押し付けられた変人王子は最推しでした。支えた結果、彼を見捨てた令嬢が後悔しています
「はぁ……」
自室で紅茶を淹れてもらいながら、私はため息をついた。
「ステラ様。どうかお心をお鎮めくださいませ」
侍女が静かにカップを差し出す。
「だって……あの噂の第二王子でしょう?」
「ええ、そうですね」
「根暗で変わり者すぎて、婚約者が逃げ出したって話よ……いいはずがないじゃない」
その噂はすでに王都の貴族界に広まりきっている。令嬢たちは皆、距離を取っているというのに。
侍女は肩をすくめた。
「旦那様は大変お喜びでしたよ」
「それは王家との縁談だからでしょう……まあ、それでも」
好きな人と結婚できるわけでもない。相手が誰であっても、大差はないのだ。
私はカップを置き、立ち上がった。
今日は第二王子との初対面。
どんな方なのか――せめて、常識的でありますように。
◆
王宮の小広間に通されると、そこには穏やかな笑みを浮かべる少女――王太子妃殿下が待っていた。
「よくお越しくださいました」
私は丁寧に一礼する。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
着席し、形式的な挨拶が続く。
……しかし、肝心の相手が見当たらない。
「……第二王子殿下は?」
王太子妃が、わずかに笑みを深めた。
「殿下は研究に没頭しておりまして。本日はどうしても手が離せないとのことでした」
――え。
婚談の場なのに?
「殿下は大変研究熱心なお方です。歴史の分野においては、すでに数多くの論考を発表しておられます」
「はあ……」
「……本当に優秀なのですよ?」
なぜそこまで強調なさるのだろう。
「殿下は少々不器用なところはございますが、誠実なお方ですの」
それ、言い換えただけでは――と思いながら、私は紅茶に口をつけ、視線を落とした。
「もしよろしければ、研究室をご覧になりますか?」
「研究室、ですか?」
「ええ。殿下の本領は、あちらにございますから。きっと印象が変わると思いますわ」
ご厚意を断る理由もない。
「……お願いいたします」
私は王太子妃殿下の後をついていった。
◆
研究室は静まり返っていた。
室内の奥。大きな机に突っ伏すようにして、一人の青年がいる。背中を向けたまま、動かない。
長い銀髪が肩に流れ、猫背気味の背中にかかっている。その背中だけで、噂の輪郭が揃ってしまう。
――根暗そう。研究室と完全に同化している。
王太子妃殿下が一歩前へ出た。
「殿下」
返事はない。
「ギルバート殿下」
「……」
小さく息をつき、王太子妃殿下は青年の肩をつかんだ。
「殿下」
ぐい、と半ば強引にこちらへ向けさせる。
銀髪が揺れる。
そして――
――え。
眼鏡越しに、端正すぎる顔が現れた。
整った眉。長い睫毛。薄く形のよい唇。銀髪がさらりと頬を流れる。
「……っ!!」
推しが、いた――!!??
「殿下。こちらがステラ嬢です」
青年――ギルバート殿下は、無表情のまま私を見る。
「……ああ」
低く、落ち着いた声。
声まで完璧――。
私は慌てて一礼する。
「は、はじめまして。ステラ・エルグレインと申します。本日はお時間を――」
危うく噛む。
落ち着け。落ち着け、私。
私は前世の記憶を持っている。そして目の前の彼は、私の最推しだった。
前世で何度も読み返した漫画。メインキャラではなく、サブキャラの――
考古学者ギルバート様。
ギルバートはゆっくりと眼鏡を押し上げた。
「……婚談、だったか」
「ええ。ですから殿下をご紹介しようと……」
彼は小さく息をつき、視線を机へ戻す。そのまま椅子に座り直し、再び動かなくなった。
王太子妃のこめかみが、ぴくりと動いた。
けれど私は、彼をうっとり眺めていた。
尊い……。
無造作に机へ向かう横顔。鬱陶しそうに払いのける銀髪。紙をめくる長い指。
すべてが美しい。
見惚れている私を、王太子妃殿下がちらりと見る。信じられない、という顔をして――次の瞬間、ふっと微笑んだ。
「……では、あとはお二人で」
さらりと踵を返す。
去り際、さりげなく拳をぐっと握るのが見えた。
◆
彼は原作より、五歳ほど年上らしい。
そのせいか、どこかくたびれた雰囲気がある。目の下にうっすらと影。こけた頬。髪も少し伸びすぎている。
だが、それも好きだ!
私は翌日も、その翌日も研究室へ通った。
「殿下。お食事にいたしましょう。研究者は体力勝負です」
「……今は必要ない」
「必要です」
「……」
「倒れたら研究が止まりますよ?」
その一言で、彼の手が止まる。
――ふふ。論理的思考の人だ。
「……五分だ」
「ありがとうございます」
私は心の中で、がっつりとガッツポーズをした。
研究室は散らかっていた。
書類の束が机の端から崩れ落ち、床には開きっぱなしの本。インク瓶の蓋も閉まっていない。
……研究室なのに、補佐がいない。
「殿下、この本……埃をかぶっていますよ」
「……」
彼は資料に視線を落としたままだ。
私は黙って本をはたき、机を拭き、本棚へ戻す。
通うたび、少しずつ片付けていった。
しかし彼は何も言わず、無関心だった。
――原作のまんま。よき!
そんなある日、私は気づいた。
壁際の棚。そこだけは、不自然なほど整っている。背表紙がきっちり揃えられ、年代順に並べられていた。
手に取ると、考古学の論文綴りだ。置いてある冊子は三年前で止まっている。
……たしか、彼が婚約者と別れた年。
「殿下」
「……何だ」
「こちらの論文、拝読してもよろしいですか?」
未来の妻が、夫の研究を知らないのは問題だもの。
彼の手がほんの一瞬止まる。視線だけが、わずかにこちらへ向いた。
「……好きにすればいい」
そう言って机に向き直る。
だが、ページをめくる音が響くたび、彼の指が机を――とん、とん、と叩いた。
……聞いている。
論文を読まれていることを、意識している。
私は気づかないふりをして、冊子を読み続けた。
◆
しかし、論文をいきなり読み解けるはずがない。
……推しの論文が読めない。
これは、許されない。
私は家庭教師を雇い、本格的に古文書学を学ぶことにした。
王立大学の老教授は穏やかな人物で、授業の途中、ふとした折に口を開く。
「三年前までは、あのお方の発表は実に勢いがありました」
「そうでしたか……」
「その年を境に、発表が止まりましてな。共同研究者も、ほとんどが離れました」
「離れた……?」
「若い研究者には生活がある。成果が出なければ、別の庇護者のもとへ移る。それだけのことです」
悪意ではありません、と老教授は静かに付け加える。
「学問は、紙とインクと時間と金が要るのです」
私は小さく息をのみ、頷いた。
「支える者がいなければ、どれほど優れた理論も世に出ぬ」
その言葉は、私の胸に鋭く刺さった。
◆
「殿下、発表はなさらないのですか」
紙をめくっていたギルバートの指が、ぴたりと止まる。
「……未完成を世に出す趣味はない」
私は一歩、踏み込んだ。
「もし他の研究者が、類似理論を先に発表してもよろしいのですか?」
彼は、ゆっくりと眼鏡を押し上げる。
「それが正しい理論なら、学問は前へ進む」
「殿下のお名前が消えても?」
「理論が残るなら構わない」
私は首を振った。
「世に出さないのは、学問への怠慢ではありませんか」
「怠慢だと?」
「ええ。研究者には、発見を世界に示す責務があります」
沈黙が落ちる。
やがて彼の指先が、机をとん、と叩いた。
「……資金がない」
「え?」
「図版の再作成、写本の精査、学会出張費……足りない」
それだけ言って、彼は視線を落とした。
通い続けるうちに、私は薄々気づいていた。王宮から十分な資金は出ていない。
「……国王陛下にお頼みにはならないのですか?」
「一度、申請はした」
「それで?」
「却下された。……後ろ盾を失った研究に、優先枠はないと」
それきり、殿下は資料へ視線を落とした。
……三年前から、発表は止まっている。
本来なら、婚約者である私が担うべきなのかもしれない。
けれど実家は潤沢とは言えず、学問に資金を投じる価値観もない。
ならば――。
◆
数日後。
私は数枚の書面を整え、王太子妃殿下のもとを訪れた。
「王太子妃殿下、こちらをご覧いただけますか」
「まあ……何かしら」
「第二王子殿下の研究が、王家にもたらす利点と影響をまとめました」
王太子妃殿下の視線が、静かに紙面を追う。
前世で資料作成に携わっていた経験がある。要点を整理するのは得意だった。
やがて、王太子妃殿下は書面を閉じる。
「……利益構造が明確なのは好ましいですわ」
「はい。王家の利益です」
しばし沈黙。
それから、ゆっくりと微笑む。
「王太子殿下にお話ししてみましょう」
ほどなくして、研究室に新しい補佐官が一人配属された。図版制作費が承認され、学会参加の紹介状も届いた。
ギルバートは書面を見つめたまま、しばらく動かなかった。
「……何をした」
推し活です、とは言わない。
「少し、勧めてみただけです」
「……余計なことを」
だが、その声はわずかに震えていた。
◆
数カ月後。
王宮で夜会が開かれていた。
王太子妃殿下のもとへ、一人の令嬢が歩み寄る。
「あら、リリア嬢。こんばんは」
リリアは優雅に一礼した。
「殿下。ギルバート様、また発表なさるようになったのですね」
「ええ、そうなの」
王太子妃は穏やかに頷き、その視線をステラへと向ける。
「あの方のおかげで」
リリアの視線もまた、ゆっくりとそちらへ向いた。
「よかったですわ。……殿下は昔から、ご自分の世界を何より大切になさる方ですから」
リリアは周囲を見渡す。
「……今日も、お忙しいのでしょうね」
その瞬間。
「……来ている」
低い声が、背後から落ちた。
リリアが驚いて振り向く。
黒の正装に身を包んだギルバートが、そこに立っていた。身なりは整っているのに、どこか落ち着かない。視線が定まらず、足先がわずかに揺れている。
「殿下……」
そこへ、ステラが気づいて駆け寄る。
「殿下」
自然な動作で、ギルバートの腕を取る。
「……」
ギルバートは短く息を吐いた。
ステラが小さく、ぼそりと付け加える。
「資金のためです」
「……聞こえている」
「行きましょう。ご紹介したい方がいて、
あちらに王立学会の理事がいらっしゃいます」
「……」
ステラに半歩引かれる形で、ギルバートは歩き出す。
二人の背中が、会場の中央へ向かっていく。
リリアは、その後ろ姿を静かに見つめていた。
その視線は穏やかだ。
けれど指先だけが、強く扇を握っていた。
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