第37章:師弟
高校の部活漬けの日々で心を通わせた先輩・篠塚真也と、卒業後再び音楽の道を歩み始めた宮下。コロナ禍を機にデジタルと生音を融合させる新路線を開拓した二人は、音楽コンペで津軽弁を操る強烈な個性を持つシンガーソングライター・神谷陸と運命的な出会いを果たす。
高校時代のあの息の詰まるような部活漬けの日々のなかで、誰よりも私の心を覗き込み、本当の意味で理解してくれたのは、ひとつ上の先輩である篠塚真也だった。
彼は実の兄弟のように私に寄り添い、どんなに小さな悩みにも真剣に向き合ってくれた。ときには優しく諭し、ときには厳しく叱咤しながら、いつでも私の迷いを断ち切る道標となってくれた人だ。奇跡のような縁は高校を卒業しても途切れることなく、私たちは今こうして同じ音楽の道を歩み、ユニットの相棒として長い時間を共に重ね続けている。
やがて篠塚が学校を去り、私はついに最高学年――三年生になった。
まとまった休みなど一日たりともなく、ただただ部活動という巨大な歯車に心身のすべてを捧げ続けていた私たちは、全日本吹奏楽コンクールでの金賞獲得という、ただ一つの頂点だけを見据えていた。すべてを犠牲にして楽器と向き合い続け、そして私たちは、ついにその手で金賞を掴み取ったのだ。
あの圧倒的な熱量の中で勝ち取った栄光は、今でも私の胸の奥で消えることのない錨となり、現在に至るまでの確かな自信を支え続けている。
篠塚と再び同じ音楽の海へ漕ぎ出すことになったのは、高校を卒業し、美容業界に飛び込んでから二年が経った頃のことだった。
最初は打楽器だけのパフォーマンスユニットとして産声を上げ、無機質なビートと生音のぶつかり合う激しい演目だけにすべてを賭けていた。けれど、世界を覆ったコロナ禍という名のどうしようもない不条理が、私たちから大音量を響かせる場所を容赦なく奪い去っていった。人の前で音を鳴らすことさえ許されない閉塞感のなかで、私たちは生き残るために路線の大胆な変更を余儀なくされた。
それが、デジタルサウンドの冷たい疾走感と、サックスの泥臭い生音を融合させるという新しい形だった。
生きるか死ぬかの選択で掴み取ったその実験的な路線変更は、思いがけず強烈な求心力を放った。とある音楽コンペティションで審査員たちから高い評価を叩き出し、気づけば国内だけに留まらず、海を越えた海外のステージで演奏する機会さえ掴み取っていたのだ。
そして、その運命のコンペの席で、私たちは一人の男と出会うことになる。
神谷陸――青森の津軽にルーツを持つ、強烈な個性を放つシンガーソングライターだった。
彼は自身の故郷である津軽弁の泥くさい響きをオリジナルソングのなかに鮮やかに溶かし込むという、誰も真似できない独自の表現手法を持っていた。私たちの掲げる音楽的な思想や狂気のようなこだわりを、彼は誰よりも深くリスペクトしてくれ、出会った瞬間から、まるで磁石に引き寄せられるように私たちはあっさりと意気投合していったのだった。
「みやちゃおと、しのちゃお!おれのさぽーと、してけねが?」
「おぉ!勿論!喜んで!」
「めぇぎのらいぶで、やってみでけ!」
「めぇぎ、、、の、、」
「あ、次のライブでやってみよ!」
「あぁ!!そうだね!!」
そうして、私たちは神谷のライブにサポートメンバーとして迎え入れられることになった。
その最初のステージを皮切りに、私たちは文字通り幾度ものライブを重ね、楽屋の隅で交わす他愛のない冗談や泥臭い音楽の議論を通じて、いつしか切っても切れないかけがえのない友人へと変わっていった。
あるとき、神谷のサポートライブの予定が決まったとき、ふと脳裏に浮かんだのはあの子のことだった。私はポケットからスマホを取り出し、画面の向こうにいるなるかにメッセージを送った。
「なるか、今度陸さんとのライブ見にくる?」
「行く!!絶対いく!!」
なるかは、まるで世界のすべてが輝き出したかのように目をパチパチと輝かせ、一瞬の迷いもなくそう答えてくれたのだった。




