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十 魔法にかけられて


 私はミレイ様にどう言えばいいのでしょう。

 心に思われる方と私が婚約するなど。

 

 お会いしたい。

 でも、お会いしたくない。

 

 相反する思いを察してくださったのでしょうか。

 ミレイ様は学校をお休みになられています。


 がつんと重い響きの音は衝撃と共に右手を襲い、握っていた柄を取り落としてしまいました。

「不甲斐ない。剣を落とすとは〈武〉として恥ずべきことです」

「す、すみません」

 避けきれると思った伯母様の青龍剣は私の剣を弾き飛ばし、ああ、集中を欠いておりました。

「例の婚約の件ですか」

 頭を下げる私に、ふうと息を吐かれる。

「セシカ、わたくしは反対です。〈華〉に嫁ぐなど。〈武〉は〈武〉に嫁ぐのが一番です」

 …伯母様。

 初めて味方になって下さる方が、それも伯母様とは、何て心強いことでしょう。

 胸がじんとします。伯母様大好き、と言ってもいいでしょうか。いいですとも。

「伯母様、だ」

「不甲斐ないあなたに務まるはずがありませんよ、わたくしでさえ上手くいかなかったのに」

 ごくり。

 危うく出かかった言葉は飲み込み、阻止いたしました。


「アサツキ様ではありませんか」

 今日で五日お休みになられたミレイ様、まさかご病気ではと思い余って、お家まで来てしまいました。

 来て、しまったのですけれど。

 やはり躊躇いを感じてしまいます。

 お家を囲む生垣を巡りながら、神様勇気を下さいと、うろうろしてしまいました。ええ、意気地なしです。

 そんな不審な私に声をかけて下さった方がいらっしゃいました。

「テゴさん」

 彼、テゴさんは南方民族特有の浅黒い肌をされております。

 大きな瞳に丸いお鼻それに猫背の背中に、ミレイ様は、犬みたいとおっしゃいます。確かに愛嬌がおありで、どなたに対しても人当たりの良い方です。

 幼少時からカン家のご当主にお仕えなさって、今では信頼厚い家令さんです。

 私と同じくらいの背丈のせいでしょうか、とても親しみやすいのです。

「申し訳ありません。ただ今、ミレイ様はちょっと…あ、病気ではないのでご安心を」

「そんな連絡もせず伺ったのです。非礼をお詫びいたします。お病気ではないなら良かったです」

 にっこりすると、テゴさんは太い眉毛をお寄せになりました。

「お病気といえばお病気ですね、いつもの」

 いつもの、に力を込められる。

「えっと、いつものですか」

「ええ」

 自室籠城戦。

 ミレイ様お得意の戦法です。

 気に入らないことにはお部屋に籠って抗議なさるらしいのです。こじ開けようものなら高価な花瓶や額縁が飛んで来られのだとか。

 もしかして。

 今回のご不興は、私、でしょうか。

「お嫌いな茄子をお出ししたら臍を曲げてしまったのです」

 …茄子。

 まさかの理由でした。

 同じ目線の高さで、テゴさんのお口が震えておられるので、必死で私も我慢します。

 五四三二一、ああもう限界です。

 ぷふっと二人で噴き出してしまいましたが、仕方ありませんよね。

「可愛いお嬢様。猫を投げられたのは内緒に」

「ふふ。もちろん秘密にします」

「小さく刻んだのですがねえ」

 テゴさん、ずっとミレイ様大好き同士でいて下さいね。

「明日からは社交練でしたね。ミレイ様の出席は難しいかもしれませんが、頑張って下さい」


 女学校の目的は、良き光護国婦人の育成にあります。

 季節になるとお城や〈貴〉の方々が開かれるお茶会や園遊会に参加する社交練がございます。

 特に最終学年の私たちは、夜に開催される交流会に出席を求められます。

 さらなる試練は、光揚館。

 光揚館は諸外国に国力を示すために造られた壮麗な館で、外交のため毎夜舞踏会が開催されております。

 異国の舞踏は学校で散々教わりましたが、ええと、お相手との距離が近すぎませんか。

 とても恥ずかしいのですが。

 ミレイ様。

 あなたがいらっしゃいましたなら、心強いのに。


 学校の箱型馬車に押し込められた、私たち同級五名。

 煉瓦道に揺れて、荷物がごとごと音を立てています。

 車窓から見える光揚館は、夕闇の中でたくさんの灯りに照らされて、まるで異国の世界そのものです。

 小高い丘の緩急を利用して建てられた異国情緒に溢れた建物たち、それらを繋ぐ白い大理石仕立ての回廊。

 意趣を凝らした庭には季節ごとの花が咲き、大きな池では舟遊びもできるそうです。

 贅沢な彫刻があしらわれた柱、美しい絵画、どこを見ても豪華絢爛過ぎて、ああ目まいが。

 舞踏会の行われる中央の館は大きな時計が目印で、開かれた扉の先に、シャンデリアがきらきら光っているのです。

「いつ来ても圧倒されるわね」

 ええ本当に。

 ふかふかな赤い絨毯、本当に踏んでもよろしいのでしょうか。


 さて。

 戦闘開始です。

 ドレス。

 その前に倒すべき敵が登場いたしました、乙女の敵、コルセット。

「ちょ、ちょっと絞めすぎ、ですわ…っ」

「まだまだです」

「く、苦しい」

「このくらいで何をおっしゃいますか、ほら柱にお摑まりなさって」

 控室に満ち満ちる悲鳴。

 ぐう、も、もういいのではありませんか。え、まだって本気ですか。


 果たして私たちは勝利したのでしょうか。


「あら、黒ウサギが夏毛になったみたい」

 ドレスは授業の一環で皆、同じ型紙から手作りいたしました。

 もちろん本職の方がそれぞれに意匠を凝らして下さっていますので、完成品には個性が出ております。

 私のドレスは光沢のある錫色。

 あしらわれた黒いレースを選ばれたのは、喪服の弊害ですよね。

 黒ウサギが灰色になったとは、皆さま、素晴らしい機知です。

「あらそんなに頬を膨らせないで。黒ウサギさんに似合うっていう意味よ」

「そうよ、可愛いってこと」

 もう。

 皆さまも、ドレスとてもお似合いです。


 ドレス姿の淑女たち。

 ええ、勝利は私たちにありです。

 けれども。

 いざ、会場に入りとなると、そこはやはり気後れしてしまうのです。

 ミレイ様がいらっしゃらないので、先頭は、同級五名で背中を押しあ、いえ譲り合ってしまいました。

「いつまで壁にしがみついているのですか。さっさとお行きなさい」

 先生、そうおっしゃってもこればかりは。

「あの時計が十二時になったら控室にお戻りなさい。学校の馬車が出ます。遅れませんように」

 しっしっと手を振られると行かざるを得ません。

 ああ壁の花ではいけませんか。

 

 舞踏の輪に恐る恐る近づくと、待っていましたとばかりに次々男性が押し寄せて、あっという間に同級の皆さまが攫われました。

 こ、こわい。

 左右四方からのお声は異国語で、うう、戸惑ってしまいます。

 でも、せっかく授業で教わった異国語です。

 頑張ります。


 たどたどしくもようやく会話になり、嬉しくてにこにこした時でした。

 え。

 人と人の隙間。

 そこから見える、背の高いお方。

 黒いタキシード、それよりももっと漆黒の髪を後ろに撫でつけられたその横顔。

 あの方は。


 背高さん?


 あの穏やかな雨の匂いと風の囁きが一瞬でよみがえりました。

 長い脚で会場を颯爽と横切られる姿に、どうしてでしょうか。引きつけられるようにして、私の足も同じ方向に進みだしてしまいます。

「あ、どちらに?」

 そう聞かれましても、私にも分かりません。だって足が勝手に動いてしまうのですから。

 ドレスの魔法ですか?


 背高さん。


 踵の高い靴は絨毯に沈んで歩きにくく、それでも、そのお背中を見失わないように人の間をすり抜けながら進みました。

 バルコニーには数人の人影。

 どちらにいらっしゃいますかと、きょろきょろと見回してみると、下へと続く階段を見つけました。かつかつと足音が聞こえます。

 降りた先、ここは庭園でしょうか。

 綺麗に剪定された生垣は高く、右に進み、戻って左に進み、ああ行く手を阻む壁のようです。まるで迷路に似た道を進めば進むほど、会場のざわめきは遠くなってしまいました。

 もう足音も聞こえません。

 視界に広がる密やかな薄闇は、あの方を隠してしまわれたのでした。


 背高さん。


「私ったら、あの方がここにいる筈ないですのに…」

 きっとどなたかを見間違えてしまったのでしょう。

 なのにここまで追いかけてしまった私、うう、恥ずかしいです。

 熱を持った頬を両手で隠して、俯いて歩いていたからでしょう。道を間違えてしまったようです。

 先ほどのバルコニーへ戻ったと思ったのですが、あら、お嬢様がたくさんいらっしゃる。鈴を転がすころころとした笑い声。

 何かございましたか。 

 つま先立ちになって覗き込んでしまいましたが、ああ、何たる失敗を。

 ドレスの花たちの中心。

 そこには、甘い笑顔を振りまく亜麻色の髪。細めた鳶色の瞳の下、ほくろが大人の魅力を醸すお方が。


 う。


 私は何も見ておりません。

 回れ右、と自分に言い聞かせて、けれども、凛としたお声に立ち止まってしまいました。


「退いて下さらない?」

 並居るお嬢様方、波を割って現れたのは、ミレイ様。

 濃緋の花柄のドレス、裾が優雅に広がり、ああとても素敵です。

 ミレイ様は滑らかに歩き、中心に居られる方の腕にするりと手を絡められました。

「カン様、お聞きになりましたわ」

「メネリック様が婚約なさるのだと、お相手はあなたでしょう?」

「あなた以外、メネリック様の隣が似合う方はいませんもの。ちょっとだけ悔しいですわ」

 たくさんの声に、ミレイ様は柳眉を寄せられる。

「ニイタカ様。婚約はいつもの冗談ですと、早くおっしゃって」

「いえ。冗談ではありませんよ」

 ははと声を上げて笑われる困ったさん。

「ミレイは妹同然、結婚できません。私の相手は別の方です。こちらにいらっしゃる」

 くるりと体を向けられ、その場に居りますお嬢様が顔を赤らめました。


 まさか。

 私がここにいると、ご存知?


 ここにいてはいけません。

 警告が頭に鳴り響く中。

 鳶色の視線は私を捕らえ、ああ、体が動きません。

 困ったさん、悪い魔法をかけてしまわないで。


「私の婚約者はあそこに。セシカさん」


 甘い声で名前を呼ばないで。 

 腕に絡む白い手を外して、真っすぐにこちらに来ないで。

 そっと背中に手を回さないで。


 ミレイ様がこちらを見ているのに。


「セシカ アサツキ様が私の婚約者ですよ」


 そして。

 唸るような低い声、ああ、ミレイ様。


「…裏切者」


 


お読み頂き、ありがとうございました。途中データが消え、泣く泣くやり直ししました。

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