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悪役を押しつけられた貴婦人は色のない夢を見る  作者: ゆうひかんな


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オベールの黄金の行方


 おかしい、どうしてこんなにもうまくいかない。


 グランドヴァローム王国、オベール家の執務室でセレスタンは頭を抱える。

 執務室の書類は溜まる一方で減る様子がなかった。当主として手配すべきことに加えて、水害の爪痕が残る領地の復興と。新たに執事長と領地運営のために事務官を採用したが、彼らもまだ不慣れでいろいろ勝手がわからないようだ。その結果、さまざまな決裁が滞ってセレスタンの前に書類の束が積み上がるという悪循環だった。

 おかしい、アデライドはこれだけの量を一人で処理していたのだろう?

 自分は貴族学校を主席で卒業したのに、学んだ知識がここでは何の役にも立たない。どれから手をつけたらいいかすらわからなくなってセレスタンは途方に暮れていた。


「やはりアデライドを探そう」


 そのとき、ノックの音が響いた。入室を許可すると顔色の悪いバルトロ伯爵夫人がいる。


「ちょうどよかった、相談しようと思っていたのだ。アデライドを探そうと思う」

「あきらめたのではなかったのですか?」

「この状況を見て、それでもそう言えるか。もはや体面などこだわっていられない。当主代行の権限を使ってでも捜索を命じるつもりだ」


 増え続ける書類の山を皮肉げに見つめて自嘲する。過去だけでなく未来に繋がるような問題すら、すべて噴出したからこそこの混沌だ。


「そこまで覚悟がおありなら、いいのではないでしょうか」


 あきらめたような顔をしてバルトロ伯爵夫人は息を吐いた。あのときと同様に反対されると思っていた。そうしたら当主代行の権限で押し切ろうとも。

 それがあっさり賛同するとは、どういう心境の変化があった?


「実は領収書の騒ぎがあったころ、このような手紙を侍女から渡されていたのです」


 オベールの紋章が入った封筒に当主代行の封蝋。

 差出人はリュシエンヌ・オベール。宛先にはフルニエ商会、商会長と書かれている。見慣れた美しい字ではなく、拙く雑な印象を与える筆跡だ。

 偽者のリュシエンヌ・オベール、オデットの書いたものか。

 やはり、あの美しい筆跡で描かれたものはすべてアデライドが書いたものだった。


「これをフルニエ家に届けよと言われたそうなのです」

「封が開いている。中身を読んだのか?」

「はい。そのあとすぐに応接室の件があったので、恥ずかしながら後回しにしていましたが」


 セレスタンは内容を読んで、目を見張った。


 ――――オデットを離縁し、オベール家に引き渡せ。

 署名は、オベール家当主代行リュシエンヌ・オベール。


「嫁に出した娘に、わざわざなぜこんなことを」

「このときはわかりませんでした。ですが侍女は手紙を預かったとき同時にこう言われたそうなのです」


 男の使用人に指示して、今すぐアデライドを空いている地下牢に閉じ込めて!

 思わずセレスタンは叫んだ。


「は⁉︎ いきなり侍女を牢に閉じ込めろなんて、おかしいだろう」

「はい、わたしもそう思います。ですからそう答えたのですが、侍女は『アデライドがごねるようなら当主代行の指示だと伝えてかまわない。そうすれば黙って従う』とまで言われたそうなのです」

「そんなバカなことがあるか」

「そこで真偽を確認するために応接室にお伺いしたのですが……それがまさかあのようなおそろしい事に出くわすことになろうとは思いもしませんでした。我々がリュシエンヌ様だと思っていたのが、実は義妹オデットが成り代わった偽者だったとは」


 そこまで話してバルトロ伯爵夫人は深々と息を吐いた。

 セレスタンは唇を噛んだ。オデットがリュシエンヌに成り代わったせいでオベール家はオベールの黄金を失った。そしておそらくは戦神の加護も。

 隣国は新たに軍を編成して、再び攻め込む機会を狙っているという。とにかく一刻も早く、打開策を探るためにリュシエンヌの行方を探さねばならないと誰もが焦っていた。

 だが調べるにしても情報があまりにも足りない。

 リュシエンヌ・オベール、オデット・フルニエ。両者ともにもっとも大事な情報が欠けていた。


 生きていたとして、今まで何をしてきたのか。


「わがままで勉強嫌いの礼儀知らず。怠け者で贅沢好きというオデットの悪評が、父と義家族によって意図的に作られたものだとすると彼女は今までどこで何をしていたか。たとえば趣味は何か、どこで働いていたのか、そういう身近な情報すらどこにも残っていなかった。オデットをよく知るはずのフルニエ商会に聞きたくとも、現商会長はじめ商会員は、ほぼ全員が他国の拠点に移ってしまったから無理だ」


 残ることを選んだ前商会長に聞いても、オデットの名が出た途端、怯えたように口を閉ざすという。まるで人が変わったように怯えるから、無理に聞き出すこともできない。

 

 そんな彼がつぶやいたのはただ一言。あの娘は死の天使だ、と。


「事情を聞きに行った事務官も、あまりの怯えた様子に怪奇談を聞いた後のような青ざめた顔をしていたよ」

「そのオデットのことなのですが。一つ、奇妙なことがわかりました」

「奇妙なこと?」

「はい。過去、オベール家で働いていた使用人を探し出して当時の事情を聞きに行ったのです。すると想像もしていなかったことがわかりました。オデットがオベール家で働いていたというのです」

「は、そんなバカな」


 セレスタンは信じられないとばかりに首を振った。


 オベール家はどういうわけか使用人の入れ替わりの激しい。なぜか皆、追い立てられるように辞めていく。待遇も給金も悪くないのに、勤務して早々に次の勤め先が決まったと辞めた猛者もいるくらいだ。だから調べ物が得意のマルグリットでさえ話を聞く使用人に目星をつけるまでずいぶんと時間がかかってしまった。それでもようやくリュシエンヌとオデットが入れ替わったと思しき時期に働いていた者にたどり着くことができたのだ。


「男の使用人一人と侍女が二人。彼らはオデットがオベール家で下級侍女として働いていたと証言しました」

「オデットが働く? だが、相手はわがままで怠け者と評判だった娘だぞ?」

「セレスタン様、悪評のことは忘れてください。そのうえで、あなたの知る幼いリュシエンヌ様がオデットに成り代わったとしたら、侍女としてこの家に勤めることが本当に難しいことなのか考えてみてください」


 セレスタンは必死に小さいころのリュシエンヌを思い出す。

 もし昔のリュシエンヌが侍女になったとしたら。たどり着いた答えにセレスタンは呆然とした。

 生真面目で聡明な彼女なら、充分に務まるじゃないか。しかも侍女や使用人達はオデットがオベール家で働いていることは決して口外しないように契約書と罰則で厳重に縛っていたそうだ。

 髪の色を奪い、名を奪ったうえで下級侍女として働かせる。

 あまりにも残酷だとセレスタンは言葉を失った。そして恐ろしいことに気がつく。


「リュシエンヌが侍女として働いていたということは、まさかわたしが偽者(オデット)に愛を捧げている姿をずっと見続けていたとは言わないよな」

「……残念ですが」


 短い答えだったけれど、セレスタンが絶望するには十分だった。

 と、とにかく誤解を解かなければ。

 セレスタンが愛していたのは徹頭徹尾、リュシエンヌなのだから!


「それからもう一つ報告がございます。これはアデライドに関することです」

「アデライドに関すること?」

「少し前のことですが、フルニエ商会の商会員であるエリック・フルニエが訪ねてきたことがありました。そのときのことを侍女に聞いたところ、エリック・フルニエは最初こう侍女に聞いたそうです」


 オデット・フルニエはいるか、と。


「侍女は当主や当主夫人から言い含められていたそうです。オデットがいるかと聞かれたらいないと答えろと。そしてもし、オデットがいると答えたらクビにするとまで言われていたそうです」


 ここまでくればセレスタンにもオデットを隠そうとしたオベール家の意図が読めた。彼女の悪評も、存在を消すような扱いも。すべてはオデットになったリュシエンヌを隠すためだった。ゾクリと背筋が寒くなる。

 そこまで彼らはリュシエンヌが憎かったということだろうか。


「だからオデットという侍女はいないと答えた。すると今度は()()()()()はいるかと聞いたそうなのです」


 そうか、アデライド!


 その名を聞いた瞬間、矛盾だらけだった謎がすべて解ける。彼女の柔らかな微笑みがリュシエンヌと重なったのは気のせいなどではなかった!


 そして彼女の夫エリックは、オデットがオベール家ではアデライドとして働いていることを知っている。セレスタンの脳内でようやくアデライドの夫エリックとエリック・フルニエが結びついた。


「オベール家は矛盾だらけでした。当主や当主代行の理不尽な扱いを淡々と受け入れる下級侍女。彼女は公爵令嬢と顔立ちが瓜二つで、泊まり込みで事務処理を手伝っていたこと。当主と当主夫人、そして侍女長の仕事をすべて引き受けていたような痕跡。そして侍女として奉仕しながら手当が支給されていなかったことも、これで一本に繋がります」


 リュシエンヌ・オベール、オデット・フルニエ、そしてアデライド。

 彼女達は同一人物だった。リュシエンヌはオデットとして働き、エリックと結婚したあとはアデライドとなってセレスタンやバルトロ伯爵夫人とずっと一緒にオベール家で働いていたのだ。

 

「見事に騙されました。有能な当主代行リュシエンヌ・オベール、フルニエ家に嫁いだ気狂い姫オデット・フルニエ、そして暗い影を背負った下級侍女アデライド。あまりにも印象が違いすぎて、三人を並列に並べることができなかったのです」

「それはわたしも同じだ。アデライドの夫であるエリックと、フルニエ商会の浮気者で女好きのエリック・フルニエに結びつけることができなかった。ありがちなエリックという名前もあって翻弄されたのだろうな」


 どこまでが意図的であったのかわからないけれど。

 薄れゆく加護の力を存分に活用して、リュシエンヌがうまく立ち回った結果だ。建国の英雄リュドヴィック・オベールを彷彿とさせる先を読む力と、立ち回りのうまさ。

 失ったものの大きさに呆然として二人は暫し言葉を失った。


「ようやくわかりました。リュシエンヌ様はオデットとなってからも、周囲には決して悟らせないように当主としてオベール家に君臨し続けてきたのです。フルニエ家に嫁ぐまで、あの方がこの家に留まっていたうちは、まだ家を継ぐ者と判ぜられていた。だから危うい領地経営も、当主や義家族があれだけ節操なく散財しても、ギリギリの状況で踏み止まってこられたのです」


 決して負けないという加護の、真の恐ろしさ。

 リュシエンヌを装うオデットが感じていた順風満帆、向かうところ敵なしという恩恵もすべてはリュシエンヌがもたらしたものだった。


 それがリュシエンヌが結婚し、家を出た途端にすべてが狂った。

 セレスタンが領地に派遣した事務官は青ざめていたという。

 領地経営に長けた者からすればジェルマンとヨハンが差配したものはまったく経営の体を成していなかった。実態は、唯一リュシエンヌの関わっていた新規事業が成功したことで辛うじて穴埋めができていただけだった。

 その新規事業も、クレムリュー商会を始めとした大口の出資者が次々に手を引いているから大幅に売り上げが下がっているという。


 決して負けないという稀有な加護。その恩恵にどっぷりと浸かっていたオベール家は綱渡りのような状態でもなんとか体面を保ってこられたというだけだ。

 バルトロ伯爵夫人は、視線を下げて身を震わせる。


「オベール家は恐ろしい。なぜ一人の人間にこれだけの重責を押しつけたのか。そして今、こうして我々が翻弄されているのも混沌とした状況になるのも……すべては加護が失われたからです」


 マルグリッドは気がついてしまった。

 取り戻そうとしても、もう遅い。失われてしまった後では、もう遅いのだ。


「わたしには見抜けませんでした。何度も機会はあったのに、アデライドがリュシエンヌ様であることに気づくことはできなかったのです」


 もし、気がついていたら。褒美として多少の猶予を与えてくれたかもしれない。冷徹で残酷だが慈悲深いところもあった人だから、きっと。でももう終わった話だ。結局誰も気がつくことなく縁は切れた。


「リュシエンヌ様は我々にオベール家を託しました。セレスタン様と入れ違うように姿を消したのも、そのためでしょう。自らの不明を恥じて償うというのならば、我々だけでこの危機的状況を打開する策を練るべきです。王妃殿下にもそのように進言いたします」


 オベールの黄金に救われた王妃殿下ならば、きっと理解してくださるだろう。少なくとも我々にならばどうにかできると託された。今となっては、それだけでも名誉なこと。

 ただ、王や高位貴族は無理かもしれない。彼らはまだオベールの黄金は失われていないと信じている。いや、そう信じたいだけだ。


「この期に及んでリュシエンヌ様を取り戻したとしても再び加護を得ることはできません。それならもう、いない者として静かに暮らしていただくのがせめてもの償いです」

「だが、わたしにはリュシエンヌが必要なんだ!」


 セレスタンは今でも彼女を愛している。自分の人生をリュシエンヌ・オベールのために捧げてきたのだ。そう簡単にあきらめられるものではなかった。


 たぶんそう言われると思っていたが。

 この方も信じたい人だったかと、マルグリッドは深々と息を吐く。

 ならばせめて、あきらめるきっかけだけでも。


「でしたら探すのはエリックです。オベールの黄金の行方は彼が知っているでしょう」



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