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「だれか、この状況を何とかしてくれ!」
俺の声を聴いて、救いの主が現れた。
のであれば、良かったのだが、木漏れ日が少し眩しい森の中、うっそうと茂る藪から現れたのは
「く、くまだああああああああああああ!?」
「きゃああああああああああああ」
体長4mは優に超えそうな巨大なクマだった。
「ぐるうううう」
「いやいやいや、ありえない、でかすぎるよ、このクマ」
「う、うそ、森の主より大きいクマなんて」
日本に生息するクマで最大なモノ、ヒグマですら体長は2m前後と言われている。
変異種、通常よりも育った個体であれば、もしかしたら3mに達する事もあるだろう。
ちなみにクマで一番大きな種は北極クマである。
「主?やっぱりこの辺りの主はクマなのか?」
「ええ、そうよ。私たち兎のような小さなモノは狙わず、鹿やキツネ、犬なんかを獲物としてるわ」
「へえ、じゃあ、兎やリスとからしたら守護神的な存在なのか」
「そうね。だから、高貴なる私も彼には敬意を払っているわ。」
「はいはい、高貴高貴。で、このクマはその主さまよりもでかい、と」
「あなた、失礼よ。ええ、主より大きいわね。じゃあ、主がこのクマに負けたと言うの?」
何者かと争ったような傷、は確かにある。
右目を遮るような傷痕が、強敵との勲章のように刻まれている。
しかも、その強敵を破っているはずだ、なんせ傷はずいぶん前に付けられたと思われるからだ。
そして、この近辺には目の前のクマの敵となる存在が居ない。
だから、真っ先に現れたのが、この巨大なクマだったと言う訳だ。
「これだけ騒いでれば、何か来ても仕方ない、と今さらながら思うが、クマって臆病だから煩かったら近寄ってこないよな?」
「本当に馬鹿ね。それは、味を、人間を襲ったことがない個体の話よ」
「じゃあ、このでっかいクマは人間を襲った経験があると?」
「でしょうね。なにせ、人間は私たち兎並みに弱い生物だから、獲物にしやすいもの」
「ぐるるううう」
藪から出てきた巨大なクマは、先ほどからこちらの様子を窺がうように見ている。
これは、あれだろうか、俺たちが簡単に、しかも、無傷で狩れるか、見極めているとでも言うのか?
人間がクマに勝てる訳がない、いや、銃を持った猟銃会の人なら勝てるかも知れないが、俺は勝てると思えない。
思わず目線を未だに握ったままの鉈と腰のナイフへ移し、シミュレーションしてみる。
鉈で斬りかかる→リーチの長い前脚でカウンターを食らう絵が浮かぶ。
ナイフを投擲する→練習したこともない事をしても当たらず、突進を食らって吹き飛ばされる絵が浮かぶ。
「ダメだ、敗北しか想像できん」
「何言ってるのよ、あなたが勝利する確率なんてある訳ないじゃない、本当に馬鹿ね」
「解ってるよ!あれ?いつの間に後ろに回ったんだ?」
「あ、あのクマが現れた時からよ。気づいてなかったの?」
「は?」
「私は白き衣を纏う高貴なる兎なのよ。あなたが犠牲になるから私は逃げるのよ」
「ああ!?お前、何、俺を犠牲にして逃げようとしてるんだよ!犠牲はお前だ、この毛むくじゃらの齧歯類!」
「ま、また、私にお前って言ったわね!しかも、毛むくじゃらとも!私はもふもふなのよ、決して毛深いわけじゃないの!後、齧歯類言わない!」
「うるせえ!お前なんてお前で十分だ、この兎!全身毛に被われてて、毛深くないとか、無理がありすぎるわ!」
「いいえ、私は毛深くないの!これはもふもふと言うのよ!」
「違う!」
「違わないわ!」
「違う!」
「違わないわ!」
「ぐるう」
「違わな、い」
「おい、今変なのが混じったよな」
「え、ええ、そう、ね。と、言うより、あなた、後ろ振り向きなさいよ」
「いやいやいや、無茶、言うなよ。どう考えてもそうじゃねえか」
「うふふ、そうね、そうよね。」
「あはは、そうだな」
「「いやだああああああああああ」」
現実逃避気味に兎と口論してたんだが、今、まさにクマに食われる5秒前。
思わず兎と抱き合った俺は、振り返って、至近距離まで近寄っていたクマを見上げる。
でかい、でかすぎる。
先ほど体長4mとか言ってたが、もしかしたら、もっとでかいかも知れない。
立ち上がったそのクマは、絶対に1階建て平屋の屋根ぐらいありそうだ。
絶対絶命、その四文字熟語が頭によぎる。
「ああ、親父。親父の言う通りだったよ。来るんじゃなかった。すまん、親孝行する前に。ごめん、もう墓参りに行けないわ、母さん」
俺は死期を悟り、育ててくれた親父、子供の頃に死んだ母さんに詫びの言葉を呟いた。
「目を瞑れ!」
その呟きに答えたのは、第三者の声と、強烈な光。
「ぐるあああああああああ」
目を開けると閃光にやられたのか顔を抑えて転げ回るクマ。
「ぐるああ、ぐるああ」
まるで、目があ、目があ、とどこかのアニメで見たような光景である、クマだが。
「走れ!」
急展開に付いていけない俺へさらに声が掛かる。
生存本能のなせる業なのか、それとも真っ白な思考に与えられた命令を忠実に守ろうとする意志の無さなのか、兎も角走りだした。
走り出した先には山師?と思われる獣の皮を鞣した、革を身に包んだ男の背中。
山師と思われる、と言うのは、背中にありえないモノを下げてるからだ。
足場の悪い森の中でもしっかりとした足取りで走るその男の背中には、巨大な鉄の塊が背負われていた。
あれ?日本って銃刀法が存在してるから、大きな刃物は所持できないよね?あ、俺も鉈持ってるから他人の事言えないか。
と、今日何度目かの現実逃避をしながら、その男に続いて森の中を駆けていく。
ああ、兎?そいつだったら、なんか思わず抱きかかえてそのままにしてますよ。
「ちくしょう、なんで、俺は兎なんて抱えながら、死地を抜け出すために走ってるんだ?」
「無駄口叩いてないで、もっと速く走りなさいよ!」
「しかも、この兎偉そうだああああああああ」
「偉そう、じゃなく、偉いのよ。だって白き衣を纏いし高貴なる兎ですもの」
だから、兎がしゃべるなよ、返答するなよ。
俺の常識よ、どこに落とした、あの亀裂にか?
などと考えながら、目の前の銃刀法違反な男の背を追い駆け続けた。