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アデライドと終わらない夢の続き


 あの日から、五年が経った。

 

 リュシエンヌは読み終えた手紙を文机の引き出しにしまい、鍵をかけて立ち上がった。軽やかなノックの音がして扉を開けるとエリック様が顔を出す。


「アデリー、今日はわたしもブランシャーレ家に行くから一緒に行こう」

「どなたかの採寸ですか?」

「奥様とお嬢様が来月行われるお茶会用の服を新調されるそうだ」


 ああ、来月のお茶会ね。リュシエンヌは脳裏でブランシャーレ家の予定を確認する。


 今、リュシエンヌが住んでいるのはガヴァロ・セオスタ、マリノ共和国の首都ジョルジオラに次ぐ第二の首都とも呼ばれるところ。商業が盛んで中心地は人で賑わっているが、少し外れると自然の残された閑静な場所もあってそんなところがリュシエンヌは気に入っている。

 リュシエンヌは今、ガヴァロ・セオスタの地を治めるブランシャーレ家に侍女として勤めていた。


「ここに引っ越してきてから五年も経つのね」

「本当だ、時間の流れは早いよ」

「高待遇だと思ったけれど、援助や従業員の手配までしていただけると思わなかったわ」

「それについてはわたしも驚いているよ」


 ここに至るまではそれなりにいろいろあった。エリック様と領館を目指して歩きながら思い出話が弾む。彼も五年という月日を重ね、落ち着きや男らしさが増して、さらに素敵な男性になった。


 ガヴァロ・セオスタを引っ越し先に選んだのはエリック様の客の一人がブランシャーレ家の奥様で、以前から店を構えてみないかと誘われていたからだった。ブランシャーレ家が経済的な後援者になるから是非にと誘われていたらしい。後援者がつくのはエリック様の実力が認められたから。リュシエンヌももちろん受けるべきだと勧めたけれど、いろいろ悩んだ結果、彼は断られるかもしれないと思いながら「女性相手のときは妻が助手として同行してもよいなら」という条件を提示したそうだ。


 ――――エリック様は他の女性にも同じように採寸するのですか。

 こぼれ落ちたようなリュシエンヌの言葉が深く胸に刺さったらしい。


「ジョゼフィーヌ様の美容室のように、女性客の採寸は原則女性の従業員が担当する。けれど君の場合はわたしが採寸したからね、余計な誤解を招いてしまった。もちろん相手が女性だろうとやましいことは何一つないけれど、何かをきっかけに不安にはなるかもしれない。だったら実際に同行して仕事をしているところを確認すれば、より君が安心すると思ったから」

「そこまでして……ごめんなさい、わたしのせいで」

「違うよ、わたしが君と歩むことを望んだからだ」


 その条件を奥様が領主様に伝えて、領主様がエリック様に興味を持たれて。実際に会って話をしてみたら愛妻家という共通点で話が盛り上がった。そのおかげか、あっさり許可してくれたうえに、引っ越しに関する諸々の手続きも全部請け負っていただいた。おかげで、最速で何の障害もなく転居することができのだ。

 正直に言ってリュシエンヌも驚くほどの手際の良さだった。


「決め手は『わたしの泉で女神で天使が妻です』だったらしいよ」

「もう。その言葉のおかげで今でも奥様にピオ・フルテナの女神なんてからかわれるのよ!」


 ちなみにピオ・フォルテナは古語で小さな泉という意味がある。エリック様が運営するお店の名前だ。


「でもまさか助手として同行したことがきっかけで君がブランシャーレ家の侍女になるとは思わなかったよ」

「それについては同意するわ」


 店ができて、ブランシャーレ家にも何度かエリック様の助手として同行したときだ。採寸を女性従業員に任せて色見本や布見本を用意していたとき、視線を感じて振り向くと視線の主は奥様だった。


「以前から思っていたのだけれど、あなたは所作が美しいわね。どこかで侍女として働いていたのかしら?」

「はい、他国でですが。貴族のお屋敷で働いていたことがありました」


 オベール公爵家で、公爵令嬢だけれど。自宅で自ら働いていたわけだが嘘はついていない。

 まだ少々おぼつかないところのある共和国語で応じると、奥様は大きくうなずいた。


「それだけ共和国語が話せるのなら十分だわ。よかったらここで侍女として働いてみない?」

「えっ、いいのですか!」

「すごいじゃないか、アデライド!」


 エリック様はよろこんでくれたけれど、リュシエンヌが呆気にとられたのは言うまでもない。彼は今でも変わらず、あのときと同じようにうれしそうに笑ってくれる。

 

「あとで奥様に聞いたらわたしの妻ということで身元ははっきりしているし、君の真面目な働きぶりを見て判断したらしい。人を見る目があるよね!」


 それが一番うれしいのだと。


 リュシエンヌのオベール家での苦労は無駄ではなかった。マリノ共和国は実力主義の国だけあって身分で仕事が限定されることはなく、能力が認められて立場が上がればできる仕事の範囲が広がる。リュシエンヌは下級侍女として雇われたが、今は階級が上がり、お客様やお茶会の場で給仕することを許されるようになった。

 しかもエリック様の代わりに書いたお礼状が奥様の目に留まって、今では少しずつ代筆も頼まれている。国は違ってもバルトロ伯爵夫人が教えてくれたことは大変役に立った。

 その当時のことを思い出してリュシエンヌは感慨深いという顔をする。


「初任給をいただいたときは震えたわ。侍女として働くと手当がもらえるなんて夢のようだって」

「それが普通だから。わたしは君のその不遇ぶりが悲しくて涙が出るよ」


 眉を下げたエリック様は苦笑いを浮かべる。


「そういえばグランドヴァローム王国について、聞いた?」

「ええ、先ほど手紙で読んだわ。ついに隣国に屈したそうね」


 手紙の主はリュシエンヌとして扱ってくれる古くからの知り合い。

 五年は保ったほうではないかしらと、リュシエンヌは皮肉げにつぶやいた。

 これからもっと大きなニュースになって世間を騒がせるだろう。


 英雄の血が守る国、グランドヴァローム王国。

 だが、加護という絶対的な力を失った国の実情はどの国よりも脆弱だった。

 虎視眈々と侵攻の機会を狙っていた隣国は辺境での戦いを通じて戦神の加護が切れたことを確信したらしい。一気に猛攻をかけて、混乱に乗じて王国内の各地で身分制度撤廃を目的とした反乱が起きる。

 今までが平和だったために国の対応は後手に回った。

 他国に支援や要請を行い、戦争を回避するため根回しをしても時すでに遅く。時間が経つにつれて国は根幹から徐々に崩れて、最後は察しのとおり。


「王族は処刑、そして王家に連なる高位貴族も同様に一族の処刑が決まった」


 王国の高位貴族といえば彼の脳裏に浮かぶのはオベール家の父と義母、そしてオデットだろうか。

 オベール家は筆頭公爵であり建国の英雄が起こした家で、王国の魂そのものだ。侵略したら真っ先に潰すだろうと思っていたらやはりそのとおりになった。ちなみにオベール家は一年前にはすでに財政が破綻し、領地は没収され、残された資産も国が管理していたという。

 残念でしたわね、セレスタン様。

 しかも彼は第二王子で、オベール家の表の顔だ。血筋からも立場から考えても処刑は免れないだろう。

 リュシエンヌは深く息を吐いた。

 

「最後のほうはセレスタン様も精神的におかしくなっていたようだから、むしろ慈悲ではないかしら?」


 似ても似つかない金髪の女性をどこからか見つけてきては「リュシエンヌ」と呼んで、かわるがわる寵愛していたらしい。想像したら気持ち悪くなってきた。


「どこまでも髪の色に囚われて。髪の色など関係なく、わたしはわたしなのに」


 あの人もかわいそうな人ではあったのかもしれない。

 リュシエンヌと同様に生まれたときから婚約者が決まっていて、王族として義務を果たすために必死だった。従順で、王家に生まれた者の責務を理解していたために、それ以外の生き方を選ぶことができなかったのかもしれない。

 選ぶことができなかった者として同情はする。だからと言って、許せるかは別の問題だけれど。


 そう、許されるわけがないのよ。

 リュシエンヌはどこまでも抜けるように澄んだ空を仰いだ。


 ――――ねぇお父様、メラニー、それからオデット。

 あなた達はきっと最後まで気がつかなかったでしょう。

 すべてが始まったあの日、当主の執務室であなた達は誰に勝負を挑んだのか?


 それはこのわたし、リュシエンヌ・オベール。

 血筋に加護を残し、オベールの黄金を目印にして生まれた、真に家を受け継ぐ者。

 

 戦神の与えた加護は、自ら悪意を持って仕掛けた戦でない限り必ず勝利するというもの。加護の恩恵を最大限に受けている相手に、あなた達は愚かにも勝負を仕掛けた。

 負けないという加護によって強化されたわたしに勝負を挑んで、なぜ勝てると思ったのかしら?

 

 勝負が始まったときから勝つのはわたしと決まっていたの。


 そして悪意ある戦を仕掛けた側は最後に負けることが決まっている。彼らの処刑はなるべくしてなったというだけのこと。結局、会うこともなかったけれど彼らが冷酷で残忍だと謗るならこう言ってやりたいわね。

 

「オベール家ではなく、あなた達のために死ぬなんて冗談じゃない」

「ん、何が冗談なんだい?」

「いいえ、何でもないわ。こちらのことよ」


 陽射しに目を細めながらリュシエンヌは微笑む。

 彼は知らなくてもいい世界のことだ。


「加護は人の身に過ぎた恩恵。こうしてお返しできたことで、むしろほっとしたわ」

「君らしい感想だね」


 エリック様は視線が合うと柔らかく笑った。

 いまだにわからない。彼はリュシエンヌの闇に気づいているのか、いないのか。

 それでもリュシエンヌの世界に色を取り戻してくれた彼との出会いは運命がもたらした奇跡。

 そして、もう一つ。


「とうさま、かあさま!」

「テオ!」

「こら、勝手に領館へお邪魔してはダメでしょう!」

「騎士さまがいいっていってくれたよ!」


 馴染みの騎士に手を振って、図々しくも裏口から飛び出したのは我が息子テオドール。

 今年五歳になる神様からの贈り物で、ピオ・フォルテナの天使とはこの子のこと。

 陽光に照らされて黄金色の髪が輝いた。

 稲穂のように柔らかく弾む金の髪を見て、エリック様は目を細める。


「アデリー。改まって聞くことはしなかったけれど、あれがオベールの黄金?」

「正真正銘の本物よ。オベールの黄金は例外なく直系の第一子が受け継いでいる」

「我々にオベール家が命じたという『生まれた子を引き渡せ』というのはこれを手に入れるためだね」

「ええそうよ、許せないでしょう?」


 色のないリュシエンヌの表情が、憎しみで歪んだ。


 たとえ王家の血を引くセレスタン様と結婚したとしてもオデットがオベールの黄金を持つ子を産むことはできない。だから彼らはリュシエンヌの産んだ第一子を奪ってオデットが産んだことにするつもりだった。

 この天使を引き取って父と義母とオデットはどうするつもりだったのだろう。オベールの黄金を憎む彼らがテオドールを愛せるわけがない。リュシエンヌと同じように時期を見計らって髪色を奪うか、それとももっと酷いことを。


「リックの存在がわたしに勇気を与えてくれた。でも一番は、将来生まれるこの子を守りたかったの」

「わかるよ、彼らがしようとしたことはあまりにも罪深い」


 エリックは飛び込んでくるテオドールを受け止めて、存在を確かめるようにキュッと抱いた。

 そしてリュシエンヌの耳元でささやく。


「それにしても加護はお返ししたのだろう? それなのにオベールの黄金が与えられたのはなぜだろう?」


 リュシエンヌも不思議に思っていた。加護は切れたのに目印だけが残ったのはなぜか。

 しばらく考えたけれど、思い当たることはこれしかない。


「ご褒美じゃないかしら?」


 脳裏によみがえるのはリュシエンヌの即興劇、止まないカーテンコール。

 ――――素晴らしい! 

 風に乗って、どこからか聞こえた喝采。


「加護の力はなくても、オベールの黄金にふさわしいと認められたのかもしれないわ」


 そしてオベールの黄金だけはテオドールへと受け継がれた。目の前の天使はそんなことは知らず、無邪気に甘えて抱っこをねだった。望みどおりにエリック様に抱き上げられて至極満足そうだ。


「とうさま、かあさま。僕ね、大きくなったら騎士になりたい」

「まあ、そうなの?」

「それで僕がとうさまとかあさまを守るからね!」


 幼いからこそ勇敢で、迷いのない眼差しがキラキラと輝いている。

 まさに天使だ。

 キュッと胸が鳴ってリュシエンヌは思わず胸の上から心臓を押さえた。

 甘えられたままエリック様も瞳を潤ませている。


「ねぇ、リック。わたしもあなたの気持ちがわかったような気がするわ」

「だろう、これが君達天使の所業なんだよ。無邪気に蹂躙されれば凡人はなすすべもなく完全降伏するしかない。でもかわいいから、ついつい許してしまうんだ!」


 罪深いほどかわいい。リュシエンヌよりもエリック様のほうが溺愛の度合いは深かった。

 やがて満足したのか降ろしてもらうと今度はリュシエンヌの足元にまとわりつく。

 その姿を微笑ましく見守っていたエリック様が急に青ざめた。


「騎士か、そうなると初代であるリュドヴィック・オベールの再来だな。別の意味で不安だ」

「大変だわ、釘を刺しておかないと!」


 リュシエンヌはしゃがんでテオドールと視線を合わせる。


「いい、知らないおじさんが加護をくれると言ってももらってはダメよ?」

「うん? うん、わかったよ!」


 五歳児に合わせると、こんな言い回しになる。伝わるかしら?

 テオドールは大きくうなずくと、鍛錬に励む騎士を間近に見ようと走っていった。


「本当にうちの天使は落ち着きがないのだから!」

「でもまあ、やりたいことはやらせてあげたいよね。それがわたしの願いだ」


 彼の脳裏に浮かぶのは戦によって分かたれた両親のこと。

 沈む船に残った義父と義母の行方は、大きな戦を挟んだあとにわからなくなってしまった。エリック様とは結局最後までわかり合えることはなかったけれど、お義父さまとは違って彼はテオドールを理解しようと努めている。

 たとえテオドールが将来、騎士以外の道を選んでも彼は反対しないだろう。

 戦い方を学んだ彼は、今度は逃げないことを選択したらしい。

 応援する気持ちで見上げると、エリック様はリュシエンヌの頬に指を伸ばした。


「わたしのアデライドはそうやって慈悲深く笑うところが女神だね」

「もう、本物の女神様に怒られてしまうわよ。罰を与えるために、この世のものとも思えないほど美しい女性が降臨してあなたを虜にしてしまうかもしれないわ!」


 そういう神話があったことを思い出したから、冗談でそう答えたまでだ。

 するとちょっと考え込んだエリック様は大きく首を振った。


「それはないんじゃないかな」

「どうして?」

「だって君はわたしの泉で女神で天使だよ。すべてを兼ね備えている君が最強に決まっているじゃないか」


 なんて破壊力。リュシエンヌは言葉を失い、上気した頬を隠すように勢いよく下を向いた。

 無邪気に蹂躙するのはどっちよ!

 ぶつぶつと何やら小さな声でつぶやいたリュシエンヌの口元に彼は顔を寄せる。


「ん、何か言っている?」

「……ありがとう、最高の褒め言葉だわ」

「どういたしまして。わたしは君をよろこばせるのが得意なんだ」


 誇らしげに胸を張って、エリック様はリュシエンヌの頬に口づけた。

 ああもう、本当に困った人だわ。

 リュシエンヌもまた彼の頬に口づけを返す。


「君を愛している」

「あなたを愛しています」


 飾りのない、まっすぐな言葉は余計心に染みる。

 風に煽られて色鮮やかに咲き乱れる花が一層深く香った。

 軽やかに笑いながら視界の端をオベールの黄金が横切っていく。


 これが幸せなのかもしれない。リュシエンヌは柔らかく笑った。


 色を失ったリュシエンヌの世界が、愛を知ってようやく色を取り戻す。

 キラキラ、キラキラと。


 まるで終わらない夢の続きみたいに。

 

およそ一ヶ月間、最後までお読みいただき、ありがとうございます!

これにて本編は完結です。

突然ですが、このお話は「大人の塗り絵」のような世界を目指しました。ビーズにリボン、マカロンにキャンディー、ドレスにワンピースと本来なら色鮮やかで可愛らしいものがたくさん出てきますが、お話の中ではどの小物にも色をつけていません。お話の進行上、リュシエンヌと息子の金の髪と、オデットとメラニーの赤茶色の髪が色を持っていますが、それ以外は出来るだけ色の記述を排除しています。

色のない夢の世界に、あなたならどんな色をつけるか。

お話を読みながら、そんなところも一緒に楽しんでもらえたらうれしいです。


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