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セレスタン第二王子の後悔とリオネル・フルニエの後始末


「アデライドが辞めた?」

「はい、侍女長からそう聞いています」


 朝に会って以降、姿が見えないからと気になって侍女に聞いてみれば。セレスタンは呆然とした。

 どうしてだろう、挨拶をしたばかりなのに。


「侍女長、どういうことか! アデライドを辞めさせるなどと」

「辞めさせたのではありません。本人が辞めたいと退職願を提出したからです」

「何だって?」


 呼び出された時点で用件を察していたのだろう、バルトロ伯爵夫人は手元の資料からアデライドの退職願を取り出した。内容を読むと一身上の都合により辞めると書いてある。


「侍女長室に戻ってきたら手紙入れに置いてありました。執務室の書類整理が終わったころですから、お昼は過ぎていたように思います」

「ではまだ受理していないのだな、ならば急いでアデライドを呼び戻してくれ」

「なぜですか?」

「なぜって……」


 冷ややかな声で聞かれてセレスタンは呆然とした。たしかに、なぜだろう?

 

「いきなり彼女が辞めては他の侍女が困るのでないか?」

「いいえ、彼女の場合は一日の半分が書類仕事に割り当てられていました。その仕事はセレスタン様が連れてこられた侍従や事務官に割り振るものです。しかも本来の下級侍女の仕事といえば、掃除、洗濯に食事の下ごしらえ、雑用くらいです。その程度であれば残された人員で十分に対応できます」

「アデライドが書類仕事をしていたのか?」

「目撃した侍女によると凄まじい勢いで書類を仕分けて資料を調べていたそうですよ」


 たしかに執務室には作業をしたような名残りがあった。


「そもそも下級侍女に書類仕事を割り当てるのがおかしいのです。今は、むしろ正しい形に戻ったと言えるのではないでしょうか」


 侍女長にそこまで言われてしまえば引き留める理由は何もなかった。

 ただ、どうしてもあきらめがつかない。


「では手当の支払いは。現金での手渡しだろう、取りに来ないのか?」


 せめてそのときに一目でも会って話ができれば。書類仕事に慣れているというのだから事務補佐にとり立てると言えば、再び働いてくれるのではないか。

 するとバルトロ伯爵夫人は難しい顔をして眉根を寄せる。


「それについては、わたしもご報告したいことがあるのです」

「どうした?」

「契約内容を確認しようとアデライドの雇用契約書を読んだのですが……まず、住所が書いていないのです」

「は、そんなことはあり得ないだろう。ヘネストン通りに家があるはずだ」

「ですが空欄のままなのです。そのうえ身元引受人の欄にも記載がありません。こんないい加減な届出が受理されているほうが驚きです。しかもそれだけではありません。契約内容の、この部分を確認していただけますか?」


 バルトロ伯爵夫人は雇用契約書に書かれた一文を指す。たしかに当主であるジェルマン・オベールの署名がある正式なものだ。だが彼女が指した一文を読んでセレスタンは固まった。


 なお、雇用者はこの者に手当を支給していないことを()()()


「何だ、これは。これではオベール家はアデライドを無給で働かせていたことになるではないか!」

「そうなります。実際、手当は現金での支給になりますが支給調書にアデライドの名前がありません。それどころか受取証明書も一切ありませんでした」


 あり得ないことなのに、手当の支給がなかったことを書類の数々が証明している。

 深く息を吐き、バルトロ伯爵夫人は冷ややかな声でささやいた。


「状況だけで考えると、オベール家は長年身元の定かでない人間を無給で働かせていたことになります」


 あってはならないもの、いてはならない者。

 次期当主に瓜二つの、ドッペルゲンガーのように不気味な娘。


「ですがセレスタン様の近くに身元の定かでない人間を働かせるわけにはいきません。アデライドの退職願はわたしの権限で受理しております。本来なら退職金を渡さなければなりませんが、受け取りに来るかどうか」


 悩んだ末、マルグリットは静観することにした。居心地が悪くなったから辞めた、都合が悪くなったから逃げた。理由なんて後付けでいくらでもつけられる。

 冷静な彼女の言葉にセレスタンは打ちのめされた。

 オベール家へ足繁く通っていたくせにアデライドを取り巻く闇に気づけなかったなんて。すべてを知ったつもりになっていたけれど、わたしは何も見えていなかった。


「呼び戻すことはできないのか」

「僭越ではありますが、わたしはそこまでする必要性を感じておりません。呼び戻したとして、アデライドに何をさせるつもりです?」


 問い詰めるような口調にセレスタンは沈黙した。


「差し出がましいと思いますがアデライドには夫がおります。今、オベール家に対する視線は厳しい。いくらお気に入りでも醜聞に繋がるようなことは避けねばなりません」

「なっ! そんなことは!」

「気づいておられなかったのですね」

 

 当主のお気に入り。

 その言葉がどれほど人々の関心と興味を、悪意を引き寄せるか。


 形のない悪意はセレスタンだけでなく、アデライドや彼女の夫も傷つける。

 彼女の夫は甘く軽薄な雰囲気の男だったけれど、言葉は妻であるアデライドを気遣うものばかりだった。傷ついたアデライドを当然のように抱き上げて、彼女もまた甘えるように身を委ねて。

 あの二人の姿を見て、セレスタンはうらやましいと心底思った。

 リュシエンヌには長年尽くしてきたけれどあんなふうに通じ合うものはなかったから。

 もし彼女が隣にいたら自分にも同じように尽くしてくれるのではないか。

 甘い夢を見ていたのだといまさら気がついて、恥じるようにセレスタンは深々と息を吐く。


「侍女長、すまなかった」

「いいえ、それがわたしの仕事です。それよりも陛下から明日、登城するようにとのご指示が届いております」

「どのような用事だろうか?」


 オベール家のこと、リュシエンヌのこと。きっとそれ以外にもある。バルトロ伯爵夫人は声をひそめた。


「実は少し前にアデライドの所在を確認されたのです。ですが本人の希望で辞めた旨を報告したところ、続けてこのような内容が。もしかするとあの娘に関することかもしれません」


 あの娘とはアデライドのことだとすぐにわかった。

 何を求めるつもりはないが、一目でいいから会いたい。

 その一心だけでセレスタンは執務室に残された書類と格闘する。


 ――――


 次の日、やつれた顔をしたセレスタンは王城の謁見の間にいた。

 執務室が想像以上に荒れていて、片付けすらままならないうちに一夜明けて再び王城へ呼び戻された。心も体も疲れ切っているが、彼に衝撃を与えたのは自分と入れ違うように辞めたアデライドのことだった。

 この書類整理をすべてアデライドが担っていたとは。

 慣れていないのもあるが三人がかりで整理しても追いつかないというのに。


 内容についても本来なら時間をかけてジェルマンやヨハンから聞き取りをして引き継ぎを受けるはずが、二人ともに牢の中であるうえに、領地の仕事はともかく当主の仕事についてはまったく知らないの一点張りだった。

 それどころか、リュシエンヌに聞いてもわからないと答えるばかり。

 では誰がオベール家の当主に代わって表の仕事を回していたのか。

 混乱の中、唯一の救いは美しい筆跡で書かれた業務手順書だけだった。そこには当主として行うべき業務や領地経営の懸案事項、書類の保管場所まで明確に書いてある。

 これだけの精度で残せるのは、実際に業務に携わった者だけだ。

 ここまでくればセレスタンに思い当たる人物は一人しかいなかった。


 もしかすると、これもアデライドが。


 そう考えると彼女に会いたいという思いが強くなるばかりだった。

 もう少し待てば、もうすぐ彼女に会えるかもしれない。

 玉座の脇に控えるセレスタンは胸を高鳴らせる。


 謁見の間の扉が開いて王と王妃が揃って姿を現した。

 それだけでもこれから話す内容がどれほど重要な用事であるか察せるというものだ。

 二人は椅子に座ると中央に平伏する人物を見て一瞬とまどうような顔をした。

 

「顔を上げよ、時間が惜しいゆえに直答することを許す。フルニエ商会の商会長であるか?」

「はい、お召しにより参上いたしました。フルニエ商会商会長を務めるリオネル・フルニエでございます」

「オデット・フルニエを連れてこいと命じたはずだ。彼女はどこにいる?」


 リオネルは周囲の探るような空気を感じつつ、ゆっくりと口を開いた。

 さあ、いよいよだ。これから今日一番の爆弾を投下する。


「オデット嬢はおりません」

「どういうことか?」

「彼女と夫であるエリックは家を出ました。どこに向かったのか、行き先は誰も知らされておりません」

「何だと⁉︎」

「ご連絡をいただいたので、今朝、家まで迎えに行ったのですが。そのときにはすでに二人ともいませんでした。きれいに片付いた部屋、書き置きもありません。ですからわたくしは彼女に代わって状況をお伝えするため、取り急ぎここへ参った次第です」


 言いたいことだけ言ってリオネルは深々と首を垂れる。

 ガタリという音を立てて王は立ち上がり、王妃は青ざめて息を呑んだ。


「なぜ今まで言わなかった。それで周辺は探したのか!」

「いいえ。二人ともいい歳をした大人です。子供ではありませんので家を出たならば自己責任、探す理由はないものと思料しました。それに国からオデット・フルニエの監視をしろという命令書はいただいておりませんが」

「だが、それでも公爵令嬢だぞ⁉︎」

「元公爵令嬢です。平民に嫁いだ時点で貴族の籍を抜けています。平民は貴族の法に縛られることもなく自由に生き方を選ぶことができるはずです」


 ちなみに貴族籍を抜けるときは必ず王の裁可が必要となる。

 つまり裁可した王は今は彼女が平民であることを知らないはずはないのだ。


 リオネルが顔をあげると、王と王妃が矢継ぎ早に指示を出して騎士や使用人を走らせている。

 彼らはこれから国をあげて捜索するのだろう、二人が今どこにいるのかを。

 するとリオネルの背後から取り残されたような困惑した声が響く。

 

「オデット・フルニエ? どうして彼女の名前がここに出てくるのです?」


 ただ一人、事情を知らされていないセレスタンのものだった。


 セレスタンはオデット・オベールがフルニエ家に嫁いだというのは知っている。

 オデットとは、オベール家で一度だけ会った。妙にくたびれて公爵令嬢らしい品位の欠片もない娘のことだ。

 どうして彼女の話題が、こんなところで?

 

「そうか、時間がなくておまえには話していなかったな。実はジェルマン・オベールが自供したのだ。リュシエンヌ・オベールを義妹のオデットと入れ替えたのだと」

「は、リュシエンヌとオデットが入れ替わっていた? そんな、ですが彼女の髪は」

「ジェルマンが呪われた樹海の悪い魔女に頼んで、魔法により髪色を入れ替えさせたそうだ」


 黄金をくすんだ赤茶色に、そして赤茶色はオベールの黄金に。

 たったそれだけでリュシエンヌはオデットに、オデットはリュシエンヌとなった。


 荒唐無稽とも思える父の言葉にさまざまな状況に耐性があるはずのセレスタンですら言葉を失った。そしてじわじわと内容を理解するに従って、肩を震わせ顔色を悪くする。セレスタンの脳裏に会ったときの状況がよみがえった。

 あのときオデットはわたしに何と言った?


 やめて、リュシエンヌはわたしよ――――それはわたしではないの、だからオデットを愛さないで!


 セレスタンはヒュッと息を呑んだ。

 真実は想像とは真逆だったのか。セレスタンはこの期に及んでようやく彼女が放った言葉の意味を理解した。

 そんなそれでは彼女は、嘘をついていなかったことになる。

 ああ、自分は何という残酷な言葉を彼女に浴びせてしまったのか。


「それではオデット・オベールは気が狂っていたのではなかったのですか!」

「どういうことか?」


 眉を顰めた王に、セレスタンはしどろもどろになりながらお茶会での出来事を詳細に語った。そして詳しく話すほどに父と母の表情が険しくなる。

 お茶会に突撃されたと簡単に経緯は聞いていたが、まさかこれほどとは。最後に父は頭を抱えていた。


「なぜ気づかなかったのだ、十年近くも彼女のそばにいただろう!」

「も、申し訳ありません。ですがあまりにも雰囲気が違い過ぎてわからなかったのです」

「ああ、あの子は嘘がつけないから……本当のことを言ったのに信じてもらえずかわいそうに。あの子が気狂い姫と呼ばれるようになった責任の一端はあなたにあるのよ!」


 リュシエンヌがわたしではないと叫んだというくだりで、母は完全に崩れ落ちた。その華奢な体を父が支える。

 そうそれだ、セレスタンはあわてて声を張り上げた。


「バルトロ伯爵夫人からも言われました。オベールの黄金を持つ者は嘘がつけない。嘘をつくと、直ちに血を吐いて死ぬと。それは本当ですか?」


 思い出せば、リュシエンヌに成りすましたオデットは何度か嘘をついた。

 知っていれば自分だって偽者と見抜けたかもしれない。


 その言葉を聞いた瞬間、父と母は固まった。

 まるで聞いてはならないことを聞いてしまったかのような顔だ。

 血の気の失せた顔で、父は声を絞り出すように尋ねた。


「おまえもリュシエンヌから聞いていなかったのか」

「おまえも、とは?」

「オベールの黄金を持つ者は嘘がつけない。嘘をつくと、直ちに血を吐いて死ぬという代償のことだ。婚約者にはオベールの次期当主が直々に教えることになっている。それなのにジェルマンもカルロッタから一切聞いていないというのだ」


 なぜ教えなかったのか、その場にいる人間は察してしまった。

 カルロッタは、夫であるジェルマンが悪用することを恐れたから。そしてセレスタンもまたリュシエンヌの信用を得るには至らなかったという証だ。

 オベールの黄金は二代続けて国が選んだ婚約者を伴侶と認めなかった、その事実にセレスタンは崩れ落ちる。

 脳裏に浮かぶのはリュシエンヌの柔らかで優しい笑顔だった。

 なぜ教えてくれなかった。リュシエンヌは……わたしを愛していたのではなかったのか!

 いたたまれないような沈黙が落ちる中、どこか場違いにも思わせるのんびりとした声が響いた。


「邪魔になってはいけません。用がないようであればわたくしはこれで」


 声の主であるリオネル・フルニエは深々と首を垂れる。

 一縷の望みをかけてセレスタンは彼に叫んだ。


「リュシエンヌの居場所に心当たりはないか? 一刻も早く会って誤解を解かなくては!」


 誤解を解くねぇ。


 己が正義を疑ってもいない顔にリオネルは内心で苦笑いを浮かべる。

 その前にまず謝罪すべきだろう。

 どこまでも独りよがりで、他人の感情に疎い。そんなところが嫌になって義姉さんは兄さんを選んだ。

 よかったね、兄さん。潔く謝ったから拗れなくて済んだんだよ!

 あのあと何があったのかエリックから聞き出したリオネルはほっと胸をなでおろしたものだ。


 手加減はいらないかと、リオネルは容赦なく次の爆弾を投下する。


「申し訳ありません、二人ともすでにフルニエ家から籍を抜いておりますのでわかりかねます」

「は⁉︎」

「先日、除籍しました。家と縁が切れたので、フルニエ家とは無関係の人間です。ですから兄に同行したオデット嬢の行方もわかりません」


 リオネルは困ったという顔で笑った。


「第二王子殿下におかれましては二人の世間の評判について当然ご存知でしょう。浮気者で女がいなくては生きていけないと言われた女性服のデザイナーと、愚かでわがままな贅沢好きの気狂い姫。彼らは悪評に耐えかね、フルニエ家にこれ以上迷惑をかけないとして籍を抜く手続きをしました。黙って家を出たのは残される我々への気遣いでしょうね」


 そう答えるリオネルの顔は内心の思惑など決して表には出さず、どこまでも謙虚な顔だ。

 セレスタンは呆然とした。

 建国の英雄の子孫であり、生粋の公爵令嬢がオベール家を捨てるだと?


「そんなわけがあるか、どうして止めなかった!」

「そう言われましても。わたしは商会長として商会と商会員を守る義務があります。先日起きたオデットに成りすました詐欺の損害は前商会長が引責辞任するほどに深かった。だから、これ以上商会に迷惑をかけないために除籍してほしいと言われたら応じるほかありません」


 だいたいオデット・オベールを他家に嫁がせるようオベール家に圧力をかけたのは王家だ。

 それなのにいまさらなぜ逃したのかと咎められるのは筋違いというもの。


「ちなみに二人は籍を抜くための書類一式を関係機関に提出し国の許可を得ています。つまり二人の除籍は法に基づく正規の手順を踏んで国が認めたもの。フルニエ家に一切の非はないことを申し添えいたします」


 書類の写しはここに。リオネルが書類を掲げると一気に王と王妃の顔色が悪くなった。


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