邂逅
仕事に変化があったのはその辺りからだっただろうか。ふと今まで通り無気力に仕事をしていると、以前に考えていた「根拠のないことをどう解決すればいいのか」という問いが今の彼女への気持ちと合致することに気付いた。彼女が運命の人かどうかなんてことは根拠づけできないし、そもそも恋愛が成就するかも分からない。好きなのかどうかすらあいまいだし、この関係に全く根拠なんてない。あるとするなら、「この人を一番に思おう」という決意だけだった。これを仕事に置き換えた時、俺は仕事に対してこうしてやる!という決意を持ったことが有っただろうか。決意があったとしてもひょんなことで諦めたりしてはいないだろうか。少し拒絶されたくらいで凹んで逃げている姿は正に今の俺にぴったり合致するんじゃないか?と次々に、それこそ点と点が線になるかのように繋がっていった。とすれば、俺が上司に駄目だしされるのは、根拠がずれているからでも、依怙贔屓からでもなくて、そこに自分の意思が見えないからなんだろうと、そう思った。だとすれば他の課員が俺と同じような理論で資料を提出していた時に承認された理由も合点がいく。確かに他のメンバーはその無根拠な論理を信じてたし、それが正しいと思っている節があった。その正しいという自信から更に、これは絶対にいける!という強い確信や、いけるか分からないけどこれしかない!と言うような気持ちがしっかりあったように思う。それを遠巻きに見て俺は、随分穴のある考えじゃないか?と内心懐疑的に見ていた。今でも無根拠に論理を信じることから来る自信では後々立ち行かなくなるとは思っているけど、それ以前に、まず俺にはどうにかしてやろうという意思がなかった。もっと言えば、意思がないことに気付いてすらいなかったということだ。彼女との関係と違って、現実の取引は一度決まれば意思がなくても続いていく。その時に自分に意思がなければ取引先の提案が良いものか悪いものか、出来るのか出来ないのかという判断ができなくなる。やろうと思えばできるし、思わなければできないという返答しかできなくなる。そうすると実質鵜呑みになる他ない。それでは仕事をしているとは言えないから、意思が感じられない資料、発言、説明は認められないと、恐らくそういう事なんだと思った。そこまで分かった時に、次に問題になるのは「じゃあ意思を持つにはどうすればいいのか?」というこれまた俺にとっては大きな難問だった。
彼女と会うという事になったのは冬も入りかけの頃だった。彼女の過去の話は未だに出てくることはなかったけど、これ以上仲良くなることが怖いという事を言ってくれる位には仲良くなっていたので、とうとう実際に会ってみることを提案した。思いを寄せる彼との距離が縮まらないという話を聞いていたのも実際に会うことを提案した一因ではある。そういう打算も必要だし、今であれば無理して距離を近づけようと強引にしている風には思われないんじゃないかと思った。彼女は遠い北国に住んでいて、電車で何時間もかけて会いに行くと、その道中、目的地に近づけば近づくほど緊張が高まることを感じた。目的地、って言葉を思い浮かべてからは桃太郎電鉄の思い出に考えが飛んでしまう位呑気でもあったのだけど。駅について車で迎えに来てくれる彼女に合うと、そこには面長で芽がパッチリとした可愛い系というよりは綺麗系な顔立ちの色白の彼女が待っていた。お互い何となくの挨拶をして、海辺に向かった。道中、とにかく俺ははしゃいでいたと思う。彼女も電話の時より口数が多く、お互い気遣ってる感じはしたものの、一時間位経った頃からはそれなりに打ち解けていた。まあ密にやり取りしはじめるようになってから半年くらいは経っているし、結構核心に近づくような話をしてもいるので、お互いが嘘つきじゃなければそれなりに合うのは当然だったと思う。唯一ギャップを感じるとすればやっぱり容姿で、想像に比べれば地味な印象を受けるものの、俺にとってはその頃には最低限の容姿であれば問題ないという思いが有ったので、その観点から言えば全く問題がなかった。むしろやっぱり可愛い子だなーと童貞っぽい(童貞ではない)感想を思い浮かべた位だった。一方彼女が俺をどう思っているのか、それは中々聞けずにいた。どれだけ俺が彼女への気持ちを強く持ったところで、彼女が「生理的に無理」だとすればそれ以上を望むのは物理的に難しいような気がしたからだ。だからこそ外見という壁は本当に難しくて怖い。会うまでにいくつか現実的な話をしてお互いの感覚を確かめたりもしたけれど、基本的に会わない内のやり取りは、ロマンチックなものだ。仮想的だからこそ、お互いの心の問題にすっと入っていけるという要素もある。その点、外見は何よりも現実的だ。嘘もごまかしも効かない。どんなに理性的に振る舞ったって駄目だと思えば覆すのは難しいし、駄目だと思われれば同じく難しい。でも、やはり、どこかでそういう誤魔化しの利かない関係でも触れ合っていかないと関係は深まらない。きっとこの辺の考え方も仕事に通じるものがあるんだろうなーと、俺はそんなことをぼんやり考えた。
一日一緒に過ごして、俺たちはとても仲良しになれた。頭を撫でて、離れたくない!と素直に言ったら、じゃあ一緒に泊まろうといわれる位には仲良くなった。それでも最後には、とてもいい人だけど、男として見れるかと言われたら分からないと、そう言われてしまうのだから本当に人生って上手いこといかない。それでも最初のなんにもなさから考えたら大進歩なので、今さら諦めるようなことはしなかった。当然口を出るのは時間をかけて何とかするよという、いつも通りのかわらない言葉だ。この辺りまで来ると、何とかしてやろうという気持ちよりも、後は自然に事が運ぶか運ばないかってだけのような気がしてくる。なので、自分が過度に期待したり諦めたりしないように、普段通りの自分をちゃんと守っていれば、その結果が良いものにしろ悪いものにしろ、納得のできる答えになるに違いないと、そういう確信があった。多分これが、やれることはやるだけやったという状態なんだと思う。オリンピックとかでやれるだけのことはやったんで悔いはありません。なんて言う時の心境はきっとこんな感じなんだろうと、子供みたいなことも少し思った記憶がある。




