転生地獄~無限ループの果て~
暖かで、何も不安のない暗闇から、いきなり引っ張り出され、おれは数百回目の転生を果たした。
またこれか……。
全身を異様な衝撃がかけめぐる。
いわゆる生みの苦しみってやつだ。確かに赤ん坊を出産する母親は、男のおれなど想像もつかない苦しみを経験するのだが、生まれてくるおれもまた、胎内から外の世界へ生まれる苦痛に、思わず泣き声をあげてしまう。
つまり産声ってやつだ。
生まれて数時間は、外の世界に初めて触れた感覚に、おれは混乱し、はじめての経験に身もだえしている。
が、口に母親のおっぱいが押し当てられ、初乳を夢中で飲んで腹がくちくなると、反射的に落ち着き、眠気が襲いかかってくる。
眠り、目が覚め、乳を飲み、そして眠る。
そんなことが何度か繰り返され、やがておれは周囲の物音を感知するようになる。最初のうちは、それが音とは理解できない。単に不快な振動として脳は処理するだけだが、やがてそれが耳に達する音だと、脳が理解しはじめるのだ。音が聞こえると、おれは反射的にそちらに興味を持ち始める。
まだこの段階では、おれにはものがちゃんと見分けられていない。
目は見開いてはいるが、ぼんやりとした光と影の動く何かにしかすぎない。
数日たつと、ようやくそれが形となって理解されるようになる。
が、この段階では近くのものにしか、目のピントを合わせることはできない。
最初に視界に入ったのは、両親の顔だった。
父親も、母親も、まだ二十代の若さだ。
おれが見つめると、母親は口を動かし、何かの音を発している。
話しかけているのだが、おれの脳はまだ言葉というものを理解していない。というか、世の中に言葉というものがあることすら知らない。単に口が動き、奇妙な音が聞こえるだけだ。
それでもやがて、その音がおれに何かを話しかけ、しきりに何かを訴えていることは理解できるようになる。
おれは機嫌がよくなると、「だーだー」とか「あーあー」とか、意味のない音声を発することはできた。それだけのことなのに、両親はそんなおれの反応に大喜びしている。
生まれてすぐのおれは、立ち上がることはおろか、自由に身動きもできず、周囲を自分の好きなように支配することは不可能だ。ましてやコミュニケーションなど、夢のまた夢といっていい。
やれやれ、これから数年は、ゆっくりと成長しなくてはならないのか……。
この文章を読んでいる諸君は、いくらか混乱しているのではないか?
最初におれが記した「数百回目の転生」というワード。
その通り。
おれは数百回、転生を繰り返している。
同じ両親、同じ誕生の瞬間。死を迎えると、おれは数十年前の自分に転生し、人生を何度もやり直しているのだ。
素晴らしいって?
それは事実上、不死身ということじゃないかって?
そうだけど、それが福音かというと、そうでもないんだな。
まあ、おれの話を聞いてくれ。
確かに前世の記憶を保持したまま、おれは死を迎えると、誕生の瞬間に転生し、人生をやり直している。
しかし、記憶があるといっても、誕生した瞬間のおれの身体は赤ん坊である。脳はまだ、周囲の経験を処理するようにはできていない。
ゆっくりと、おれの脳は成長し、周囲の物事を理解するようになる。体の統御もまた、脳の分担だ。
手足をむやみに動かし、じたばたして、ようやく自分の身体が、こう動かせば手が伸び、足を蹴る、という動作を習得していく。
最初は寝返りができるようになり、ついで、はいはいを覚える。この時点で、ようやくおれは自分の身体を使って移動できるようになった。つかまり立ちから、二本の足で立ち上がるまでは、遠い道のりだ。
言葉をしゃべるのは、実に苦労する。
声帯と、口の開き、それに舌の動きを連携させるという高度な技を使って、ようやくおれは意味のある言葉を発することができた。
最初に口にしたのは、「ママ」という言葉だ。
これは何度かの転生で経験した最初の言葉で、両親に話しかける瞬間、「ママ」とか「パパ」とか言ってやると、彼らが大喜びするのがわかっているからだ。
記憶があるなら、もっと早くできるだろうって?
いやいや、前世の記憶があるといっても、おれの身体はまだ赤ん坊だ。成長過程では、普通の赤ん坊とさほど変わりはない。
それからのおれは、何度も繰り返すことになる、学校生活というものを経験することになる。
これがまた、厄介な繰り返しというやつだ。
同じような学校、同じようなクラスに入るのだが、そのクラスメートの大半は、以前とは違う顔ぶれなのだ。
半分くらいは常に同じ顔ぶれなのだが、残りの半分ほどは、以前の人生では出会わなかった顔と名前の持ち主だ。
苗字は同じだが名前が違っていたり、同じ苗字でも男女の違いがあったりする。
なぜかというと、転生して同じ自分の歴史をたどっているといっても、世界は同一ではないからだ。つまり、タイムラインが同じではないのだ。
精子と卵子が出会い、胎児となり、成長して生まれるのは同じだが、確率的にまったく同じ組み合わせは存在しない。
おれより誕生が前の日にちのクラスメートは、すでに確定した存在なので顔ぶれは変わらないが、おれより後に生まれたクラスメートたちは、その確率変動により、名前や顔、性別が変化してしまうのだ。
同じ理由で、おれより後に生まれた有名人も、また別人となってしまう。おれより以前の誕生であっても、周囲の歴史が変わってしまうので、有名になるチャンスをつかみ損ねるか、あるいは、そもそも有名人になる機会がなく、無名のまま人生を送っている。
要するに、何度転生しても社会の細部は違っていて、以前の経験はほとんど役に立たない。
とはいえ、社会の趨勢というものは、ほぼ同じだ。
国の好景気、不景気の波は、かなり同じような時期に巡ってくるし、国際社会もまた、同じような問題を抱え、同じような紛争を起こしていたりもする。
おれは前世の記憶を利用して、将来性のある会社の株を売買し、巨万の富を築いたことがある。
金があれば、いろんな経験ができるものだ。
しかし、それも何度か転生を繰り返していると、飽きてくる。金で買った快楽というものは、すぐに飽和状態になってしまう。
何度も転生を繰り返すおれは、人間の可能性というやつをつきつめることができた。
それはなにかというと、さまざまな職業を経験してみたということだ。
運動選手、音楽家、科学者、作家……。
おれは幼少のころからそれらの可能性を試してみた。
うまくいった職業もあったし、途中で投げ出してしまった経験もあった。
前世の記憶があったので、それはスタート時点から有利だが、それでも漫然と挑戦してもうまくいかないのは真実だ。
やってみると、人間、無我夢中になってやれば、なんとかなる、という手ごたえはあった。
まあ、有意義ではあった。
数百回の転生。
数百回の人生。
同じ両親、同じ問題がおれの目の前に山積される。
そのうち、ある疑問が生まれてきた。
こうして転生を繰り返しているのは、おれだけか?
もしかしたら意識を持つ人間というやつは、全員、転生をしているのでは、という疑問だ。
この文章を読んでいるあなたは、多分、最初の一度目の人生を経験しているのだろう。もしかしたら、あなたはこの先、最初の転生を経験することになるのかもしれない。
マルチバースという説がある。
つまりこの世界は無限の数が存在し、転生するたびに分岐する新たな世界に生まれ変わるのが運命なのかも。
転生する先の世界では、転生者は自分一人。どこまで転生しても、他の転生した人間は存在しない。無限の転生……。
おれはこの考えにぞっとなった。
仏陀は輪廻転生から解脱するため、悟りの道に入ったという。
かれはおれよりもっと多くの転生を繰り返し、生きることは苦しみであるという結論にいたったのかもしれない。
喜びは苦しみのもとでもある。
苦しみがあるから、喜びもある。
それは盾の両面というやつだ。
おれは仏陀のようには悟れない。だからこの無限の転生は続くかもしれない。
しかしおれはこの転生から逃れようと考え始めた。
ポイントはマルチバースという考えかた。
もしこの世界がマルチバースで、無限の世界が存在するならば、転生がおこらない世界があってもいいはずだ。
おれはその世界に転生するため、あらゆる方法を試してみた。
仏陀にならって、宗教に救いをもとめることもやってみた。
仏教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教、ユダヤ教、ありとあらゆる新興宗教に救いを求めたが、転生はおわらない。
つぎに自分自身で宗教を創始してみた。
何度か転生を繰り返すと、社会の動きというものは簡単に予言できる。
おれの予言はおそろしいほど的中し、たちまち数百人の信者を集めることが出来た。おれはこの世界は苦しみだと説教し、信者たちとともに解脱をもとめ修行の道に入ったりもした。
もちろん、怪しい宗教のように、反社会的な行動はとらない。
やっぱり、宗教は救いの道ではなかった。
多分、正しい宗教家なら解脱できるのだろうが、おれには無理だ。
つぎに手を染めたのは科学の力だ。
おれは多世界解釈という量子力学の考え方を知った。
つまり観測者がいるかぎり、量子の世界では観測結果は確定できないという理論だ。
おれの転生を解決するなんらかのヒントが、この量子力学に隠されているのかもしれなかった。
おれは猛烈に物理学、量子力学、そしてコンピューターへの学問に突き進んだ。
研究の道筋を辿る先に、量子コンピューターが待ち構えている。
おれはこいつを使って、マルチバースに手を触れようと考えた。
今までの経験を文章にし、だれかが転生について考えてくれるのを期待したのだ。
この文章をマルチバースの小説サイトに発表してやろう……。
テキストのみなら容量は少なくとも済むから、なんとか情報を送ることは可能だろう。
おそらくその世界では、転生テーマの小説など創作物が盛んかもしれない。
おれの文章は、そんな転生テーマのひとつとして受け入れられる可能性はあるかもしれない。
この文章を読んでいるあなた、転生という真実について考えてみてくれ!
転生は救いではないのだ!
無限の転生は地獄である。




