5話「祈り」
「あ?」
背中側の葉先から液体が垂れる。
それは、供珀さんの腕に流ていたものと一緒で、鈍く黄緑の光を放っていた。
明らかにお腹の辺りを貫通したそれが大きく動いて、彼女を持ち上げ投げつける。
供珀さんは神棚の辺りにぶつかって、壁板もろともガラガラと崩れ落ちた。
私はあまりのことに、ただ何もできずにその『神様』を見つめた。
同じ白い布なのに、違う。
髪の隙間で何かが光る。
小さな手鏡が顔の代わりにそこにあった。
その周りを無数の黄色い小さな花びらが飾っている。
私を追いかけた白ワンピースの『メノウ様』とは明らかに違う、ただ外観だけを真似た別の神様。
正体はすぐに分かった。
あの大きな目が鏡に映っていた。
その奇妙な出で立ちに私は足を一歩引く。
白いワンピースが揺れた。
風ではなく、意志で。
細かな葉っぱの腕を伸ばしながら、何かはゆっくりとこちらに向かって来た。
それと同時に鏡に映る目が私の姿に変わっていく。
心臓の鼓動が速くなる。
息が荒くなる。
視界がぼやけてくる。
音が遠くなる。
どうしたらいいかわからない。
ただここに来てからの短い時間が走馬灯のように巡った。
こんなのが本当に神様なのだとしたら、この世界は本当におかしい。
目が葉を伸ばす。
葉っぱ私の頭を撫でた。まるでメノウ様を真似するように。
葉はとても冷たく、朝露のように濡れていた。
私が何もできずにいると、もう一方の腕のような葉の塊を力をためるように引いた。
私も供珀さんのようになると思うと、恐怖が一気に現実感を帯びた。
声は出なかった。
「...見た目だけかい」
供珀さんの声だった。
私が振り返る前に、肩に手が掛かった。
よろめき立った供珀さんの重さが、温かさが伝わる。
少しの希望もつかの間、彼女のお腹から垂れる黄緑はまるで血のように床を濡らしていた。
「聞け生贄」
私の肩を押して神様のような何かとの間に割って入る。
なぜか花の中央の鏡には、どの角度からでも私だけが映っていた。
まるで供珀さんなんか存在しないように。
それに釘付けになっていた視線を遮るように、彼女の手がかざされた。
「祈ることは抗うこと」
言葉は彼女自身に言い聞かせるようにも、私に告げるようにも聞こえた。
「人はそうしてきた」
静かに両手を合わせた。
垂れる黄緑の光が、息をするように薄く明滅する。
「だから生贄、お前もそうしろ」
ただ一度私のことを振り返る。
その目は私に尋ねるような、そんな目つきだった。
風もないのに、供珀さんの髪が舞ったように見えた。
「祈れ」
鏡の周りのいくつかの花びらが落ちて、黄緑の雫は音もなく垂れる。
風はない。人の声も。
何もない。
ただ、祈りだけがそこにあった。
『「今死ぬか、後で死ぬか」』
理由なんてわからない。
死にたくない。
今はまだ、死にたくはない。
生きていたい。
名前も記憶も途切れたのに、心の中の何かが、まだ聞いていない言葉があるんだと言った気がした。
見様見真似で両手を合わせる。
目を閉じる。
足の震えは止まらない。
溢れる涙も止まらない。
それでも今できる限り、心の底から祈った。
目の前の『神様』に、他の何かに。
『まだ、生きて──』
──ぱたぱたと朝露が落ちる音。
生贄の祈りは、息よりも小さく、夕焼けよりも長かった。




