第5話 氏神様のヒロイン選別基準を、疑問に思う
「ごちそうさまでした」
花音が、ぺこりと頭を下げると、ユトンは満足げに頷いた。
口に出して言わなかったが、昨夜からずっと心配していたのだ。
血色のよい顔色を見て、やっと人心地つけた。
花音は、一人で平らげて、すっかり元気を取り戻した。
おいしい物を食べて、温かい飲み物を飲んで、おなかがいっぱいになると、心も温まった。
「魔法を使えるのに、王宮魔術師には戻れないんですか?」
食事中ずっと気になっていた事を、真っ先に聞いてみた。
「ああ。今の肩書は、単に第二王子で、ルイーベ王国の第二王女リーシャのSPだ。一応、身分は偽ってる。王女を、この国の貴族連中から護るのが使命。そういうシナリオだ」
「リーシャ!?」
人違いされた時に呼ばれた名前が出て、ほんの一瞬、目眩がした。
(もしかして、シナリオのせいで、殺されそうになった?あの時点で、ゲームの中に入ってた??)
すぐに尋ねようとしたが、極々小さな呟きを聞き取って、質問を考え直すことにした。
「リーシャがいたら、風魔法で乾かせて貰えたんだが……」
ユトンは、苦り切った表情で呟いた。
暖炉の炎を見つめて、つい昨夜の苦悩を思い出したのだ。
昨夜は、頭を悩ませた。屋敷の主が不在でも、肖像画の目はある。
王子がヒロインの着替えをしたと、屋敷の者に告げ口されたら、社交界中で噂になるだろう。
そうなれば、王家の威信に関わるのではないかと危惧もした。
下心が一切なくとも、本来、王族の仕事ではない。
悩み抜いた末、ユトンは天に向かって十字を切った。
まずは長髪を絞る所から始めたが、あまりの冷たさに目を剥いた。
娘の体から、どんどん体温が失われていく。
隣室のバスルームに駆け込んで、バスタオルを何十枚も持ち込んだ。
使用後は、乾かそうとして、服ごと燃やしてしまった。
故意ではないが、屋敷の守銭奴から苦情が来るだろう。
水色のストライプ柄の端にあった刺繍は、高級ブランド品を取り扱うポワンチェのモチーフだ。
オレンジ色のバラに縁取られた黒ゾンビと骸骨カップルの頭上に、大きな虹が掛かっていたので、間違いない。相当な金額だ。
請求先は王家だが、ヒロインに関する事項なので、父上も多少は大目に見てくれるかもしれない。
べちょべちょの洋服、特にジーンズは脱がすのに難儀して、破いた方が早いと思った。
「水を吸ったら、こんなに重いのか。23回目のヒロインの言葉が、今頃身にしみる。海で溺れた子供の話を聞いた時は、海水を吸ったジーンズが災いしたと言われても、ピンとこなかった。たかがこんな布切れがと思ったからな」
ヒロインの世界で、初めてジーンズを見た時、物珍しかったので何本か買った。
その時、忠告されたのだ。
「これを履いたまま、川や海に飛び込んだらダメですよ。命取りになります。とりわけ川は、海と違って殆ど真水だから浮きにくいですし、流れが急な所は、特に危険です」
実名も、実年齢も思い出せないが、はきはきと物を言う子だった。
妙に説教くさい所もあったが、歴代のヒロインの中で、最も義理堅い気質だった。
確か、小学校の用務員だと言っていた。
「近年、小学校では、子供たちに、服を着たまま溺れた際どう対応すれば良いのか、訓練士さん,《インストラクター》や《ライフセイバー》の方たちを呼んで、実地訓練,《着衣水泳》を行う学校も増えつつあります。水を含んだ洋服は怖い、忘れたらダメですよ」
ヒロインの世界には、散々行く羽目になったので、Tシャツも既に何枚も購入しているが、長時間こんな大雨に打たれて濡らした事がないので、知らなかった。
「こんな薄布が剥がれない……」
張り付いたシャツを引っ張り揺り動かす度、太い指先が雪のように冷たい白肌に何度も触れて、罪悪感は増した。
心配する気持ちが遥かに上回ったが、何もかも不馴れな作業で疲労した。
「ドレスは無難な白にするか。下着も白が残ってたな」
当たり前だが、誰かにドレスを着せた経験はない。
走ってドレスルームから取って来たが、これも骨を折った。
その上、暖炉に火をつけた後も絶やさず焚いて、部屋を暖め続けた。
ユトンの属性は水なので、火の扱いは得意じゃない。
慎重に服を乾かしていたら、うっかり手を滑らせて燃やしてしまった。
消火は得手だが、鎮火後は再び火のつけ直しで、手間がかかった。
その後は、知らぬ間に、ソファで眠りこけていた。
そんなこんなで、娘の悲鳴で目覚めた時は、最悪な気分だったが、そこは年の功。
表情に出さないよう努めた。
しかし、娘が言う事をきかない。泣く子をあやす母親の気分で苦労した。
最後は納得したのか、席についたので安心したが、食べ始めは実に不服そうな顔をしていた。
「風魔法って、王女さまも王宮魔術師だったんですか?仲が良いんですか?」
呟きを聞き取ったのか、呑気な娘が、不思議そうに首を傾げた。
(気楽な娘だ。こちらは、心配し過ぎて、コーヒーの味が分からなかったというのに。リベールから受け取ったデータファイルに、19と書かれていたが、本当か疑わしい。データ収集班に、酷い手落ちがあったのかもしれない。ゲーム終了後、確認するか……)
「魔術師にならなかったが、魔法は、今も使える。もと公爵令嬢で、大事な幼馴染だった。魔王に見初められて、魔王の妻、ルイーベ王国の王妃になった。今は、護衛対象だ」
「魔王もいるんですか!?私、魔王の奥さんだった人と、間違われたんですか!?」
花音が目を丸くして問うと、ユトンが眉間に皺を寄せた。
「おまえは、自分の名前に興味がないのか?」
「あっ!忘れてた。私、誰ですか?」
「……」
ユトンは、口を閉ざし、22回目のヒロインの言葉を思い出した。
「天然と奇人は、紙一重だと思うんです。私の友だちに、すごーく変わった子がいて、五月頃だったかな?放課後の教室で六人かたまって喋ってたら、突然、真顔で、『地球飽きたよね』って言いだしたんです。私達みんな、はあ?ってなりました。それで、一人が、『じゃあ、どこに行きたいの?』って聞いたら、『東京』って答えたんです。また、はあ?ってなりました。『せめて海外にしたら?』って言ったんです。そしたら、真剣に『あっ、そっか、北極の方が、宇宙に近いもんね。上だもんね。流石、リコちゃん!学年1位』って言ったんです。どう思います?」
尋ねられたが、興味がなかったので、無難に答えておいた。
「北極が、どこだか知らないが、五月病にでもなったんだろう」
「五月病?底抜けに明るい子ですよ?私達、沈黙しました。その沈黙を、肯定ととったみたいで、『人生、一度は地球に飽きるよね。皆、一度は通る道だよね』って微笑んだんです。私達それぞれ、一斉に突っ込み入れました。『飽きない!』『通らない!』『そんな道ない!』『地球で我慢しなさい!』『もう東京でいいでしょ?北極よりマシ!』ユトンさん、通りました?」
この質問には即答できた。
「通ってない。この先、通る予定もない」
「ですよねー。ほんと真面目な子で、簡単に騙されるんです。焼き鳥が大好物で、雀の焼き鳥が美味しいよって冗談で言ったのに、本気にして!学校帰り道端で、よろよろ歩いてた雀を見つけたんですけど、『千載一遇のチャンス!』とか言って、運動神経ゼロなのに、スクール鞄で捕獲しようとしたんです」
これを聞いて、ユトンは、思わず尋ねた。
「捕まえたのか?」
「もちろん、逃げられました」
本名リコは、さも当然といった風に答えて笑った。
「その雀すごかったんです!じりじりと近付いて行って、後一メートルってなった時、突然ピンっと背筋を伸ばして、空に舞い上がったかと思うと、ぴゅーっんって飛んで行ったんです。私達、大笑いしました。あの演技力は、アカデミー賞ものでした。今にも死にそうな歩き方だったんです。ヨロッヨロッて!それが、超絶元気に逃げて行きました」
ユトンは、つい想像して苦笑した。
「本人は、凹んでましたけど。寮のおばさんが、料理名人だから、捕まえて焼き鳥にして貰おうと思ったそうです。おばさんに話したら、『雀の焼き鳥は作った事ないわ。雀は無理だわ~』って言われたみたいで、すっぱり諦めてましたけど。超絶、天然なんです」
「ただの馬鹿だ」
ユトンが断言すると、リコは大きく頭を振った。
「とんでもない!すごく賢いんです。全国模試では1位なんです。テストも、毎回満点です。中学の頃から、満点以外とった事がない子です。しかも、運動神経以外は、容姿も頭脳も、パーフェクト!ただ、すっごーく変り者なんです。とにかく、そういうのが、たっくさんあって、思ったんです。天然と奇人は、紙一重!」
ユトンは、頭痛がした。
(……この天然娘も、奇人寄りだ。データだけで判断するなら、かなり頭が良い。それなのに、なぜ自分の名前を、いの一番に尋ねないのか……)
純粋な目で真剣に尋ねるところを見るに、悪気はないようだ。
救いようのない天然といえる。
風変わりな娘だが、嘘吐きには見えない。
焼き鳥の話をしたら、確実に信じるだろう。
(ややこしいヒロインが来たものだ……)
氏神様のヒロイン選別基準を、疑問に思った。
雀の部分は、高校時代の実話です。「地球飽きたよね」も同様です。
賢いとか、模試や容姿が~云々は単なる願望ですが。