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悪役を押しつけられた貴婦人は色のない夢を見る  作者: ゆうひかんな


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エリック・フルニエの懺悔とアデライドの決断2


 最初、リュシエンヌは彼の言葉が意味するところを理解できなかった。

 ただ呆然と言葉を失うだけ。

 そしてようやく噛み砕いて理解できたときには激しく動揺した。


 どうやら彼もわたしを愛しているらしい。


 困惑して、でも一方ではじわじわと喜びが湧き上がる。

 真意を確かめる前に、まずは誤解を解かないと。

 リュシエンヌは目線を合わせるように膝をつくとエリックの手を握った。


「償いなんて必要ありません。許すも何も、エリック様はわたしに生き残るための選択肢を与えてくれました。感謝することはあっても恨むことは何もないのですよ」


 君には手を出さない。愛するつもりもないし、縛りつける気もない。

 契約婚を持ちかけられたときはたしかに驚いたけれど。

 浮気者という噂が嘘だと理解できるくらいに、彼はリュシエンヌに誠実だった。


「オベール家では常にいない者として扱われてきました。ですからエリック様にアデライドと呼ばれるときだけ、わたしは命を吹き込まれるのです。景色に色がついて、キラキラと世界が輝き出す」


 目を細めて、慈しむようにリュシエンヌは天国のような部屋を見回した。

 ここにあるものは何もかもが美しい。だから不釣り合いなのは……リュシエンヌのほう。


「わたしこそ謝らなければなりません。エリック様の泉で女神で天使になるには、わたしではあまりにも醜い」


 リュシエンヌは今、薄れゆく加護の力を逆に利用してオベール家を破滅させようとしている。

 それはわたしが自分勝手に始めた復讐だ。


「貴族の世界で生きるには繊細で優しすぎるのです。美しいものを作り出すあなたに汚い復讐は似合わない」


 リュシエンヌはそっと瞳を伏せた。

 すべてを話したから、彼もリュシエンヌが仕掛けたことに気がついているだろう。それでもリュシエンヌは自己満足しかない行為に彼を巻き込む気はなかった。

 ……オベール家の末路が公になれば、きっと嫌われてしまうわね。

 傷つく前に彼を切り捨てる気だったのだ、本当は。

 今のリュシエンヌに彼の蔑むような眼差しを受け止める勇気はない。


「見くびらないでほしいな。女性服のデザイナーになるために汚名を負ったわたしが、きれいなわけがない」


 ハッとして顔を上げるとエリック様は視線を合わせたまま柔らかく微笑んだ。


「ですがわたしにはオベール家の影がつきまとう。あなたを貴族の醜悪な争いに巻き込みたくはないのです」

「それこそ望むところだ。君には使えない手段がわたしになら使える」

「で、でも……わたしは」


 落ち着かせるようにエリックはリュシエンヌの髪をなでた。

 柔らかく弾む、この手触りは極上の絹糸だ。


「リュシエンヌ・オベール、オデット・フルニエ、そしてわたしのアデライド。君は誰なのだろうと、ずっとそう思ってきた。つかみどころのない君の姿は陽炎みたいに思えて、突然消えてしまいそうで怖かった」


 本来の名であるリュシエンヌとは光のこと。光はふとした瞬間に消えてしまう儚いものだ。それが嫌で、エリックは貴婦人と呼び自分に縛りつけた。

 一人の女性として自分の隣に。契約を持ちかけておきながら無意識ではすでに破棄していたことをエリックはこの期に及んでようやく気がついた。


「そもそもの話、愛さないということが傲慢だった。君はそんなわたしの傲慢な心を打ち砕いたんだよ」


 どんな過去があっても、どんな君でも。今もこんなに君を愛している。


「ようやくわかった。大事なことは君が誰かということではなく、君の代わりはいないということだった」

「エリック様……!」

「君が好きだ、アデライド。君こそわたしの唯一、たとえ君がセレスタン様を愛していようとこの気持ちだけは伝えたい」


 愛の告白のはずが、突然聞き捨てならないことを聞いた気がしてリュシエンヌは思わず彼の言葉をさえぎった。


「そこでなぜセレスタン様が出てくるのです?」


 すると切なげな表情を浮かべた彼は深く息を吐いた。


「アデライドが熱を出したときにセレスタン様の名を呼んでいたから。そして、『わたしを愛さないで』とも言っていたから、君はまだかつての婚約者のことを忘れられないのだと思っていた」


 なんて恥ずかしいことを。リュシエンヌは思わず額に手を当てる。

 まさか、うわ言でそんなことを口走っていたなんて思わなかったわ。

 なるほど、エリック様はアデライドのうわ言を聞いて、まだ彼を愛しているのではないかと推察した。だから今までずっと一線を引いたような態度だったわけか。


「エリック様はとんでもない勘違いをしていたのですね!」

「勘違い?」

「たしかに幼いころは彼を大切に思っていました。ですが何年も一緒にいたのに髪の色が変わったというだけで他人と区別がつかないような人ですよ。そんな人を、いつまでも好きでいられるほどわたしも暇ではないのです」


 するとエリック様は目を丸くする。


「暇って、そういう問題……彼のことはもう好きではないの?」


 幼いころからセレスタン様とリュシエンヌの相思相愛ぶりは貴族の間でも有名だった。だから彼はそうと思い込んだのだろうが。リュシエンヌは繋いだ手をきゅっと握った。


「わたしは忙しいのです。わたしのことを理解して大切にしてくれる人を守るために毎日大忙しなのですよ」

「それは……誰か聞いてもいい?」

「不器用なのに無謀なことをして、微妙に手がかかるけれど。それが全部わたしのためだと知っているから、どうしても嫌いになれないのです」


 そして無色だったリュシエンヌの世界に色をつけ、過去から救い上げてくれた人でもある。


「エリック様ですよ。わたしが大切にしたい人はあなたです」

「アデライド!」

「わたしもあなたを愛しています」

「よかった、捨てられたらどうしようかと」


 エリック様がリュシエンヌの体を抱きしめて深々と息を吐いた。

 リュシエンヌは微笑みながら彼の背に手を回す。

 自分よりも大人なのに純粋なところがあって、そんなところもかわいらしい。

 

 胸の奥にセレスタン様にはついぞ感じることのなかった愛おしさがあふれる。


 結局、リュシエンヌもまた決められた婚約者としての務めを果たしていただけだった。

 恋ではあっても愛ではなかった。だからお互いさまだ。

 セレスタン様との婚約はあちらから破棄されたようなものだけれど、ずっと恨み続けるほどの価値もない。

 もっと時間が経てば、やがて思い出すこともなくなるだろう。


「一時でも彼を愛していると勘違いしたことは黒歴史だわ」

「どうした、アデライド?」


 ふふっと笑って、リュシエンヌはエリック様の耳元にささやいた。


「こんなにあっさりわたしの言葉を信じてしまっていのですか。嘘つきで愚かな気狂い姫ですよ」

「だって君はわたしに嘘をつかないじゃないか。それに君こそ信じてもいいの、相手は浮気者で女好きだ」

「それこそ嘘ではないですか。だいたいマダム・ジョゼフィーヌの店に行く以外はずっと家にいるのですもの。むしろお仕事に影響が出ないか心配です」

「よく知っているね」

「ジョゼフィーヌ様が心配してエリック様との打ち合わせの予定があることを、事前に教えてくださるのよ。わざわざ照らし合わせたことはないけれど、きっとそれ以外はほとんど家にいるのでしょうね」


 ジョゼフィーヌ様を味方につけたか。エリックは目を丸くする。


 アデライドにはそういうところがある。

 天性の人たらしというか、これはと思う人をいつのまにか味方につける。

 最初は警戒していたリオネルも、今ではすっかりアデライドを義姉さんと呼んで懐いているしな。

 そういえば最近はジョゼフィーヌ様の店に行ってもお茶やお菓子が出ないし、女性陣からさっさと帰れとばかりに追い出されていた。まさに完璧な包囲網だ。

 しかもそのことに言われるまで気がつかなかったということは、自分も早く帰りたいと思っていた証拠だった。

 アデライドは女神で天使だものな、周囲がそうなっても当然だろう。

 そしてもし多くの人を惹きつける魅力が初代リュドヴィック・オベールから受け継いだ資質だとすれば、国はオベール家の正当な血だけでなく、稀有な才能もまた失うことになるのだ。


 関わる者はすべてを失ってしまうような気がして。リオネルの懸念が、少しずつ現実のものになる。

 

「そういえばエリック様、わたしの採寸は終わったのですか?」

「ああ、そうだったね。もう少しだけいいかな?」

 

 アデライドの言葉に、ハッと我に返ったエリックは彼女の手を引いて立ち上がると再び巻き尺を手にした。採寸表に書き込みながらエリックは声をかける。


「たとえば色や形、どんな形の服がいいか。希望はあるかな?」

 

 どんな形の服が。

 彼の言葉にふと思いついたことがあって、リュシエンヌは小さく首をかしげた。


「エリック様、スカートの丈を好みの長さに変えることができる服は作れますか?」

「スカートの丈を……たとえばどのくらいに変えたい?」

「侍女服くらいのスカートの丈を、普段着のワンピースのような丈に。できれば誰かに手伝ってもらうのではなく、自分で着たまま調整できることが理想です」

「スカートの丈を変える。自分の手で、好きな長さに」


 つぶやきながらエリック様は手元にある白紙に書き込んだ。そしてペンを動かし、服の絵を描いていたが急に顔を上げる。そして瞳を輝かせてながら、突然リュシエンヌを抱き上げた。

 その場でくるりと一周回って、リュシエンヌの頬に軽く口づける。


「すごいよ、アデライド。さすが君はわたしの泉だ!」

「ど、どうされたのですか」

「思っていた以上にすてきなものができそうだ、期待していて」


 キラキラと輝く、甘い眼差し。

 リュシエンヌは頬に触れた熱が何なのか気がついて固まった。そのまま一気に顔が赤くなる。


「エリック様、突然何を!」

「うん?」

 

 わかっているのか、いないのか。エリック様は無邪気な顔で笑っている。

 彼は無意識で煽ってはどんどん好きにさせるのよ、ずるい人だわ!

 抱えていたリュシエンヌを下ろしたエリック様は慈しむような手つきでリュシエンヌの髪をすいた。それから確かめるように瞳の奥をのぞき込む。


「アデライド、あなたのことを大切にする。だからわたしと一緒にこの国を捨ててくれないか?」

「もちろん、連れて行ってくださいませ」


 リュシエンヌは微笑んだ。彼の言葉に嘘はないとわかっているからこそ、迷いはなかった。


「では作戦会議だ。でもその前に契約を更新したいのだけれど許可してもらえるだろうか」


 緊張のせいか、彼の声がかすれている。

 本当にずるい人だ、ここまで望まれて嫌なんて言えるわけもない。

 エリック様はリュシエンヌの頬に手を添える。

 たぶんリュシエンヌは、こうして触れる彼の手がたまらなく好きなのだ。

 彼への愛はこの手に恋をしたことから始まった。


「これからもよろしくお願いします」


 彼の耳元でささやくと、彼の瞳がリュシエンヌを捕らえる。

 迷いのない真っ直ぐな眼差しも好きだわ。

 結局、彼のすべてが好きなのだと思い直してリュシエンヌは瞳を閉じる。

 唇に柔らかな口づけが落ちた。角度を変えて、もう一度。


「どうしよう、止まらなさそうだ」


 とまどうような彼の言葉にリュシエンヌは真面目な顔で答える。


「ねぇ、エリック様。わたし考えてみたのだけれど止まらなければならない理由は何かあるかしら。契約は更新されて、わたしはあなたの妻でしょう?」


 ほんの少しだけいたずらっぽく笑って。

 リュシエンヌの言葉にエリック様は固まって、彼の頬がじわじわと赤くなる。


「またそういう煽るようなことを」


 熱を孕んだ彼の吐息が頬にかかる。

 くすぐったくてリュシエンヌはクスクスと笑った。


「あとからそのつもりはなかったというのはなしだよ」

「それはお互いさまですよ」


 愚かでも、間違っていても。わたしが愛する人はわたしが決める。

 すると彼は幸せそうに目を細めた。

 

「どの君もすてきだけれど、一番は幸せそうに笑った顔だ」


 そしてもっと深く、心に刻むようなキスをして。

 午後の陽射しが優しく二人を照らし、柔らかに吹き込む風が作業部屋の扉をパタリと閉めた。


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