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1話「おばけと人じゃない巫女さん」

最初に思い出したのは、名前でもなく顔でもなく「おめでとう」と言ったときの、嘘くさい笑顔だった。


季節外れの夏の匂いが鼻を突いた。

夕立のあとに漂う湿気の重さが、ついさっきまで桜の散る通学路にいたはずの私を、まるで別の場所へ放り出したことを告げていた。いや実際にそうだった。


桜並木は影も形もなく、小川のせせらぎも消え、昼の日差しは沈み、世界は真っ赤な夕暮れに染まっていた。


...私、さっきまで何をしてたっけ。

いつもの通学路に、私と、女の子と、もう一人。

二人の背中に向かって何か言いかけて、それで振り向いた二人に……笑った。


鍵がかかったように、どうしても思い出せない。その情景が何度も何度も頭を巡る。

だけども、そんなことはどうでもいい。今は思い出せなくていい。


なぜなら、この瞬間のほうがよっぽど問題だから。


「なに!?だ、え!?どゆこと!?なにぃ!?」


今まさに、四つんばいで這う高身長のお化けが凄まじい勢いで私を追いかけてきているから!


「おおおおお!?」


私はそれはもう全力で駆けた。路地を右へ左へ逃げても、並ぶのは古びた民家と神社ばかりという奇妙な景色でまったく見覚えのない場所だった。その上、人っ子一人いない。なんでだ。


全身全霊でダッシュしながら「ごめんなさい!ごめんなさい!」とよく分からずに叫んだ。こんなに童心に帰れない鬼ごっこ初めて!

すると塀と塀に挟まれたわずかな隙間を見つけた。

進行方向をひん曲げてそこに滑り込む。

大きな四つん這いお化けならきっと入れないはず!


...追ってこない。

そう安堵したのもつかの間、お化けは私が向かうはずだった向こう側でバッチリ待機していた。


「わぁあああ!ズルい!ズルい!私土地勘ないから!近道知らないから!」


またもやよくわからないことを叫んで、必死に元の道に戻った。

それからも垣根を無理やり抜けたり、物陰に隠れたりしたけど、お化けは必ず私の向かう先に現れた。


でもそんな追いかけっこは呆気なく終わりを迎える。

私の体力が、足が、喉が限界を迎えたのだった。


「ゔぁあ!」


左足のこむら返りに、女子高生にあるまじき声を上げて盛大につまずく、そのうえ塀に顔面を強打。

上下の痛みに「ひぃ〜っ」と転げ回っていたけれど、ハッと我に返って振り返る。


お化けは私のすぐ目の前にいた。

四足歩行をやめてゆっくりと立ち上がる、それ。


夕焼けに浮かぶ白いワンピース。

私の倍近い身長が影を落とす。

生気のない細く長すぎる手足。

長い前髪が真ん中で分かれてお化けの顔が顕になる。

そこには目も鼻もなく、裂けた口だけが私を捕らえて、にんまりと歪んでいた。


動けない。

立ち上がることも、顔を背けることもできなかった。

ぎこちなく動くその化け物は、棒きれのような腕を伸ばして私の頭にそっと手を置く。

温かみのない枯れ葉のような感触に、背筋がぞっとした。


私は何とか雫がこぼれそうな目を瞑って、そして心の中で、祈った。


『神様』と。



そのとき。



「困りますね」



声は風のように私の頭上を撫でた。

その瞬間、空気がぴんと張ったような気がして、同時に小さく鈴の音が聞こえる。

見上げると、白い布が風にほどけるように揺れ、輪郭を結んでいた。

立っていたのは、巫女装束の女の人。

その白だけが、この世界の色を拒んでいるようだった。


彼女は私の頭に置かれた腕を支えるように、そっと手を添える。

こんな意味不明な状況にも、少し心が落ち着いた気がした。


お化けと女性はそのまま制止して、お互いに見合う。

この人は私を助けに来てくれた...の?

お化けを払いそうな彼女の服装に、少しの希望を抱いた。

しかし次の瞬間、女性の手は古びた紙のように茶色く変色していった。


「……うっ!?」


私はそんな状況に顔を引き攣らせた。

でも女の人は表情ひとつ変えない。

対照的にお化けは笑った。

彼女はただ黙って裂けた口を見返した。

そしてゆっくりともう一方の手で枯れた腕をつかむと、


自分の腕を──もぎ取った。


私は息を呑んだ。

けれど彼女は気にも留めない。

その上どういう訳か跪いた。

そして平然と、その枯れた腕をお化けに差し出す。まるで供物を捧げるように。腕を献上するように。

その光景はとても神聖に、そしてひどく悪い事をしているように見えた。


それを黙って受け取ったお化けは、ゆっくりと後ろを振り向いて夕闇の中に溶けていく。

にっと歪んでいた口元は少しだけ、下ったように見えた。


お化けが消えて、辺りには静寂が戻った。

人の声も鳥の声も虫の音もない。

雨上がりの後のような、生暖かい風が肌を撫でる。

しゃらんと小さな鈴の音をたてて女性がこちらに顔を向けた。


「供珀」


そう呟く。


「……え?」


供珀くはく。名前」


「ど、どうも……」


反射的に頭を下げる。

伺うように姿勢を戻すと、彼女はしゃがんだまま、まだある方の手でつまらなそうに頬杖をついていた。

それから小さなため息をついた。

彼女の切れ長の目に思わずドキリとして、咄嗟に「大丈夫ですか……?腕」と尋ねた。


すると女性は平気なように「あぁ」と返事をして淡々とした口調で言った。



「取れるから」



あ、腕取れるんだ......そっか。.......いや、取れるか...?なんて思っていると彼女は私の頬をいきなり鷲掴みにした。そして皮肉な笑みを浮かべる。


「わたし、人間だから」


その笑みは、目だけ笑っていないように見えた。


ああ、こっちもヤバい人だ。

私は、そう思った。



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