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第8章|制度という壁

アジャイ・シンは、ニューデリーで要職を務める中央官僚。

電子政府とデジタルインド構想を旗印に、識字率向上とスマートグリッド推進、フィンテック活用を同時に掲げた人物だ。


国際会議の壇上で彼は演説する。

「我々はインドを“ひとつの情報国家”に変える。この地球上で、最も多くの人々を一挙に接続した文明となるだろう」


拍手が鳴る。

英語でのプレゼン資料、図表、動画。バイナリコードが走るプロモーション映像。聴衆は熱狂する。


スクリーンには、教育を受ける少女の笑顔、灌漑を制御するスマートフォンを握る農民、オンラインで医師と対話する老婦人の姿。


しかしその頃、彼の生まれ育った農村では、停電が続いていた。

夜になると、ランプの明かりだけが唯一の光源。

空は広く星が瞬くが、屋根の下では蚊帳を吊りながら祖母が孫に昔話を語っていた。


村の学校にはパソコンが1台しかない。

光回線の整備は「書類上は完了」しているが、実際にはケーブルが通っていない。

教師はWordの使い方も知らず、生徒はマウスの動きに怯える。


遠隔診療のアプリは村人にとって無用の長物。

「指をスキャンせよ」と言われても、何のことかわからない。


ある日、アジャイは省庁の命令で視察に赴く。


赤土の地面に雨水の跡が残る村道を歩き、共同井戸の前に立つ。

日傘もなく炎天下に立つ老婆が、彼を見上げた。


「政府の人間はいつも、箱を持ってくるが、答えは持ってこない」


言葉の意味が最初わからなかった。

だが、老婆が指したのは、錆びかけた太陽光パネルと、ビニールに包まれた配布された格安スマホだった。


「息子は仕事に出て、嫁は帰ってこない。私は画面に触れられても、何も変わらないよ」


老婆の手は節くれ立ち、画面に触れるたびに指が震えていた。

音声認識機能もヒンディー語方言には対応していない。


アジャイはその夜、ホテルでその言葉を繰り返し思い出していた。


薄暗い部屋、クーラーの低い唸り音、スーツケースの中から取り出されたプレゼン資料。

その中に書かれた「地域参加型開発モデル」という文字が、急に白々しく感じられた。


制度とは、誰が触れられるのか。

誰の手が届き、誰の言葉が反映され、誰が“使いこなす側”に立つのか。


会議で自分が掲げていた「成功」の定義が、彼女にとって何の意味もないことを痛感した。


彼は、帰りの車中で秘書に小声で言った。

「…もう少し、別の現実を見せてくれ」

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