第1章|進むという離村
夜明け前の空は、青とも灰ともつかない色に染まっていた。
チャーイの煮立つ香りが、レンガ造りの低い家々の隙間から漂い出る。
サリーを頭に巻いた女性たちが、井戸端で水をくむ音がかすかに響く。
その音の奥で、まだ暗い地面を素足で歩く山羊の蹄音が乾いた大地を軽く叩いた。
シャーリニは、自分の持てる全てを詰め込んだボストンバッグを肩にかけ、家の前に立っていた。
薄い綿布の上着の下に、大学から支給された唯一の西洋風のシャツを着込んでいたが、襟元は村の埃にすでに馴染んでいた。
彼女の村――マハナンダ村は、19世紀末の英国統治時代に鉄道駅を建設されたが、今やその駅も一日2本しか列車が止まらない。
かつて駅舎だった建物の赤レンガは風雨に洗われ、白い漆喰が剥げ落ちている。
しかしその壁には、村の若者が描いた“希望の壁画”があった。
中央には女性が本を抱えた姿。そのモデルが自分であることを、シャーリニは知っていた。
祖母が畑の縁に立ち、うなずいた。
口は開かなかったが、目が言った。「行きなさい、誰よりも遠くへ」
列車は村を離れ、赤土の大地を切り裂くように進んだ。
茶畑の緑と、痩せた牛たちの白い背中が点在する風景が車窓を流れていく。
遠くに見えたのは、チャロティールの要塞跡。ムガル時代の石造建築は半ば崩れかけていたが、あの崩れかけた塔の下でシャーリニは子供の頃、よく弟と鬼ごっこをしたものだった。
途中、商人たちが持ち込んだ焼き豆の香ばしい匂いが車両を満たす。
隣に座った老婆が、小さく折った新聞紙の中からターメリックで味付けされた揚げ米を差し出した。
シャーリニは笑って受け取りながら、駅で見送った村の少女たちの顔を思い出していた。
都市に入った瞬間、風の匂いが変わった。
スモッグを含んだ油の匂い、スチールの熱、そしてコンクリートが乾く音。
空は晴れていたが、光はどこか金属的で、色を持たない。
シャーリニが降り立ったのは、ナグラダール駅。
旧英国時代のゴシック様式と、近代化工事中の鉄骨が混ざり合う不協和音のような構内。
都市のざわめきは、言葉ではなくデータで動いていた。
通りにはeバイクが走り、広告の電子看板には「Smart Bharat 2045」のスローガン。
しかし、駅裏のスラム区域では、ブルーシートで覆われた屋根の上で、子供たちが手を振っていた。
その手を見た瞬間、シャーリニの胸に熱くて苦い何かがこみ上げた。
「私は、どちらの手に触れるために、ここに来たのだろう?」