第7章|旅する者の傲慢
ジュリアン・ベルトランはフランス出身のフォトジャーナリスト。
パリでは地下鉄よりUberを使うような男だが、インドではあえてリキシャに乗り、火葬場やスラム街を歩き回る。
リキシャの荷台に揺られながら、彼は舗装されきらない道の上を進む。
甘いスパイスの香り、牛糞と湿った土の匂い、スピーカーから流れるヒンディー語の音楽、ドライバーの汗が染み込んだ背中のシャツ。
すべてが、彼の中の「異国」を満たしていく。
「リアルな現場を知ること。それが僕の使命だ」
自負に満ちたその言葉を、通訳の青年が訳すと、受け手の表情は硬くなる。
ジュリアンは「不正義を撮る」ことで名を成してきた。
ルワンダの難民、パレスチナの爆撃、ソマリアの飢餓——彼の写真は何度も国際報道賞を受賞し、『フィガロ』紙や『ル・モンド』、さらには『TIME』誌の表紙を飾った。
しかし、それらの現場で彼は、いつもフレームの外に立っていた。
ファインダー越しの世界。自分は「見る者」であり、「介入しない者」だと信じていた。
彼の編集者は言ったことがある。
「感情じゃない、構図だ。目に焼きつく“人間の痕跡”を切り取れ」
だがいつからか、賞状と掲載紙の束が、夜になると彼の心を重くするようになっていた。
◆
ある日、彼はヴァラナシの火葬場を撮影していた。
焼却を待つ遺族の列。
子どもが薪を運ぶ姿。
空には焦げた布の匂いが混ざる煙。
乾いた灰が髪に降り積もり、喉が刺すように痛む。
そこに、シャーリニが現れた。
大学のフィールドワークで訪れていたのだ。
「あなた……何を撮ってるの?」
「現実さ」
「あなたの現実? それとも、彼らの?」
ジュリアンは一瞬、返答に詰まった。
「……伝えることが使命だと信じてる」
「誰に? 誰の目のために?」
シャーリニの瞳は、ジュリアンのレンズよりも深く鋭かった。
彼はふと、シャッターを押す手を止めた。
◆
その夜、彼はホテルの部屋で何度も写真を見返した。
焚かれる薪、空ろな目の少年、シャーリニの問い。
画面越しに、人々の「視線」が突き刺さるように感じられた。
冷房のきいた室内の静けさが、むしろ居心地を悪くした。
写真の中で泣く少女の隣には、取り残された自分の影が見えた気がした。
次の日、彼はカメラを肩にかけながらも、シャッターを一度も切らなかった。
ただ、歩き、匂い、耳を澄ました。
子どもたちの笑い声。
壁に描かれた古びた神の絵。
熱気に滲んだバザールの空気。
「記録する」のではなく、「触れる」ために。
ジュリアンの中に、初めて「沈黙する」という選択肢が芽生え始めていた。