悪い魔女の懐古と、グランドヴァローム王家の焦燥2
まさか第三者が髪色を変えて成り代わるなど思いもしなかった。
「本物のリュシエンヌ・オベールはどこにいる!」
王城にある謁見の間。
もはやオベール家の罪は疑いようもなくオレリアンは怒りに震えていた。
「何ということをしてくれたのだ、ジェルマン・オベール。税金の誤魔化しなどと当主の権限を悪用しただけでなく、なぜオベールの黄金を手放すような真似をした!」
国王であるオレリアンの元にはオベールの黄金は偽物だったという信じられない報告があがってきている。
すべては黄金色の髪がリュシエンヌのものだと信じていたから起きた悲劇。
この状況ではおそらく加護は切れかかっている。勢いに乗る隣国は再び侵攻の兆しを見せているし、もはや一刻の猶予もなかった。
だが、この男はどうにも緊張感が薄い。己の立場というものが本当にわかっているのか?
ジェルマンは、自身がとんでもないことをしておきながらまるで正しいことをしたと言わんばかりの顔だ。
「王よ、大変申し上げにくいのですが勘違いをしておられる」
「どういうことか?」
「リュシエンヌはオベールの黄金を与えられるにはあまりにも出来が悪かった。だから入れ替えたのです……我が娘、オデットと。ほら、オデットはとても愛らしく頭の出来も良かったでしょう?」
「なんだと、入れ替えた……では本物のリュシエンヌ・オベールは!」
「オデット・オベール、リュシエンヌの愚かな義妹。そうです、我々が気狂い姫と呼ぶ娘こそがリュシエンヌだったのです! 勉強もマナーの授業もサボり、礼儀知らずでセレスタン様との定例のお茶会に突撃した。いじめだの嘘つきだのとありもしない悪評を広めようとする、オベール家唯一の汚点。完全に頭がおかしくなった娘にオベールを継がせるわけにはいかない。だからわたしも断腸の思いで、仕方なく入れ替えたのです」
苦渋を滲ませてジェルマンは用意してきた言い訳をつらつらと述べる。
「わたしは育児に関わらせてもらえませんでしたから気がつきませんでしたが。あの娘が愚かなのは前当主であるカルロッタや執事長を筆頭とした側近が甘やかしたからでしょうな。そう考えると、かわいそうな娘です」
最後まで慈悲深く、憐れむような表情を添える。
大丈夫、これで誤魔化せるはずだ。
内心でほくそ笑むジェルマンをオレリアンは冷ややかな眼差しで見つめた。
「ではなぜオデット・オベールを嫁に出した」
「それは王家からそういう趣旨の話をいただいたからです。リュシエンヌが家を継ぎ、セレスタン様が婿入りするにあたって、家内の問題は整理しておくようにと」
「それは我々がオデットをリュシエンヌと知らなかったからだ。そのときに事情を話さず、なぜ黙っていた」
リュシエンヌが邪魔だったからだ。ついでに新しい財布も欲しくて、これ幸いとフルニエ家に嫁がせた。
などと本当のことが言えるわけもなく、ジェルマンは沈黙した。
「そのとき正直に話せばこちらも協力したものを。それほど手に余るなら、それこそリュシエンヌをお飾りの妻として地下牢にでも閉じ込めておけばよかったではないか」
だがそれではさまざまな仕事を押しつけるには都合が悪い。
「で、ですがそれではセレスタン様の邪魔になるのではと思いまして」
「愚かな、セレスタンとて王家の人間だ。相手が気狂いだろうと、国のために家を繋ぐということがどういうことか承知している」
後継さえ得られたらリュシエンヌを装うオデットと幸せに暮らす未来もあったというのに。
そのときオレリアンの脳裏に一つの疑問が過る。
「まさか戦神が『加護は家を受け継ぐ者に与える』とおっしゃったことを知らぬとは言うまいな?」
「は、何ですと?」
するとジェルマンは目を見開いて固まった。その反応が事実を物語る。
だから話が噛み合わないわけか、頭を抱えて王はゆるく首を振った。
あわててジェルマンは言葉を重ねた。
「ですが家を継ぐ者に加護を与えるのであればオデットでも十分に条件を満たしています」
「そうではない、かの神がおっしゃったことをすべて並べるとこういう条件になる」
汝が血筋に加護を残す。目印は黄金だ。
加護は家を受け継ぐ者に与える。代わりに嘘をついてはならない。
「己が家族に条件を当てはめてみるがいい。すべての条件を満たしている者は一人しかおらんではないか!」
まさか本当に知らなかったとは。王が怒号混じりに吐き捨てるとジェルマンは青ざめた。
加護を与える代わりに嘘をついてはいけない。
つまりリュシエンヌが頑なにオデットを名乗らなかったのはそれが理由か。
そして加護は家を受け継ぐ者に与えるという条件もそう。
あの娘は知っていたのだ、自分が他家に嫁げば加護が失われるということを!
「カルロッタはおまえには教えていなかったのだな」
機会がなかったとは思えない。この男を最後まで信頼できなかったということか。
ぽろとこぼれた王の言葉にジェルマンの感情が怒りの方向に振り切れる。
「あの女は、最初からそうだった! わたしのことを嘲笑って、見下していたんだ!」
「どういうことだ、何があったのか」
そういえばカルロッタとの夫婦仲は冷え切っていると聞いていたが、貴族の結婚などそんなものと気にも留めていなかった。後継者のリュシエンヌがいるし愛する者との再婚も仕方ないと考えていたのだが、違うのか?
ジェルマンとカルロッタの婚約はリュシエンヌのときと違い、すんなり決まったわけではなかった。
オベール家の婿となる栄誉だけでなく、幼い頃から評判だったカルロッタの美貌と同じ年に生まれた次男三男が多かったなどのさまざまな理由により、熾烈な争奪戦が繰り広げられたのだ。
家同士の権力争いもあり、国内が大きく荒れたため仕方なく王家が介入した。
結果、決まったのがジェルマンだった。彼が婚約者に決まったのはずいぶんと遅く、カルロッタが貴族学校に入学する直前の十五歳のときだったと記憶している。
「それでも自分が選ばれた。何が気に入らない?」
「あの女は初夜のとき、愛しているかと聞いたわたしにこう言ったんだ」
わたしは、あなたを愛していません。
たしかに、その言い方は残酷だ。もっとうまく取り繕うような別の言い方があったのではないか。
そう思った王は一瞬ジェルマンに同情しかけたが、すぐに気がつく。
……違う、オベールの黄金をもつ者は嘘がつけないからか。
「だが仕方のないことではないか、政略結婚とはそういうものだろう。貴族なら愛がないのも承知のうえだったはずだ。結婚後に絆を深めて愛を育てていく、そういうものではないか」
「こっちは十五年も待たされていたのですよ! 選ばれたのなら愛されて当然ではありませんか!」
ただオベール家の都合に振り回されて。それでもようやく月下の薔薇を手に入れたのだ。
あれだけ焦らしておきながら、愛していないなんて許せない。
「愛さないと言うなら誰が愛してやるものか。それなら愛してくれるメラニーを大切にするのは当然のことです」
「だが夫人は若い男に入れ上げてオベール家の資産をずいぶんと食い潰したようだ。それでもおまえは愛されていると自信を持って言えるか?」
「そ、それは……」
「愛していると嘘をつかれてうれしいか? 少なくとも愛していないと答えるほうが誠実ではあるな」
もしかすると、この男は月下の薔薇に愛されたかったのかもしれない。
すでに愛していたのか、もしくは有象無象を押し除けて選ばれたからこそ愛されていると勘違いしたのか。
期待を裏切られたから、裏切った。
だがどんな理由があろうと犯した罪が許されるわけがない。
「たしかにカルロッタとの間にはいざこざがあったかもしれんが、リュシエンヌには関係ないだろう」
「いいえ、あの娘はカルロッタの血を引いている。あの見下すような目と態度がその証拠だ。自分は愛さないくせに愛してもらえるなんて思い上がりも甚だしい。あんな娘など……いないほうがマシだ!」
「それは違いますよ」
ジェルマンを否定する声は別の場所から上がった。
「愛されていなかったというのはあなたの思い込みです」
「アナイス王妃殿下」
「気に入らない妻の娘はいらない、憎しみがこんな恐ろしい状況を引き起こした動機なのね」
カーテンで仕切られた控え室から姿を現したアナイスは手に持つ手紙を掲げた。
「これは先日わたし宛に届いた手紙です。内容はともかくとして、とても美しい筆跡で書かれているのを見て思い出しました」
あれはリュシエンヌが十歳にも満たないころ。
親交を深めるお茶会で、リュシエンヌはアナイスに寂しそうな顔でこう言った。
……お父様と、直接お会いしてお話しができないのです。
「きっとその頃からあなたは妾の家に入り浸って帰ってこなかったのでしょうね。正直なところ、わたしはあなたの気持ちや事情なんてどうでもいいの。でもね娘が寂しがっているのにまったく帰ってこないというのは父親として問題だわ。だからあの子にこう助言した」
それでは手紙を書きなさいな。手紙ならば直接会えなくても本人の手元に届くでしょう。
「そして手紙を書くならば誰もが思わず手に取るような美しい字で書くのです、とね」
そのとき幼くも聡明なリュシエンヌは大きくうなずいた。アナイスは封筒から取り出した便箋を掲げて見せる。オレリアンの目にも、便箋に書かれた文字は目を見張るほどに美しかった。
「たしかにこれは美しいな」
「幼いころの字は年齢相応に拙いところもあって美しいとは言えなかったのですが、上達するまで一生懸命に練習したのでしょうね。この努力を愛と呼ぶのではなくて? それを愛されなかったなんて幼稚にも程があるわ」
彼らの強さは形を変えながら心に宿る。リュシエンヌの場合はこの美しい筆跡だったのかもしれない。
「疑うなら聞けばよかったのです、本物のリュシエンヌに『自分を愛しているか』と。このころのあの子なら間違いなく愛していると答えたでしょう」
オベールの黄金を持つ者は嘘がつけないから。
ジェルマンは青ざめた顔で皮肉げに口元を歪める。
「何の証拠もないではないですか。ただの理想論で、あの娘に都合がいいだけの作り話だ」
信じない、信じないぞ!
それでは愚かな気狂い姫ではなく、まるでわたしがオベール家を滅ぼしたようではないか!
冷めた眼差しでアナイスはひらりと便箋を揺らした。わずかに動揺したジェルマンに厳しい視線を向ける。
「リュシエンヌには手紙を書いても改善されなければ、わたしが直接あなたに苦言を呈すると伝えたわ。カルロッタが亡くなった以上はわたしが母親代わりになろうと思ったからよ。でもそのあとリュシエンヌから申し出はなかった。セレスタンは、お茶会のときにリュシエンヌがあなたと過ごす時間を楽しそうに話していたと言っていたから改善されたのだと思ったけれど……まさか偽者にすり替わっているなんて思いもしなかった」
この男はリュシエンヌが心を込めて書いた手紙を読まずに捨てたのだろう。そうでなければ我が子の髪色を奪って、公爵令嬢が受けるべき恩恵と共に別の子供に与えるなどとという恐ろしいことを思いつくわけがない。
「先ほどまでオベール家から提出された書類を調べていました。署名以外は、すべてこの美しい筆跡で書かれています。これがどういうことか説明していただけるかしら?」
「それは代筆を頼んでいたために」
「ではオベール家から回収した資料にあなたの字で書かれた原本がないのはなぜかしらね?」
リュシエンヌに仕事を押しつけていた明確な証拠だ。
嘘がつけなかったリュシエンヌと違い、ジェルマンの場合は沈黙が肯定となる。
「愚かで勉強嫌いの人間が当主の仕事をこなせるのはどういうことか説明してもらいたいの。まさか、もともと優秀だったあの子を貶めるためにわざと学ぶ機会を奪い、頭がおかしいという噂を流したなんて言わないわよね?」
「それは」
「今、あの子がわがままを言って辞めさせたという家庭教師を呼び出しているところよ。調べればわかることなのだから嘘はやめてちょうだい。お互いに時間の無駄だから」
ジェルマンは沈黙した。
「夫として、父親としての責任を果たさないのに愛されたいなんて。言って恥ずかしくはないのかしら?」
怒りに震えるアナイスを制してオレリアンは深々と息を吐いた。
「もういい、どうせこの男には何を言っても理解できまい。本物のリュシエンヌ・オベール、結婚したから姓はフルニエか。彼女を呼び出して直接話を聞き、今後どうするかを検討しよう。謝罪を望むのならばその場で関わった者に謝罪させるし、場合によってはこの者達の処罰を決めさせてもいいだろう」
「そんな、娘に父親を裁かせるなど許されるわけがない!」
「それだけのことをしたのだといい加減に気づいて欲しいものだな」
当主の器ではなかったという以前に、人として失格だった。
だから辺境伯はオベール家に婿として押し付けたわけか。だが父親もまさか自分の息子が加護を手放したせいで小競り合い程度で負けるとは思ってもみなかっただろう。
かくいうオレリアン自身も貴族の義務すら理解できていない愚か者とまでは思わなかった。
オベールの血を一体何だと思っているのか。
痛む頭を抱えつつオレリアンは文官を呼び出して指示を出す。
「フルニエ家に至急召喚状を送れ。オデット、いやリュシエンヌを登城させよと。それからオデット・オベールとフルニエ家の婚姻に関わる書類の破棄を命ずる」
「こ、婚姻関係の書類の破棄ですか?」
「そうだ、エリック・フルニエとオデット・オベールの結婚自体をなかったものとする」
動揺するのも無理はない。貴族にとって婚姻とは家同士を繋ぐ重要な契約だ。おそらく国が保管する書類でも重要の部類に入るもの。貴族ならば家名の次に大事にするものだ。
だがそれでも王であるオレリアンに、ためらいはなかった。
「もちろん離婚など、もってのほかだ。たとえ書類上の話だろうとオベールの血が他家に嫁いだという事実を認めるわけにはいかない」
オベール家にリュシエンヌを、そしてこの国には加護を取り戻すために。




