『三十四歳、同じ教室の別々の恋』Part.3
第九章|もう一度、三年生
― 留年/嫉妬 ―
卒業式の日、彼はいなかった。単位が足りなかったらしい、という噂だけが流れた。誰も、深くは触れなかった。
私は、予定通り卒業した。
制服を脱ぎ、新しい生活に向かう準備をしながら、心のどこかで、彼を置いてきた気がしていた。付き合っていたわけじゃない。でも、放課後に話して、進路のことを愚痴り合うくらいには、近い存在だった。
「一年だけだよ」
そう言って笑った彼の顔を、私は覚えている。
大学生活が始まり、忙しさに紛れて、彼のことを考える時間は減った。それでも、高校の前を通るたび、胸の奥が少しざわついた。
三十四歳の同窓会。
「久しぶり」
彼は、想像よりずっと落ち着いた表情をしていた。
「大変だった?」
私が聞くと、彼は肩をすくめた。
「正直、周りが先に進むのを見るのが一番きつかった」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
「私ね」
勇気を出して言う。
「追い越したみたいで、罪悪感があった」
彼は驚いたように目を見開き、すぐに笑った。
「それ、嫉妬だと思ってた」
少し間を置いて、彼は続けた。
「俺が留年したから、君が遠くに行った気がして」
同じ出来事を、違う角度から見ていた。
嫉妬は、相手を羨む気持ちだけじゃない。同じ場所にいられなくなった不安から、生まれることもある。
「今は?」
私が聞く。
「今は、あの一年があったから、人のペースを比べなくなった」
それを聞いて、私は少し安心した。
留年は、人生の遅れじゃない。ただ、別の速度で進んだだけだ。それを認め合えたとき、あの頃のわだかまりは、静かに消えた。
第十章|名前が消えた日
― 退学/醜愛 ―
彼の名前が、名簿から消えた日。誰も、理由をはっきり知らなかった。
「退学らしいよ」
その一言で、話題はすぐに別のことへ移った。学校は、いなくなった人を長く留めない。私は、その静けさが怖かった。付き合っていたわけじゃない。でも放課後に話す相手として、彼は特別だった。
彼が来なくなってからも、私は何度か連絡を送った。返事は、ほとんどなかった。それでも、送るのをやめられなかった。心配だった。そう言い聞かせながら、本当は、自分が置き去りにされるのが嫌だった。彼が学校にいられなくなった理由を、私は最後まで知らなかった。知ろうともしなかったのかもしれない。
同窓会に彼は来なかった。来る理由がない、と言われれば、それまでだった。
帰り際、スマートフォンに一通の通知が届いた。
――久しぶり。
短いメッセージ。
――元気?
それだけ。
私は、少し考えてから返した。
――元気だよ。
無理しないでね。
送信してから、胸の奥が、少し軽くなった。
彼を想っていた気持ちは、純粋だった部分もある。
でも、相手の弱さにしがみついて、自分の居場所を確保しようとした醜さも、確かにあった。それを認められたから、もう、追いかけなくていい。
名前が消えた日、私の恋も、終わっていたのだと思う。そして今、それを静かに受け入れられる。それが、大人になるということなのかもしれない。
第十一章|誰にも言えなかったこと
― 妊娠/清算 ―
同窓会の受付で、名簿に並ぶ名前を見て、少しだけ足が止まった。
――生徒会長。
高校時代、その肩書きは私を守る鎧だった。真面目で、成績が良くて、誰にでも平等で、弱音を吐かない人。そう見られている自覚があったし、それを壊さないように生きていた。
卒業してすぐ、私は妊娠した。相手は、同級生だった人。誰にも言わなかった。言えなかった。生徒会長だった私が、そんな「想定外」を抱えていることを、誰も信じないと思ったから。期待を集めていた分、失望させるのが怖かった。だから、私は一人で決めた。一人で抱えた。
三十四歳の同窓会。久しぶりに会う同級生たちは、昔と変わらないようで、確実に変わっていた。
「会長、相変わらずだね」
冗談みたいに言われて、私は笑った。
「もう、会長じゃないよ」
その一言に、少しだけ救われた気がした。しばらくして、昔、副会長だった友人と並んで座った。
「ねえ」
私は、グラスを置いて言った。
「私ね、卒業してすぐ、子どもができた」
友人は驚いた顔をしたあと、ゆっくり息を吐いた。
「……大変だったでしょ」
その言葉で、胸の奥に溜まっていたものが、静かにほどけた。
私は、生徒会長としての「正解」を最後まで演じきれなかった。
でも、逃げたわけでも、投げ出したわけでもない。あの選択があったから、今の私がいる。
清算とは、過去を美化することじゃない。役割を外した自分を、やっと肯定できるようになること。
同窓会の帰り、夜の街を歩きながら思った。
生徒会長だった私も、母になった私も、どちらも、間違いじゃなかった。
第十二章|間違えられたほう
― 双子/いじめ ―
いじめられていたのは、姉のほうだった。
無視される。陰で名前を呼ばれる。笑われる。
理由は、はっきりしない。目立たなかったからか、言い返さなかったからか、ただ、標的にしやすかったからか。
でも、顔が同じだった。
最初に間違えられたのは、体育のあとだった。
「……あんたさ」
呼び止められた。姉の名前で。否定する前に、言葉が飛んできた。
私は、その瞬間、理解してしまった。
――姉に向けられるはずだったものだ、と。訂正は、できた。「違う」と言えばよかった。でも、私は言わなかった。言えば、姉がその続きを受け取ると分かっていたから。
その日から、時々、間違えられた。名前を呼ばれ、視線を向けられ、ひそひそ声を浴びる。姉は、気づいていなかった。気づかないふりをしていたのかもしれない。私は、姉を守っているつもりだった。でも本当は、姉の痛みを、自分が引き受けることで関係を保とうとしていただけだった。
入れ替わったわけじゃない。ただ、向けられる矛先が、曖昧になっただけ。それが、一番たちが悪かった。
三十四歳の同窓会。姉と並んで話していると、昔のことを覚えている人が、何気なく言った。
「あの頃、大変だったよね」
どっちに向けた言葉か、分からなかった。姉が、少し黙ってから言う。
「私ね、途中から、いじめられてる感じが薄くなった」
私は、うなずいた。
「私は、途中から、理由の分からない視線が増えた」
姉は、はっとした顔をした。
「……間違えられてた?」
「うん」
それ以上、責める言葉はなかった。双子は、守り合えるけれど、代わり合うことはできない。いじめは、誰かを選んで起きる。でも、間違えられるだけで、別の人生に触れてしまうこともある。
集合写真で、私は姉と少し距離を取った。それは、姉を嫌いになったからじゃない。もう、誰の身代わりにもならず、自分として立つためだった。




