意識と無意識の境界線 〜 kuniklo
静かな夜ーーー“私”は見知らぬ畳の間で一人眠っている。
部屋の中は灯一つないが、障子を通して入って来る月明かりによって、青白い光で満たされている。
一人眠る“私”の眠りが穏やかであるのは、ゆったりとした規則正しい呼吸とそれに合わせて上下する布団を見れば判る。
青白い光に照らされて白い一重の着物と白い顔も青白く光っているようだ。髪は豊かな黒髪で青白い光を浴びてもその色を変えずむしろ艶やかな色を発している。
ーーー静かな、どこまでも静かな月夜の晩である。
“私”が目覚めるのを感じた“わたし”は、そっと寝ている“私”を見つめた。閉じた間蓋が微かに揺れている。
顔色は青みは無くなりその代わりに、顔を出し始めた朝日の光の粒が障子を通して肌本来の色を映し出している。
突然外でドスンドスンという大きな音がした。途端、ふわふわと空中を漂っていたような感覚が消え失せた。
「何の音? もぅ・・・ゆっくり眠らせて欲しいのに」
私は緩慢な動作で起き上がると、障子ににじり寄りそっと顔を出せる位の隙間を空けた。見れば、庭先で一人の女性が篭をひっくり返し大きな黄色い果実を散乱させていたところだった。彼女は私に気づかないようで困惑の表情を浮かべて立ち尽くしている。
「おはよう」
私は女性に声をかけた。すると女性は驚き、丸い顔に丸い目をして私を見た。
「ひっ・・・お、おは、おはようございます。もも、申し訳ございません。お騒がせいたしました」
慌てて腰を折り謝罪を言う女性は、篭を引き寄せ大きな黄色い果実を集め始めた。どことなく見た事のある様なーーー日本の着物に胸下までの前掛けをしているようなーーー幾分懐かしい服装をしている。足下は民族的な靴を履いている。そして頭には布を巻き付け、長い髪は背中の中程で一つに縛られている。
女性は果実を集め終えるといつの間にかいなくなっていた。
再び夜が訪れた。
私は先日の夜と同じように一人畳の部屋で月明かりの照らす中、穏やかに眠っている。
寝ているのだが庭に誰かが来たのを感じた。
その気配は知っている様な知らない様な、だが私にはとても心躍る気配だった。そっと障子を開け庭を見れば、大きな大きなウサギがいた。
(うさぎ・・・)
声に出してはいけない。なぜかその事を知っている私は心の中でそのウサギに呼びかける。
ウサギは長い耳をぴくぴくと動かしていたが、私が心の中で呼びかけると耳をこちらへ傾け顔もこちらへ向き直った。
(かわいいうさぎ。おいで)
ウサギは駆ける音もさせず部屋の中にいた。
ウサギが私を見つめる。私もウサギを見つめている。ウサギの目は真っ黒で何を考えているのか判らない。だが私に対する興味を持っている事だけは伝わって来る。
ウサギは勝って知ったるように自由に部屋の中で寛いでいる。
ふと、部屋の隅に見慣れたキャリーバッグが置いてあるのに気がついた。
(あら? これはうちの猫達の・・・どうしてここに?)
不思議には思うがバッグがそこにあるのは当然の様な気がして、それ以上考える事は止めた。
ふいにウサギが私の所へやってきた。ウサギが近づいて私の体をふんふんと嗅ぎ回ると、心がドキドキと早鐘を打っているようになる。そっと手を伸ばしウサギの大きな体を撫でる。少し固そうに見えた被毛は意外にも柔らかく誰かの髪の毛を撫でているような気になる。ウサギもうっとりとした表情で気持ち良さそうにしている。
(うさぎ、うさぎ。大好きうさぎ)
一抱えもあるウサギの体に顔を押し付け、頬でウサギの体温を感じる。ウサギは時折、鼻をピクピク動かしたり髭を震わせたりしているが、私の好きにさせてくれている。そして私の様子をうかがうようにチラチラと後ろを振り返っている。
「大好きよ」
唇をウサギの体に押し付けそっと囁く。するとウサギは体を硬直させたかと思うと、忙しく耳をアンテナのようにあちこちに向け始めた。真っ黒な目が険しさを増したかと思えば、髭がピンと前方向へ向き、警戒している様子を窺わせる。
一瞬にしてウサギが庭へ移動し月明かりの照らす中、その後を私の猫達が追い掛けている。
「やめなさい。その子は悪い子じゃないわ!」
庭へ向かって大声を出すが、どうやら聞こえないようだ。ウサギは猫達よりも二周り以上も大きいが必死になって逃げている。
そうこうする内に車の下に隠れているウサギを見つけた。後ろ足に怪我をしているようだ。
(どうしよう。助けなきゃ。怪我を手当てしないといけないわ。でも、私が外へ出たら・・・)
なぜか私は外へ出る事を躊躇っている。目の前には大好きなウサギが怪我をしているというのに。
あっという間に猫達に見つかり、ウサギは一番大きな猫に咥えられどこかへ連れ去られてしまった。
「あ、いけない! やめて! 大丈夫だから・・・お願い! 連れて行かないで」
居ても立ってもいられず私は裸足で外へと飛び出した。気配を頼りに行けば見覚えのある場所にたどり着く。庭の水路の中でぐったりとして動かない一羽の大きなウサギが見えた。その体にぱっくりと大きな傷が刻まれている。大きな猫はウサギに伸し掛かるように押さえつけ、クワッと口を開けてまるでウサギを食べるかのようだ。
「止めて!」
思わず私は大声を上げ二人の間に入り必死にウサギを両手で抱え込んだ。そして振り返って猫を見れば、去年無くなった灰色キジ猫のリクオ君だった。リクオ君は生前と同じ穏やかな目で私を見下ろしている。ふいに、やれやれ困った人だ、危ないと言うに、という思いが私の中に流れてきた。
(リクオ君・・? どうしてあながたここに?)
心の中でそう問いかけるも、リクオ君は何も言わずにいる。警戒している後の猫達もうちの子達だった。だがリクオ君程はっきり見えている訳ではない。
(ちゃんとキャリーバッグに入れるまで見ています)
そう言うリクオ君の思いが伝わり、私はようやく部屋にあったバッグを思い出す。リクオ君に頷いてみせ、まずは傷の手当からよ、とウサギを腕に抱え込んだ。
大きなウサギはこんなに大きな傷にも関わらず体温は暖かで落ち着いている。時折鼻をピクピクさせてはいるがちゃんと生きている。ほっと安心するといつの間にか部屋に戻ってきていた。
傷の手当を済ませそっとバッグの中にウサギを入れた。包帯でグルグル巻きにされたウサギは大人しくしている。
その様子を見て私はほっと一息すると再び布団の中へと戻った。しばらくして気がつけば、近くに何の気配もしない。
(うさぎ。うさぎ)
慌ててキャリーバッグを覗くがそこにはウサギはもう居なかった。部屋をぐるりと見回しても猫達もいない。
(どうして、どこに? あの傷でどこに行ったのかしら?・・・でも、きっとまた逢える気がする)
不思議とそう思った。
外はすっかり太陽の光で明るくなっていた。障子を閉めているが太陽の光は障子を間にしても、部屋をすっかり明るく見せている。
(・・・何だか私の体が熱い。汗をかいているのかしら、それに、なんだか・・・体が重いわ・・・)
息苦しさでふと目を開けば一緒に暮らしている猫達が私の体にぴったりと寄り添って寝ていた。自然と去年無くなったリクオ君の姿を探してしまうが、そこにはリクオ君の姿は無い・・・
「あなたたちどこかへ行っていた?」
そう問いかけるが猫達はスヤスヤと寝息を立てるばかりで、わたしがベッドを降りた後も全く起きる気配も見せずぐっすりと寝入っていた。
YYYY年 MM月 DD日 火曜日 朝