こぼれ話 アデライドと迷子のビーズの指輪
部屋にノックの音が響く。エリックが扉を開くとそこには天使がいた。
微笑みを浮かべた天使は手に箒とちりとりを持っている。
宗教画に描かれるようなラッパでも花でも武器でもなく、箒にちりとり。
斬新だ、こういう姿も素敵だな。
「エリック様。お仕事が終わったようなので差し支えなければお掃除をしてもいいでしょうか?」
「ありがとう、アデライド。でも体調は大丈夫? もっとゆっくりしていてもいいんだよ?」
すると彼女は恥ずかしそうに笑った。
「じっとしているのが落ち着かないのです」
「それならぜひお願いしようかな」
ちょうど一休みしようと思っていたところだ。
布や小物、裁縫道具を片づけるとアデライドは上手に床を掃いていく。
掃除の仕方が丁寧だし、慣れているんだよな。エリックは感心する。
エリックが刺繍やレースを添えたワンピースを着ていると清楚で可憐な天使にしか見えない。
この姿を見て誰がオベール家の気狂い姫だと思うか?
自分もずいぶん質の悪い噂に翻弄されたけれど彼女の場合はそれ以上かもしれない。
人違い、もはや別人だ。
「……あら?」
「どうかした?」
「糸屑の中に、キラキラした光るものがあるのですが」
なんだろうという顔で、アデライドがつまみ上げたものに視線を落としたエリックは苦笑いを浮かべる。
「これはビーズだ。穴に糸を通して服につける飾り。たまに手が滑って床に落とすと見失ってしまうことがあってね。これもきっとそれだな」
アデライドの指先にあるのは本当に小さな粒だった。他にも大きさや形の違うものが二つ、彼女の手のひらに転がっている。普段は一生懸命探しても出てこないのに、掃除をするとどういうわけか見つかるから不思議だ。
「見つけてくれてありがとう、もらってもいい?」
「はい、どうぞ」
アデライドから受け取って、エリックは専用の洗剤で洗ったビーズを布で拭う。
「床に落としてしまうと、こんなに小さいから探してもすぐには見つからないんだ。こうして回収できても、落としたときに見えない傷がついていたり、欠けてヒビが入っているかもしれないから商品には使えない」
「そうなのですね」
アデライドはエリックの手のひらに収まったビーズを指先で転がした。
「迷子のビーズが見つかってよかったです」
きれいにしてもらってよかったね。微笑みながら彼女は小さな声でつぶやいた。
何だかもう、いろいろと尊い。危うく喝采を叫びそうになった。
普段どおりの姿を装って近くにあった小さな缶にそれを落とす。昔から使い続けているものでラベルはお菓子の製造会社のもの。しっかりとした造りの缶の内側でほんのわずかにカシャンという小さな音がする。
「その缶は?」
「ああ、ここに落としたビーズを入れておくんだ。もったいないし、次の使い道が決まるまでと思っているのだけれど、なかなか使い道がなくて。気がついたらこんなに溜まってしまった」
エリックが缶を傾けるとビーズの転がる軽快な音がする。
缶の底は見えるけれど決して少ないという量ではなかった。
「昔は慣れなくて失敗することも多かったから。あらためて確認するとけっこう多いな!」
「ではこのビーズはエリック様と一緒に道のりを歩んできたようなものですね」
「たしかに、そうなるか。だから捨てられないのかも……いや、それともただの貧乏性かも。もしくは売れそうなら取っておきたいという商会員の習い性からかな」
エリックは苦笑いを浮かべる。するとアデライドは微笑んで小さく首を振った。
「それはエリック様の優しさではないでしょうか?」
「そうかな?」
「ええ、気づかず捨ててしまいそうな小さな欠片を拾い上げて、こんなふうに素敵な缶に入れ、大事に取っておくなんて優しさ以外の何物でもありません」
まるで宝石箱みたい。
缶の奥で深い煌めきを放つビーズの輝きにアデライドがため息をこぼしている。
……何か気になるものがあるのかな?
缶の奥を見つめてエリックは、ふと思いついたようにつぶやいた。
「ああ、でもちょうどいいか」
「何がです?」
エリックは無言で微笑むと、大きな布を作業テーブルに広げる。その上に缶を傾けて、中にあるビーズを全部こぼした。柄のない無色の布にビーズのさまざまな色が映えて、色鮮やかな光の花が咲いたみたいだ。
興味津々という顔で、アデライドはのぞき込んだ。
見やすいようにとエリックは指先でビーズを転がした。
「好きな色があったら選んで。この中からいくつ選んでもいいよ」
「この散らばったビーズの中から選べばいいのですか?」
「そう、君の好みを知る良い機会だ。ビーズの形も一つ一つ微妙に違うから、形が気に入るものでもいい」
するとアデライドの顔がパッと輝いた。途端に頬が紅潮して、満面に笑みを浮かべる。
「わたしが選んでもいいのですか?」
「もちろん」
「どうしよう、こんなにあったら選べないかもしれません」
選べないかもと言いながら指が伸びて、宝物を探すみたいに真剣な表情で選り分けている。
うん、かわいい。かわいいは正義だ。
エリックは赤らんだ目元を隠して崩れ落ちそうになる膝を根性で支える。
それなりにまとまった数のビーズを選り分けたところで、アデライドは顔を上げた。
「このぐらいでいいでしょうか?」
全体の数からするとずいぶんと少ないように思えるのは遠慮したのかな?
エリックは針に糸を通して、ビーズを掬いながら糸に通していく。アデライドは興味津々という顔でエリックの手元を見つめていた。糸にすべてのビーズを通したところで糸の端と端を結んで、残った糸を切った。
ビーズの紐を輪にしたもの、ちょうど指輪くらいのサイズだ。
「迷子のビーズでできた色見本だ。一応、きれいに汚れは落としてあるけれど気になるならやめてもいいよ」
「わ、すごい。キラキラしている!」
「できれば肌の色に直接当てて、どんな色が合うか試してみたい」
「もちろん、わたしも試してみたいです」
アデライドは慎重に指輪をはめた。彼女の中指にぴったりとはまる。
彼女は手を翳して、指輪を陽に透かせた。
「かわいい、それにきれい」
彼女の瞳も同じくらいに輝いている。
エリックはビーズの色をみて、似合う色を指した。
「この色とこの色が特に君の肌に映えていいね、それから……っとアデライド?」
彼女は無言のまま、まるで魅入られたように彼女は指輪を見つめている。
「エリック様、厚かましいお願いなのですが。これを譲っていただけないでしょうか?」
「気に入ったのかな? いいけれど、指輪ならもっとちゃんとしたものを贈ろうと思っていたよ」
妻に贈る結婚指輪だ、そこはきちんとしたい。できれば彼女に似合うものが贈りたいので、ビーズを使ってどんな色の宝石が似合うのか試したいという思惑もあった。
けれどアデライドはビーズの指輪をはめたままエリックの手を握った。
「いいえ、これがほしいです。エリック様がわたしのために作ってくれた、唯一無二のもの。色もこんなにたくさんあって、これ以上ないくらい贅沢な品ですもの!」
いつになくアデライドが必死だ。エリックは微笑んで、彼女の髪をそっとなでる。
「もちろん、迷子のビーズも君にこれだけ気に入ってもらえたのならきっと喜んでいるよ」
ならばもう一つ。
エリックは残ったビーズから形と大きさを選んで、今度は伸縮性のある糸を使って指輪を作った。
「こうしてビーズの大きさや色味を少しずつ変えていくと変化が出て面白いよね」
「本当ですね、これもすてきです」
「この糸は少し伸びるからはめた指輪を外すときには楽だと思うよ。ただ強度は落ちるから気をつけて。糸が切れたら直すから持ってきてね」
アデライドは感動したように指輪をはめた。今度は人差し指にちょうどいいサイズだ。
「すごい、エリック様。こんないくつも。まるで魔法みたいです!」
「魔法ではないけれど喜んでくれるのはうれしいな」
「本当に魔法使いのお仕事みたい」
アデライドはエリックの仕事を魔法使いのお仕事と呼ぶ。彼女は偏見に惑わされることなく自分の仕事を価値あるものと認めてくれた。そのことがエリックは何よりもうれしい。
彼女の指を飾るビーズは、迷子であったことが嘘のように彼女の手で輝いている。ビーズの指輪をなでて、うれしそうな顔でアデライドは微笑んだ。
「迷子だったけれど、こうして行き先が見つかったことが一番うれしいかもしれません」
そういうところがとても彼女らしいと思った。
微笑みながらエリックは彼女の指輪がはまったほうの手を引いた。
奇しくも左手、薬指が空いている。
ここには彼女に似合う指輪を贈ろう。
迷子のビーズでできた色見本によると、自分の瞳の色は彼女によく似合っていた。
本編に入れるか迷ったお話です。エピソード15と16の間くらいの時期にあったという設定でエリックとアデライドのささやかな幸せを書きたいと思いました。本編とは雰囲気が違いますが、こぼれ話として最後にお楽しみいただけるとうれしいです。
これで完結済とします。
連載中にいいねなど、たくさんつけていただきありがとうございます。大変励みになりました!