手のひらの秋音(あきね)
手のひらの秋音
障子の外では、しとしとと静かな雨が降っていた。一雨ごとに冷気が畳の隙間へ染み込んでくるような、秋色の深まる午後である。
古い平屋の茶の間。六畳間の真ん中に、手のひらに乗るほど小さな黒い箱が置かれている。いわゆる中華製の「D級デジタルアンプ」だ。数千円で買った安物だが、スイッチを入れると青いLEDが遠慮がちに灯る。
「……うん、十分だな」
僕――しゅうきちは、あぐらをかき直してひとりごちた。
マニア連中が好む真空管のぬくもりや、重厚なA級アンプの芳醇な響きなら、もちろん知っている。知ってはいるが、何かにこだわって追求する気力も体力も、ましてや懐の余裕もない。
その点、この手のひらサイズのD級アンプは健気だった。熱も持たず、電気も食わず、押し入れから引っ張り出してきた骨董品のようなスピーカーを、過不足なく淡々と鳴らしてくれる。僕のような「D級人生」には、この気安さがちょうどいい。
スマホの画面を指先でなぞり、秋になると無性に聴きたくなる曲を探す。見つけたのは、イヴ・モンタンが歌う『枯葉(Les Feuilles Mortes)』だった。
画面をタップすると、かすかなノイズの向こうから、哀愁を帯びたアコーディオンの旋律が流れ出した。蛇腹が息を吸い、吐き出すたび、胸の奥にある古い引き出しが少しずつ開いていくような音がする。
やがて、モンタンの低く語りかけるような歌声が重なった。過ぎ去った恋。二度と戻らない日々の輝き。そして北風にかき集められ、忘却の夜へ運ばれていく枯葉たち。
――ふと、胸の奥を冷たい隙間風が吹き抜けた。
思えば、僕の人生にもいくつかの「谷」があった。
何者かになろうともがき、人と競い、背伸びをした末に足がもつれて転がり落ちた、あの頃。夕暮れの駅の改札前で、うつむいたままの彼女に「ごめん」のひと言さえ絞り出せず、ただ立ち去る背中を見送った日のこと。
あの時は世界の終わりのように思えた谷底も、時が経てば、モンタンの歌う砂浜の足跡のように、寄せては返す波にさらわれて、ぼんやりと霞んでいく。
雨が障子の桟をうっすらと濡らしている。そのかすかな水音が、アコーディオンの優しい旋律にそっと溶け合った。
若い頃は、山を登ることばかり考えていた。
けれど、谷底に腰を下ろして見上げる空も、案外悪くないものだ。ここにあるのは、雨の冷たさと、冷めかけた番茶の渋みと、安価なアンプから流れるささやかな温もりだけ。上を目指して息を切らしていた頃には、気づきもしなかった手触りだ。
曲が終わると、ふっと静寂が戻ってきた。
湯呑みの底に残った茶を飲み干し、小さく息を吐く。
「ま、今日一日にありがとうと言えたら、それで上等か」
誰にともなく呟いて、僕は起き上がるのも億劫なまま、畳の上に寝転がった。
転がったどんぐりには、どんぐりなりの穏やかな秋の暮れ方がある。




