第1話 願掛けをしたら乙女ゲームに入りました
『乙女ゲームにあやかって大恋愛がしたいです。氏神、どうぞよろしくお願いします!』
叶えばいいな~ぐらいの半端な気持ちで手を合わせたのが、大間違いだった。
願い方が、誤解を招いたようだ。
現実世界の大恋愛を望んだのに、【乙女ゲーム】の中に入れられてしまった。
毎週土曜日は、お参りの日と決めている。
この土地に引っ越してから最初の土曜日、家族三人で氏神様に伺った。
地域や、宗派によって、相違はあるだろう。
しかし、新しく住む土地の鎮守の神、氏神様への挨拶は欠かせない。
生まれた時から、その土地に住んでいる人たちは、皆が初めから氏子で、氏神様の加護をうけている。
新参者を守護して貰う為には、直接お願いに伺うのだ。
堅苦しいものではないが、氏子になる挨拶は、大切だ。
そこは地元の小さな神社で、普段もお参りは出来るが、赤い鳥居をくぐると、手水舎の水は止まっていた。
木の柄杓は置かれたままなので、右手に持ち、形だけ清めた。
そして、お賽銭箱の前で手を合わせ、三人で声を揃えた。
「この地に越して参りました、氏子になります。どうぞよろしくお願いいたします」
これくらいの至極、簡単な挨拶であった。
その後、丁寧に御辞儀をして終わった。
心を込めて願うことが重要なので、仕来りに縛られる必要はない。
花音は、その神社が、とても好きになった。
それで、週末は、欠かさずお参りする事に決めたのだ。
叶ったらいいな~という漠然とした願い事をする時も多く、まさに先週の土曜日が、そうだった。
あの日、賽銭箱に入れたのは、特別な百円玉だった。
神社までは歩いて30分の距離だが、朝から曇り空で肌寒かった。
それで、赤いレギンスに、トップスはブルーの長袖シャツを選んだ。
更に、黄色い薄手のカーディガンを羽織って出掛けた。
お参りに来た人を、見掛けた事はない。
四季折々のお祭りや行事が来ると、他県から神主さんが来て、務めを果たす。
賑わうのは、そういった時と、お正月の三箇日。
それだから、参拝客がいるとは思わなかった。
気付いたのは、お賽銭箱の前だ。
お気に入りブランド,ロベルタの赤いトートバッグを開けたら、何も入っていなかった。
「うわぁ、ドジした………」
すっかり失念していた。エルメスの長財布は、グッチのショルダーバッグに入れたまま。
「一旦家に帰って、また来るしかないよね。明日は、用事があるし。それとも、今度にするか………でも、今日お参りに来たんだから、お賽銭だけ別の日にっていうのも、何だか、こう、氏神様に申し訳ないような」
悩んでいたら、三歳くらいの女の子が近付いて来て、紺色のジャンパースカートのポケットから、ぴかぴかの百円玉を取り出した。
「あげう」小さな右手を、いっぱいいっぱい伸ばして、手渡してくれた。
「ありがとう」しゃがんで御礼を言うと、女の子は嬉しそうに笑って、くるりと背を向け、母親の所に走って行った。
小さなポニーテールが、ぴょこぴょこ揺れて可愛いかった。
参拝客は、その親子だけ。
母親の方は、歳は20代前半だろう。
お揃いの髪型で、桜色のシフォンワンピースが良く似合っていた。
目が合って頭を下げると、にこっと微笑んでくれた。
使って下さい、温かな視線がそう言っていたので、有り難く頂戴した。
その優しい百円玉が、人生を大きく変える1枚になるなんて、想像も付かなかった。
気付いたら、左手の甲に、白いおみくじが乗っていた。
恐る恐る右手の人差し指と親指で摘まみ上げると、朱色で書かれた『おみくじ』という字が突然消えて、代わりにピンク色の文が、ぱっと浮かび上がった。
『百円玉の分、叶えます。影のヒロインで、大恋愛して下さい』
花音は、極度の驚きで気絶した。
目が覚めると、天蓋付きダブルベッドに寝ていた。
派手やか過ぎるピンク色で、目がちかちかする。
紅色のシルクのシーツは、触ると滑々で、ほっとして心が和んだが、枕もクッションも、掛布団でさえ無いのが不自然だ。
「ベッドの持ち主は、暑がりかな?」
しかし、部屋は暖かい。
起き上がって部屋を見渡すと、右手の巨大な壁炉で、炎が赤々と燃えている。おかげで、室内は明るかった。
窓は、正面の1カ所だけ。
ぴしゃりと真ん中で閉められた遮光カーテンは、濃い緑色で、正方形の窓枠は1メートルも無い。
部屋の広さと比べると、だいぶ小さい。
まるで、光を拒絶するような造りだった。
「ちょっと不気味。たぶん御屋敷の一室だと思うけど。あのおみくじ、本当に、乙女ゲームのヒロインになったの?ヒロインって、たいてい平民だよね?貴族でも、爵位は、男爵か子爵あたりだった筈。それにしては、全体として豪華すぎるような」
どの調度品も、輝きが国宝級に見える。
「中央のシャンデリア、装飾品かな?ダイヤモンドで作られてる。すっごく高そう」
暖炉の上に飾られた子豚ほどの大きな置物を、じっと見つめた。
「あの生き物は、ビーバーだよね。教科書でしか見た事ないけど。もしかして純金?あの両目、サファイアかも」
仮に、王族の使用する一室だと聞かされても、納得がいく。
「爵位と調度品の質は、関係ないのかな?お金持ちは、お金持ちだよね。だったら、別に可笑しくないって、あれっ?」
室内装飾に気を取られていた花音は、ここにおいて、自身の変貌に気付いた。
「えっ、服装が違う。髪の色も、あおっ!?ヒロインなのに??これ、ラメかな?所々キラキラして綺麗」
銀色がかって完璧な青色とは言えないが、初めて見る色で、鮮麗な色彩だった。それに、ウェーブが掛かって、ふわふわだ。
「この白いプリンセスドレス、誰の??私のジーンズとTシャツは、どこ??」
どれだけ熱心に見渡しても、ネイビーブルーと、クリームイエローは、視界に入らない。
ドレッサーが無いので顔立ちは確認できないが、ヒロインなら、そこそこ可愛い筈。
本物は、真ん丸顔で、鼻ぺちゃで若干タレ目。
長髪が似合わないので、子供の頃から伸ばしたことがない。
しかし、ヒロインの髪は腰まで届く。
「ヒロインの髪色は、ずっとピンク系だと思ってたけど、青系もあるの?私が知らないだけ?」
花音は、首を傾げて呟いた。
細身の部分だけ、ヒロインと同じだが、本来の背は145センチと低め。
ヒロインは、手足が長い。絶対に、160センチある。
ずっと憧れていた身長だ。もの凄く嬉しい。
少し気持ちが上向いて、再度、窓際に目を向けた。そして、ぎょっとした。
「誰??」
金髪の青年が、赤い3人掛けソファに、仰向けになって眠っていた。
その寝顔が、美し過ぎる。
もはや疑う余地はない。ここは、乙女ゲームの中だ。
「あの顔面は、間違いなく攻略対象ね。もしかして、あの人が着替えを」
青ざめて青年を凝視した。
「下着を見られたってこと??メイドさんがいるのかも。うん、前向きに考えよう」
花音は、攻略対象を起こさないように、そろりとベッドから降りて、両手でドレスを摘まむと、黒い絨毯の上を素足で歩いた。
「靴も、靴下も行方不明。この絨毯ふかふか。毛皮かな?」
ゆっくりと、抜き足差し足忍び足で、窓辺に近付いた。
カーテンの間に、両手の指先を差し入れ、そっと開いて息を呑んだ。
外は土砂降りで、景色も見えない。
大きな雨粒が、窓ガラスを荒々しく叩き付け、よくよく耳を澄ませば、乱暴な雨音は中まで響く。
雷が落ちる轟音で、窓ガラスがビリビリと震えた。
その上、狂風までもが、ごうごうと唸り声をあげて、体当たりを食らわせている。
おそろしい嵐だ。とても外には出られない。
「これじゃ逃げられない。どうしよう」
花音は、途方に暮れて、しゃがみ込んだ。
「どうして、こうなったの??」
『願い事は慎重に、願い方には気を付けて!』
いつだか誰かに教わった言葉を、今更ながら深く感ずる。
作中に、ブランド名を出していますが、名前だけ出すだけなら特に問題ないとネットに書かれていたので、そのまま使いました。