第4章|郵便という存在証明
朝露を含んだ道を、ファヒームはゆっくりと歩く。
肩にかけた布鞄には、手紙が五通、政府からの年金通知が三通、そして色褪せた絵葉書が一枚。
道沿いの家々は日干しレンガでできており、屋根には衛星アンテナが不格好に据えられているが、テレビは電力不足でほとんど映らない。
野良牛がゆっくりと通りを横切り、竹箒を持った女性が石畳を掃いている。
井戸からは子供たちのはしゃぐ声が響き、地面にこぼれた水が朝日にきらめいた。
空は青く、地平線の先まで薄くかすんでいた。
ファヒームの足取りは、村の地図を記憶したかのように正確だった。
最初の家では、片耳の遠い老人が玄関先に座っていた。
「ファヒームか。まだおまえは歩いてるのか」
「はい、ババ。今日は絵葉書もありますよ」
彼は慎重に封筒を取り出し、老いた指に押しつけるように手渡した。
老人の目が一瞬潤む。
「息子からか?」
「はい。アラハバードの消印です」
「そいつは……元気にやってるのかね」
「ええ、工場で新しい仕事に就いたそうです」
家の奥からは、薬缶が沸く音がした。ファヒームは断って次の家へと向かった。
◆
かつて郵便局は村の中心にあった。
だが、今では局員も減り、配達業務も外注された。
ファヒームは正式な職員ではなく、村に暮らす半ばボランティアのような存在だった。
一部の住民は、もう彼を必要としない。
年金はスマートフォンのアプリで直接通知され、指紋認証で引き出せる。
だが、村の半数以上が、読み書きに不自由し、機械に恐れを抱いていた。
午後、彼は共同井戸の脇で、配達物を整理していた。
通りすがりの若者が声をかけてきた。
「いつまで歩くんだよ。アプリ使えば済むのに」
ファヒームは苦笑した。
「手紙は読むまで届いたことにならないんだ」
「へえ、でも読む人がいなきゃ、どうなる?」
「……そのときは、届ける意味も一緒に消えるのかもしれない」
若者は肩をすくめて去っていった。
夕方、彼は最後の一軒を訪れた。そこには、寝たきりの老婆が寝息を立てていた。
娘が表に出てきて、手紙を受け取った。
しばらく見つめた後、静かに言った。
「この人には、もう届かないかもしれません」
ファヒームはうなずき、目線を逸らした。
「でも……届けなければ、届かないままです」
娘は手紙を胸に当て、家の中へと戻っていった。
ファヒームは深く頭を下げ、ゆっくりと家を後にした。
郵便鞄は軽くなったが、彼の胸の内には、言葉にできない何かが残っていた。
月が昇りはじめた村の空には、あらゆる音が静かに吸い込まれていった。
乾いた土と煙の匂いが、夜風とともに彼の衣に染み込んでいた。