表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

タイトル未定2025/04/05 18:39

Prologue ―花は、そこに咲いていた

図書館の裏庭には、小さなベンチがある。


誰も通らない道。

音もしない、静かな午後。

そこに僕は、毎週木曜日、花束を持って座っている。


なぜそんなことをしているのか、僕には分からない。


けれど、午後4時になると、心がざわつく。

胸が締めつけられるように苦しくなって、

誰かの声を思い出しそうになる。


その“誰か”が、誰なのかは、思い出せない。


「……また、ここに来てるんだね」


ある日、そんな声がした。


振り向くと、見知らぬ女の子が立っていた。

だけど僕の心は、強く波打った。


まるでずっと――その声を、待っていたかのように。



第一章 名前も知らない君のこと

「湊くんって、花、好きだったんだね」


そう言って、彼女は隣に腰を下ろした。

花束を見つめるその瞳は、少しだけ潤んでいた。


「……ごめん、僕のこと、知ってるの?」


僕がそう尋ねると、彼女は少しだけ首をかしげた。


「うん。知ってるよ。……すごく、大切な人だった」


「……“だった”?」


「ううん、“今も”かな」


彼女は言葉を濁すように笑った。

その笑顔は、懐かしい香りがした。


僕は事故に遭ってから、記憶の一部を失った。

特に“恋愛”にまつわる記憶は、ごっそり抜け落ちているという。


それを医師から聞かされたときは、正直ピンと来なかった。

けれど今、この女の子を前にして――初めて、

“何かを失った”という感覚を、はっきりと実感していた。


「……名前、教えてくれる?」


僕の問いに、彼女はしばらく黙っていた。


そして、小さく首を振った。


「今はまだ、やめておく。湊くんの中から出てくる日まで、待ちたいの」


「それって……僕が思い出すのを?」


「うん」


「……そんなの、保証できないよ」


彼女は笑った。


「大丈夫。思い出せなくても、私は湊くんを忘れないから」


その言葉が、なぜか胸に深く刺さった。


彼女が誰なのかもわからないのに、

今、この瞬間だけで、“もう失いたくない”と思っていた。


第二章 秘密の水曜日

その日、空は真っ青だった。


「……湊くん、今日は水曜日だよ?」


放課後、校門の前で僕を待っていた彼女は、いたずらっぽく言った。

僕が図書館に行くのを見越して、先回りしていたらしい。


「うん、でも今日はたまたま用事があって――」


「うそ。湊くん、水曜日は毎週サボるくせに」


「……まさか、それも知ってるの?」


彼女は笑って、僕の制服の袖を軽くつかんだ。


「じゃあ、今日は付き合って。ちょっとだけ、行きたい場所があるの」


歩いて10分。住宅街の中にある、小さな公園。


ブランコが2つだけある、誰もいないその場所に、

彼女は立ち止まった。


「……ここ、どこかで見たことある気がする」


そう呟いた僕に、彼女は「うん」と小さくうなずいた。


「中3の春、私と湊くんが初めて“手を繋いだ”場所」


「……僕と?」


「うん。私が泣いてて、湊くんが黙って手を握ってくれた。

 そのときから、私は――ずっと、湊くんが好きだったの」


風が吹いた。ブランコがきぃ、と鳴る。


「だけどね、思い出さなくてもいいの。無理に、過去を取り戻さなくても」


「……どうして」


「私は“今”の湊くんとも、また恋ができる気がしてるから」


その言葉は、やさしくて、少しだけ哀しかった。


帰り道、彼女はふと立ち止まって言った。


「本当はね……毎週木曜に花を持ってきてるの、私がお願いしたの」


「え……?」


「湊くんが記憶を失った後、何も残せなくなって――

 せめて何かひとつだけ、“理由のない行動”を残したくて」


「理由のない……?」


「うん。もし未来で、それが胸に引っかかったら。

 きっと、それは“私のことを好きだった記憶”のかけらだから」


僕は彼女の顔を見つめた。

その目は涙をこらえて、笑っていた。


「だから湊くん、来週も木曜日、花を持ってきてね」


「……わかった」


「ありがとう」


彼女は僕の手をそっと握った。

懐かしいような、でも今触れたばかりの温もり。


だけど、どこか遠くに行ってしまいそうな感触だった。


第三章 君を夢で見た日

夜。

静かな部屋。

目を閉じたはずの視界に、色がにじんだ。


――白いベンチ。

――木曜日の午後。

――そして、笑う少女。


その夢は、まるで映画のワンシーンのようだった。

淡い光のなか、少女は言った。


「湊くん、花っていいよね。

 理由もなく咲いて、誰かの心を癒すんだもん」


声を聞いた瞬間、胸がぎゅっと痛んだ。


「……誰……?」


夢の中でそう口にしたとたん、景色がゆっくりと崩れていった。

ベンチも、少女も、花も、全部、霧に飲まれるように消えていく。


目が覚めると、僕は汗でシャツを濡らしていた。


翌朝、教室のドアを開けると、彼女がいた。


「あ。おはよう、湊くん」


「……おはよう」


声を聞いた瞬間、昨夜の夢が一気に蘇った。

あれは、夢じゃなく“記憶”だったのかもしれない。


「ねえ……夢に、君が出てきた気がする」


僕が言うと、彼女の手がふるっと震えた。


「……そうなんだ」


「ベンチに座って、花の話をしてた。君が笑ってて……」


僕が言い終わる前に、彼女は小さく笑った。


「その夢、前にも一度だけ話してくれたことがあるんだよ。

 ――忘れたこと、また思い出してくれてありがとう」


彼女の瞳の奥が、かすかに潤んでいた。


その日の帰り道、彼女は僕にひとつ、お願いをした。


「次の木曜日、花を持って、ベンチで待ってて。

 今度は私から、“全部”話すから」


「……全部?」


「うん。私たちがどうやって出会って、

 どうやって……ここまで来たのか」


彼女は、笑いながら言った。


「きっとそのとき、湊くんは――泣いちゃうかもね」


「……じゃあ、ティッシュ多めに持ってく」


彼女はくすっと笑った。


そして、僕の心のどこかで、

確かに“なにか”が動き始めたのを感じた。


第四章 はじまりは春の図書館

「……きっかけ? うーん、たぶんね。あの日だと思う」


木曜日の放課後、例のベンチに座って、彼女は語り始めた。


「中学の卒業式のあと、図書館でひとり泣いてた私を、湊くんが見つけたの」


雨上がりの午後だった。


制服のまま、窓辺で泣いていた彼女を、

僕(当時の湊)はただ静かに見ていたらしい。


「泣いてるとこ、誰にも見られたくなかったのに」


そう言って照れ笑いする彼女に、僕は聞いた。


「……なんで、泣いてたの?」


「自分でもよくわかんなかった。

 卒業って、“誰かにさよならを言う”ことだって初めて知ったから」


彼女の声は、懐かしい過去を確かめるように、少し震えていた。


「そのときね、湊くんがそっとハンカチをくれたの。

 それ、洗って返そうと思ってたのに……結局、いまだに持ってる」


そう言って、彼女はカバンから出した。


淡い水色のハンカチ。端に「M.Y.」と縫われた刺繍。

それは、確かに僕のものだった。


「……なんで持ってるの」


「忘れたくなかったの。あのとき、湊くんが見てくれた“私”を」


その日から、ふたりは少しずつ距離を縮めていった。

好きだとか、恋だとか、そんな言葉すらまだ遠くて。

だけど、確かにそこに温度があった。


第五章 君と過ごした100の景色

「高校に入ってからもね、私たちはずっと一緒だったんだよ」


彼女は、カバンから小さな手帳を取り出した。


「これは“思い出のメモ帳”。湊くんとの日々を、ぜんぶ書き留めてたの」


ページを開くと、そこにはいくつもの記録があった。


・4/12 お弁当交換した日。湊くんの卵焼きが甘すぎて笑った。

・5/3 図書館で勉強したけど、途中から恋バナに。

・7/21 花火大会。帰り道で手をつないだ。

・9/15 風邪引いた湊くんにおかゆを作ってあげた。完食。嬉しかった。


「これって……」


「うん。全部、私にとっては宝物。

 でも、今の湊くんは知らない記憶なんだよね」


彼女は笑った。だけど、その目はにじんでいた。


「それでもね、湊くんに伝えたかったの。

 記憶はなくても、私たちは確かに愛し合ってたってこと」


僕は、何も言えなかった。

彼女の想いの重さに、胸が熱くなって、

だけど何ひとつ思い出せない自分が悔しかった。


「……ごめん」


「ううん。謝らないで。

 もう一度、私と恋をしてくれたら、それでいいから」


第六章 記憶が涙を連れてくる夜

その夜。

僕は、また夢を見た。


花束を持って笑う僕。

それを見て泣いている彼女。

そして、耳元で聞こえた声――


「もし、私のことを忘れても……

 また、私に恋をしてね。

 私はいつでも、ここにいるから」


目が覚めると、枕が濡れていた。


夢なのか、記憶なのか。

でも、確かにその声には、ぬくもりがあった。


第七章 嘘と約束と未来の花

木曜日、いつものベンチ。


彼女はそこにいなかった。


花束を抱え、僕はひとり座っていた。

風が吹いて、春の匂いがした。


待っても、来ない。


次の日も、その次の週も、彼女は現れなかった。


そしてある日、担任の先生が告げた。


「……彼女、転校することになったんだ。入院先の病院、変わるらしくて」


「……入院?」


すべてを知らなかったのは、僕だけだった。


第八章 隠していた理由わけ

彼女はずっと、病気と闘っていた。


高校に入る前から、身体の中で静かに広がっていた病気。

無理をして通学していたのも、週に何度も検査に行っていたのも――

全部、僕に心配をかけたくなかったから。


「記憶をなくした湊くんには、“悲しいこと”だけは思い出させたくなかった」


そんなメッセージが、彼女の思い出のメモ帳の最後のページに残されていた。


「湊くんへ。

 もし、これを読んでくれてるなら――ありがとう。

 好きになってくれて、また、好きになろうとしてくれて。

 本当に幸せだった」


「君がいた未来には、ちゃんと花が咲いてた。

 きっとそれは、君が忘れた“私”にも届いてたから」


第九章 最後の手紙

1ヶ月後、僕のもとに小さな封筒が届いた。


差出人は彼女。

日付は、僕が“夢で泣いた夜”と同じだった。


「湊くんへ。

 もし、この手紙が届いてるなら、私はもう“君の過去”の人になってるかもしれません」


「でも、どうか忘れないで。私たちが恋をしたこと。

 君が私を笑わせてくれたこと。

 そして、“また恋をする”って約束してくれたこと」


「私は、湊くんの未来に咲く“花”になれたかな」


最後の行は、にじんで読めなかった。

でも、確かにこう書かれていた。


「愛してる。何度でも、愛してる。」


最終章 君がいた未来に、花は咲く

春が来た。

あのベンチに、僕は今日も花を置く。


それは“理由のない習慣”じゃない。

僕の中にある、確かな想いの形。


忘れてもいい。失ってもいい。

それでも、もう一度、恋をする。

もう一度、君に出会うために。


「……来年も、この花が咲くころ、君に会えるといいな」


風が吹いた。

頬をなでた風は、あの日の彼女の声のようだった。


「湊くん、来年の春、花が咲いたらまた会いにきてね」


僕はうなずく。笑って、泣いて、うなずく。


空を見上げた。


そこには、君がいた未来が広がっていた。



エピローグ:それでも、君が花をくれた

彼女が図書館に来なくなったのは、それから数日後だった。


病気が進行していた。

手帳を渡した日が、彼女の“最後の約束”だった。


彼女の母から届いた手紙には、こう書かれていた。


「あなたが花を持って座っていたその時間、

 あの子は“会えて幸せだった”と話していました」


湊は今でも、木曜日の午後4時に花を持って図書館に向かう。

なぜかは、もう知っている。


花を渡す相手はいない。

けれどその空のベンチに、彼女の笑顔が浮かぶ。


「……名前は思い出せないけど、

 あのとき、君を――本当に、愛してた気がするんだ」


風が吹く。花が揺れる。

そして湊は、空のベンチに花を一輪そっと置く。


「……また来週、会おうね」


――それが、

名前を忘れた彼女と、記憶を失った少年の、

一番確かな“未来”だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ