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第7章|旅する者の傲慢

ジュリアン・ベルトランはフランス出身のフォトジャーナリスト。

パリでは地下鉄よりUberを使うような男だが、インドではあえてリキシャに乗り、火葬場やスラム街を歩き回る。


リキシャの荷台に揺られながら、彼は舗装されきらない道の上を進む。

甘いスパイスの香り、牛糞と湿った土の匂い、スピーカーから流れるヒンディー語の音楽、ドライバーの汗が染み込んだ背中のシャツ。

すべてが、彼の中の「異国」を満たしていく。


「リアルな現場を知ること。それが僕の使命だ」


自負に満ちたその言葉を、通訳の青年が訳すと、受け手の表情は硬くなる。


ジュリアンは「不正義を撮る」ことで名を成してきた。

ルワンダの難民、パレスチナの爆撃、ソマリアの飢餓——彼の写真は何度も国際報道賞を受賞し、『フィガロ』紙や『ル・モンド』、さらには『TIME』誌の表紙を飾った。


しかし、それらの現場で彼は、いつもフレームの外に立っていた。

ファインダー越しの世界。自分は「見る者」であり、「介入しない者」だと信じていた。


彼の編集者は言ったことがある。

「感情じゃない、構図だ。目に焼きつく“人間の痕跡”を切り取れ」


だがいつからか、賞状と掲載紙の束が、夜になると彼の心を重くするようになっていた。



ある日、彼はヴァラナシの火葬場を撮影していた。

焼却を待つ遺族の列。

子どもが薪を運ぶ姿。

空には焦げた布の匂いが混ざる煙。

乾いた灰が髪に降り積もり、喉が刺すように痛む。


そこに、シャーリニが現れた。

大学のフィールドワークで訪れていたのだ。


「あなた……何を撮ってるの?」


「現実さ」


「あなたの現実? それとも、彼らの?」


ジュリアンは一瞬、返答に詰まった。


「……伝えることが使命だと信じてる」


「誰に? 誰の目のために?」


シャーリニの瞳は、ジュリアンのレンズよりも深く鋭かった。


彼はふと、シャッターを押す手を止めた。



その夜、彼はホテルの部屋で何度も写真を見返した。

焚かれる薪、空ろな目の少年、シャーリニの問い。


画面越しに、人々の「視線」が突き刺さるように感じられた。

冷房のきいた室内の静けさが、むしろ居心地を悪くした。

写真の中で泣く少女の隣には、取り残された自分の影が見えた気がした。


次の日、彼はカメラを肩にかけながらも、シャッターを一度も切らなかった。


ただ、歩き、匂い、耳を澄ました。


子どもたちの笑い声。

壁に描かれた古びた神の絵。

熱気に滲んだバザールの空気。


「記録する」のではなく、「触れる」ために。


ジュリアンの中に、初めて「沈黙する」という選択肢が芽生え始めていた。



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