第7話 長い廊下と、肖像画の住人たち 1
この話を書きたくて、主人公にブランド好きになって貰いました。
「忠告を受け入れるかどうか決めるのは、聞いた本人、おまえの自由だが、耳に痛い言葉を聞いて損はない。甘言は無視していいが、忠告は聞け。年上の助言は、いつかどこかで役に立つ」
ユトンは、金のチェーンネックレスから手際よく七色に輝く指輪を外すと、席を立った。
「ゲーム終了後まで持ってろ。おまえは、頑固で危なっかしい」
花音の横に移動して差し出した。
花音は、目を見張って、指輪とユトンを交互に見た。
光の加減で、虹のように見える。
「十字架の指輪?」
「ああ。十字の真ん中は、ルビーだ。十字架はルビー同様、呪い撃退の効果がある。それに、乙女ゲームでよくあるだろ。ヒロインに、自分の目と同じ色のドレスを贈る話。指輪を作ったのは、その占い師だ。多分また会える。その時に礼を言え」
ユトンは、なるべく穏やかな口調を心掛けて、言葉を選んだ。
「一応、王家の指輪だ。指に入らないからチェーンに付けてた。ヒロインでいる間は、俺がおまえを守る。単純娘は、呑気に笑ってろ」
「ありがとうございます」
気付けば、微笑んでいた。
両手で受け取ると、右手の中指に嵌めて、部屋を出た。
花音は、赤いカーペットを頼りに、薄闇の廊下を進んだ。
「完全に忘れてた。電気が無い世界だった。天窓が一カ所しかない。ゴースト子爵、ケチ過ぎない?おばけ屋敷って、これが普通?蝋燭を借りれば良かった。燭台が欲しい」
花音は、ぶつくさ言いながら一生懸命に目を凝らし、下を向いて歩いていた。
その時、 若い女性の声が上から聞こえて、腰を抜かした。
「可愛いお嬢さん、いらっしゃい」
「おやおや、とんだ腰抜けだ。あたしら、絵から出られないんだ。怖がるこっちゃない」
今度は、老婆の声が飛んできて、恐怖のあまり跳ね上がった。
「そうよ!あたしたち、いいーーっつもお留守番!つまんない!!」
無邪気な子供の声だからこそ、恐ろしかった。
もとから喋る人物画なのか。
それとも、幽霊に呪い殺されて、霊魂だけが閉じ込められたのか。
聞きたくても、声が出ない。
足腰に力が入らず、何度も気絶しかけた。それでも、這うように前進した。
冷たいカーペットを一歩一歩踏み締める度に、足の裏だけではなく、先ほど温まった心も次第に冷えていく。
「ねえ、あなた、今おいくつ?もしかして学生!?」
言い当てられて、ドキッとした。
こわごわ見上げれば、ほとんどの肖像画が、うら若い娘だった。
絵の中が光っているので、瞳の色まではっきりと分かる。どの令嬢も見目麗しい。
ブロンドをふんわりと結い上げ、見るからに高級そうなドレスを身に纏い、貴族令嬢らしい淑やかな笑みを口元に浮かべて、花音を見下ろしている。
しかし、冷めた目の奥に、侮蔑の色を垣間見た。
「可哀そうなユトン様!相手がお子ちゃまヒロインだなんて!」
「前回の子も、若かったでしょう?最近は、十代のヒロインが多いわね」
「ユトン様の実年齢は、とっくの昔に八十を越したわ。私だったら、こんな若い子、耐えられない」
「ユトン様は、辛抱強い方だから。孫と見て、鼻先であしらってるわよ」
皆が皆、言いたい放題だった。
真っすぐ伸びる長い廊下は、どこまで行っても先が無いように思える。
ひたすら部屋を目指したが、胸中は大荒れだった。
(何で教えてくれなかったの?こんな肖像画、おばけと同じじゃない!!)
喉はからからになって、前途に絶望もしたが、引き返そうとは思わなかった。
ここで逃げたら、肖像画たちは、絶対に嘲笑う。
尻尾を巻いて部屋へ逃げ戻ったと、馬鹿にされる方が悔しい。
大きな宝石の付いたネックレスやブレスレットを、ちゃらちゃら、じゃらじゃらと揺らして、見せびらかす年配の貴婦人も何人かいた。
「ねえねえ、あなたは何を願うの?一体何を御望みかしら?」
尋ねられても、声が喉の奥に引っ込んで出てこない。
それに、何と答えればいいのか分からなかった。
ジーンズが欲しいと言ったら笑われる。そんな予感がした。
「過去に、ヴィトンのバッグを、店ごと強請った子がいたわ。九回目のヒロインだった」
「そうそう。ヒロインの世界へ行く嵌めになって!この世界の誰も、虹の呪文が読めないから、高額だったわねぇ」
「呪文さえ読めれば、たっか~い往復券は要らないのに」
何が可笑しいのか、くすくす、くすくす、笑いが起きた。
(虹の呪文って、何?元の世界に行ける往復券があるの?)
花音は興味をそそられて、耳を、そばだてた。
「新卒?の英語教師も、ベテラン通訳者も、新人翻訳家も、みーんな英訳できなかった」
「大学教授?も解読できなかったわね。リーシャ様が仰っていたわ。虹の魔女様いわく、英語力より、勘が大事だそうよ」
(呪文は英語で書かれてるの?だったら、私にも読める。プロたちが解読できなかったなんて、どんな英文?)
花音は、ますます興味をそそられた。もともと勉強好きなのだ。想像しただけで血が騒ぐ。
(王子に頼めば、見せて貰えるかな?)
この世界に来て、初めてワクワクした。花音は、怖いのも忘れて会話に聞き入った。
「ブランド好きのお嬢ちゃんたちは、みーんな、ブランド店へ行きたがる。おかげで、往復費の高いこと!毎年、国庫金が空になる!」
「行きだけで、豪邸が百邸建つ!国王様は苦労人」
(ええーっ!!往復で豪邸が二百邸!?それじゃ、空にもなるよ……)
目玉が飛び出る額だ。呆れる話である。花音は、国王様に心から同情した。
「叶える願いが五つもあるから、王国の悩みの種!」
「店内のカルティエの指輪を、全部欲しがった子もいた。それも一店舗分じゃないのよ。百店舗!叶えなくちゃ、シナリオが終わらない。王妃様も飽きれてた。二十七回目のヒロインよ」
(百店舗!?それって、世界の半分じゃない?二百店舗以上あるよね?指輪ばっかり、そんなに貰ってどうするの?職業が、芸能人!?モデルさん!?)
王妃様が呆れるのも頷ける。
花音は、ぽかんと口を開けて、肖像画たちを見つめた。
すると令嬢たちは、ぱっと扇子を開いて、さっと顔を隠した。
そして、二度と口を開かなかった。
別に理由を知りたいとは思わないが、どの肖像画も、喋るのは一度だけ。
「バッグも指輪も御財布も、何でもかんでも、ネット?で売れるんですって!がっぽり儲かるそうよ」
「お小遣い稼ぎになると言ってたわ。二十九回目のヒロインよ。世知辛い国ね。お金を欲しがる子が多かった」
(ああ、そういうこと……)
花音は、気付かれないように、肖像画たちをちらりと見た。
(新品、未使用品なら、尚のこと高く売れるよね。頭いいな~)
納得の行く話だったので、感心してしまった。
「現金は渡せないルールだから、売って御金に換えるんでしょう?ある意味、賢い遣り口よ」
「そうね、効率的。二十一回目のヒロインは、授業料と留学代と、家賃が払えて嬉しいと大喜びしていたわ。若いのに苦労していたわね。貧富の差が激しいのでしょう?」
「十九回目のヒロインも同じだった。食費代と光熱費が、馬鹿にならないって!物価が年々高くなるって!一円でも安く買いたいって!」
「働いても働いても安月給、貯金に回す御金がないと嘆く子を、リーシャ様が慰めていたわ。三十九回目のヒロインよ」
ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ切りがなかった。
これだけ沢山の肖像画を観たのは、生まれて初めてだった。
右を向いても左を向いても、途絶えず続く額縁のおかげで、まるで喋る美術館だ。
右手が喋ると、左手が受け答え、左手が話すと、右手が返す。
隣同士で話す者たちも、少数だがいる。
好き勝手に、ぽんぽん、ぽんぽん弾む会話が延々と続いた。
花音は口を挟まず、せかせかと歩いた。
「二十五回目のヒロインは、友人の誕生日プレゼントと、おばあさまの還暦祝いに。きっと喜ばれたでしょうね」
「十七回目のヒロインは、親戚の子たちのクリマスプレゼントだと話してた」
「ブランド品に囲まれて育つ子たちは、私達と同類。勝ち組って言うのよね?四十三回目のヒロインが、教えてくれた」
「じゃあ、わたしたち、生まれた時から勝ち組ね」
うふふっと誇らしげに笑う口元を見て、花音は眉を顰めた。
勝ち組、負け組、この言葉が大嫌いだ。
その単語を聞くと、不平等な実社会に対して、何も出来ないことが息苦しくなる。自分の無力さが怨めしい。
「自由に選べる人たちは、私達と同様に幸せ。選べない側は、御気の毒。仕方ないわ。だって、それが、お金持ちと貧乏人の差。同等の幸せを望むのは、わがまま。平民は、平民らしく生きればいい」
(何よ、それ!言い過ぎだわ!)
立ち止まって口を開きかけた時、反対側の肖像画から聞こえる物悲しい声が、花音の荒ぶる怒りを押しとどめた。