても辛くて。

 大きな声で泣きだしたくて。

 ミレイ様。

 あなたに裏切者と嫌われるなら、泡のように消えて無くなってしまいたいと。

 でも、傷つくあなたには言えませんでした。

 我慢して。

 我慢して。

 我慢して。

 私自身すら、傷ついていないと、騙していたのに。

 

 誰にも気がついて欲しくなかったのに。


 どうして気付いてしまわれるの。

 涙が頬を伝ってしまう。

 あなたは、本当に私を困らせる、困ったさん。


 お隣の席に移って良かったです、正面の席では隠し切れない涙を、顔を背けてしまえばきっと見られないでしょうから。

 どうか優しく囁かないで。

「大丈夫ですよ。雲に月は翳り、暗くて何も見えませんから」


 ミレイ様。

 お会いしたい。

 あなたが大好きなのです。


「…私にもそう言っていただきたいですね。カン家までお送りいたしますよ」

 こんな夜も更けた時間に非常識だと理解しておりますが、ミレイ様にお会いしたいと思う心は止められませんでした。

 いえ、お会いできなくてもいいのです。お傍に行きたいのです。

「これ以上ご迷惑をおかけできません」

「喧嘩を勧めたのは私です。カン家に伝手もありますよ。私が同行したらミレイと会えるかも知れませんね」

 もちろん黙って頭を下げさせていただきました。


 カン家は、何度かお訪ねしたことのある大きな商家ですが、使用人専用の出入り口があると知りませんでした。

 慣れた様子で、困ったさんは夜警の門番さんに声をかけて下さり、案内もなしにお庭へと回り込まれました。いいのかしらと逡巡しながらも、背中を追った先には灯りのついた窓辺。

「ほら予想通り」

 不機嫌なミレイ様が手当たり次第に物を投げつけられたのか、何かが壊れる高い音がします。扉に続く廊下には、テゴさんが小さく背を丸めて佇んでいらっしゃった。

「メネリック様。私ではお部屋に近づけないのです」

 突然の訪問にも嫌な顔をせず、テゴさんは扉越しにミレイ様にとりなして下さいます。

 返って来たのは、扉が軋むほど物体がぶつけられた大きな音、でしたが。


「興奮が収まるまで少し待った方がいいでしょう」

 その間に学校と我が家に連絡して来ますとは、手配が行き届き過ぎませんか、困ったさん。

「全部済ませたら迎えに参ります。そうしたら一緒に帰りましょう」

「あのもう十分ですから。一人で帰れます、どうぞお家で休まれて下さい」

 これ以上お手を煩わす訳には参りません。

 それでも譲って下さらないなんて、あの、どうしてでしょう。え、外堀を埋めるためとはどのような意味ですか。

 結局。

 押し切られてしまうのは、私が莫迦だからですか。神様。


 困ったさんが馬車に乗り、カン家を離れてしまうと、テゴさんはあたふたと扉の下から滲み出る水を処理し始めました。

 先ほどの音の正体は、花瓶だったのでしょうか。

 忙しそうなテゴさんの邪魔になりたくありません。

 そっと扉を離れ、お庭へと戻れば、ミレイ様のいらっしゃるお部屋の窓はすぐそこです。振り仰いだ私の頬には。

 ぽつ。

 小さな雨粒が当たりました。


 しとしと。

 夜半に降る雨は音もなく、庭の葉に、池の水面に降り注ぎ、そして私をゆっくりと濡らしていくのでした。

 窓から漏れる温かな光はミレイ様そのもので、ただ見ていたくて、どうしても足が動けなかったのです。

 莫迦、そうお声が聞こえるまで。

 ずっと。

「どうしてこんなところで待つのよ。セシカ。雨が降っているのに」

 はっと振り返れば、わなわなと震えていらっしゃるミレイ様。背後には傘を差し出されるテゴさんがおります。

 ミレイ様。

 ああお会いできました、なんて嬉しい。

「テゴ、布。もう犬みたいについて来ないで、邪魔よ。テゴの莫迦」

 お言葉に従い、布を差し出されたテゴさんの腕から引ったくり、ミレイ様はどんと胸を突き飛ばされる。そのまま私の頭から布を被せ、手首をぎゅっと握られました。

 え。  

「ミ、レイ様」

 手首を引っ張られては、あ、足がもつれます。

 大きな音と共に扉を開けられて、あっと思う間もなく、ミレイ様の部屋へと転がり込んでしまいました。

 ごろん。

「セシカの莫迦。どうしてこんなに濡れるまで立っているのよ」

 うう、今日はよく転ぶ日です。

 じんじんと痛む額に手を当てる私が目にしたものは、ミレイ様の不機嫌さを物語る惨状でした。敷かれた絨毯に一面に散らばる破片、折れた花々、舞い散る羽毛。

 ドレスの裾は大きく破かれ、くしゃくしゃになった髪。

 そして、莫迦莫迦と呟かれながらくしゃりとお顔を歪ませるミレイ様。

「ミレイ様」

「莫迦。わたくしが怒っていても中で待てばいいじゃないの」

 風邪をひくわと怒りながら布でごしごし擦られても、あの、私嬉しいだけですよ。

「ミレイ様、ごめんなさい。私、あなたに嫌われたくなくて黙っていました。勇気がなくて、ごめんなさい」

 喧嘩とはこのように言えばいいのでしょうか。違う気もいたしますが、私にはこれが精一杯なのです。

 ぱしり、軽く頬が痛み、ミレイ様の手で叩かれてしまいました。

「悔しいわ、どうしてあなたなの。セシカ。ニイタカ様の隣に立つ日をずっと待っていたのに。どうしてわたくしではないの」

 大きな瞳から零れる透明な雫は宝石の輝き。

 どうして、どうして。

 はたはたと涙の筋を作る頬を、私の胸に押し当ててミレイ様は子どものようにお泣きになり、そして私にできることは、そっと頭を撫でるくらいなのです。

 どうして。

 私にはその答えを持っていないのでしょう。


「本当は分かっているの、あなたのせいではないと。あなただって好きでもないニイタカ様と結婚させられるのですもの」

 ちり。

 胸が疼きます、ああ、卵が揺れるから。

 どうして?

「わたくしも、今日の朝にお父様から告げられたわ。婚約したのですって」

「ミレイ様が?」

「そうよ、勝手に決められたわ。でも、逃げられないの、わたくし嫌なのに」

 止まった涙が再び噴き出して、ひくひくと痙攣した喉を私に押し当てられる。


 いつも毅然としたミレイ様。

 子どものようなミレイ様。

 どちらも大好きです。


「聞いて下さい、ミレイ様。私、約束をしました、この婚約を考え直して下さると。結納が終わったら私はメネリック家に参りますが、そうしたら、私よりミレイ様がお相手に相応しいと分かって下さいます」

 ね、と首を傾げる私に、どうしてでしょう、ミレイ様は呆れた表情をなさるのです。

「…信じたの、それ」

「え、あ、はい」

 ふうとため息を吐かれましたが、え、良い案ではございませんか?

「…わたくしが選ばれたら、とっとと離縁して、ニイタカ様と結婚するわ」

「はい」

 にいと口角を上げられたお顔はいつもの大好きなミレイ様でした。


「じゃあそれまで待つわ、セシカ」

 お願いがあるのとは、はい、何でしょうか。


「それまで、決してニイタカ様を好きにならないで。愛さないで」

 


お読み頂き、ありがとうございました。

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