第0話 進路希望は、バカリバ?
進路希望は、バカリバ。
これは、笑いたい気持ちまで無かったことにしたくない女子高生の話です。
進路希望調査票の第一希望欄に、私は堂々とこう書いた。
バカリバ。
先生は三秒ほど固まり、クラスメイトは五秒後にざわつき、斜め前の優等生・白峰律は、答案用紙に致命的な誤字を見つけたみたいな顔をした。
「風野。確認するが、これは……大学名か?」
「理想郷です」
「進路希望に理想郷を書くな。せめて俺が進路指導で説明できるものにしてくれ」
もっともな注意だった。
「先生」
斜め前で、白峰律が静かに手を上げた。
「その場合、理想郷ではなく妄想郷と書くべきでは」
クラスが、少しだけ笑った。
私は思わず、りつの横顔を見た。
うまいこと言うじゃん、と思った。
ちょっとムカついたけど。
彼女は笑っていなかった。
私、風野由菜の人生は、だいたいこんな感じでできている。
人に説明すると、十人中九人は「大丈夫?」という顔をする。
たぶん、残りの一人は聞こえなかっただけだ。
たまに、もう少し正直な人がいる。
「なんかやばい」
うん。
それはわりと正しい。
私には、子どもの頃から大好きな番組がある。
『おバカ姫様、ちょっとタンマ』。
タイトルからして終わっている。
いや、始まっている。
少なくとも、私の人生はそこから始まった。
毎回、おバカ姫様が、やたら立派な王国のルールに「ちょっとタンマ!」をかけるだけの、しょーもないお笑い番組。
泣いたら負けの騎士団。
百点を取らないと入れない舞踏会。
夢を諦めた人だけが働けるお城。
空気を読みすぎて酸欠になった村。
姫様はいつも、王冠をずらして、変なポーズで叫ぶ。
「ちょっとタンマ! そのちゃんと、本当にしあわせ?」
私は、その一言がずっと好きだった。
くだらない。
バカみたい。
高校生にもなって、まだそんな番組に影響されてるなんて痛い。
たぶん、そう言われる。
でも私は、くだらないものに救われた。
笑っちゃいけない空気の中で。
好きって言えない空気の中で。
ちゃんとしてないと置いていかれる気がする世界の中で。
あの番組だけは、ずっと私に言ってくれていた。
一回、止まってもいい。
笑ってもいい。
バカみたいなことで、今日を生きてもいい。
だから私は、まだおバカをやめていない。
やめる予定もない。
理由はある。
たぶん、ちゃんとある。
でも、それを最初から話すと少しだけ湿っぽくなる。
それに私は、湿っぽい話をする前に、まず紙飛行機を飛ばしたいタイプの人間だ。
だから今は、こう言っておく。
私は、笑いたい気持ちまで、無かったことにしたくない。
それが正しいのかは、まだ分からない。
たぶん、私はけっこう間違える。
先生にも怒られるし、律みたいな人には妄想郷とか言われる。
あれはちょっと刺さった。
でも。
笑いたい気持ちまで、殺さなくていいと思う。
たとえそれが、誰にも見えない場所で、ほんの少しだけ震えているような笑いでも。
笑いたい気持ちまで取られたら、心はどこで息をするのよ。
バカリバは、地図に載っていない。
大学でもない。
職業でもない。
たぶん先生の進路指導ファイルにも載っていない。
じゃあ、何なのか。
そこを聞かれると、ちょっと困る。
私もまだ、うまく説明できない。
でも、進路希望を空欄で出すよりは、ずっと本音だった。
私はそこへ行きたい。
いや、違う。
いつか、そこをここに作りたい。
教室の中に。
進路希望調査票の上に。
誰かが「ちゃんとしなきゃ」と息を止めている、そのすぐ隣に。
おバカでいれば、全部うまくいくわけじゃない。
それでも私は、くだらないものに救われた心を、くだらないまま捨てたくない。
だから今日も、私はおバカに生きる。
誰かに笑われてもいい。
痛いと思われてもいい。
なんかやばいと言われたら、ちょっとだけ胸を張る。
だって、それはたぶん、わりと正しい。
私は、風野由菜。
進路希望は、バカリバ。
大丈夫かどうかは、知らない。
でも、まだ捨てていないものがある。
それだけは、たぶん、本当だ。
次回、第1話「紙飛行機が落ちた机」。
風野由菜の紙飛行機が、進路を書けない少女の机に落ちます。




